ヒト(あるいは哺乳類全般)の脳には生まれつき一定の外部入力に対して特定の処理と出力信号を発する神経回路が備わっていると想定されています。フロイトの影響からと思われますが、ピアジェは新生児は反射だけの混沌とした世界に生きていると考えました。しかし近年の赤ちゃんの能力を調べた実験結果は赤ちゃんには生まれつき多くの能力が備わっていることを示しています。また人工知能やコンピュータの研究からも脳に生得的な基本設定がなければ、ヒトの脳は現状のように多くの困難な課題を処理する能力を持つことが出来ないことが明らかにされています。どうも赤ちゃんは「空白の石版」では無いようです。
「ロボットも笑うのか?」で紹介したマーヴィン・ミンスキーは、学習型人工知能を制作する過程から人の心の仕組みと学習・発達のメカニズムを解明しようと試みました。彼の卓越した理論は「心の社会」(安西祐一郎訳 産業図書刊)に納められています。1990年(原著1985年)に出版されたこの本は、子どもの心の発達を考えるうえで大変貴重な見解を含み、発達心理学の考え方を根底から考え直させる衝撃的な内容でありました。そして彼の提唱した意見の多くは今なお全く新鮮さを失わず私たちを啓蒙してくれます。ミンスキーは人工知能あるいはコンピュータに何かを学習させるためには、何を学習するかという目標の設定と、問題解決のための最低限の初期設定が必要であることを、「心の社会」に先立つパパートとの共著「パーセプトロン」(中野馨・阪口豊訳 パーソナルメディア刊 1993年)(原著1969年)のなかで数理的に証明しています。そのうえで、子どもの心が機能するためにも生得的な初期設定がなされていなければならず、このような心の初期設定回路を「プロトスペシャリスト」という名前で呼びました。プロトスペシャリストとは、動物の本能的行動のいくつかを支配する、遺伝的に形成され規定された心のシステムのことです。新生児期の心のかなりの部分は、ほとんど独立して働くプロトスペシャリストたちの表出する原始的な情動や神経反射の集まりなのですが、後になって互いの結びつきがもっと複雑になり相互作用する回路が作られて心が成長と発達を続けていく、と「心の社会」の中で論説しています。
「心の社会」は同じMITの教授であったフォワードの表した「心のモジュール説」を意識して書かれたのではないかと私は想像していますが、心理学の世界ではフォワードのモジュール説の方が主流になりました。モジュールというのも生得的に備わっている回路ですが、カプセルのように作動領域を固定されていて、お互いに結びついて相互作用したり意識に上ったりすることがないと理論化されています。人間には生まれつき言語を理解する能力があり、生成文法という考え方を主張したノーム・チョムスキーは、人間の言語能力もモジュールによるもので、世界中の言語に共通する生得的な文法モジュールが人の心には存在すると主張しました。私の考えでは、人類だけに特徴的な数多くの高等知能を全て生得的で機能限定的なカプセル化されたモジュールが処理していると考えるのは、たかだか25万年と考えられているホモサピエンス誕生の歴史から考えると、遺伝子が突然変異を短期間に何十回も繰り返した理由が見つからず、無理な理論だと感じます。個人的には成長と共に更新され上書きされるプロトスペシャリストを想定したミンスキーに軍配を上げたいところです。
さてここで赤ちゃんの生得的な能力である「新生児微笑」に応用して考えてみましょう。赤ちゃんがおっぱいを飲んでまどろんでいるときにニターッと笑顔を作るのは、迷走神経刺激が側坐核に信号を送ると、顔面神経が興奮して大頬骨筋を中心とする顔面の表情筋群が収縮するからだと以前説明いたしました。新生児の脳にはこのように新生児微笑を作るプロトスペシャリストが遺伝的に設定されていると言うことになります。しかしこの時点ではまだ新生児微笑は単なる神経反射以上のものではなく、気持ちが良いからニターッと笑うのではなく、無感情な神経反射として顔面の筋肉を引き攣らせているだけなのです。新生児期の感情記憶は成長後は述懐できないので、もしかすると赤ちゃんは既に快感を覚えて笑っているのかも知れませんが、人間と600億年前まで共通の種であったとされるチンパンジーでも新生児微笑がみられることがわかっています。すると快感の表現として新生児微笑が設定されているのならば、チンパンジーでも成長後に気持ちがいいときはニターッと笑うべきです。しかし「笑うのは人類の特質」の中で紹介した、霊長類と神経の専門家である中村克樹先生の論述の通り、サルやチンパンジーは成長後は人間のように楽しかったり気持ちよかったりでニターッと笑うことはないのです。ヒトとチンパンジーには生得的な新生児微笑というプロトスペシャリストが備わっているのだけれど、チンパンジーでは成長ともに不必要な神経回路となり廃絶してゆくのに対して、人類では逆に成長とともに笑いのプロトスペシャリストは社会的にも発達していきます。
赤ちゃんは産まれた直後に大声で泣きますが、しばらくして落ち着いた状態になると「健やかな寝顔」で安心して気持ちがいいような表情を作るようになります。どうして赤ちゃんのクシャクシャの寝顔が安心して気持ちがいいように見えるのでしょうか?母親がそのように見るのは感情移入だとしても、母親以外の全く赤の他人にさえも(統計処理はしていませんが)新生児のシワだらけの寝顔が穏やかな表情に見えます。これこそが大人になっても赤ちゃんの時に自分が作った表情を心のどこかに記憶していて、同じように平安で穏やかな感覚を共同体験するからだと私には推測されます。赤ちゃんの頃の記憶を成人後に明確なエピソード記憶として思い出すことは出来ませんが、無意識の領域で共感するという心の働きを起こさせる、内在的な記憶を生涯維持しているのだと思います。ここで生涯と書いたのは、かなりの高齢者になって、孫や曾孫の寝顔を見ても同じように共感する能力が人間からは失われないからです。
では、このような新生児期の記憶を脳の奥深くに刻み込む特別な仕組みがヒト(あるいは哺乳類全般)にどのように備わっているのでしょうか?それは新生児期の微笑の記憶は生得的なプロトスペシャリストを上書して保持されるので、その人の心に生涯残るのだと私は推測しています。だからお爺さんやお婆さんが新生児のまどろんでニターッと笑うのを見ても幸せな気持ちを共感できるのだと私には思われるのです。
プロトスペシャリストと言う用語を使うにしろ、モジュールと言う用語を使うにしろ、赤ちゃんには生得的な能力が生まれつき(幾種類も)備わっているということが理解できたでしょうか。プロトスペシャリストについては次回また詳しく説明いたします。
