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第7回 虐待や震災などの子どもに対する PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療 Part II: 被虐待児における事例研究

要旨:

これまでに虐待を受けたお子さんの個人セッション、集団精神セッションや、震災後のお子さんの個人セッションを行ってきたので、それらのセラピーの方法を記述する。今回は2歳8ヶ月から施設に入り、5歳半から里親で養育された発達障害を持つお子さんの養育に成功した事例を紹介する。



1.はじめに

児童虐待が大きな社会問題になっており、施設で養育されている児童の数は年々多くなっており、その対処方法として里親での養育が必要とされている。被虐待児の中には多岐にわたるダメージより解離、 PTSD、BPD(境界性パーソナリティー障害、対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式)、実行機能の障害、注意の障害、社会性・コミュニケーションの障害が臨床症状として現れることが報告されている。故に、里親での育て方の難しさがあり、どのように被虐待児を養育していくか、またどのような向き合い方が成り立っていくのかが、検討されている。本稿では、2歳8ヶ月から施設に入り、5歳半から里親で養育された発達障害を持つお子さんの養育に成功した事例を報告したい。この事例では、里親家庭において個人セッションとSST(ソーシャルスキルトレーニング)を行って現在に至る。

なお、今回は、被虐待児に対して行ったセッションを紹介するが、被災してPTSDを負った子どもに対する治療にも同様なセッション課題があてはまる場合がある。


2.方法

対象児A児(男子)の養育暦

出生から入所までの2歳8ヶ月まで母親と各地を転々と移動しながらネグレクトの状態で暮らす。父親は母親が妊娠中に失踪、異父兄妹が6人いる。施設入所当時に話せた言葉は「本人の名前」「アンバーグ(アンパンマン)」のみであり、生後半年の母子手帳には「頭をがんがん打ち付けるのが気になる」と記入がある。1歳以降の記入は全く見られない。その後数回の面接の後に、引っ越しで所在がつかめなくなる。

3歳5ヶ月で里親夫婦と初めての面会を行った時には、体も小さく、言葉の少なさ、集中力が極度に短くしか維持できないなど、発達の明らかな遅れが認められた。眼瞼下垂があり5歳に手術をする。以後2週間に1度の2泊3日の外泊交流を続け、5歳半にて施設から里親家庭に生活を移す。

セッション開始前の状態

生活年齢:5歳8ヶ月
運動-5歳4ヶ月、操作-3歳8ヶ月、理解言語-5歳2ヶ月、表出言語-3歳4ヶ月、概念-5歳6ヶ月、対子ども社会性-4歳4ヶ月、対成人社会性-3歳8ヶ月、しつけ-3歳4ヶ月、食事-1歳4ヶ月、総合発達年齢-3歳9ヶ月、総合発達指数-66
WISC-III 知能検査 全検査 IQ88

生活面

すぐに癇癪を起こし、要求が通らないと「ぶっ殺すぞ」とどなり、「本当のお母さんとお父さんでもないくせに」と発言し、つば吐きがあった。一方でだれ彼構わずにべたべたし、幼稚園の他のお母さん達や施設職員に甘えた。里親は、これからの養育に自信がもてずに「落ち着くまで見過ごすように」という他のワーカーからの助言に腑に落ちずに悩んでいた。

セッション開始

場所:調布発達支援教室
期間
個人セッション:週1回1時間/月3回(5歳8ヶ月より現在に至る)
集団セッション:週1回1時間/月2回(6歳より7歳まで)

セッションプログラムの開発背景

情動の発達過程から、子どもがストレスを受けたときに対処する方法として2つの様式が存在することが指摘されている(Lazarus,1994)。1つめは、知覚を閉じてストレスを回避する方法であり、見ない聞かないことにより恐怖から自分を守ろうとする。そのため発達障害のように脳機能に障害があるかのような様相になる。

2つめは、言葉をもつようになった時に状況を再評価し、ストレスの現状を理解しようとする方法である。虐待を受けている状況を「自分が悪い子だからこういう事をされる」と状況の再解釈によって解決しようとする。故に成長しても自己肯定感をもちにくい。

この対象児の場合、言葉を話す前に虐待を受けていたので、感覚を閉じることにより自分を守ろうとしていたと推測され、視覚聴覚の感覚を広げる課題やことばの課題を多く行った。

さらに子ども学の脳の三位一体学説から「生存・運動脳」「本能・情動脳」「知性・理性脳」の3つの脳の相互作用が子どもの発達に重要であるとされているが、虐待によって体のプログラムと心のプログラムが発達されることが阻害されてきた(小林登、1999)。

