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65.人類の知性と文化の発達と進化

要旨:

原人類の知性の急速な発達はダーウイン的な自然淘汰のメカニズムだけでは十分に納得のゆく説明をすることは困難です。宇宙空間にまで飛び出していった人類の文化・文明を支えているのは一言で言うと模倣学習能力です。模倣学習で共有した知恵を言語化して記録しさらに共有範囲を拡げる能力が人類の文化・文明の基礎なのです。その意味で対人コミュニケーションの発達は人類として大変重要な能力で、乳幼児期からの感情交流や学校での集団教育は、インターネット等が発達した未来社会でも重要性を失うことは無いと思われる。
ヒトがチンパンジー・ボノボとの共通祖先から分かれたのがおよそ500万年前であることは以前も解説しましたが、ヒトの祖先(あるいは絶滅したホモ族)が直立歩行で自由になった両手を駆使して簡単な石器を作り始めたのが約200万年前と推定されています。この石器時代初期のオルドワン期に作られた石器は、チョッパーと呼ばれる片手で握れる大きさの石の一側方だけを粗く割り砕いて作られた簡単な石器です。そこから旧石器時代後期の約5万年前から2万年前(オーリナシアン期)に作られたブレードと呼ばれる精密な石器や細石器に至るまでの約195万年間の石器の進歩は、ヒトの子どもの手と指先の発達に比較して言えば、1歳児のなぐり描きが3歳児のお絵かきに発達するよりも貧相な進歩にしか見えません。人類の祖先はホモサピエンスの普通の子どもが3年間で発達する程度の手と指の進化にさえ 200万年程度も要したことは本当に驚きであります。ホモサピエンスに進化以後の原人類では、過去5000年間に石器時代から青銅器・鉄器・エネルギー革命と道具と文化・文明を進歩させて、ついには宇宙船で地球の外にまで行動範囲を拡げるに至りました。原人類の知性の急速な発達はダーウィン的な自然淘汰のメカニズムだけでは十分に納得のゆく説明をすることは困難であると感じられます。

哲学者のダニエル・C・デネットはその著書『ダーウィンの危険な思想』の中で、生物を(1)『種の起源』で自然淘汰による生物の進化を提唱したダーウィンが提唱した自然淘汰で生得的特質と本能的行動を発達させたダーウィン型生物(2)行動主義者スキナーの提唱した条件付け学習で生得的本能行動を可塑的に発達させたスキナー型生物(3)試行錯誤の危険を事前選択により排除することを『仮説が私たちに代わって死んでくれる』と著したカール・ポパーの提唱にちなんだポパー型生物(4)心理学者リチャード・グレゴリーが提唱したように、道具が使用者にデザインされた外部環境をその心の内部環境に取り込ませる、すなわち心の道具としての言語を含む文化が発達したグレゴリー型生物へと、4段階の進化を経て知的な発達を遂げてきたと提唱しています。これに付け加えて、スウェーデンの哲学・認知科学者ペーテル・ヤーデンフォシュはその著書『ヒトはいかに知恵者(サピエンス)となったのか』の中で第5番目の段階として記憶を脳の外部に貯蓄する、記憶の外面化段階をドナルド型生物としています。これは心理学者マーリン・ドナルドがその著書" Origins of the Modern Mind"の中で提唱した言語と思想が進化した3つの段階、すなわち身振り言語の段階、神話的(伝誦的)言語の段階、記憶の外面化の段階から引用したものであります。私はさらに第6の段階として一般大衆が蓄積された文化資産に積極的な関係を持てるようになった、近代の印刷物の流通とインターネットによる世界規模の文化共有を" cultural generalization"情報と技術の地球規模の共有化として挙げたいと思っています。さて、このような進化に何か特別な遺伝子変化が関与したのでしょうか?これはダーウィン的な遺伝子の淘汰による進化の想定枠を超越した急速な文明の進歩だと言わざるを得ませんが、この様な進化はなぜ・どのようにして起こったのでしょうか?今回はこのような急激な知性の進化と発達が、脳のエピソードバッファ記憶と意味記憶の連合機能の強化として発達してきたこと、そしてヴィゴツキーが提唱した外言と内言の発達、社会に蓄積された文化的知的資産から学習することへと結びつく人類特有の社会文化的な脳神経機能の発達について考えてみたいと思います。

