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33. 脳は小宇宙

要旨:

脳と心と精神の関係を探ることがどうして難しいのか?著者はこれらの現象が非常に複雑でかつ強力に結合した、分子レベルの世界から地球規模の文化や文明の知的ネットワークにまでわたって広がる、巨大な多層構造を形成しているからだと考えている。人類の脳は小宇宙のように多層構造から成り立っている。この節では、著者は自分で作成した図「人類の脳は多層構造の小宇宙」を提示しながら、脳と心と精神の関係を説明した。

「心とは何か?」との疑問に科学を持って答えようとすると、科学的理論には実験等で検証する事が可能でなければ誰にも相手にされず、神話かお伽噺のようなものだと見なされる『実証のドグマ』が有り、それに耐えられる結論を出すことは難しくなります。私は心とは、脳の活動全体の機能の結果生まれる精神的な経験のことだと考えています。それはエサを見た犬が電気ショックに耐えてよだれを流す心理学実験の条件反射とは決して同じではない、もっと高次元の脳内現象だと思うのです。人類の心には他の動物には殆ど見られない概念的な思考という機能があります。私はこの概念的な思考を通じて経験する精神的な世界こそが人類的な心だと思っています。人類に人らしい心が生まれる過程を探り、それを子育てと結びつけて、どのような子育てが脳にとって良い結果を生むのかを考えようという無謀とも呼べる試みがこの連載の意図でもあります。


脳と心と精神の関係を探ることがどうして難しいのかを解明すると、これらの現象が非常に複雑でかつ強力に結合した、分子レベルの世界から地球規模の文化や文明の知的ネットワークにまでわたって広がる、巨大な多層構造を形成しているからだと私は考えています。読者の皆さまに脳と精神の多層構造を理解していただくために、私が制作した「人類の脳は多層構造の小宇宙」(図1)を提示しながら、脳と心と精神の関係を考えてみたいと思います。

report_04_46_1.gif                                                                      図1


脳と心と精神の問題を考える上で問題を複雑にしている最大の理由の一つは、図1に示したように脳の機能すなわち心と精神が、神経細胞(ニューロン)内で起こっているミクロレベルの生化学反応から、コミュニティや社会の文化や文明という非常に大きなレベルの現象までを包括して、各層が強力に相互に影響しあって複雑な多層構造を形成していることだと思います。人間の心や意識がどこから生じるのかの一つの意見として、神経細胞内の更に小さな構造の素粒子的レベルでの共振現象に心と意識の起源を求める見解もありますが、私はその様なミクロの世界を究極まで探求することからは人類の心は見えてこないと考えます。人の心は、分子レベルの生化学現象が脳を構成する細胞の中で起こり、その中でも特に神経細胞の中で起こる電気的な変化がシナプスという神経細胞間の連絡構造を伝わってネットワーク信号化されることから生じてきます。しかし個々の神経細胞が気まぐれに電気信号を乱発しただけでは意味をなしません。一見無秩序に見える神経ネットワークの電気的興奮が意味をなすのは、遺伝的にプロトスペシャリストの神経回路として神経の発火興奮パターンの意味内容が規定されているからです。ヒトや霊長類以外の多くの動物では、この遺伝的な規定回路を使用した自動的な応答で生存や生殖などを行っているのですが、ヒトや霊長類などの高次脳機能を備えた動物の脳は学習能力を持ち、遺伝子で規定された以上に環境に順応した知的な行動様式を生後に発達させる事が出来ます。この部分が学習等により発達する大規模な神経ネットワークであり、それは動物実験的な心理学体系では、単一の刺激入力に個々に反応する(入力刺激)+(神経反射)=(行動)と規定されてきましたが、ヒトでは複数の入力刺激を脳内で一時的に保持して操作するワーキングメモリ機能(主に前頭葉連合野と前部帯状回に拠点を置く)が発達したので、単一の刺激だけはなく複数の刺激を情報として活用し、過去の記憶とも照らし合わせながら取るべき行動を選択するという、特殊な回路が形成されました。この回路は抽象化された事象のカテゴリ分類能力を発達させ、やがて抽象的な概念を用いて言語や思考を生み出す原動力となったのです。

これらの脳内で行われる神経ネットワークの働きは、外界への刺激反応系から言語や概念とその記憶を用いた精神的な内面現象へと活動の本拠地を変え、今日私たちが「個人の人格・精神・心」と呼んでいる内観的な精神活動へと拡がって来ました。そして忘れてはならないことは、人類の知性は一個人に限局して存在するのではなく、社会的な知的資産として蓄積され、コミュニティや社会の文化・文明として個人の心と密接に影響しあっているということです。さらに大切なことは、進化の圧力は実はこの宇宙的な世界の外側であるコミュニティ及び社会から内側に向かって変化の力を及ぼしてきているということです。

このように人類の脳と心の実状を整理して考えると、これまで心理学の中で言われてきていたことも理解しやすくなります。例えば、子どもの知性の発達は社会文化的な影響を受けて発達するとして教育の重要性を強調したヴィゴツキーの考え方と、子どもの知性は感覚運動的に発達するとして子どもの個人的経験の重要性を強調したピアジェの考え方の違いは、この心の小宇宙のどの層に焦点を当てて子どもを観察していたかの違いに過ぎないことが理解できます。ヴィゴツキーはコミュニティや社会の知的資産が個人に与える影響の大きさを重要と評価し、ピアジェは個人内部にある感覚運動学習等によって発達する神経ネットワークの層に、より重要性を置いて考えていたことになります。

昨今の社会における個人主義偏重の傾向は、子育てにおいても「自分の子どもだけは良い子に育てたい」という、子育ては個人の自由と権限で行うものだとの風潮を強く根付かせています。しかし20年前に私が「心のカルテ」の中で指摘したこの個人主義の行き過ぎは、ヒトの心と精神の発達は同心円の外側にある社会とコミュニティからの圧力があって初めて現在の形に進化してきたのだという、生物学的に重要な「心の起源」を忘れた結果だと言えるでしょう。子育ては社会全体の重要な課題であるという20年間変わらなかった持論は、脳の働きに影響を及ぼす遺伝子がいくら発見されようとも、遺伝子が先にあったのではなく、社会とコミュニティから加えられた進化の圧力エネルギーの産物として脳と心の発達が起こったという、歴史的な脳神経進化の順序までは変えることはできないのです。

さらに将来の研究者に向けて提言したいことは、この脳の小宇宙の中央部の神経細胞とグリア細胞内での遺伝子・分子レベルでの生化学的な物質反応と、外殻部の人類の文化・文明という知的資産のネットワークを結びつける理論と実験による証明を続けて欲しいという希望です。それはアインシュタイン等が探し求めた力学の統一理論を探すことと同じように、気の遠くなるほど大変な研究だと思われますが、未来の人類にとって必ず役に立つ研究であるはずです。

次回は、脳という小宇宙の中央部に存在し、精神と心を繋ぐ神経ネットワークの基本構造である脳細胞の仕組みについて解説いたします。

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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