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【カナダBC州の子育てレポート】第30回 現場に立って感じたインクルーシブ教育の難しさ

要旨:

BC州ではインクルーシブ教育が行われて久しいです。特別支援学校や特別支援学級は存在せず、健常者も障害者もみな地元の学校の普通学級に在籍します。学校は多様性の受け入れに寛容な社会の縮図であるかのように見受けられます。しかしながら実際に教える立場になって見渡すと、BC州のインクルーシブ教育は制度としては成立しているものの、現場では手が行き届いているとは言い難いのが現状です。今回のレポートでは実際に教員として公立学校で教えた中で見えてきたBC州インクルーシブ教育の実情について個人的な感想を書きました。

キーワード

インクルーシブ教育、普通学級、多様性
インクルーシブ教育の流れ

障害のあるなし、また学習困難の度合いにかかわらず、誰もが地域の公立学校の普通学級に通うインクルーシブ教育がここBC州では行われています。これまでもそのインクルーシブ教育について書いてきました。「第11回 多様性への対応を見据えたインクルーシブ教育」と題したレポートでは、BC州のインクルーシブ教育の目指す「インクルーシブ」とは、障害の有無だけでなく、英語を母語としない学習者であるか、あるいはジェンダーの違い等、すべての分け隔てをなくす方向へと移行し、生徒児童個人のあらゆる面における違いである多様性を受け入れることを目標としていていることに注目、「第27回 児童の選択肢が重要視されるBC州のインクルーシブな教育」では、教室内における児童全員の選択肢に焦点を当て、インクルーシブ教育の実際の現場の難しさや疑問点について取り上げました。また、「第28回インクルーシブ教育、英語学習者にまつわる点を中心に」では、英語学習者(English Language Learner:ELL)を通常クラスに受け入れるためのインクルーシブ教育の方法が英語学習者以外にとっても選択肢が増え、学習にメリットが多い点に注目しました。

国連の障害者権利条約第24条には「あらゆる段階における障害者を包容する教育制度(an inclusive education system)及び生涯学習を確保する」とあり、「障害者が障害を理由として教育制度一般から排除されないこと(not excluded from the general education system)及び障害のある児童が障害を理由として無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと」(下線は筆者による)と書かれています注1。これを理解するとインクルーシブ教育とは障害のある人とそうでない人が同じ普通学級で学ぶことを意味します。

さらに、ユネスコのインクルーシブ教育のためのガイドライン注2では1994年に採択されたサラマンカ宣言を引用し「このインクルーシブ志向をもつ通常の学校こそ、差別的態度と戦い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくり上げ、インクルーシブ社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段であり、さらにそれらは、大多数の子どもたちに効果的な教育を提供し、全教育システムの効率を高め、ついには費用対効果の高いものとする」と書かれています注3。そしてその言葉はスウェーデンのベングト・リンクビスト氏の発言、「国における学校制度がすべての子どもたちのニーズに合わせるべきである」へと続いています(B. Lindqvist, UN-Rapporteur, 1994) 。

日本では、インクルーシブ教育が欧米諸国に遅れをとっていると言われています。2022年8月に、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で日本政府が「障害者の権利に関する条約」に関する初めての審査を受けたことが話題になりました注4。上記にも抜粋した障害者権利条約は、2006年に国連が採択し、2007年に日本も署名、2014年には批准したのですが、日本は教育の分野において、特別支援学校や特別支援学級が引き続き存在するなど、いまだに障害のある児童生徒を普通学級と分け隔てていること、さらにはその数がここ10年で2倍に増えていることでインクルーシブ教育の国際的な流れに反していると指摘されています。

カナダ・BC州におけるインクルーシブ教育

確かにここカナダは、すべての人が多種多様であることを受け入れる移民社会であり、すでに多様性が社会全体に浸透しています。地元の学校にはさまざまな障害や文化背景の子どもたちがいることが生徒児童にも自然に受け入れられているように見えます。移民や難民を受け入れてきたことによる多文化社会だけでなく、昨今ではSOGI(Sexual Orientation and Gender Identity:性的指向と性自認)やLGBTQIA2S+(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Questioning, Intersex, Asexual and Two-Spirit:性的マイノリティの総称)が大きく注目され、性別に関係のないトイレ(Gender Neutral Washroom/Everybody's Washroom/Universal Washroom)がすべての学校に設置されたり、ジェンダーニュートラルな代名詞(Pronouns)としてthey/them/theirなど性別アイデンティティを示す語を名前に付けるなど、それにまつわる様々な問題を抱えながらも、多様性の領域はますます広がっているように見受けられます。

また、学習の個別化を推進するカリキュラム改革が2015年頃から徐々に進んでいて、さらには学習困難者に対して個別学習計画(IEP:Independent Education Plan)を作成し学習評価にも反映させています。学校ではIEPミーティングというものが設けられ、リソースティーチャー、担任の先生、カウンセラー、校長、保護者(希望すれば生徒児童本人)が集い、ライティング、社交性、リーディングなど個人に見合った学習目標を立てるといったことを行います注5

