かつては日本でも人気の職業で、採用試験でも倍率の高かった教員が、現在では若者が就きたくない職業に変わってきていると聞きます。仕事の内容が広すぎてやることが多く、早朝から夜遅くまで働き詰めで給与に見合っていない、常に仕事に追われ、授業準備なども自宅で行うことが多く、ライフワークバランスがとれない、などがその理由に挙げられます。このような背景から教員のなり手が不足しているようですが、それはここカナダBC州においても同じであることを、前回のレポートでも少し触れました。
確かに日本の学校の教員は、授業の準備をして教える以外の業務が多いです。度重なる会議、放課後や週末の部活動の指導、生徒児童が行う掃除等の監督、給食も生徒児童と一緒に食べたりと、勤務時間が長いのが特徴的です。教員の負担を減らす策として、普段教員が行っている教材や資料などの印刷や展示物作成などの事務的なサポートをする「教員業務支援員」という仕事が、日本では注目されています。また、障害のある児童生徒のサポートをする「特別支援教育支援員/介助員」という仕事もあります。どちらも資格等は問われることがないようです*2。また、昨今では、教員の土日出勤を減らすため、放課後の授業準備への時間を確保するためにも、部活動の指導をアウトソーシングする学校も出てきているといいます。
日本のような策をとることで、細かい時間をかき集めるように、教員の空き時間を増やすことは可能かもしれません。また、日本よりも時間的な拘束が少ないBC州の教員は負担が軽いと見ることができるかもしれません。とはいえ、BC州の教員の負担が日本に比べて多大に軽減されているのかと聞かれると、一概にそうとも言えない気がします。
教案を作成し、授業をすることが教員の主な仕事であり、もっとも重きを置く点ではあるのですが、そもそも教える、また学ぶ、というのは、特に学校という場所においては、人と人との関係性の中に存在し、成り立っているといえないでしょうか*3。小学生、中学生を相手にする学校では、友人関係や教員と児童生徒との関係がどうであるかというのが学習に大きく影響してきます。
日本では、不登校の生徒数が増えていることも頻繁に取り上げられていますが、その主な原因が教員との関係であることも少なくないと言います。筆者は以前、日本の大学で教えていましたが、現在は主にBC州の小学生、中学生を教える中で、この関係性の構築や維持という点が大きな差だと感じています。教員への支援策によって生まれた隙間時間を駆使して、どんなに素晴らしい授業案を作成したとしても、教員と生徒児童との関係性が成り立っていなければ、授業内容が伝わらなかったり、記憶に残ったりしません。大人になってから小中学校の思い出を聞かれた際に、授業の内容そのものよりも、その時に先生が添えた余談や、テーマに対する先生の熱量、クラスメートとの授業内容のやりとりなどを思い返す人は多いのではないでしょうか。それもまた先生と自分、自分とクラスメートとの関係性があってこそ得た感情であり、学びだったとも言えます。
教えや学びが関係性の中に存在する以上、教員は常に密な人間関係の中で働いていることになります。友人とうまく馴染めない児童生徒がいたり、いつもなら問題なく解けている算数が文章題になるとつまずいてしまう児童生徒がいたり、家庭環境で困っている児童生徒がいたり、文章作成に特別な介助が必要な児童生徒がいたりと、教員の頭の中は常にそのような内容や、生徒児童との関係に関する考えでいっぱいです。仕事をしていないプライベートの時間にこういったことを全く考えずにいられればよいのですが、私生活と切り離すのは容易ではありません。時間的な負担を多少減らしたとしても、負担の多くを占めるこういった内容は、そもそも教員という職業の性質上、削ることがとても難しいのではないだろうかと、自分もまた教える立場に戻って改めて感じるのです。
BC州の教員となって働いてみて、日本の教員にはないBC州の教員の恵まれた点は何だろうと思いを巡らせた際に、思いついた点がいくつかあります。まず一つ目として、BC州は教員であっても休める職場環境があること。自身の病気や怪我による欠勤はもちろんですが、家族の病気や怪我を理由に欠勤、自分の体調を整えるための受診や施術による欠勤などが、誰にも批判されることなくできる環境があります。そのようにして担任の教員が休んだ場合に、飛び込みでその日、あるいは一定期間、そのクラスを受けもつのが代講教員(Teacher Teaching On Call: TTOC)です。TTOCには前日の晩または当日の早朝に、教育委員会から「どこどこ学校の何年生クラスの代講をお願いします」という連絡が入ります。専門教科を教えることができる教員免許を保持している場合、BC州では、教員として教えることができる学年の幅は幼稚園の年長クラス(キンダーガーテンクラス)から高校3年生(12年生)までと非常に幅広いのです。そのため、代講に呼ばれたTTOCは時に専門外の学年や科目、たとえフランス語を話せなくてもフランス語イマージョン教育のクラスなどに出向いていくことになります。その是非はさておき、学区の専任教員はこのTTOCに自分の担任クラスを任せることで、簡単にお休みすることができます。TTOCは新しく教員になった人や退職した人がなることが多く、新任の場合は日常的に幅広い学年やさまざまな学校で教えることで専門的に続けていきたいことを見つけたり、退職された人の場合は教室運営に慣れていたりと利点もあります。生徒もTTOCが時々来ることに抵抗はないように見受けられます。
もう一点は、教員の休暇は長く、誰もがその休暇をきちんと取れること。BC州の公立校では、学年度は9月初めから6月末までとなっています。その間2週間の春休み、8週間の夏休み、そして2週間の冬休みがあり、どの学校も休み期間中は閉まり、休み明け直前の数日を除いては教員が出勤することはありません。こちらでは、教員は休みの多い職業だと言われますが、教員にとって「素の自分」に戻れる休養時間は必須です。
新学期が始まると、教員は時間に追われることはもちろんですが、毎日がとてもストレスの大きな仕事だと実感します。また、学校がコミュニティに存在し、そのコミュニティ内で自分も暮らしていることから、狭い地理的空間で働くことの難しさもあります。つまり買い物に出かけたり、子どもの習い事、友人のお誕生日会などでも、児童生徒やその家族に出会う機会が多く、そこではやはり自分である前に教員であることが求められるからです。そういった意味でも、長い休暇を通じて自分自身に戻れる時間をもつことで、教員はその職を続けられているのではないかと感じます。そしてそのように休養をとる制度が確立されているだけでなく、教員がみな率先してその制度を活用し、それを良しとする社会文化があることも重要です。
対策をとって隙間時間を増やすことも1つの案であり、日本の教員は確かにこれまでよりも負担は軽減されているかもしれません。これは教員というよりも、日本社会における職業の多くに当てはまるのでしょうが、社会人がきちんと体も心も休める制度を作り、それを批判されることなく活用できる文化を社会にもたせるという意識の改革があって初めて、教員の負担が減らせるのかもしれません。
- *1 Teach for Japan 「学校における働き方改革:日本と諸外国の教員の勤務時間&担当業務!」
https://teachforjapan.org/journal/13311/ - *2 文部科学省「特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第13回) 配付資料 資料8:特別支援教育支援員について」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1312984.htm - *3 Gert, Biesta "Mind the Gap: Communication and Educational Relation" 2004: Bingham,. Charles W. & Sidorkin, Alexander M.の中で、教えることは、知識や情報を相手に伝えるだけではなく、相手との関係性を築くことで初めてその有効性をもつ、教育とはすなわち自分(教員)と相手(児童生徒)との関係性の中に存在するのだと説いている。