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62.自閉症病因の新しい理論;仮想体験障害仮説

要旨:

今回は自閉症特有の病態と脳神経回路を結びつけて考えることを試みた。自閉症では他者の意図や周囲の状況の文脈的理解を苦手とすることが症状の中心と捉えて、その脳神経回路が私の提唱する海馬を通る意識と記憶の第1回路上のいずれかの部位の機能障害であると推定した。この機能の障害のために自閉症では他者の立場になって心の中で仮想体験を行い、そのエピソード的な要素を処理することで意図や文脈を理解する機能に障害を呈すると考える。自閉症への対応としては、障害の少ない視覚的要素・意味理解的要素を使う能力を伸ばして、成長と共に文脈理解へとつなげるのが良い方法だと著者は考えている。

「子育ての脳科学」第35回から第47回では、ホモサピエンスである人類特有の高度な脳神経機能のメカニズムの謎について、乳児期の発達と系統発生・原始生物からヒトへの進化の道のりとの解説を交えて、現人類の高度な脳機能が前頭葉のワーキングメモリの働きと、意識とメタ意識を使った思考システムから成り立っているという新しい脳神経モデルを提出しました。第48回から第58回までは新しい理論の裏付けを含めて、脳内の神経伝達物質の働きと高次脳機能について有田秀穂先生のご著書を基に詳細な解説をいたしました。さらに第59回から前回までは虐待・隔絶児の事例研究から養育環境が子どもの人格形成に決定的な影響を持つことを解説し、感情を含む人類の精神と心のメカニズムをワーキングメモリと意識の関係、脳領域相互の関連を交えて、新しい感情の脳神経モデルを提出すると共に、子育ての環境が子どもの人格形成に大きな影響を持つであろう事を解説いたしました。今までの連載で解明できたことは、私たち人類の脳は遺伝的な枠組みのうえに発達することと、環境と脳との相互関係が人類特有の高機能の発達と維持に不可欠な要素であることだと思われます。ここからの数回は全体のまとめとして乳幼児期の環境が遺伝子の発現を規定して子どもの人格形成の方向付けをすることを総括していきたいと思います。その初回に自閉症についての私の考え方、自閉症の新しい病因論と脳神経モデルを論じてみたいと思います。


自閉症については私は専門家ではないので今までの連載では敢えて論及しないで過ごしてきていましたが、この2年以上の連載の中で常に考えていたことでありました。今回も参考書を基に解説を進めますが、自閉症について本邦で最も総括的に記された書籍は、高木隆郎編「自閉症」(星和書店2009年刊)であると思われます。しかし残念なことに、この書籍は専門書扱いで一般の公立図書館にはあまり蔵書されていません。他の書籍は包括的で最新の情報には乏しく、古い自閉症像と偏った考え方に傾く傾向も多いので、自閉症について最新の総括的な情報を求められる方は一度お読みになられると良いと思います。本編では上記の図書で解説されている自閉症の病態に対する考え方を参考にしながら、それを今までの連載の中で繰り返し提唱してきたヒトの脳の無意識と意識の問題と意識と記憶の2回路の問題に対する私の考える脳神経モデルを組み合わせて、自閉症という病気が脳神経的にはどのように発病すると考えるのが妥当かという、新しい自閉症の発病原因論を論じてみたいと思います。ただし自閉症という病名に対して「広汎性発達障害」という病名の方が新しく正しいというご指摘が出るかと思いますが、私自身は高木隆郎先生も提唱しておられるように「広汎性発達障害」という病名は自閉症を逆に多機能にわたる発達障害と誤解させる面もあり好ましくないと考えています。そこで本編では自閉症という病名を用いることにいたします。

自閉症とは心理学的にはどのような病態を指すのかを多くの病態論から集約しますと、「他者の意図を察知する心的機能の障害」と簡単にまとめることが出来ると私は考えています。その理由は、知的障害が少なく主として自閉症の障害を持つ人では、はっきりと言葉で言い表された事象についてはかなりの理解と適応力を示しますが、言外に表されたその場の雰囲気や他者の表情から意図や意味、あるいは周囲の状況から文脈的な理解を自発的に行い他者に適切に対応する能力が、知的障害のみを持つ人と比べてより困難であるからです。