人類の文化と文明の進化はダーウィン的な遺伝子の自然淘汰理論では説明しきれません。しかし神話期のように神から授かった神に似た能力として人類の理性を語ることにも限界があります。宇宙空間にまで飛び出していった人類の文化・文明を支えているのは一言で言うと実に簡単な能力、【模倣学習能力】なのです。そして模倣学習で共有した知恵を言語化して記録しさらに共有範囲を拡げる能力なのです。この知恵(知的資産)の共有と急激な蓄積、交換、発達が現代の科学発達と生活の質向上に結びついているのです。この知的財産の形成と蓄積に大いに貢献しているのが、言語という道具であります。言語は最初は他者との交流に使われて発達してきた道具(外言語)ですが、あるときから心の中で考えて試行してみる、脳神経のエピソード的な回路を使って仮想体験すること(前述の分類のポパー型生物)で、頭の中で何かを論理的に考える道具(内言語)として発達を遂げた(前述の分類のグレゴリー型生物)とヴィゴツキーは提唱しています。この外言語と内言語の発達が人類の共有資産としての文化・文明を発達させたのです。

子どもたちが学校で多くのことを学ばなくてはいけないのは人類の財産である知的資産を公平に分配するためで、だからこそ勉強しないことは損をすることでもあるのです。私も一人の親として子どもに勉強しないことは損をすることだと教えてきましたが、この様な貪欲な学習意欲こそが未来の社会への知的遺産を増やすためには必要なことでもあると思われます。勉強させすぎることが悪いような誤解が一部にあるようですが、子どもの心の成長に必要な表情や感情のコミュニケーション能力を乳児期から十分発達させていれば、勉強させることが子どもの心を育てる事に悪影響を与えることは決してないと私は考えています。

学習環境で子どもに良くない点があるとすれば、孤立した環境が悪いと思います。一人あるいは少人数での詰め込み学習は、対人関係や対人コミュニケーションの発達を阻害しますので、やはり学校などの大人数での集団教育が子どもの心の発達には不可欠だと思われます。以前「心のカルテ」を書いた頃には「学校へ行かせずに育てる」ことが良いという論旨も見られていましたが、私は対人コミュニケーションスキルの発達には絶対に集団教育の方が勝っていると今でも確信しています。機械を相手に一人学習で意味記憶ばかりを詰め込んだ人間では、本当の意味で文化・文明という人類の知的資産に与ることは出来ないのではないかと心配しています。ヴィゴツキーが述べているように、子どもは自分で考えることよりも他者から教えられることの方が多いわけで、自分で考える能力はもちろん大切ですが、仮に未来社会で学校が無くなって自宅でインターネット相手に一人で学習して、そこで自分で考える能力を十分に発達させたとしても、人間的には何処か物足りない人物に育つような気がしてなりません。ワイワイガヤガヤ大人数で集まって議論している中から新しい思想が生まれてくるのが人類的な文化と文明の本来有るべき姿であるように私は考えています。(そういう私自身が実は一人勉強が好きなタイプなのですが...。)

話を本題に戻して全編のまとめの一つを締めくくるならば、人類の文化と文明は模倣学習という対人コミュニケーションを基礎とした学習から進化してきたと言う事、人類の脳神経は個人の中にとどまらず、文化文明という地球規模の知的交流を通じて飛躍的に進化し続けていること、記憶容量の大きな機械の力を借りてそれがさらに飛躍的に進化した未来社会でも、対人コミュニケーションの発達は必要で、そのためには学校などの集団教育が今後も必要であること、そして前回も強調した乳児期の視線理解・表情コミュニケーションなども人類としての心を保持する上では大変大切なことだと再度強調しておきたいと思います。
筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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