CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 子育て応援団 > 【カナダBC州の子育てレポート】第31回 現場に立って感じた教員不足などの課題

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

【カナダBC州の子育てレポート】第31回 現場に立って感じた教員不足などの課題

要旨:

筆者は、現在BC州で公立学校の教員として働いています。実際の教室現場に立ってみて、実際に感じている、教員不足の現実や、学級経営、教案作成などの課題についてレポートを書きました。

キーワード

教員不足、教材、インクルーシブ教育、学級経営

筆者は今年に入ってBC州のキンダーガーテンから高校3年までの児童生徒を担当する教諭として働き始めました。実際に公立学校の現場に立って強く感じている疑問や悩んでいることをここに記してみたいと思います。

慢性化した人手不足

日本では教員不足が深刻な問題であるとここ数年聞くようになりました注1。筆者が暮らしているここカナダBC州でも同じ問題を抱えています。2016年あたりから、ベビーブーマー世代の退職、パンデミックで燃え尽き症候群となってしまった教員たちの退職、児童生徒数の増加、仕事の内容と給与が見合っていない上に生活費が高騰するなど様々な理由から教員不足が相次ぎ、現在も改善されていません注2。CRNサイトには、ドイツでも同じく教員不足が問題となっているとする記事があり、この問題はもはや全世界に共通しているのかと興味深く読みました注3。ドイツの例と同じように、BC州でも、教員免許を所持していない教員を採用する、BC州に8機関ほど存在する教職課程プログラムがすべて大きな都市にあることから、へき地の学生たちにはハイブリッドまたはオンライン授業を提供する、学費免除、北部過疎地への赴任教員を優遇するなど様々な対策をとっています。しかし、教育レベルの低下が懸念されたり、極寒の地である北部過疎地への若者の誘致は容易ではないなど、抜本的な解決にはなっていません。ドイツの例のように専門科目の試験や修士号取得、国家試験の合格など、教員までの道のりが7年もかかるということはさすがにありませんが、移民大国でありながら自分のように移民がカナダで教員になるのは容易ではないということを、筆者は身をもって知りました。それは、教員免許が州の教員取締機関(Teacher Regulation Branch)という行政機関に審査されなければならず、たとえ外国で教員免許を所持していたとしても、さまざまな理由から、結局BC州で教職プログラム課程の全て、あるいは一部を受け直すことになることも多いからです。

カナダ政府は移民や難民を今後も多く受け入れ続けることを予定しています。移民や難民としてカナダに渡ってくる人たちを、この国の経済成長を担う労働力とみなしていくとも移民局は発表しています注4。一方、BC州は現在、教員だけでなく、医師や看護師の深刻な人手不足問題も抱えています。このように国の居住者の約4分の1が移民や難民である中、出身国で医師や教員などの職業に就いていた、あるいは訓練をすでに終えているというような経歴があっても、BC州での就労時には、その免許が容易には書き換えられません。

そこには、たとえば教員の場合だと、求められる能力が厳しく審査される点が挙げられます。

  1. 言語力
    (教職課程プログラムへの入学は、大学のどの学部よりも高い英語力またはフランス語力が求められます)
  2. 州が規定する科目を履修済みであること
    (教職課程プログラムが認める英語や社会、理科、数学を教職課程に入る以前に大学機関で取得しておかなければなりません)
  3. 他の大学の教職課程で取得した単位は認められない
    (筆者はかつて日本の大学で教職課程を修了していましたが、その単位は認められませんでした)
といった点が大きなハードルとなっていると、教職課程プログラムを通して自ら体験しました。

また、BC州に特徴的なのが、カリキュラム改革の中で大きな点として謳われている先住民の視点と歴史です。「地域に根差した学習や先住民伝来の認識方法に力点を置く」注5と「BCカリキュラムの改革オリエンテーション・ガイド」にあるのですが、この点が教職課程プログラムの中にある教員を育成する授業にも反映されています。授業案作成の授業に限らず、プログラム内の全ての履修科目に反映されていることで、たとえ同じ科目であっても、他の国や大学、地域で履修した同じ科目の内容がなかなか同様に受け取られない点も、大きく影響しているのではないかと感じます。

