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【脳と教育】第3回 乳児の言葉の学習と文字能力(後編)~バイリンガルと乳児期の言語環境が後の言語発達に与える影響

要旨:

前回に引き続き、Mind, Brain, and Education 誌第5号に掲載されている論文、"Early Language Learning and Literacy: Neuroscience Implication for Education"(Patricia K. Kuhl, Volume 5, Number 3, pages 128-142, September 2011)から、今回は、子育て中の多くの親にとってより身近で関心の高い2つのテーマ、「バイリンガル」と「早期言語環境が後の言語発達に与える影響」について、キュール氏の大変興味深い研究結果に私見を交えて紹介していく。
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さて、前編で紹介したように、乳児の母語に対する驚くべき感受性と、周りの人との「生の」社会的接触の重要性を証明したキュール氏は、子育て中の多くの親にとってより身近な2つのテーマについて、主に自分自身の研究室で行われた最新の知見を紹介している。

2つのテーマとは、バイリンガル能力の獲得過程と、乳児期の言語環境が後の言語の能力に与える影響である。

どんな親でもわが子に「よりよく育ってほしい」と思っている。「より良い育ち」という言葉に込められた期待は、親によってもちろん異なるだろう。スポーツ選手として大成してほしいと思う親にとってそれは、より優れた身体能力であろうし、世界的な演奏家になることを望む親にとっては、優秀な音感や手指の器用さかもしれない。誰からも愛される優しい性格を望む親もいるかもしれない。しかしたぶん数の上では、わが子が頭の良い子になってほしいという親が一番多いのではないだろうか。頭の良さを端的に示すのはもちろん知能指数(IQ)であるが、これまでの多くの研究が、知能は遺伝的な要素と経験の両者によって決定されることを明らかにしている。遺伝的な要素は両親から受け継いだ遺伝子によって決まるものであり、すでに決定されている。多くの親はせめて変化させる可能性のある子どもの生育環境をよりよいものにしようと考える。よりよい教育環境を選ぶことはもっとも実際的な方法になる。

ただ問題点は、どの親も同じように考えることだ。その結果、義務教育の始まる小学校まで待たずに、乳幼児期から子どもに「教育的」働きかけをして、他の子どもより有利な条件で学校に入れるようにしようと考えるのは、当然の成り行きであろう。こうして早期教育が登場するのである。

キュール氏は、子どもの早期教育に関心のある親や教育者の大きな関心の的である2つの大きな課題に挑戦している。


バイリンガルへのあこがれ

最初の課題は、バイリンガルだ。バイリンガルに対する多くの親の関心は、どうすればわが子をバイリンガルにできるかということに尽きる。なぜ、わが子をバイリンガルにしたいかと聞けば、多くの親はわが子を「世界をまたにかけて活躍できる」大人にしたいからと答えるのではないだろうか。そしてそこには、自分自身が中学生から始まる英語に苦労し、あるいは海外旅行をしたときに苦労した思い出などが二重写しになっている。

多くの経験から、子どもは2つの異なった言語が話される環境に、おおよそ7~8歳から数年間生活すれば、バイリンガルになる下地ができることが分かっている。下地といったのは、その後バイリンガルからモノリンガル(単一言語)の環境になると、急速にその下地も壊れてしまうからだ。両親が国際結婚などで、ずっと異なった言語をしゃべっている家庭は、バイリンガルが育つ環境になる。

ただ、多くの親が望むのは、日本に居ながらにして、子どもをバイリンガルにできないかということだ。一番有効な方法は、子どもをインターナショナルスクールに通わせることだろう。前回のキュール氏の実験で明らかなように、DVDやテープで外国語を聞かせても、外国語の理解は進むかもしれないが、バイリンガルにはなれないのだ。

子どもの発達を専門とする私にとっては、バイリンガルは時に大きな問題になる。バイリンガルの環境に育った子どもは、往々にして言葉の獲得のスピードが遅れるからだ。私のもとにも、国際結婚の両親に連れられて、言葉の遅れを訴えて受診する子どもは多い。

私はあまり科学的ではないが、バイリンガル環境の子どもの言葉の遅れを、子どもの言葉の辞書の大きさ制限で説明してきた。言葉を身につけ始めたころは、子どもの脳の中に蓄えられる語彙には制限がある。たとえば、脳内に蓄えられた語彙数が100の時に、バイリンガルの子どもは、それぞれの言語の語彙が50ずつしか入らないのである。どちらの親にとっても、わが子の言葉は他のモノリンガルの子どもの半分ということになる。

