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【各論】乳幼児の観察日誌

チャールズ・ダーウィン

2008年5月30日掲載

要旨:

本稿は、37年前に私自身の子どもの1人を観察してつけた日誌を再度見直すものである。それは、じっくりと観察ができるまたとない機会に、気がついたものをすぐに記録したものであった。私の主な観察対象は表情であり、観察記録は、このテーマを扱った本の執筆に使ったのであるが、他の点にも注意を払っているため、イポリット・テーヌ氏の記録や、今後必ずとられると思われる他の人々の観察記録と比べても、面白い点がいくつかあると思われる。また、自分の子ども達の要求の伝え方の変化の観察から、幼児の様々な能力が発達する時期は、幼児によってかなり違っていることが今後わかってくるものと確信している。 本稿は、37年前に私自身の子どもの1人を観察してつけた日誌を再度見直すものである。それは、じっくりと観察ができるまたとない機会に、気がついたものをすぐに記録したものであった。私の主な観察対象は表情であり、観察記録は、このテーマを扱った本の執筆に使ったのであるが、他の点にも注意を払っているため、イポリット・テーヌ氏の記録や、今後必ずとられると思われる他の人々の観察記録と比べても、面白い点がいくつかあると思われる。また、自分の子ども達の観察から、幼児の様々な能力が発達する時期は、幼児によってかなり違っていることが今後わかってくるものと確信している。

MINDの最新号(p. 252)で、イポリット・テーヌ氏による幼児の精神的発達に関する非常に興味深い翻訳記事を読んで、37年前に私自身の子どもの1人を観察してつけた日誌を再度見直してみようと考えた。じっくりと観察ができるまたとない機会であり、気がついたものをすぐに記録したものである。私の主な観察対象は表情であり、観察記録は、このテーマを扱った本の執筆に使ったのであるが、他の点にも注意を払っているため、イポリット・テーヌ氏の記録や、今後必ずとられると思われる他の人々の観察記録と比べても、面白い点がいくつかあると思われる。また、自分の子ども達の観察から、幼児の様々な能力が発達する時期は、幼児によってかなり違っていることが今後わかってくるものと確信している。


最初の7日間で、様々な反射的行動、つまり、くしゃみ、しゃっくり、あくび、のび、お乳を吸う、何か声をあげるなどの反射的行動を上手にしている様子が確認された。生後7日目に、紙の切れ端で息子の裸の足の裏に触れると、紙から足をぐいと離し、同時につま先を曲げて、ずっと年長の子どもがくすぐられたときにやるような動きをした。こうした反射的行動の完成度の高さは、自発的行動の不完全で不器用な動きが、筋肉やそれを調整する中枢の状態(反射)によるものではなく、そこに意志が存在しているからこそ生じることを示している。息子が、その温かくて柔らかい手を顔の近くに持っていったときには、この時期にはまだあまりに早いと思われたが、私には彼が、しゃぶりたいという気持ちで、明らかに興奮しているように思えた。しかし、これは反射的、もしくは本能的な動作と考えなければならない。なぜなら、母親の胸の感触の心地よい経験が、こんなにも早く彼の行動に影響するとはとても信じられないからだ。最初の2週間、彼はどんな物音にも聞き耳を立て、その度によく瞬きをしていた。同じことが生後2週間までの間、私の子ども達の他の何人かでも観察されている。生後66日目、私がたまたまくしゃみをすると、彼は、はげしく驚いて眉間にしわを寄せ、怯え、大声で泣き出した。その後の1時間は、神経質な高齢者のような状態となり、どんな小さな物音でも怯えていた。この日の数日前には、突然目の前に現れた物体を見て驚いていたが、音に対しては目に見えるものよりも敏感で、その後も長い間びくつき、頻繁に瞬きをしていた。生後114日目、私が彼の顔の近くで、コンフィット(ドライフルーツなどが入った糖果)の入った厚紙の箱を振ると、びくっとしたが、空の同じ箱や違う物を同様の距離、あるいはもっと近くで振ってみても何の反応も見られなかった。こういったいくつかの事実から、瞬きが彼の目の保護に役立っているのは明らかだが、乳児は何かの経験を通して瞬きをするようになるわけではないと考える。このように普通の音に対しても敏感に反応するが、彼が音のする方向を認識し、音を出しているものに目を向けるのは生後124日を過ぎてからだった。