教員不足だけでなく、教員補佐の不足も同様に、あるいはそれ以上に大きな問題かもしれません。BC州は、インクルーシブ教育を広く実践していますが、そこに必要なのは大人の手であり、それがない以上、カリキュラム改革のもう一つの柱である学習の個別化「児童生徒の多様なニーズと興味に対応するための柔軟性」注6は成立しません。教員が生徒児童のニーズに個別の対応をすれば、それ以外の児童生徒に手が回らず、授業が成り立たなくなってしまいます。この点は次の学級経営とも大きく関係しています。

学級経営

実際に現場に立って驚いたのは、教科内容を教えるよりも、学級経営に関する業務を行っている時間の方が長いのではないだろうかという事実です。BC州では公立学校は9月に始まります。この9月に担任クラスをもつ教員が最も力を注ぐのが学級経営(Classroom Management)です。この国には個人主義の文化が存在するということについて、これまでにも何度か触れてきましたが、この点に関しては大人も子どもも関係ありません。例えば教員や大人が教室に足を踏み入れて話を始めると、生徒児童が自然と静かになり耳を傾けるということがありません。クラスの誰かが話しているときは、その話し手に耳を傾け、自分が話す順番が回ってくるまで待つ、体育の授業に行くときに静かに列を作って廊下を移動する、教室内を走り回らない、ゴミはゴミ箱に入れる、トイレに行くのは一度に2人まで、など、担任をもつ教員は、9月の新学期中に児童生徒を一年間見守る上で必要だと思うルールを提示したり、小学中高学年であれば生徒児童自身に考えさせたりします。このルールが日々守れないことがとても多いと感じます。

毎回の授業において児童生徒が全員着席して、教壇に立つ教員の目を見て授業を聞く必要はなく、静かになれる場所(Quiet Space)があったり、立ちながら話を聞く、あるいはグラグラと体を揺らすことのできる椅子に座る、手遊びおもちゃ(Fidget Toy)を触りながら作業するなど、児童生徒にとっての居心地の良さが与えられ、その選択の自由もあるのは良いことだとは思うのですが、これを上手に実践することは困難です。「立って指示を聞いてもいいけれども、周りに迷惑をかけないように」「今から10分間だけ先生が算数ゲームの指示を出すので、質問はその後にするように」「触っているおもちゃの方に集中してしまって、話している内容がわからないのであれば、おもちゃは置いておきましょう」など、ルールに関してのリマインダーを日に何度となく繰り返さないと、授業も指示も前に進みません。そもそも集団で同じ場所にいること、同じような内容をすることを苦手とする個人主義文化に起因するのか、1日の時間が進んでいくうち、あるいは週の終わりの金曜日になると、生徒児童には教室にいることへの疲労やストレスによる大きな心の乱れが見え始めます。

学校で学ぶことは、何も学力に通じるような内容ばかりではなく、むしろ協調性や感情のコントロールといった社会情動的スキルの獲得であることが、ここではより重要視されているのかもしれません注7。学校から送られてくる通知表(Report Card)にも学校での児童生徒の学習や社交性に対する態度(Social Responsibility Student Engagement)という大きな欄があり、重要視されていることが窺えます。そのことは、筆者自身が娘をホームスクーリングではなく、公立学校に通学させている理由でもあるため、その重要性に異論はありません。ただ、仮想現実世界の発達、コロナ禍など理由はさまざまあるかもしれませんが、コミュニケーションをとって協力し合う、集中して取り組む、感情をコントロールするといったことがうまくできない子どもたちが多い印象を受けます。そのために教科内容等を教えることではなく、教室の中で児童生徒を管理することが教員の仕事の大半を占めているのではないかと感じるのかもしれません。

