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68. 早期教育のポイントは社会脳と共生脳

林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

2011年3月11日掲載

要旨:

早期教育で最重視されなければならないことは、子どもの社会脳を発達させて、周囲から人類の文化文明に蓄積された、知識・教養・人格を乾いたスポンジが水を吸収して膨らむように育てることだと、今までの連載を総括しつつ提唱し、「他人のことは関係ない」という考え方や人生観こそが社会脳にとって、子どもの心の成長にとって最も有害な、子どもの教育上の最大の敵であるのだと社会脳を育てる環境の重要性にも言及した。
近年の働く女性の増加による結婚・妊娠・出産の高齢化と少子化の影響は、子育てをより一層難しいものにする傾向があるように見えます。早期教育への親たちの期待は高まる一方で、子育てに迷う親たちをターゲットとした多くの早期教育プログラムがビジネス化されています。今回のテーマはズバリ「早期教育では何が一番重要か」について、今までの連載を振り返りながら私の考えを説明していこうと思います。

第8回の記事「子どもは生まれか育ちか?」の中で私は古くからの疑問であった「人は氏か育ちか?」に対して、『脳は遺伝子に従って神経回路を作り、子育ての環境が作られた神経を壊してゆきます。脳はこの全部のプロセスによって子どもの人格を作ってゆきます。だから人生最初の6年間は何よりも大切ですが、その後の20年間も同じぐらい大切なのです。子どもの心を育てるのは生まれてから成人するまでの全期間を必要とする壮大な作業なのです。』との見解を述べました。これを今までの連載を踏まえてもう少し詳しく書き直してみましょう。人の心は今までの連載で明らかになったように、脳と神経組織の電気的な働きの結果、精神的に体験される心理的な現象と規定できます。子どもの心が脳の中でどのように育つのかと言えば、それは遺伝子が規定する脳神経の基本的な枠組みに従って、それぞれの脳神経細胞が環境からの刺激に応じて、神経細胞内でその機能を制御するタンパク質合成調節を発現するというメカニズムを通して、脳神経細胞同士のシナプス結合と神経軸索繊維のミエリン化のプロセスを生み出すことで発育発達していきます。しかしながら「何をみるのか」「何を知るのか」が予め知らされていなければ動物は何もみることが出来ず、何も知ることができないことは第47回「メタ意識を鍛える子育ての重要性」の中で述べた通りです。この生まれ持った神経機能の基礎を、第27回にはマーヴィン・ミンスキーの提唱したプロトスペシャリストという用語を使って説明しました。私たちの脳は生まれつき「何をみるのか」「何を知るのか」についてのメタ知識を遺伝子レベルで持ち合わせているはずですが、この遺伝子の機能は生後の短い期間の適切な環境刺激がないと発現しないことも第47回」で既に解説した通りです。また人格や教養などの高次な脳神経機能は、ヒトが長期間の発達の結果獲得するシナプス増強とミエリン化の結果として獲得する神経作動特性なので、生まれてから成人まで、場合によっては成人後の全人生をも含む壮大な脳神経と環境の相互作用の結果であります。これが今までの連載の中で詳しく述べてきたことの全体像であり、子どもの心が脳神経の中でどのように育つかという疑問への回答なのです。

人類の心は第33回に述べた通り、一個人の脳神経内に限定して機能するのではなく、多層構造の小宇宙として、個人の脳内に宿る神経機能どうしが相互に影響し合って、社会全体の巨大な脳ネットワークの塊へと連続拡大しています。この巨大な知識情報のネットワークは社会脳の総体として文化文明の機能を発揮し発展、保持しています。このような巨大に社会化された脳機能を考えると、早期教育で一番大切なことはなるべく早く子どもをこの社会脳ネットワークに参加させることだと思われます。一人の人が自分で考えて自分で学んで自分で獲得する知識の量は、現在までに人類社会に蓄積された豊富な知識に比べると全く足下にも及びません。天才発明家エジソンでさえも、彼以前に発見発明された世界規模の知識集積がなかったならば、彼一人では全く何の発明も発見も成し得なかったことでしょう。現代社会では知識も人格も周囲の社会から学び取るものなのです。その方法として子ども、特に幼児期では顔と顔を突き合わせて話し合ったり知識を伝授されることが基本的な伝達様式となっています。第66回で述べた空想の「未来社会ではもしかすると機械と脳が直接つながれた新しい人間関係が生まれ、対面的な表情コミュニケーションなど必要なくなるのかもしれない。」というマシン=脳インターフェイスの劇的な発達が起こらない期間は、子どもたちはやはり集団教育を通じて人間関係を学習し、人類に蓄積された知識・教養・人格の遺産を受け継ぐことが必要で、それ以外の教育方法は現在のところ困難を伴うのです。

ですから、早期教育で重要となる一番のポイントは「社会脳を鍛えること」だと私は考えています。ここで言う社会脳とは第65回「人類の知性と文化の発達と進化」で知性と文化発達の第3段階、試行錯誤の危険を事前選択により排除することを『仮説が私たちに代わって死んでくれる』と著したカール・ポパーの提唱にちなんだポパー型生物の段階と、第4段階、心理学者リチャード・グレゴリーが提唱したように、道具が使用者にデザインされた外部環境をその心の内部環境に取り込ませる、すなわち心の道具としての言語を含む文化が発達したグレゴリー型生物の段階から始まって、第5番目の、記憶を脳の外部に貯蓄する、記憶を外面化したドナルド型生物の段階、そして私が提唱した第6番目の、一般大衆が蓄積された文化資産に積極的な関係を持てるようになった、近代の印刷物の流通とインターネットによる世界規模の文化共有、すなわち" cultural generalization" と呼んだ情報と技術の地球規模の共有化の段階までを含んでいます。人類において知識・教養・人格はいずれもが個人から社会全体へと拡大し、また逆に社会全体から個人の内部へと浸透して拡大と収縮を繰り返しながら柔軟に発育発達しているのです。ですから「心のカルテ」のなかで私が述べたこと、「自分の子どもだけは良い子に育つように、と願うことは親心として無理のないことですが、社会脳の観点からは子どもにとってプラスにはならない」のです。自分の子どもが人類社会の一員であって、社会全体の知識・教養・人格と共同体を構成しているのだという「共に生き共に育つ」意識を社会全体と養育に関わる全ての人たちが共通の認識として持つこと、さらには子どもたち自身にも持たせることこそが現代社会での子育てで最優先されなければならない重要事項だと私は考えています。「他人のことは関係ない」という考え方や人生観こそが社会脳にとって、子どもの心の成長にとって最も有害な、子どもの教育上の最大の敵であるのだと私たち人類の一人一人が強く認識するべきであります。

このように社会脳は子どもの知識・教養・人格の形成に必要不可欠であります。その他者の感情を理解するという脳神経機能の基盤については、下図で示した「意識と記憶と感情の第1回路」にその脳神経基盤があることを私は繰り返し提唱してきました。

report_04_82_1.jpg この図を使って第62回「自閉症病因の新しい理論;仮想体験障害仮説」で私が提唱した「私たち人類の脳には、心の中だけで他人になってみて、その仮想体験を基に他者の気持ちを理解したり、他者の意図を理解する能力がある。この仮想体験を行う脳神経回路は意識と記憶の第1回路(エピソード認知回路)で、この神経回路を使って私たちは他者になってみるという心的体験を実行する事が出来る」という脳神経モデルは、今後の検証目標となるべき強力な理論であると自負しています。この「意識と記憶と感情の第1回路」の働きである、心の中だけで他人になってみて、その仮想体験を基に他者の気持ちを理解したり、他者の意図を理解する能力こそが、他者から知識・教養・人格を受け取る上で重要であると同時に、他者理解を通じて共感・同情・相互利益・相互扶助を行う「共生脳」でも中心的な役割を演じる脳神経機能であると考えられます。その意味で、人類では社会脳を鍛えることは共生脳を鍛えることに直結する、子育ての重要なポイントであると演繹できます。子どもには知識・教養・人格を押し込むような教育を施すのではなく、子どもが自然に周囲から良い知識・教養・人格を吸収するように、良い社会脳と良い共生脳を育てる環境を作ることこそが、早期教育で最優先されるべき課題であると私は考えています。これはすなわちヴィゴツキーが述べているように、子どもは自分で経験して考えることよりも文化・文明から教えられることの方が多いからで、まるで乾いたスポンジが水を吸って膨らむように、子どもたちは社会脳を使って周囲から自然に知識・教養・人格を吸収して育つのです。ですから現在のような少子化と核家族化で相互交流の少ない、周囲から孤立した環境では、乳幼児・学童期の早期教育の成功は難しいと思われます。「顔と顔を突き合わせてお互いの感情を理解する」という共生脳の発育こそが早期教育の重要なポイントだとも結論できます。共生脳社会脳を鍛えることで、子どもたちは社会に蓄積された無限の英知を吸収する脳システムを作る能力を持つようになれるのです。これこそが早期教育の最大のポイントだと私は考えています。共生脳の重要性については次回もう一度、自殺者の増加と抑制に関連づけて一層深く考えたいと思います。
筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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