視覚-彼の目は、生後9日目には蝋燭(ロウソク)をじっと見るようになっていた。45日目まで、蝋燭の他にはじっと見つめるものはなかったが、49日目にカーテンの明るい色の飾り房に興味を惹かれたようで、腕の動きも止めて、じっと見つめていた。速く揺らしたものを目で追う能力を彼が身につけたのは驚くほど遅く、7ヶ月半を過ぎてからだった。生後32日目には、3、4インチ離れた母親の胸を知覚した。唇をつきだしてじっと見つめ始めた様子からそうわかった。しかし、彼が視覚から母親の胸を知覚して、このような動きをとったのかどうかは大いに疑わしいが、少なくとも、手で胸に触れていたわけではない。どのように母親の胸を知覚したのか、匂いや体温を感じてか、抱かれている位置関係からか、今もって何もわからない。

手足と体の動きは、長い間、漠然としていて目的がなく、通常痙攣のような動きをしていたが、例外が一つあった。それは、彼が生後40日にも達しない非常に早い時期にすでに手を口に持っていけたことである。生後77日目、彼はほ乳ビン(母乳だけでなくミルクも授乳していた)を右手に取った。乳母がどちら側の腕で抱いていても、右手を使った。私は彼に左手を使わせようとしたが、左手を使うようになるまではその後一週間かかった。つまり、右手は左手に一週間の差をつけていた。しかし、後に彼は左利きだとわかる。間違いなく遺伝されたものである。祖父も母親も、兄弟の一人も左利きだったからだ。生後80日から90日は、手にしたあらゆるものを口に持っていった。2、3週間も経つと、この動きにある種の技を組み込んだ。つまり、まず鼻に手を持っていってつけてから、そこからずらせて口にもっていくのである。私の指も握り、口に持っていったが、つかんでいる自分の手が邪魔してしゃぶれない。しかし生後114日目、同じように私の指をつかんで口にもっていった後、自分の手をするりと離し、私の指の先を口に入れるのに成功したのだった。この動きは何度も繰り返されていて、偶然ではなく考えてとった行動であることが明白にわかる。体や足の意味の無い動きは、歩く行為の代わりとして非常に早くから見られたが、体や足の動きよりずっと早く、手や腕を意図的に動かし始めていたのだった。生後4ヶ月、彼は熱心によく自分の手や近くにあるものを見ていた。そのようなとき、目はかなり寄り目になっていて、そのせいかしばしばひどく藪睨みのような状態になっていた。2週間後、つまり生後132日目の頃には、手が届くぐらいの近さに顔の近くに物を持っていくと、つかもうとする様子が観察された。大抵は失敗していたが、もっと遠くのものに対しては取ろうとするような動作は見られなかった。近くの物を見るために目を輻輳(両目を同時に内側に向かせて)させて、物の手がかりを得、興奮して手を伸ばしていたことは、ほぼ間違いないと考えている。この子は非常に早い時期から手を使い始めたが、この点に関して何か特別な素質があったということではなさそうだ。というのは、鉛筆やペンや他の物を握る2歳4ヶ月のときの彼の様子は、まだ生後14ヶ月だったときの妹の手つきよりもずっと不器用で、とても効率的とは言いがたかった。妹の方が、祖先から手先の器用さを受け継いだようだ。