このような学級経営を学ぶ機会は、教職課程のプログラムにはありませんでした。同じく、インクルーシブ教育についての重要性は講義等で耳にし、授業案にもできる限り反映するような訓練が多少はあったものの、どのようなニーズが教室内で生じるのか、そのニーズが何に起因しているのかというような内容がなかったことにも疑問を抱いています。実際に現場に出てみると、常に動き続けているADHD児や特定の分野に興味を示すASD児、ギフテッドの子ども、識字障害やその他多種の学習支援が必要な児童生徒が一つの教室に多数存在しています。そういった症状に関する背景知識や、何か手助けになる手段を学ぶような機会がとても少なかったのが残念です。インクルーシブ教育を謳うBC州の教育制度の中で、今筆者は現場で一人手探りしながら、実践に対するスキルを試行錯誤しつつ身につけていかなければならないフラストレーションを強く感じています。確かにプロフェッショナル・ディベロップメント(通称ProD)と呼ばれる教員の勉強会が一年に何度かあるのですが、それだけでは、今すぐ使えるスキルを身につけ難いのです。CRNには、フィンランドの特別支援学校について書かれた記事があります。国の運営する特別支援学校が、インクルーシブ教育に関する地域の学校のコンサルテーションを行う、教員の特別支援へのトレーニングを行う点に魅力を感じます注6。インクルーシブ教育は理想ですが、教員がスキルを身に着けるサポートがあること、そして教室内に人手を増やす(あるいは一教室の児童生徒数を減らす)ことなくしては成立しません。

教材

BC州の学校では、統一された教科書を使用していません。それでは教員はどのように教える内容を決めるのかというと、ビッグ・アイディア、教科別コンピテンシー、教科内容の3つから成る州のカリキュラム注8に合わせて、自由に教える内容を組み立てていきます。これに関しては教職課程プログラムでは何度となく授業案作成を行い、実習でもきちんとカリキュラムに沿っているのかどうかが毎回チェックされます。よって、教職課程プログラム内、また、実習中は授業のアイディアを既成のものに頼ることはできません。ですが、実際のところすべての教員が日常的に授業内容をゼロから1人で作りあげているかというと、決してそうではありません。そもそもそんな時間の余裕がないというのが現実です。

「何か授業のヒントになるものを探したい」と相談すると、同僚の教員たちが口を揃えて教えてくれるのがTeachers Pay Teachersという仮想マーケットサイト注9です。日本と異なり、教員が1人で教案を考えなければならない事情、特定の学年を長年同じ学校で担任する制度、コミュニケーションやコラボレーションなどを含む学ぶ過程を重視するカリキュラムの存在、そして副業が許されている教員が教案を作成し売買しているという点が、このウェブサイトが人気である特徴だとレポート注9にも記されています。

筆者も何度となくこのサイトを訪れているのですが、普通のオンラインショッピングサイトのように、学年や教科、あるいは値段を絞っても、同じような教案が数多く出てきます。無料のものもありますが、有料のものが多く、プレビューと呼ばれるサンプルだけでは複数の教案を比べたりすることが難しく、結局何を選べばいいのかが分からなくなることが多いという印象を受けます。これほど多くの人が同じような内容の教案を出しているのであれば、教科書を使うといった統一性をもたせてしまった方が合理的なのではないかと思うこともあります。

とある学校で実習していた際には、同じ時期に同じ学年の教員複数が同じ内容を教えるために、同じ教案を共有しているのを目にしました。日本のように隅から隅まで同じものにする必要はないかもしれませんが、業務内容が幅広く多すぎて時間に限りのある教員が、お互いに助け合うことを目的に、同じ教科のクラスを合同で行ったり、ライティングの教材を合わせたりすることはよくあります。

ゼロからすべての教案を個々のニーズに合わせて作成した授業を行うのは理想かもしれませんが、現実的ではありません。教科書のような指針になるものが教員間で存在し、どれをいかにどれだけ使用するかはそれぞれに任せ、こういったウェブサイトにあるような教案を副教材として使用するような譲歩案はないものか、と考えてしまいます。

筆者は今、様々な学校の複数の学年や教室に出向いては、教室内の個々のニーズに手を焼き、教案作成にうなり、1人では回しきれない教室の状況に驚く日々の中にいます。日本とBC州の学校の違いに気付きながら、何かもっと良い方法があるのでは、お互いの良いところを取り入れることもできるのでは、と思いながら過ごしています。




筆者プロフィール

wakana_Takai_profile.jpg

高井マクレーン若菜

群馬県出身。関西圏の大学で日本語および英語の非常勤講師を務める。スコットランド、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど様々な国で自転車ツーリングやハイキングなどアクティブな旅をしてきた。2012年、カナダ国ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市へ、その後、内陸オカナガン地方へと移住。カナダ翻訳通訳者協会公認翻訳者。ブリティッシュ・コロンビア州公立学校教諭。現在はオカナガン地方の学校で教えている。

このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

論文・レポートカテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP