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66. 心の理論とソーシャルブレイン;共生崩壊の時代?

要旨:

人類の知性と文化の発達と進化の段階が進むことで、私たち人類の脳は巨大な知性の塊としての、地球規模での社会脳中枢を形成すると考えられる。現代社会での他者の感情や周囲の文脈を理解する能力の脆弱化には、少子化と核家族化等の影響で、乳児期と集団教育期に他者と向き合う機会や他者の心を読む機会の現象が関連していると思われるが、未来社会ではもしかすると機械と脳が直接つながれた新しい人間関係が生まれ、対面的な表情コミュニケーションなど必要ななくなるのかもしれない。
第65回「人類の知性と文化の発達と進化」の中で、生物の知性と脳神経の発達を次のような6段階に分類しました。すなわち、(1)自然淘汰で生得的特質と本能的行動を発達させたダーウイン型生物、(2)条件付け学習で生得的本能行動を可塑的に発達させたスキナー型生物、(3)試行錯誤の危険を事前選択により排除するホパー型生物、(4)心の道具としての言語を含む文化が発達したグレゴリー型生物、(5)記憶を脳の外部に貯蓄する、記憶の外面化段階をドナルド型生物、(6)近代の印刷物の流通とインターネットによる世界規模の文化共有により一般大衆が蓄積された文化資産に積極的な関係を持てるようになった、情報と技術の地球規模の共有化、の6段階です。この最後の第6段階は第33回「脳は小宇宙」で下図に示したように、コミュニティや社会の知的資産を最外層とする多層構造の小宇宙的な「知性としての社会脳」であり、私たちホモサピエンスの脳の特徴的な進化発達形態であった思われます。

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さて、近年の心理学・神経科学の分野で注目を集めている「心の理論」がこの6段階のどこに位置するのかを考えると、第3段階、試行錯誤の危険を事前選択、つまり心理的シミュレーションで善悪を事前に吟味する段階と第4段階、心の道具としての言語を含む文化が発達した段階にまたがる発達段階であると思われます。この意味で、非言語的なマキャベリ的知性*、例えばボスザルが見ていないときに低位のサルが餌を取ったり性交渉を持つなどの社会的な知性は類人猿やサルにも実際に見られている行動なので、言語に依存しない「心の理論」はヒト以外の猿類やカケス等の社会的な鳥類にも存在する比較的普遍的な社会適応能力だと私は考えています。ヒトにおいて「心の理論」が自閉症の特異な障害であるという学説は長く自閉症研究を牽引してきましたが、サリーとアンの課題「見ていないときに隠されたものを、元の場所にあったと信じて探す事、つまり、自分はある事実を知っているが、それを知らない他者はどう考えるか?を問う誤信課題が理解できるか?」という検査法は言語的な能力に強く依存する検査で、自閉症児でも言語能力が11歳を超える頃から徐々に獲得される能力だとの報告が重ねられた結果、「自閉症=心の理論の発達障害」という学説は近年は影を潜めてきています。これは「心の理論」が言語に依存しない第3段階と言語に依存する第4段階にまたがって考案された理論であるために起こった混乱であったとも解釈することが出来ます。いずれにしても自閉症という病態は第3段階と第4段階にまたがって起こっているコミュニケーションに関する障害を指すもので、この病態が明確に定義されるまでは私が第64回で提唱した「自閉症症候群」という概念も有用ではないかと思われます。

心の理論」が言語能力に依存することが判明してきた一方で、現代っ子のKYと呼称される「空気が読めない」状態、すなわち状況判断や文脈理解能力の低さが社会的にクローズアップされてきています。空気を読む能力とはその場に存在する他の人たちの心理や社会的関係を理解することで、そのためには他者の心理を自分の心の中でシミュレーションして理解することが必要となります。この他者の心理を理解する能力の基礎となる脳神経回路については第62回から第64回に述べたように、エピソード的な要素を処理する意識と記憶の第1回路が働いているというのが私の新しいモデルであります。今回はこの脳神経モデルと心の理論およびソーシャルブレインについての考察を深めると共に、現代社会の人間関係が希薄化する現象を「共生崩壊の危機?」として警戒するべきであるかどうかという考え方についても吟味したいと思います。

そもそも「エピソード的な要素を処理する」とはどういうことを指すのでしょうか? 私はこのエピソード的な認知にも4段階の発達があると考えています。すなわち、(1)いつ・どこで・何を(あるいは何が)を認知する段階、(2)いつ・どこで・自分が、という自己主体の意識を伴ったエピソード認知の段階、(3)いつ・どこで・自分が・誰と、という社会的関係を伴ったエピソード認知の段階、さらにこれらのエピソード認知を基礎に発達するのが、第4の段階(4)他者の心理を認知・理解する共感的な共生脳段階だと考えているのです。ソーシャルブレインあるいは社会脳と呼ばれているものは、この第3の段階と第4の段階にまたがって考案されている脳神経機能なので、ソーシャルブレインを検討する場合にも第3段階の「社会脳」と第4段階の「共生脳」は別個の段階であることを念頭に研究を進めることが必要なのではないかと思われます。先ほど紹介したKY、すなわち空気が読めない、状況判断や文脈理解能力の低い若者は、この第3の段階、社会的な関係や優劣を理解する能力や、第4の段階、他者の心理を認知理解する能力に問題があるケースを指すのだと思われます。この能力は誕生から成長期を通じて長い社会的体験から徐々に獲得される脳神経機能なので、少子化・核家族化等の要因で社会的な人間関係を構築するスキルが十分に訓練されなかった、あるいは発達の途上である若者の社会脳共生脳の未熟さをKYと呼称しているということになるのだと思われます。

では社会脳共生脳の発達にはどのような経験が必要なのでしょうか? 私は乳児期から集団教育の時期がこの能力を発達させるために重要な時期であると考えています。具体的には、(1)乳児期の養育者との間に起こる表情コミュニケーションを通じて情動的な共感を体験する、(2)人見知り時期に他者の心理を理解するための心理シミュレーションの脳神経機能を発達させる、(3)言語を獲得後に言語と言語に込められた感情(情動)を理解・共感体験する、(4)言葉の理解が高まるとともに、言葉の外に隠された意図を察知する人間的な心理と言語の認知・理解体験、(5)集団の中で社会的な序列や相互利益・分配等を体験する、等が重要であると考えられます。

ソーシャルブレインについての包括的な研究成果を集大成した書籍としては、「ソーシャルブレインズ 自己と他者を認知する脳」(開一夫/長谷川寿一編2009年 東京大学出版会刊)が良い参考資料になると思います。同書籍によると、ソーシャルブレインの研究は今まさに始まったばかりの分野で、自己を認識する、自己と他者を区別する、他者と向き合う、他者の心を読む等の様々な分野での研究が日進月歩で深められています。この分野で脳神経科学的なまた神経発達的な解明が進むことが大いに期待されるとの事であります。私論である、他者理解の神経メカニズム、すなわち第64回に解説した下図に示すような、ヒトが脳内でエピソードバッファを使って他者の行為を仮想体験するという仮説は、今後の実証が期待される分野ですが、自閉症の早期介入への可能性を含めて、子育ての脳科学テーマとしてソーシャルブレインの脳科学と子育ての関連性を次のテーマとして考えなければならないと思います。

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具体的には、本連載記事「子育ての脳科学」の終了後に「共生崩壊の時代」として社会脳共生脳の発育・発達が脆弱になっている現代社会の危機について論説を展開したいと考えています。現段階で私が考えていることは、少子化や核家族化による生活集団の縮小は確かに社会脳共生脳の発達にとって、スキル獲得に必要な社会的な経験を十分積む機会を減少させるというマイナス面がある一方で、インターネットの巨大化・高速化や脳とコンピュータを直結するブレイン・マシン・インターフェイス等の発達によって、世界規模で人類の知的資産分配の平均化と公平化が進み、人類社会に蓄積する知的資産という地球規模の巨大な社会脳中枢にアクセスしやすくなるという良い面も兼ね備えています。私が想像する新しい未来人類像は、地球規模の巨大な社会脳と自由にアクセスしながら個人の脳どうしが連携し合い急速に知的な進歩を遂げる「巨大な知性の塊」としての脳神経基盤を発達させた人類像です。そのような世界規模での社会脳が生まれたときには、私たちが現在問題としている表情コミュニケーションや他者の感情を共感する脳神経基盤はもしかすると必要ではなくなるのかもしれません。自閉症症候群等のコミュニケーションの障害もヒト対ヒトの関係構築の様式が、面と向かって話し合う事を必要としなくなることで世の中からなくなるのかもしれません。ややSF小説的なお話になりましたが、このように人類の社会脳は現在もなお進化の途上にあると考えることが、未来の社会を作る子どもたちに私たちが何を残していけるのかを考えるときには大切であると思われます。


* マキャベリ的知性仮説("Machiavellian intelligence" hypothesis):
人間の持つ高度な知的能力は複雑な社会的環境への適応として進化したという仮説
筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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