怒り―どれくらいの時期から幼児が怒りを感じるかを見極めるのは難しい。生後8日目には、眉間にしわを寄せて、しかめ面をしてから泣き出していたが、これは痛みや不快からくるもので、怒りによるものではなかっただろう。生後10週間頃、かなり冷えたミルクを与えられて、吸う間ずっと額にわずかなしわを寄せていた。その様子は、好きじゃないことを強いられて機嫌を悪くしている大人のようだった。生後4ヶ月近く、あるいはもっと早くだったかもしれないが、血が顔や頭全体に上り、激しく怒っているのが明らかにわかるときがあった。怒るのには小さな原因で充分だった。生後7ヶ月と少しのとき、レモンが手から滑り落ち、自分の手でうまくつかめなかったことから、癇癪を起して叫んだ。生後11ヶ月では、気に入らない玩具を渡すと、払いのけて叩いた。叩くという行為は本能的な怒りの表現であり、卵から出たばかりの小さなワニがパクパク顎を鳴らすようなもので、玩具を壊そうとしてしたわけではないと考える。2歳3ヶ月になると、自分を怒らせた人に向かって、本や棒など何かを投げる達人となっていた。他の息子たちも同じようなことをしたが、娘たちがこの時期にこうした態度をとることは一度もなかった。このことから、ものを投げる傾向は男の子に遺伝していくものと考えている。

恐怖―この感覚は、幼児が早い段階から経験する感覚の一つであると思われる。生後数週間足らずの時でさえ、突然の物音でびくっとし、泣き出したことでそう推測される。4ヶ月半が経つ頃までには、私には彼の近くで変わった大きな音をたてる習慣がついてしまっていた。ちょっとした悪ふざけと思っていたのだが、この時期のある日、いままで聞かせたことのない大きないびきの音を立てたことがあった。彼はすぐに心配そうな表情を浮かべ、激しく泣き出したのだった。2、3日後、私が前のことをすっかり忘れて同じ音を立てると、同様に激しく泣き出した。同じ頃(生後137日目ごろ)後ろ向きで彼に近づき静止して立っていると、彼はとてもまじめな顔つきになり驚いているようだった。私が振り向かなかったら今にも泣き出しただろう。私の顔を見ると、とたんにホッとしてニッコリと微笑んだ。もう少し大きな子どもが、暗闇に対し、また長い廊下の薄暗い角を通るときなどに、ぼんやりと漠然とした恐怖を覚え、ひどくおびえることはよく知られている。例として、私が観察対象とした長男を、彼が2歳3ヶ月の頃、動物園に連れて行ったときのことがあげられるだろう。彼は自分が知っている鹿やアンテロープなどの動物、ダチョウも含めて、どんな鳥を見ても楽しんでいたが、檻の中にいるもう少し大型の色々な動物の前では、とても警戒していた。帰ってきてからも、もう一度行きたいけど、「お家の中の動物」は見たくないとよく言っていた。この恐怖についてはどうにも説明できない。子どもの、漠然としているが耐え難く強い恐怖は、経験とは無関係なもので、古代の野蛮な時期において身に迫った危険や、どうしようもない迷信を受け継いだ結果であると推測できないだろうか。これは、かつてはよく発達していた能力の伝わり方として私たちが知っていることと極めて合致している。そうした能力は、生後間もない時期に認められるが、しばらくすると消えていくものである。

楽しい気持ち―幼児は何かを吸っている間よろこびを感じていると考えてもいいだろう。潤んだ目の表情が、そう物語っている。この子は生後45日で、二番目の子は生後46日で微笑んだ。この笑みは本当の笑み、よろこびの表れで、目は輝きまぶたはわずかに閉じられていた。微笑みは、主に母親を見つめているときに浮かんできており、たぶん精神的なものからきているのだろう。この子はこの時期から、彼を興奮させたり楽しませたりするようなことが何も起きていないようなときにも頻繁に微笑んでおり、何か内的な喜びを感じて微笑んでいたのであろうと思われる。生後110日、彼は顔にエプロンをかぶせられたり、さっととられたりして、すこぶるご機嫌だった。私がパッとエプロンをはずして顔を出し、近づけていったときも同様にご機嫌で、最初に小さな声を出し、それから笑いはじめるのだった。ここでは驚きが、彼が面白がる主な理由であった。ほとんど大人のウィットに通じるものがある。この「いないいないばあ」を面白がるようになる3、4週間前から、鼻や頬を軽くつままれるのを、楽しい冗談としてすでに楽しんでいたと思う。こんな小さな、3ヶ月を少し過ぎただけの乳児でも、ユーモアが解るのかと最初驚いたのであるが、考えてみれば、子犬や子猫もとても早い時期から遊び始めるのだ。生後4ヶ月、彼はピアノの演奏を聴くのが好きなことを間違えようのない様子で示した。これは彼が美的な感覚を持っていることを示した最初のサインであることは間違いないが、もっとずっと早い段階で示した明るい色を好む傾向、これも含めるべきであるかもしれない。

