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名誉所長ブログ

Koby's Note -Honorary Director's Blog
名誉所長ブログでは、CRNの創設者であり名誉所長である小林登の日々の活動の様子や、子どもをめぐる話題、所感などを発信しています。

過去の記事一覧

子どもの虹情報研修センターは10周年をむかえた

「子どもの虹情報研修センター」というと、何をする所かわからない方も少なくないと思う。正式名称は「日本虐待・思春期問題情報研修センター」という堅苦しい名前である。虹センターという名前は、虐待などの言葉を表に出さないで、「優しい」、「希望をもてる」名前にしようとつけられたものである。スコットランドのグラスゴーの子ども病院には、虐待を専門とする「レインボー・クリニック」というのがあることも、参考になった。

このセンターは、政府が戸塚にある横浜博萌会という社会福祉法人に委託して、運営されている施設である。子ども虐待に関する情報を集め、それを整理分析して、問題点を明らかにし、より良い対応を確立するため、日本全国にある関係する施設の職員の研修を行うことを目的とするセンターなのである。

政府は、多発し増加する子ども虐待に対応するため、平成12年4月に、センター設立準備室を設置し、平成14年4月に子どもの虹情報研修センターを設立した。初めはプレハブの仮設事務所であったが、早速業務を開始し、7月には第1回目の研修を近くのウィリング横浜という横浜市の会館で行った。「新任児童相談所長研修」であった。平成15年3月には、3階建てのセンターの建物を竣工し、開所式が行われ、本番の業務が始まった。この第1回の研修、また開所式のことは、今も思い出す。

開始した平成14年度は、研修は10回、研究は2プロジェクトであったが、徐々に増加し、平成23年度には研修は26回と2.5倍に、研究は10プロジェクトと5倍に増加している。虐待問題の複雑な事例についての専門相談件数も、始めた頃の平成15年度の76件から平成23年度の448件と6倍になっている。

光栄にも私は、厚労省の依頼でこの初代センター長を拝命し、設立以来8年間にわたって務めさせて頂いた。2年程前の平成22年4月に、大阪府立母子保健センター部長であり、私のあとに日本子ども虐待防止学会長を継いだ方でもある、小林美智子先生にバトンタッチした。美智子センター長になって、早速の平成23年11月には内閣府から大臣表彰を受け、この5月12日には10周年の記念シンポジウム「子ども虐待対応を考える:これまでの10年とこれからの10年」が開かれたのである。

私が初めて子ども虐待の事例をみたのは、1954年の冬、アメリカでインターンをしている時であった。その時、こんな問題が病気として子どもの救急患者の中にいるということに驚くと共に、ひょっとすると、子どもを大切にすると言われる日本人社会でも、現われるかも知れないと思った。日本に帰って東大病院で働き始めると、1960年代末から、大学病院でも年間2、3例では見られ始めた。勿論、一般病院、さらに社会で広く見れば、「子ども虐待、子ども虐待」と騒がれる程多く見られるようになっていたのである。そして、その数が減る傾向は全くなく、徐々に増加している。

残念ながら、10周年記念のシンポジウムには出席できなかったが、お祝いの会には出席して、仲間達と会うことができた。子ども虐待が増加する中、このセンターの果たすべき役割は、ますます大きくなることには間違いない。御関心をおもちの方は、子どもの虹情報研修センターにお問い合せくだされば、必要な情報は得られることと思う。

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医者さんは長寿

医者は、健康のあり方を学んでいるので、確かに長生きする人は少なくない。皆さんご存知の方の中では、先ず日野原重明先生であろう。100歳を過ぎても、テレビの映像や、新聞・雑誌に現れるあの元気なお姿をみる度に、私もあのようになりたいものと思う。

日野原先生には、2桁に近い回数の100歳のお祝いの会が開かれたそうである。それを、全てお元気に出席されたという。この所長ブログ「日野原重明先生の100歳の誕生日をお祝いして」に書いたように、私もあるお祝いの会に招かれて元気なお姿を拝見した。

日野原先生と私のおつき合いは、古い。もう30年前になるが、文部省の看護教育の視学委員として、あちこちの看護学校・大学に、また厚生省の研修に関係する委員として、地方のいくつかの病院に御一緒させていただいた。そんな時はいつも、視察に直接関係するお話ばかりでなく、長寿や健康についてもいろいろと教えてくださった。先生の長寿は、日々の生活の中で作り上げられているのである。

長寿のシンボルともいえるお医者さんの中に小児科医も少なくない。しかも、身近にである。その代表は、東大小児科の大先輩である広瀬茂先生である。現在、109歳であるから、日野原先生以上である。今から7年程前の2005年に、私の後任の教授3人と一緒に4人で広瀬先生を東大にお招きして、お祝いのお食事の会をしたことがある。お嬢様と御一緒にお出でくださったが、矍鑠(かくしゃく)として健啖、一同6人で医学部のイタリアンレストランで楽しいひと時をもった。

同じく、東大小児科の先輩、「育児の神様」と言われた内藤寿七郎先生も、長寿の小児科医である。残念ながら2007年12月に101歳で天寿を全うされた。戦後の混乱の中で、旧制高校の生徒だった私は、焼野原の浅草に建ったばかりの、薬屋さんの家の2階で育児相談をなさっている内藤先生にお会いした。その薬屋さんの小学生の息子さんの家庭教師をしていたのが御縁である。その内藤先生との出会いで、理学部か工学部に入ろうか迷っていた私は、医学部に進路を決め、一年浪人して医学部に入って、結局小児科医の道を進むことになった。内藤先生は私に人生の生き方を教えてくださった、大恩人なのである。

「医者は不養生」とよく言うが、医師は健康のノウハウを知っているので、長生きする人が多いようである。私も、100歳を目指して朝晩体操をしている。海軍の時に学んだ体操に、テレビでやっていた老人体操を組み合わせたものである。

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戦後「ダッコちゃん」や「リカちゃん人形」などの大ブームを起こした玩具を制作したことで有名な、佐藤安太先生の「米寿の会」がライフマネージメント学会の主催で、先月3月22日の午後に開かれました。安太先生は88歳に見えない若さで、元気いっぱいでいらっしゃいました。

安太先生の設立された玩具財団の仕事には、私も20年以上も関係してきたことから、そのお祝いの会に出席し、楽しいひと時を過ごすことができました。その時の安太先生のお話が大変魅力的だったので、ここに紹介申し上げます。

安太先生は、自分にはとても実現できそうにもない「夢」を抱いた時、それを口に出して喋り、文章にして発表したりして、繰り返しその夢を発表し続けると、必ず実現できるようになるとおっしゃるのです。それを「夢実現法」と呼んで、多くの方々に薦めていらっしゃるそうです。安太先生の作られた「ダッコちゃん」も、「リカちゃん人形」も、その「夢実現法」を実践された結果だという話です。

88歳を迎えるに当って、安太先生は「新しい国づくりの夢」をもちました。それを実現するには当然「夢実現法」を始めるしかありません。その夢を話さなければなりませんし、書かなければなりません。それを米寿のお祝いの会でお話しされました。当然のことながら、話す内容は文章にされて、印刷物にもなり、資料と一緒に出席者に配布されたのです。そして、総理大臣と全閣僚に1日研修会を開いて直接お話し申し上げ、わが国の当面する問題を解決し、現在の国難を乗り越えたいとおっしゃり、出席者一同を湧かせました。

そんな考えを安太先生がもたれたのは、20年程前から経済的に不調になった韓国が破産した後、1997年にIMFから援助を受け、2008年にはリーマンショックも加わったにもかかわらず、最近大きく変わって素晴しい発展を遂げている姿をみたことが全ての始まりだそうです。安太先生が「ライフマネージメント学」という考えを発表して以来、韓国の海洋大学と関係ができ、そこで講義され、学生や教官とも交流するようになって、韓国の発展ぶりを身をもって体験されたことも大きいようです。それに加えて、昨年出版された大前研一氏の著書『新国家戦略論』(朝日新聞出版)をお読みになって、韓国が生まれ変わるドラマの全体像や真相などを理解されたのです。

現在日本を取り巻く内外の環境が激変しているにもかかわらず、国が旧態依然とした体制のままであることが最も大きい問題であると、安太先生は指摘しています。外を見れば、世界はグローバル競争の時代にあり、内を見ればわが国は「肉体労働社会」から「知的労働社会」に大きく変わっています。国や社会の全ての制度、システム、仕組みを、根本から発想を転換して、新しい時代の要求に合うようにしなければならないとおっしゃるのです。

安太先生は、「グローバル化社会」や「知的労働社会」に対応するには、国家を「次世代システム国家」にしなければならないと考えていらっしゃいます。それを、自らデザインしようとしているのです。それを考える素材として、身近な商店の運営のやり方を挙げています。その昔の商店は、家族が中心になって商品を選び、品揃えして販売していました。しかし、現在の商店の代表であるコンビニエンス・ストアでは、商品の売れ行きも、在庫量も、値段も、伝票も、全てがコンピューターで管理され、少しでも売り上げを上げられるように、あらゆるファクターを勘案して運営されているとおっしゃるのです。

国家となると、それなりに複雑なシステムの統合体ですが、システムを整理し、機能するメカニズムを明らかにして、包括的、統合的に管理できるような「次世代システム国家」でなければならないと考えるのです。それには、情報科学や数学のような高度な理論科学も必要なのではないかと、個人的には考えました。

さらに「次世代システム国家」を実現するため、総理大臣と全閣僚には、ぜひ1日研修を受けて頂きたいと、安太先生は考えています。研修は2つに分かれていて、第1は「人材育成研修」であって、人格形成とか、人間としての器量を大きくすることなどを行って、政治家が国民の模範となれるようにしたいと計画しているようです。考えてみれば、新聞の報道やテレビのニュースで映る、政治家の、どうしてこんなと思うような行動を見ると、私でさえもそう思い付くくらいですから、安太先生にすれば、何とかしたいと思われていることが沢山あるに違いないでしょう。

研修の第2は、「重点国家戦略設定研修」だそうです。総理大臣として、責任をもって「国家ビジョン」、「国家目標」を立てること、「グローバル化」、「一国二制度」を進める国家戦略を立てることです。さらに、政治・経済・教育・スポーツ・文化などあらゆる分野で世界一を目指す目標を総理大臣として示すべきであるとしています。さらには、どんな政策が、どんな成果を上げたか、または逆に上げなかったかを、「政策教書」として発表するべきであるとしています。

佐藤安太先生の、米寿の会で述べられた夢は、余りにも壮大で全てを述べることはできませんが、もし御希望の方がいらっしゃったら、ライフマネジメントセンターに電話されれば、資料は手に入ると思います。最後に安太先生は、アメリカのケネディ大統領も自律自戒の教訓とされて有名になった上杉鷹山公の「伝国の辞」と句を紹介して講演を終えられました。

伝国の辞
1) 国家は、先祖より子孫に伝え候国家にして、我私すべき物には無之候
2) 人民は、国家に属したる人民にして、我私すべき物にはこれ無之候
3) 国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民には無之候
右三条御遺念有間敷候事
天明五巳年二月七日 治憲 花押
治広殿 机前

受次て国の司の身となれば 忘るまじきは民の父母

なせばなるなさねばならぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり


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3月4日に、西和賀子育てフォーラムに行ってきた

岩手県の西和賀町で3月4日に開かれた「子育てフォーラム」で講演する話が日本子守唄協会からきた時、まず「西和賀ってどこ?」と思った。そこでWikipediaを開いてみると、三方が標高1,000m級の奥羽山脈に囲まれ、残りの一方が秋田県の横手盆地に向かって開かれており、冬は積雪2m以上になる特別豪雪地帯にある、和賀川沿いの町とあった。そして、2005年に湯田町と沢内村が合併して西和賀町になった、と書かれているのを見て驚いた。

沢内村といえば、その昔、乳児死亡率が極めて高い寒村であった。しかし、1957年に村長になられた深沢晟雄氏が、1歳未満の乳児と60歳以上の老人の医療費を無料化し、行政と医師・保健婦のチームで保健活動を盛り上げ、老人保健の向上ばかりでなく、乳児死亡率を激減させたのである。そして1962年には、ついに乳児死亡率をゼロにしたことで、保健界や医療界で大きな話題になった村なのである。東大小児科の責任者になった1970代に入った頃、その話を当時の日本医師会長武見太郎先生からいろいろとうかがったので、沢内村に一度は行ってみたいと前から考えていた。今回、それが実現したので大変嬉しかった。

東京から東北新幹線に乗ると、2時間45分程で盛岡から二駅手前の「北上」につき、秋田の横手行のローカル線に乗りかえた。「北上」から山に向かってのぼるにつれて、雪が次第に深くなり、約45分走ると、2m近い残雪の「ほっとゆだ」駅についた。駅から歩いて10分程の西和賀町文化創造館・銀河ホールで、子育てフォーラムは開かれたのである。

ホールは、まわりの雪に黄色が目立つ色鮮やかな建物でちょっと驚いたが、その地域は音楽や演劇の活動が活発で、そのためにも作られたことを知り、建物の派手な感じにも納得した。中には椅子席ばかりでなく、老人のためと考えられる座敷席まであったのである。勿論、雪は車の通る道路には殆どなかったが、両側は高い残雪の壁で、ホールの前の大きな窓からは、和賀川をこえて奥羽山脈の雪山が近く遠くにみられた。

会は主催者代表のNPO法人輝け「いのち」ネットワーク代表の高橋和子さん―深沢村長のもとで保健婦さんとして活躍された方である―そのごあいさつに続いて、盛岡のみちのくみどり学園の中学生の大きな太鼓の演奏で始まった。続く第一部に私の基調講演「子育てに大切な優しさ」が行われ、第二部はみちのくみどり学園長藤沢昇先生司会の「虐待防止は子守唄から」のパネルディスカッションが続いた。西和賀町に子ども虐待が多いわけではなく、むしろ、ないと言えるのではないかと思う。しかし、町の事業として、虐待で親元をはなれて施設にいる子ども達を、週末とか休暇の折に、町民それぞれの自宅に泊めてお世話をしているのである。そのような家庭的なものにふれた子ども達の喜びは、特に大きいという。

そして第三部では、地元の女性合唱団の合唱と、バンド演奏、そして日本子守唄協会の川口京子さんによるわが国各地方の子守唄などなど。続いていつもの「よいとまけの歌」も、長谷川美佐子さんのピアノ伴奏で歌われた。そしてフィナーレは、出演者全員がステージに上り、会場の皆さんと一緒に「ふるさと」を歌ったのである。

ホールは満席というわけにはいかなかったが、第一部、第二部の教育的な部分も、第三部の歌と音楽によるエンターテインメントの部分も、それなりの盛り上がりを見せ、社会教育的な意義は充分果たせたものと思う。

ホールの外では、残雪が春の陽光に輝いていた。西和賀町は、近くに旧石器時代の遺跡もあるそうで、われわれの遠い祖先が住み続けてきた長い人間の歴史と、その静かな営みを感じさせる町であった。夕方帰京の途、ほっとゆざわ駅のホームの脇で、残雪も消えた地面に低い西の太陽に映えるように開いている黄色い小さな花一輪を、ひとりの青年が写真に撮っているのに気付いた。何を撮っているのかと思っていたら、私の脇で一緒に来る列車を待っていた町のおばさんが、春を待つ明るい声で、「タンポポ」と教えてくれた。豪雪の町も、春本番は近いのである。

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CANVASがデジタル絵本のコンテストを始めた

CANVASとは、石戸奈々子さんが2002年11月に始められた、「遊びと学びのヒミツ基地」と称する、子ども達の想像力や表現力を育てるNPO活動である。具体的には、「キッズクリエイティブ研究所」と称して、幼児・学童(小学生)が参加するさまざまなワークショップなどを、東京大学福武ラーニングスタジオ、慶應義塾大学日吉キャンパス生協館、さらに二子玉川ライズ・オフィス(8F)で、それぞれ月1回程開催している。それらのワークショップは、造形・デザイン・映像・音楽・デジタル・言葉・体・環境・サイエンス・食などに関係するアーティストや専門家によって企画開発されている。

また、毎年1回、子ども向けワークショップの博覧会と言える、「ワークショップコレクション」が慶應大学日吉キャンパスで開かれ、いろいろな形式のワークショップを集めて公開することも行っている。この2月25日、26日に、その第8回目が開かれ、7万5,000人程の子どもが集まったという。当日行ってみて、子ども達の長い行列に驚いた。

CRNでも、設立後間もなくの何年間かにわたって、「あそび」と「学び」を融合するにはどうしたら良いかを考える「プレイショップ」と称するワークショップを開いたことがあり、また「エデュテイメント」という考えも提唱したことがある。CANVASの目指すところは、これと相通ずるものがあるように思う。

そもそも「あそび」と「学び」は融合しているものである。それは、赤ちゃんや小さな子どもを見れば明らかである。それが社会の先進化と共に、学校という教育専門の施設が現われ、年齢別に分かれて、「あそび」と「学び」は乖離したのである。伝統文化の社会では、その乖離は弱く、子ども達は大きくなるまで生きるすべ(術)を遊びながら学んでいるのである。

子どもにとって、あそぶ喜び、学ぶ喜びを体験し、生きる喜び一杯になることが体の成長、特に心の発達にとって重要であることは明らかである。したがって、現在の社会において、「あそび」と「学び」を融合させるには、「子ども生命感動学」"Child Bio-emotinemics"という、新しい学問の体系づけが必要とさえ考えている事は、前にも折々述べた。

そのCANVASが、昨年子ども達がワクワクする新しいデジタル表現手法を開発して、「子どもとデジタル」を総合的にプロデュースする「(株)デジタルえほん」を設立した。そして、昨年「デジタルえほんアワード」という表彰事業を始めたのである。「デジタルえほん」とは、タブレット、電子書籍リーダー、電子黒板・サイネージ、スマートフォン等、テレビやパソコン以外の新しい端末を含む子ども向けデジタル表現を総称したものである。その審査委員として招かれ、この「ワークショップ・コレクション」の当日である2月25日(土)に開かれた授賞式に参加した。

作品部門では、審査員特別賞に「とんでけ おふとん」(ラヂオえほんプロジェクト作)、準グランプリに「こえのわ」(チームこえのわ作)、そしてグランプリに「さわって おして ゆびあそぶっく ちょんちょんちょん」(tocco作)が選ばれた。企画部門では審査員特別賞に「ホニャかわ!!」(チームわれら作)、準グランプリに「ねこみっけ」(滝原宏野作)、そしてグランプリに「アカリ・トモス・ユビサキ」(西野つぐみ作)が選ばれた。

個人的には、グランプリになった「さわって おして ゆびあそぶっく ちょんちょんちょん」は特に良い作品だと思った。「たのしい」、「みたことがない」、「世界がひろがる」の選考基準の他に、個人的に関心ある"チャイルドケアリング・デザイン"(子どものことを気にかけてデザインする)、「理性の情報」と「感性の情報」の表現の在り方も勘案して選ばせて頂いた。

本作品は、小さい幼児でも簡単にできる三拍子の指押しの操作で、「卵の殻が破れて雛が生まれる」、「鍵盤をタップするとピアノの音と音符が出る」などの簡単な物語を、デジタル絵本ならではの機能を働かせ、明るく感性の情報豊かに映像化している。人差し指の感覚と共に、視覚・聴覚を介して脳を働かせ、この時期活発な「言語」、「象徴」、「社会的参照」などの機能の発達を加速させるチャイルドケアリング・デザインの良い作品と考えたのである。

選ばれた作品は勿論のこと、選にもれた応募作品の中にも、沢山の良いものがあった。デジタル技術を駆使することによって、盛り込もうとする情報を映像として色々なかたちにデザインすることができ、「感性の情報」も、いろいろな音声・色彩を中心にデザインとして与えることが可能であり、デジタル絵本の未来は大きいことを実感した。成り行きによっては、従来の絵本は消えてしまうのではないかとさえ思えた。更にコンテンツの情報を充分に工夫すれば、教育効果も高められることは明らかで、関係者のやらなければならない事は多いと実感した。そして、それはデジタル教科書に続くものでもあることも重要である。

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