教員養成課程でも、学習困難のあるなしにかかわらず、生徒児童が自らの意思と選択で学ぶ責任を担うこと(Student Agency)、ユニバーサルデザインを目指した授業を行うこと(UDI)、児童生徒の学習進度の違いに応じた指導をすること(Differentiation)などが教案作成の時点において重要であることを学び、実践を心掛けるよう促され、教育実習中の実習判定項目にも挙げられています注6。実際に教員になってからも、1年に6回ほど行われるプロフェッショナル・ディベロップメント・デーと呼ばれる教員の勉強会でも繰り返しインクルーシブ教育の大切さを学んだり、実践方法を学んだりということが行われています。

以前にも触れたことがありますが、教員補佐(Certified Educational Assistant)はその分野の教育を受けて州のライセンスを得た上で、学級内でサポートが必要な生徒児童のサポートを行っています。また、リソース・ティーチャー(Resource Teacher)はサポートが必要な生徒児童の個人別学習計画を立てたり、教材や授業を生徒児童のニーズに合わせて調節したりする専門職の教員であり、各学校に存在しています。担任の教員以外にも多くの人が関わることで、個々の生徒児童に見合った学習環境や学習目標を考える動きがあります。

こうして見てみると、日本のインクルーシブ教育と比較すると、BC州は確かに「前に進んでいる」のかもしれません。

保護者と実践者としての感覚の差

実は私はこれまでの1年半、ブリティッシュコロンビア州立大学で教員養成課程に在籍していました。十分でないとはいえ、インクルーシブ教育についても学び、それを反映させた授業案に取り組み、議論をし、小学1・2年、2・3年複式学級で実際に教育実習をした上で感じたことをこれまでこの連載にも書いてきました。その後、インターンシップで小学5・6年生の複式学級の現場に立ってますます感じたのは、インクルーシブ教育の理想と現実、制度と現場の大きなギャップでした。

たとえば、第11回の原稿内容は娘の学校体験を通して保護者として感じたインクルーシブ教育についての感想を書きました。娘はカナダ生まれなのに母語(母親の言語、家庭言語の半分)が日本語であることを考慮されたため、キンダーガーテンクラスに在籍中にELL(英語学習者)サポートを受けることになったので、それについて多様性の一環として考えれば保護者としてはありがたいサポートなのかもしれないと原稿を結びました。

一方、担当していた小学5、6年生の複式学級には英語を聞いて理解することは多少できても、日常会話を言葉にして話したり書いたりできない児童が一人在籍していました。第28回では、指示をなるべく視覚に訴えるものにする、グループワークを増やすといった点からELLにとってメリットの大きいインクルーシブなアプローチを紹介しましたが、実践してみて感じたのはその方法がさほど学習の大きな手助けにはならないという感覚でした。

どのグループに入って学ぶのか、この作業の手順は何なのか、最終的に何を仕上げるのかなどといった説明の助けにはなるのですが、小学5、6年生ともなると、たとえば理科や社会では語彙も複雑になり、ライティングには構成の正確さや書く量も求められてきます。グループでリサーチをしてジオラマを作成するプロジェクトのような、誰しもに何かしら参加手段をもってもらえるような形式をこちらから投げかけたとしても、リサーチには言葉の壁があることから、本人はほとんど調べることができず、プロジェクトで何か与えられたものに関して手を加えることはできても、発表の段階になると言葉にして話したり書いたりすることができないのです。確かに学習には参加しているので、それをインクルーシブと呼ぶことに間違いはないのかもしれませんが、私が実践者として感じたのは、これ以上手を差し伸べようにもどうにもできないという葛藤でした。

教室には28人の児童生徒がいて、その中にはADHDやギフテッド、自閉症ボーダーラインの児童なども複数います。ELLに関して言えば、キンダーガーテンや小学1、2年生の低学年の場合、ELL専門の教員が入るよりも、教室の中や、授業の中での友人との関係の中で言葉を習得していく児童生徒が多い一方、小学5、6年生となると自尊心が邪魔をして学べなかったり、友人関係なども難しくなったりして、外国語の習得が一筋縄ではいかないことも多いです。

カナダはウクライナの社会情勢から難民も受け入れていますが、こういった生徒児童は英語力がほぼゼロの状態で普通クラスに入ってきて、ELL指導は週に30分×2回程度受けるのが現状です。児童生徒を教室から抜き出してサポートする30分と、児童生徒を教室内でサポートする30分という指導法が一般的に行われているようですが、難民の場合、保護者の仕事等の都合上、初めに入ってきた学校から途中で転校することも多く、一貫したサポートを受けることができない難しさもあります。結局のところ、サポートする資金や人材不足が大きな理由だと思いますが、現場にいる教員にしてみれば、何をどう始めたらいいのかすら分からないまま、普段の業務以上の時間がとれずにELLとの協力ができない状態です。ELLは週に30人以上の生徒児童を学区全体でサポートしなければならないため、こちらが思い描くほどにはインクルーシブな環境を作れず、無力感を感じざるを得なかったのが本音です。そしてそのような支援を必要としていなかったカナダ生まれの娘がサポートを受け、当時他にもっとサポートを必要としていた児童生徒にその分サポートが行き渡っていなかったのではないかという疑問もわきました。当事者である児童生徒もこのようなインクルーシブの状況を、果たしてポジティブに捉えているのかどうかも、実際に教室のELL児童を見ていて疑問に感じました。