愛情
―生後2ヶ月足らずで、息子が世話をしてくれている人たちに向ける微笑みを見れば、この感情は非常に早くから生じてくるものであろうことがわかる。とは言え、彼が彼に接する人をしっかり区別して認識しているかどうかについては、生後4ヶ月近くになるまで、確証を得ることはできなかった。生後5ヶ月近くになってからは、息子は乳母の許に行こうとする意思をはっきりと示すようになった。しかし、少しの間休みをとって出てきた乳母に何度もキスをするなど、はっきりとした行為で自分から愛情を表すようになったのは、1歳過ぎになってからである。同情のような人の気持ちを汲み取る感情については、生後6ヶ月と11日目の日、乳母が泣きまねをした際に、口の角を押し下げて物悲しい表情をしたことから、息子の感情がはっきりと見て取れた。嫉妬の感情は、生後15ヶ月半のとき、私が大きな人形を撫で回したり、小さな妹の重さをみようと抱きかかえたりしたときに、彼がやきもちを焼いているのがわかった。犬の嫉妬心の強さを思えば、もう少し気をつけてさえいれば、乳幼児の嫉妬心も、もっと早い段階で確認できるのだろうと思われる。

思考・推量など
―私が観察した限り、実質的な推論のたぐいを行ったと思われる彼の最初の行動についてはすでに言及している。生後114日目、私の指先を口にいれようと、自分の手を私の指から離した行為である。生後4ヶ月半では、鏡で私や自分の姿を見ては、よく笑っており、間違いなく実物だと思い込んでいた。しかしながら、自分の後ろから私の声が聞こえてくることに対しては、明らかに驚いているようだった。どの乳幼児もそうであるが、息子は鏡で自分自身の姿を見てとても楽しんでいた。その後2ヶ月も経たないうちに、鏡の中の姿が実像ではないことを完全に理解したのである。私が声を出さずに変なしかめっ面をすると、突然振り返って私を見るようになったのだ。生後7ヶ月、家の外にいて、窓ガラス越しに私を見たときには、私が実像か、それとも鏡に映っているだけなのか迷っているようだった。私の他の子ども、小さな女の子は、1歳を過ぎても何かとてもぼんやりしていて、自分の後ろから近づいてくる人の姿を鏡で見て、とても戸惑っていた。小さな手鏡をつかって実験した高等なサル達は、娘とは違った行動をとった。鏡の後ろに手をかざして何かを考えているようだったが、自分の姿を見て楽しむことはなく、怒り出して、それ以上見ようとしなかった。

