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24. 科学と信仰〔2〕

要旨:

今回は引き続き著者の宗教経験を紹介する。著者の3回目の宗教、即ち、ダーウィンの唯物論的進化論との出会いについて述べる。科学と信仰に関して、著者は、良き信仰を持つことは正しく科学を理解することと同様に、人生を豊かで幸せなものにする目的にかなうことだと信じている。
18歳の時に私は医学部に進学しました。そしてそこで3度目の宗教と出会い、その洗礼を受けることになったのです。それは幼い頃私を魅了してやまなかった自然科学との再会、ダーウィンの唯物論的進化論との出会いでした。

「信じる者は幸せである、彼は神を見るであろう」思春期の多感な時期にこのキリスト教の教えに救われ、ドップリと全身『愛の海』に浸かって、神の子である自分を信じ続ける事に幸せを感じていた私には、ダーウィン的思想は最初は受け入れがたい、というより受け入れたくない学問でありました。しかし『種の起源』が出版された1859年以降の自然科学の潮流の変化、唯物論の台頭は今さら言うまでもないことで、医学と薬学を含む近代西欧科学の基礎は認める認めざるに関係なく、このダーウィン的唯物論の上に成り立ってきています。一度は神学の徒になろうとまで思った私ですが、万物は神から創られたというカトリックの教義に完全に制圧されていたわけでは無かったようで、顕微鏡を通して自然の神髄に触れると、少しずつ心をひるがえして、自然科学の徒に改宗していったのです。

しかし私は神を信じることを、まるで科学者としての資質を欠如しているかのように考える一部の急進派には賛同しません。私自身は例えば『まばたきとウインク』の中で紹介したサー・チャールズ・ベル(1774-1842年)の時代の科学者のように、一つの発見のたびに、一歩神に近づいた事を喜び、全人類への福音の発見を誇りに思い、感謝の念を忘れなかったダーウィン以前の自然科学者の態度もまた立派で尊敬に値すると思っています。

そして何よりも、「信仰は地球上で人類だけが持つ、前頭葉の高次脳機能である」という事実と、「地球上のすべての民族は何らかの信仰を、文化として長期間にわたり蓄積してきている」という歴史を黙殺することは真実から目を背けることになります。「実験的検証、あるいは少なくともどのようなデザインで実験を行えば検証できるかという提案は、すべての科学的仮説に必須の条件である」という科学的方法論の基本も、ある意味で科学者の信条であり、ドグマであります。精神機能が神経細胞のネットワークだけでは科学的に説明しきれない現状において、神の存在が現在の自然科学的な手法では証明できないとしても、人の精神活動としての信仰の妥当性を科学的手法によって否定しないままでこの世から葬り去る態度には論理的な矛盾が含まれています。科学者たちはまるで亡霊を恐れるかのように「神の存在」を恐れ、信仰から目をそらし、「宗教と科学は同居できない」とまで考えるようになったのですが、信仰を否定することに科学的根拠がない限り、その呪文は自分自身を撲殺する呪文にもなりかねないのです。

心や精神といった言葉も、大脳皮質や神経細胞、あるいはニューロンとそのネットワークの機能といった、物質とその生理作用を指し示す用語に置き換えられ、細胞の生理学的現象、生化学反応の結果として語られるようになってきています。科学者たちは一歩一歩神に近づくのではなく、一枚一枚論文を積み重ねることに無上の喜びを探し、他人から評価され認められることに誇りを感じなければならなくなりました。医学生として西欧科学に帰依した私の中でも次第に神様の居場所は狭くなり、結局20歳になったら自分の意志で洗礼を受けようと思っていた幼い日の決意も実行されないままになりました。

だからといって、私は今でも全面的に神の存在を否定して、信仰を持つことを侮る気持ちにはなれません。カトリックの教えは間違いなく私を大いなる苦しみから遠ざけて、人を愛して生きることの喜びと尊さを教えてくれたのです。心に重荷と苦しみを持つ多くの人にとって、良き信仰を持つことは、抗うつ薬と睡眠薬にドップリ浸かるよりは、よっぽど快適で金銭的にも負担の少ない治療法になる可能性があります。科学と宗教が同居しないと言い張ることは、男と女が一緒に暮らせないと主張するのと同じぐらい、自然を無視して馬鹿げた考え方なのかも知れません。良き信仰を持つことは正しく科学を理解することと同様に、人生を豊かで幸せなものにする目的にかなうことだと私は信じています。

今後の連載では子どもの脳や精神を物質的側面から観察して、細胞の生理学的機能としてコンピュータープログラムのように取り扱う記述が多く出現することになりますが、決して私は人間を物質のかたまり以上の物ではないと主張する急進派ではなく、狭くて居心地が悪いかも知れませんが、心の片隅には神様の居場所を少しだけとってある小児科医であることを宣言しておきます。


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「二人は神によって創られて神によって結ばれた」我が家の食堂に飾られる、サレジオ会の聖書学者故石川康輔神父による私たち夫婦の結婚式。筆者の親友である藤田幸一氏(京都大学教授)の撮影。



(注釈:今回ここに自分自身の成育歴と宗教経験を持ち出したのは、今後の連載では宗教的な考え方から完全に独立することが目的で、特定の宗教を支持したり、あるいは流布・推奨、或いは逆に非難する意図は全くありません。それは今後の連載のなかでも同じ事であります。)

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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