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名誉所長ブログ

Koby's Note -Honorary Director's Blog

3月4日に、西和賀子育てフォーラムに行ってきた

岩手県の西和賀町で3月4日に開かれた「子育てフォーラム」で講演する話が日本子守唄協会からきた時、まず「西和賀ってどこ?」と思った。そこでWikipediaを開いてみると、三方が標高1,000m級の奥羽山脈に囲まれ、残りの一方が秋田県の横手盆地に向かって開かれており、冬は積雪2m以上になる特別豪雪地帯にある、和賀川沿いの町とあった。そして、2005年に湯田町と沢内村が合併して西和賀町になった、と書かれているのを見て驚いた。

沢内村といえば、その昔、乳児死亡率が極めて高い寒村であった。しかし、1957年に村長になられた深沢晟雄氏が、1歳未満の乳児と60歳以上の老人の医療費を無料化し、行政と医師・保健婦のチームで保健活動を盛り上げ、老人保健の向上ばかりでなく、乳児死亡率を激減させたのである。そして1962年には、ついに乳児死亡率をゼロにしたことで、保健界や医療界で大きな話題になった村なのである。東大小児科の責任者になった1970代に入った頃、その話を当時の日本医師会長武見太郎先生からいろいろとうかがったので、沢内村に一度は行ってみたいと前から考えていた。今回、それが実現したので大変嬉しかった。

東京から東北新幹線に乗ると、2時間45分程で盛岡から二駅手前の「北上」につき、秋田の横手行のローカル線に乗りかえた。「北上」から山に向かってのぼるにつれて、雪が次第に深くなり、約45分走ると、2m近い残雪の「ほっとゆだ」駅についた。駅から歩いて10分程の西和賀町文化創造館・銀河ホールで、子育てフォーラムは開かれたのである。

ホールは、まわりの雪に黄色が目立つ色鮮やかな建物でちょっと驚いたが、その地域は音楽や演劇の活動が活発で、そのためにも作られたことを知り、建物の派手な感じにも納得した。中には椅子席ばかりでなく、老人のためと考えられる座敷席まであったのである。勿論、雪は車の通る道路には殆どなかったが、両側は高い残雪の壁で、ホールの前の大きな窓からは、和賀川をこえて奥羽山脈の雪山が近く遠くにみられた。

会は主催者代表のNPO法人輝け「いのち」ネットワーク代表の高橋和子さん―深沢村長のもとで保健婦さんとして活躍された方である―そのごあいさつに続いて、盛岡のみちのくみどり学園の中学生の大きな太鼓の演奏で始まった。続く第一部に私の基調講演「子育てに大切な優しさ」が行われ、第二部はみちのくみどり学園長藤沢昇先生司会の「虐待防止は子守唄から」のパネルディスカッションが続いた。西和賀町に子ども虐待が多いわけではなく、むしろ、ないと言えるのではないかと思う。しかし、町の事業として、虐待で親元をはなれて施設にいる子ども達を、週末とか休暇の折に、町民それぞれの自宅に泊めてお世話をしているのである。そのような家庭的なものにふれた子ども達の喜びは、特に大きいという。

そして第三部では、地元の女性合唱団の合唱と、バンド演奏、そして日本子守唄協会の川口京子さんによるわが国各地方の子守唄などなど。続いていつもの「よいとまけの歌」も、長谷川美佐子さんのピアノ伴奏で歌われた。そしてフィナーレは、出演者全員がステージに上り、会場の皆さんと一緒に「ふるさと」を歌ったのである。

ホールは満席というわけにはいかなかったが、第一部、第二部の教育的な部分も、第三部の歌と音楽によるエンターテインメントの部分も、それなりの盛り上がりを見せ、社会教育的な意義は充分果たせたものと思う。

ホールの外では、残雪が春の陽光に輝いていた。西和賀町は、近くに旧石器時代の遺跡もあるそうで、われわれの遠い祖先が住み続けてきた長い人間の歴史と、その静かな営みを感じさせる町であった。夕方帰京の途、ほっとゆざわ駅のホームの脇で、残雪も消えた地面に低い西の太陽に映えるように開いている黄色い小さな花一輪を、ひとりの青年が写真に撮っているのに気付いた。何を撮っているのかと思っていたら、私の脇で一緒に来る列車を待っていた町のおばさんが、春を待つ明るい声で、「タンポポ」と教えてくれた。豪雪の町も、春本番は近いのである。

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