出生直後は単一的な泣き方しかできない赤ちゃんですが、我々小児科医や乳児のケアーに長年たずさわった人、また注意深く赤ちゃんの泣き声を聞き分ける養育者には、生後数日すると、赤ちゃんの泣き声を聞いただけで何を要求しているのかが分かるようになります。この泣き分けの方法も基本的には生得的であると私には思えます。その理由は養育者の育て方にほとんど関係なく全ての赤ちゃんがほとんど同じように、甘えた泣き方、要求する泣き方、危険を伝える泣き方などを区別して使えるようになるからです。ただし周囲に養育者がいて子供の世話をしていることが必要条件だとも思えます。人間以外の動物に育てられた場合、成長とともに赤ちゃんが泣き声に変化を付けることが上手になるかどうかは疑問が残ります。赤ちゃんは泣きながらも、どんな泣き方をしたら周囲の大人、特に母親が自分をより良く受け止めてくれるかを感じながら、成長とともに上手に泣きわけることを覚えてゆくのです。つまり生得的な泣き分けの能力が、養育者の反応と相互に影響しあって、お互いのコミュニケーションとしての、赤ちゃんの泣き分けと養育行為との相互関係が出来上がるのです。
そうすると、赤ちゃんが泣いているときには、なるべく早く何を要求しているのか、何の危険と接触しているのかに気づいてあげて、なるべく早く要求を満たしてあげた方が、赤ちゃんの学習効果が上がることになります。条件付け学習の原則として、成功報酬が早く手に入る方が学習効果が上がるとされているからです。この意味で、一部で言われている「赤ちゃんが泣いていてもすぐに抱き上げない方がいい。なぜならば要求をはっきりと表現させて自律性を持たせるためには泣かせることが必要で、また心臓と呼吸器の能力を高めるためにも赤ちゃんが泣くことは良いことだから...」という意見には私は異論を感じています。赤ちゃんの心臓と肺の能力を高めることは泣かせ続ける以外の方法でいくらでも代償できます。赤ちゃんが泣いているのに意図的に無視して放置することは逆にコミュニケーションへの意欲を失わせる危険性があります。サイレントベビーについては以前も触れましたが、赤ちゃんが泣かないのは、泣いても仕方がないと諦めて、泣くことによるコミュニケーションの確立に失望したからであって、決して泣いているのを放置して強く意思表示させることが、子どもの自律性を高めることに役立っているとは私には思えません。
4児の父親として、私自身もそれぞれの子どもに色々な育児と養育方法を試みてきました。初期には私自身も「泣いても抱かない自律性をはぐくむ育児」を信奉していましたので、自分の子どもにも実行しました。4人目の子どもの時は「カンガルー育児」の信奉者であったので、裸の子どもを妻と私が交代でお腹の上に載せて、文字通り「肌と肌がふれ合う」状態で乳児期を過ごさせました。このようにして4人の子どもたちの育ち方を見てきて、私自身が途中で自分の失敗に気がついて軌道修正をする中で、私は決して赤ちゃんを泣かせて育てる方が良いとは思わなくなりました。
赤ちゃんが泣くのは養育者に危険を知らせて、何かの要求を伝えるためです。乳児期から綿密に配慮されて養育された子どもは、泣く以外にもっと有効なコミュニケーションの方法があることにも気がつくようになります。泣いている赤ちゃんを意図的に放置して自律性を高めようと言う考え方は誤りだと、私は自分自身の子育て経験からも確信しています。赤ちゃんが激しく泣いてしまわないうちに、要求に気づいて全ての要求を満たしてあげると、子どもはあまり泣かないおとなしい子どもになります。しかしこれはコミュニケーションに失望して泣くことを放棄した子どもとは全く反対の愛情に満足した子どもなのです。同じようにおとなしく見える子どもでも、愛情を感じることなく乳児早期の人間関係構築に失敗したサイレントベビーとは決して同一ではないのです。
赤ちゃんがなぜ生得的に泣くように出来ているのかを理解すれば、赤ちゃんが何を要求しているのか、どうすれば泣きやむのかは自然と分かることなのです。

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