生後5ヶ月のとき、何かの指示から、それぞれ関連する事柄を考えるという回路が彼の頭の中でできあがった。そのため、帽子をかぶされ、コートを着せられた後、すぐに外に連れていってもらえないとひどく機嫌が悪くなった。生後7ヶ月の時には、乳母とその名前を結びつけるという大きな一歩を踏み出した。私が乳母の名前を呼ぶと乳母を探すようになったのだ。私の他の子どもの1人は、文字通り、よく自分の頭を揺すって楽しんでいた。私や家族が褒めて真似をしながら「頭を振って」と言ううちに、生後7ヶ月になったときには、「頭を振って」と言われると、特にこちらが真似をしなくても、そうするようになった。長男に話が戻るが、続く4ヶ月のうちに、たくさんの物や行動と言葉を結び付けていった。キッスと言われたときには唇を突き出しじっとしていたし、彼が汚いと教えられていた石炭の箱やこぼれ落ちた水に向かっては、首を横に振って、「あっ」と叱るような声をあげるようになった。つけ加えて言うと、生後9ヶ月になる数日前には、自分の名前と鏡に映った自分の姿を結びつけ、名前を呼ばれると、鏡から離れていても鏡の方を向いた。9ヶ月を数日過ぎた頃には、目の前の壁に映し出される影の後ろには、そのもとになっている手や物があることを自分で学んだ。1歳になる前には、彼の頭に何か関連した事柄を浮かばせるのには、短い文を、間隔を置いて2、3回繰り返すだけで充分となった。イポリット・テーヌ氏は、幼児が考えを容易に結び合わせられるようになるのは、例外が見落とされていない限り、もっとずっと遅くであると考えていたようだ。指示や他の事柄から、関連した事柄を自然に思い浮かべる能力は、乳幼児の頭脳と私の知る一番賢い成犬の頭脳との違いの中でも、際立って一番大きな違いにあげられると私は思う。メビウス教授によれば、何尾かのヒメハヤ(コイ科の小型淡水魚)とガラスで仕切られた水槽に入れられた一尾のカワカマス(サケ目の大魚)は、丸3ヶ月の間、ヒメハヤを食べようと仕切りのガラスに突進し、失神し続けた後、ようやく自分を傷つけることなくヒメハヤを攻撃するのが不可能だと学んだ。その後ヒメハヤと同じ水槽に入れられたときには、愚かにも、もう二度とヒメハヤを攻撃しようとしなかったということだ。幼児とカワカマスの頭脳の対照的なことといったら驚くばかりである。

好奇心
―イポリット・テーヌ氏によれば好奇心は幼児期の早い段階から見られる。心の発達において極めて重要であるが、この点について特に注意して観察するようなことはしなかった。模倣もまた遊びの一種である。私の子どもがまだ生後4ヶ月の時に、彼が音を真似ようとしているのに気がついたが、何も気がつかなかったように自分自身をはぐらかしたように思う。というのは生後10ヶ月もしない内に、息子が真似をするなどとはどうにも信じられなかったからである。生後11ヶ月半になると、あらゆる動きをすぐに真似るようになった。汚いものを見ると、頭を横に振りながら、「あぁ」と言ったり、「Pat it, and prink it, and mark it with T―ペタペタたたいて、ひっかき模様をつけよう。Tの字を書いておこう(マザーグース)」のわらべ歌にあわせて、慎重にゆっくりと人差し指をもう一方の手のひらに置くなどの真似をするようになった。このようなことをうまくやった後に見せる彼の嬉しそうな表情を見るのは楽しかった。

幼児の記憶力の強さを示すものとして適当かどうか、自信がないが、記録しておく。3歳と23日、半年も会っていない祖父の絵(engraving)を息子に見せたところ、すぐに祖父だとわかり、祖父を訪ねたときにあった一連の出来事を話した。そのときのことについては半年間まったく話題にのぼったことがないにもかかわらずにである。