両言語を合わせた語彙数が少ないうちは、この差が会話能力の大きな差になる。しかし成人の語彙数は約50000と言われており、たとえその半分の25,000でも日常生活上の会話にはまったく支障がでない。外国人が受ける日本語検定1級に合格するために必要とされる語彙数は10,000であることを考えるとこのことは納得がゆく。

では、バイリンガルの人の両言語を合わせた総数は、モノリンガルの人の2倍あるのだろうか。私も気になったので専門書を調べてみたが、これはなかなか簡単に答えることができない難問らしい。なぜなら、バイリンガルの人の語彙は、それぞれの言語と接する経験によって決まるために、それぞれの語彙数が半々ではないためである。たとえば日本で幼少時代を過ごし、その後イギリスで長く暮らしたバイリンガルの人の語彙数は、日本語20%、英語80%であったり、日本語40%、英語60%であったりして個人差が出てくるために一様には考えられないのだ。


バイリンガルの脳

この問題をキュール氏は異なった言語の語音の学習をモデルにして探究した。子どもは語音を聞いて、その出現頻度を統計学的に計算して語音を学び、一定の回数聞くと、その語音の理解が固定することをキュール氏は明らかにした。ある語音が固定されると、頻度の高くない語音の聞きわけ能力は急速に低下する。

バイリンガルでは、2つのどちらの言語も、子どもが聞く回数は少ないはずだ。ある一定回数(たとえば1万回)聞かないと聞きわけ能力が固定されないのだとすれば、バイリンガルの子どもは、固定されない「開いた」期間が長くなるはずである。行動観察と脳波(事象関連電位)の2つの方法で、バイリンガルの子どもの語音の聞きわけ能力がいつ固定されるのか調べたキュール氏のこの予想は見事に的中した。

被験者となった英語とフランス語のバイリンガル環境の子どもは、通常語音聞き取り能力が固定する10カ月を大幅に超過した20カ月になっても、英語とフランス語両方の語音を聞きわける能力を保持していたのである。2つの異なった言語の発音や文法に慣れるまでの間、脳の感受性が高い状態がより長く続くということなのだ。

キュール氏は、次のようにも結論している。バイリンガルは子どもに限らず大人も、ルールを破り柔軟に思考することが必要な課題遂行能力において、モノリンガルの大人や子どもより進んだスキルをもっている、と。


早期言語環境が後の言語発達に与える影響

最後にキュール氏は、乳児期の語音学習能力が後の言語発達にどのように影響するか、乳児期に語音聞き取り能力を判定した子どもを5歳まで追跡して確認した。

キュール氏は、7か月と11カ月の乳児の母語の聞き取り能力を、これまでのように、行動観察と脳科学的方法(事象関連電位)で測定した。2つの月齢における語音聞きわけ能力が、両月齢とも高い「高―高」グループ、7か月では低かったが11カ月で高い「低―高」グループ、そして両時期とも低い「低―低」グループに分け、追跡調査を行い5歳時の言語能力との相関を調べたのである。結果は、予想通りだった。早くから語音聞き取り能力が高かった子どもは、5歳時の語音聞き取りだけでなく、話し言葉の表現力、理解力も高かったのである。

家庭内における親と乳児の言葉による関わり合いは極めて複雑なものであるが、子どもの脳は外からの(言葉などの)刺激によって文字通り「形作られる」ものであることは明らかであり、さらに深い研究が必要であるとキュール氏は結んでいる。


参考文献

  • Early Language Learning and Literacy: Neuroscience Implications for Education by Patricia K. Kuhl from MIND, BRAIN AND EDUCATION, 10 August 2011. © 2011 the Author. Journal Compilation © 2011 International Mind, Brain, and Education Society and Blackwell Publishing, Inc. Republished with permission of John Wiley and Sons, Inc.
筆者プロフィール
report_sakakihara_youichi.jpg 榊原 洋一 (CRN副所長(2013年4月より所長)、お茶の水女子大学大学院教授)

医学博士。CRN副所長、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授。日本子ども学会副理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「ADHDの医学」(学研)、「はじめての育児百科」(小学館)、「Dr.サカキハラのADHDの医学」(学研)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)など。
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