A児にとって発達が遅れていると認められている箇所(操作、表出言語、対成人社会性、対子ども社会性、知能)を中心に治療プログラムを作り、個人セッションと SSTを行っていった。

セッション課題

言語能力系強化課題(文字、識字、逐次読み、特殊音節、構音トレーニング等)
数的能力系強化課題(数概念、数支援、数唱、計算)
視覚系能力強化課題(お絵描き歌、ひらがなのなぞり書き、目と手の協応、空間位置、視覚的記憶)
聴覚系能力強化課題(歌によることば課題、リズム模倣、音から字への変換)
行動・情緒系能力課題(即興演奏による打楽器操作、ピアノによる手のトレーニング)


3.支援経過

A児は注意持続困難なために、一つの課題を5分程度にして細かい課題を積み上げるセッションにした。しかしセッション構造としては毎回同じ順番に行うように組み立て、A児は視覚優位な傾向であったのでパソコンを使い、興味のある課題から行っていった。鉛筆を持つことさえ困難なため、セラピストがA児の手を持ち一緒になぞり書きやお絵描き歌などをして腕の使い方を覚えさせ、支援している事を自覚させることがないようにA児が書いたものとして褒めて達成感を持たせた。

また、いきなり難しい事をさせるのではなく、 A児ができるところから少しずつ課題をスモールステップでヒエラルキー(階層的)に進めていった。

また音を手がかりとして聞く、話す、読む、書く、認知、運動、行動・情緒の課題を作り支援を行った。音による課題は情動を付加価値として、扁桃体に働きかけ、情報を記憶しやすくする。その利点をまとめると、

1)情報に音が付加されると記憶しやすくなる。
2)音による表象を作る支援になる。
3)引き込み同調現象、模倣相互作用現象の活動の媒体として音を使用することができる。
4)共同注視、共同注聴としての心の理論の支援課題を作ることができる。
5)学習支援として活用することができる。
6)楽器操作による微細運動の支援をすることができる。などが挙げられる。

子ども学でいう「学ぶ喜びいっぱい」のチャイルドケアリング・デザインに 配慮した課題は、1時間のセッションでも集中が途切れる事なく課題を容易に行うことができた。


4.結果

就学前の知能検査 WISC-III 全検査が108、発達指数も100になり普通学級に進学することができた。以下に里親の手記を抜粋すると

「教室で初めて一人で絵を描けた事を先生がうれしそうに報告してくださった日は、親も本当にうれしくなり、それから子どもに対して焦らずに見守る姿勢ができ、褒められるようになりました。感情的に怒るのではなく、冷静に注意して親自身の養育態度も意識するようになりました。セッション開始から5ヶ月後には『お母さん、僕の事をずっと抱っこしててね』と2週間続けて言っていました。また自分の近くに来て欲しい時、今までは叩くことしかできなかったのに、『こっちへ来て』と言ってくれた事は忘れられません。A児が楽しく勉強し、歌やピアノを通じて自己表現が少しずつできるようになっているのが大きな喜びです。人との距離感や自我形成等課題はありますが、学校の先生にできない事を並べられて落ち込んでも、前を向いて明るく子どもと共に歩いていけるのは、この療法に出会えたからだと思います。急速に増え続けている被虐待児や発達障害児が、自分の力を最大限に発揮して豊かに成長していくためにこの療法が一つの糧となってくれることを強く信じています。」

現在では、年2回発表会にでて素晴らしい歌とピアノを披露しています。親子関係も本当の親子としか見られないくらい良好で、不思議なもので親子の顔がそっくりになっています。両親にとって生き甲斐そのものになっています。A児にとって以前は発達が遅れていると認められていた箇所(操作、表出言語、知能、対成人社会性、対子ども社会性)においても年齢相当の発達にキャッチアップし、毎日友達と仲良く遊んでいます。虐待によって閉ざされた視聴覚の感覚が療法によって広がったことにより、心のプログラムが働きだし、成長ホルモンも分泌されて1年足らずで IQが20も上がり、発達指数も34も上がったのであろうと思われます。

この里親はこれまで自分が学んできた事を還元したいという思いから、施設においてボランティアで被虐待児に個別学習支援をしています。

勇気をもって里親になられた若いご夫婦の真摯な生き方を、将来 A児が成人になった時にしっかり受け止め感謝できる人格に育ってもらえることを願ってやみません。


謝辞
このような療法を確立するまでに導いてくださいました小林登先生のご指導に感謝申し上げます。


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引用文献
Lazarus,R,S&Lazarus,B,N(1994) : Passion and reason: Making sense of our emotion. New Youk; Oxford university Press
小林登(1999): 子ども学、日本評論社
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