道徳観
―道徳観の芽生えは、生後13ヶ月のときに見られた。「ドディー(息子のニックネーム)、かわいそうなパパにキスしてくれないの。いけないね、ドディー。」私のこの言葉が、彼を少し困らせたのは間違いがないようだ。私が椅子に戻ると、しまいにはキスしていいよと唇をつきだし、私が近づいて彼にキスをするまで怒った様子で手を振っていた。似たようなことが数日にわたって繰り返され、仲直りに大きな満足を覚えるようだった。その後も何回か、怒ったふりをして私を叩いた後、キスをすると言ってゆずらなかった。劇のさわりをやっているようなもので、このような時、幼児期の多くの子どもが、妙に大げさに振舞う。この頃になると、彼の感情にはたらきかけ、やって欲しいことをやらせるのは簡単だった。2歳3ヶ月、彼はジンジャーブレッドの最後の一欠けらを妹にあげると、「優しいドディー、優しいドディー!」と大きな声で自画自賛した。2ヵ月後、息子は冷やかしに対してひどく敏感で疑り深くなり、人が一緒に笑ったり話したりしていると自分を笑っていると思いがちになった。その少し後、2歳と7ヶ月半の時、異常に明るい目をして、かなり不自然な妙に気取った感じでダイニングルームからでてくるのに出くわしたので、誰がいるのだろうと行ってみると、彼が粉砂糖をなめていたことがわかった。してはいけないと言ってあったことだった。いままでどんな形にせよ息子を罰したことはないので、彼の妙な態度は叱られるのを怖がってのことではないのは明らかで、良心と戦いながらも愉快な興奮状態にあったせいではないかと思う。2週間後、彼が同じ部屋から出てくるのに会った。ていねいに丸めたエプロンを見つめていた。その時も彼の行動がおかしかったので、エプロンの中に何があるのか見ようと思った。息子は何もないと言い張り、「あっちへ行って」と繰り返したが、ピクルスの汁のしみが付いているのを発見した。つまり息子は注意深く考えてうそをついたのである。私達は彼をもっぱら自分の良心にしたがって行動するようにと育て、その後すぐに、誰もがのぞむような正直で、隠し事がなく、優しい子になっていった。

無意識、内気―とても小さな子どもと一緒にいて無遠慮な態度に見舞われない人はいない。知らない顔を見ると、瞬きもせずじっと見つめるのが子どもであるが、大人がこうして見るのは、動物や無生物だけである。小さな子どもは、自分のことを何も考えないので、たまに知らない人を怖がることはあっても、恥ずかしがるということがまったくないのだと私は考えている。息子の恥ずかしがる様子を初めて見たのは、彼が2歳と3ヶ月の頃だった。10日ほど留守をして帰った私に会ったときの彼の態度がそうだった。目をわずかに私からそらしていたが、すぐにやってきて私の膝にのり、キスをした。そして、そのときにはもう、照れている様子はすっかり消えていた。

コミュニケーションの方法―泣いたりわめいたりする声(涙はしばらく出ない)は、言うまでもなく本能的に発せられており、何かしら苦しんでいることを伝えるものだ。少し経つと、その声は、お腹がすいているとか、何か痛いとか、その原因によって異なってくる。このことは、長男では、生後11ヶ月で気がついたのだが、違う子では、もっと早かった と思う。息子は、その後さらに、彼が何かして欲しいとき、その時々に合わせて泣いたり、顔にしわを寄せたりすることを自分で覚えたようだった。生後46日目、楽しんで、面白がってというのでは何もなく、初めて、ただ単に声を出すという行為で小さな声を出した。そしてその後すぐ声は様々に変化していったのである。彼が最初に笑ったのは、生後113日目だったが、もう1人の子どもではもっとずっと早かった。この日には、前にも述べたと思うが、息子は何かの音をまねようとし始め、しばらくの後には明らかにまねとわかるようにまねしていた。5ヶ月半の時、彼は明瞭に「だぁ」という声を発していたが、その音には何の意味もなかったようだ。1歳ちょっとのときは、自分の要求を身振りで伝えていた。わかりやすい例をあげると、紙切れを手にとって火を指して私に渡した。彼は紙が燃えるのを見るのが好きで、その頃よくそうしていたのだった。ちょうど1歳、彼は食べ物を要求するために、食べ物に"mum"という言葉をつける大きな一歩を踏み出した。しかし、何から彼がその言葉を思いついたのかはわからなかった。お腹がすいたとき泣き始める代わりに、非常にわかりやすくこの言葉を口に出した。また"食べ物をちょうだい"の意味で動詞として、この言葉を使っていた。つまり、この言葉はイポリット・テーヌ氏 の子どもが生後14ヶ月のときに使っていた"ham"という言葉に該当する。しかしながら、私の息子は、その"mum"を広い意味をもつ名詞としても使っていた。たとえば、砂糖のことを"shu-mum"と名付けていて、彼が"black"という言葉を覚えた後では、甘草キャンディーのことを、"black-shu-mum"(黒い砂糖の食べ物)と呼んでいた。

"mum"という言葉で食べ物を求めるときに、私がそのときに書き記した文をそのままここに繰り返すが、彼が「言葉の最後に、強い疑問のイントネーションをつけた」という事実に特に心を打たれた。彼はまた、知っている人に会ったときや鏡で自分の姿を見たときによく "Ah"という声を最初に発していた。私達が驚いたときに使う感嘆の声である。人は本能的にこのようなイントネーションを使うようだと書き記しているが、もっとよく観察すべきだったと後悔している。しかし、もっとずっと後、息子が生後18ヶ月から21ヶ月の間には、何かすることを断固として拒否する際に、反抗的な泣き声をつくり、「僕はしないよ。」と意思表示していたと書き記している。また、鼻に掛けてフンという彼の同意の印は、「そう、もちろん」を意味するものであった。イポリット・テーヌ氏も、彼の娘が話すことを覚える前に、声の調子を非常に表現豊かに変えていたと強く主張している。息子が食べ物を要求する際に"mum"という言葉に込めた疑問のイントネーションには殊に興味を惹かれる。何故なら、このような感じで、一言、あるいはとても短い文を言ってみれば、誰もが、その声の音程が言葉の終わりでかなり上がることがわかると思うからだ。人はきちんと言葉を発音できるようになる前に、霊長類テナガザル科のサルがそうするように、音程をつけて声を発する、この見解を何か別のことからずっと抱いていたが、息子の声の出し方が、この見解に沿うものであることにこの時には気がついていなかった。

最後になるが、幼児の要求は、最初は本能的な泣き声によって周りの人々に伝えられる。それがしばらく経つと、赤ちゃんの意識とは関係なく変化していくものだが、コミュニケーションの手段として意識的に、自らの意思で変わっていく部分もあると私は考えている。つまり、最初は無意識に変わる顔の表情によって、次は身振りやはっきりとわかるイントネーションの違いによって、最後は、周りの物に対して息子がつけた一般的な言葉(訳注:食べ物、おもちゃなど)によって、自分の要求を伝えるようになる。そしてさらに、聞いた音を真似して覚えた言葉でより正確に事物を特定できるようになっていくのである。言葉の習得が始まると、そのスピードは驚異的に速い。乳幼児は、自分の世話をしてくれる人の意図や感情を、その人達の顔の表情により、非常に早い時期からある程度理解していると私は考えている。笑みに関して、このことに疑いを挟む余地はほとんどないだろう。この成長記録に登場している私の子どもは、生後5ヶ月を少し過ぎた頃から、優しい表情というものがどんなものかわかっていた。生後6ヶ月と11日目、乳母が泣きまねをすると、かわいそうにという表情を見せたのだった。彼が1歳の時には、何か新しいことができて嬉しそうにしながら、明らかに周りの人達の表情を読もうとしていた。他の人の顔に比べて、特定の人達の顔を見て、ずっとはっきりと嬉しそうにしていたのは、単にその人達の顔立ちの違いではなく、表情の違いからであろう。6ヶ月を少し過ぎた頃からすでにそうだったのである。1歳になる前に、いくつかの言葉や短い文の他に、イントネーションや身振りの意味することを理解していた。自分が初めて、食べ物に "mum" という言葉をつける5ヶ月も前に、息子が理解していた一つの言葉は、乳母の名前だった。犬や猫のような下等動物でも、話しかけられる言葉を容易に理解することを考えれば、いかにも予想できることだった。

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