第27回では個人の学習習熟度に合わせた学習の個別化の例として、レベルの異なる算数のタスクカードやナンバートーク(Number Talk)と呼ばれる算数の感性(math sense)を培う学習法、アウトプットは文字で記すライティングであっても、絵で描いたものであっても、あるいは口頭で素材を指さしながら誰かに伝える形であっても構わないストーリー・ワークショップを使った読解やライティング(Literacy)を紹介しました。ですが、小学高学年になるとカーペットラーニング注7はなくなり、教員が説明する授業形態が増えてきます。誰にとっても学習の入口と出口を見出す学習は理想ですが、ナンバートークなどは一つの問題を扱うのに時間がかかります。コンピテンシーを重視すればリテラシーのアウトプット形態がどれであっても構わないといくら言っても、ライティングとリーディングについては成績表(Report Card)に評価欄は存在するのです。

結局のところ、中学、高校、大学と進むにつれ、求められるのは算数であれば基礎力(足し算や掛け算)を基に置いた応用力であったり、プロジェクトという形であったとしても、思考力、分析力、発想力といったリテラシー学習のコアな部分が求められていきます。学習において何が目的なのか、そこを明確にしないまま、あるいはその部分を中学、高校、はたまた大学へと先延ばしにしたまま、誰にとっても入口と出口のある学習を行っていくのは、やはり小学高学年においては果たして効果的なのか、疑問を感じました。

学習進度の違いに応じた指導(Differentiation)についてですが、私が担当した小学5、6年クラスでは、別の同じ複式学級2クラスと合わせてアセスメントをし、そこから算数のクラスを3つにレベル分けしました。しかし蓋を開けてみれば、レベル分けをした1つの教室には4~5つのグループが出来上がるほどの差が残りました。その4~5グループの各レベルに対応した算数を行うとなると、ローテーションを組んで、1グループに10分程度の指導を行い、残りのグループは自主学習のような形になってしまいました。10分間の指導では、私自身も教えていて圧倒的に時間が足りないと感じざるを得ませんでした。自主学習となると小学5、6年では求められたことをやり遂げられない児童も多々出てきます。もっと人手があればと悔やまれる場面ばかりでした。

教員補佐(EA)の配置もまったく現場では行き届いていないのです。教室に数人個別の教育計画(IEP)の対応が必要な児童生徒がいて、さらには診断を受けていない(保護者が受けさせない、認めない、医療制度の問題上診断する専門家にたどり着けない等)ものの教員から見ても個別対応が必要であろう児童生徒が数人存在していました。そこにさらにELL児童がいるとなると、担当する児童の4分の1から3分の1にサポートが必要であるといっても過言ではありません。その数は年々増加していると言います。それなのに、私が担当した教室には教員補佐が1日1時間だけ入るという現状でした。個別対応が必要な生徒児童に関しては、こちらが状況を把握しておき、評価基準を変える必要があるため、例えばライティングでは2文書くべきところを1文に減らしたり、算数の問題が多すぎるので答えられそうな問題のみを蛍光ペンで指示する配慮を行うなど、タスクに応じた個別の対応にも教員の時間が取られます。

様々な人々が存在する社会の縮図である学校、そして社会性を学ぶ場所としての学校を、障害者も健常者も分け隔てなく、多様性を見据えたモデルとしてのインクルーシブ教育の場にすることには、私も大いに賛成です。そしてそれが早期の教育の場であればあるほどメリットは大きいとも考えます。特にカナダでは学校を卒業した先にある、出口である社会もまた、多様性を柔軟に認めようとする受け皿になっていて、学校から社会へのつながりが見えています。ですが、実際に現場に立って感じたのはインクルーシブ教育制度と現場の大きな差であり、聞こえてきたのは教員や教員補佐たちの悲鳴であり、目にしたのはどうにもできない現状に疲弊した現場に立つ先生たちの姿でした注8

BC州におけるインクルーシブ教育の始まりは1980年頃まで遡ると言われています。それほど長い歴史をもっていながら、そして制度もこれまでに柔軟に対応してきているように見えながら、実態と理想とはずいぶんかけ離れていると言わざるを得ません。これからインクルーシブ教育を進めていく日本においてはぜひ、学校を終えた後の受け皿としての社会の姿、教育現場の教育者の声、そして障害者や学習困難を抱えた当事者の声に耳を傾けながらインクルーシブ教育を築いていってほしいと願ってやみません。




筆者プロフィール

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高井マクレーン若菜

群馬県出身。関西圏の大学で日本語および英語の非常勤講師を務める。スコットランド、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど様々な国で自転車ツーリングやハイキングなどアクティブな旅をしてきた。2012年、カナダ国ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市へ、その後、内陸オカナガン地方へと移住。カナダ翻訳通訳者協会公認翻訳者。ブリティッシュ・コロンビア州公立学校教諭。現在はオカナガン地方の学校で教えている。

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