この事を今まで私が提唱してきた意識と記憶に関する脳神経モデルに当てはまると、自閉症の障害部位は今まで示してきた図1で示した第1回路、すなわちエピソード記憶・空間記憶・情緒を無意識的におよび意識化して処理する脳神経回路の選択的な機能障害と推定することが出来ます。この仮説は次のような脳神経機能モデルから類推されました。私たちの大脳の高等処理機能には意味記憶依存的な回路と、エピソード記憶依存的な回路が別々に存在しているらしい事は他の多くの神経疾患とその障害部位の関係から強く推測されています。そしてエピソード記憶的な情報処理は、図1で示した海馬を通る第1回路と前頭前野背外側部のワーキングメモリの脳領域との協調によって処理されて、エピソード記憶的でない意味記憶的な情報処理は海馬を通らない別の回路、図1で示した第2回路と前頭前野背外側部のワーキングメモリの脳領域との協調によって処理されていることが、海馬に障害が起こった人や種々の記憶障害の脳神経疾患事例および動物実験から推測されています。

また近年になって、統合失調症の動物モデルから、遺伝子変異が大脳皮質の前頭前野と海馬の同期性を失わせることから、統合失調症の発病が遺伝子変異による海馬とワーキングメモリの脳領域との同期不全であるとの病態モデルが提出されており、ヒトの意識が私の提唱する図1の第1回路に大きく依存していることを裏付ける研究であると私は注目しています。
Nature 464, 763-767 (1 April 2010) | doi:10.1038/nature08855
http://www.nature.com/nature/journal/v464/n7289/full/nature08855.html

図1:意識と記憶と感情の脳神経モデル

report_04_76_1.jpg この図で示した脳神経モデルから自閉症の病態に迫るには、意図と文脈の理解を私たちの大脳皮質がどのように処理しているかに関するかなりの推理力を必要とします。私たちが他者の意図を理解するときには、自分が他者になった立場で考えたり理解したりするのですが、そのためには私たちの脳は心の中だけで他人になってみるという仮想体験を実行する必要があります。私たち人類の脳には、心の中だけで他人になってみて、その仮想体験を基に他者の気持ちを理解したり、他者の意図を理解する能力があるのですが、自閉症の人たちではこの機能に障害があると思われます。この仮想体験を行う脳神経回路が上図で示した意識と記憶の第1回路で、この回路を使って私たちは他者になってみるという心的体験を実行する事が出来ると推定できるのです。そしてこの仮想体験能力が一般の通常発達児よりも低いのが自閉症の病態だと考えると、自閉症特有の症候を上手く説明することが出来ると私は考えるに至ったのです。

以上の推論を統合しますと、自閉症という病態は、この意識と記憶の第1回路に遺伝的な脆弱性が有る場合に起こると私は考えています。残念ながら具体的にどの遺伝子がどの脳神経部位に脆弱性をあらわして発症するのかまでは推定する材料が有りませんが、きっと近い将来この遺伝子と障害部位が発見されると思います。自閉症のように子孫の繁栄に不利益な遺伝情報は単一の遺伝子ではなく多数の遺伝子の重複が関与する遺伝情報として親から子どもへと受け継がれていると考えるのが妥当です。この見解は自閉症患者の近親者には自閉症ではなくても何らかの心的な問題を持つ、広い意味での自閉症スペクトラムの人が高い確率で存在することからも支持されています。ただし遺伝子は常に環境依存的にその遺伝情報を機能として発現するものなので、自閉症遺伝子を多く持つことが全て自閉症の発症に結びつくものではないとも理解できます。

自閉症では私の示した第2回路が障害されていないことが、自閉症児の生活指導上での要点となります。すなわち視覚的な理解、意味的な理解には能力が高いので、そのような視覚的な意味理解で日常生活を組み立てる生活指導が効果的だと思われます。具体的な対応方法は他書に委ねますが、概略としては絵に描いて説明する、具体的手順を絵や写真で掲示する等の環境設定が効果的だと報告されています。自閉症児ではエピソード的な要素と仮想体験に基づいて他者の心理を汲み取ったりする文脈理解的な要素に多大な困難を感じますので、「どうして私の気持ちがわからないのだろう」とか「そんなこと考えればわかるだろう」とか自分の考え方を一方的に押しつけて強制することは、自閉症の子どもたちを一層さらに困らせるだけで、人間関係を前進させることにはつながりません。子どもたちは人間関係の失敗経験を重ねるほどに他者との関係を避けるようになるので、良い関係を作るうえでは、自閉症の人が苦手な部分を周囲の大人たちが十分に理解してあげることが大切なのです。そうして視覚的要素や意味理解的要素を使って上手に人間関係を構築することが出来るようになると共に、自閉症の脆弱部位であるエピソード的な理解や周囲の状況を意味理解を文脈理解的に使用して代償的に理解する能力も、少しずつ構築されて来るようです。だから自閉症の人たちは年齢と共にゆっくりと人間関係を構築できるように成長してくるのだと私は考えています。自閉症の理解のために私が提出した新しい病態モデル「仮想体験障害説」が役立ち、多くの自閉症児たちが適切な環境設定のもので発達することを願っています。

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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