CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 名誉所長ブログ

facebook twitter feed このエントリーをはてなブックマークに追加

名誉所長ブログ

Koby's Note -Honorary Director's Blog
名誉所長ブログでは、CRNの創設者であり名誉所長である小林登の日々の活動の様子や、子どもをめぐる話題、所感などを発信しています。

過去の記事一覧

3.11の大地震とそれにつづく大きな津波、そして従来にない数の余震、さらには予期せぬ福島原発事故と、危機の連鎖した東日本大震災が起こって早くも1ヶ月になる。1945年の第二次世界大戦敗戦にならぶ、第2の国難 National Crisisが起こったと言えよう。メディアによると、幸い被害者の方々への支援も、何とか軌道に乗り始めたようである。

しかし、子ども問題に関心をもつ我々としては、当然のことながら、被災地の子ども達への支援を第一に考えなければならない。この場合、子どもの立場になって、子どものことを気にかけ心配して、子どもに優しい支援をしなければならない事は明らか。即ち、支援の在り方をチャイルドケアリング・デザインする必要があるのである。

CRNでは、3.11大震災にあたってまず、阪神・淡路大震災の時の記事、そして中国の四川大地震の時の記事などをまとめて、新たに開設した「東日本大震災の子ども学:子どもの心のケア」の中で再掲した。また、福島原子力発電所事故に関係して、稲葉俊哉先生に「放射線と子ども」というタイトルで、放射線のABCから始まって、健康への影響、特に子どもに関係する甲状腺がんについて書いて頂いた。稲葉君は、学生の時からの知り合いで、卒業後東大小児科に入り、子どもの病気を勉強している内に放射線医学の道に入り専門家になって、現在では広島大学の原爆放射線医科学研究所の教授になられた方である。

さらに、吉田穂波先生には「被災地レポート」というタイトルで、現地をご覧になって体験された事を中心に、妊婦さんの問題、子どもの心のケアの問題などを母親の立場から書いて頂いた。吉田先生は、名古屋大学、聖路加病院、ドイツ・アメリカ留学を経て、現在ハーバード大学のリサーチフェローをしていらっしゃる産婦人科医である。いずれも、役に立つ論文なので、ぜひお読み下さい。

この大震災にあたり色々と考えて、よりよい支援にするには情報を集める必要があると考え、所長ブログ(2011.4.5)と、4月の所長コラムでは、CRNをご覧になっている皆さんから、親として、保育士として、教師として体験したこと、考えたこと、思ったことを何でもよいから投稿してほしいというお願いもした。<東日本大震災の子ども学>として、それらの記録をまとめ上げ、今後の非常時のために、後世に残すべきと考えたからである。

しかし、今直ちに必要なのは、被害にあった子ども達への支援である。地震で傷つき、あるいは津波に溺れて命を失った子ども達も少なくないと思うと、悲しい思いで胸一杯になる。心から冥福を祈るのみである。幸い助かった子ども達の中にも、親や兄弟姉妹を失った子ども達、先生や友人を失った子ども達、家や学校を失った子ども達もあろう。自分の生まれた土地から離れて生活せざるを得ない子ども達、いろいろな施設で不自由な生活を強いられている子ども達などなど、考えてみれば子ども達のおかれた状況にはいろいろあって限りはない。今、まさに多様な対応が求められている中、子ども達への支援の在り方、特に心のケアを考えたチャイルドケアリング・デザインこそが、緊急の課題なのである。

3.11以来、CRNとして、これら以外に何が出来るかをいろいろと考えていたところ、東京おもちゃ美術館が、多田千尋館長を隊長として、おもちゃなどを用意して子ども達によろこびを与える「あそび支援隊」を、被災地の陸前高田と気仙沼に出すことになった。CRNは早速、突貫工事で、遊びに関するDVDを制作して現地に持っていって頂いた。タイトルは「遊びのレシピ集:震災地の子どもの心のケア」で、内容は身近にあるものを使って子ども達を遊ばせる方法の紹介である。紙コップで動物を作るとか、紙皿で皿回しをするとかなどである。あそび支援隊からの報告によると、被災者は、DVDそのものを感謝されると共に、その制作の早さに感動されたそうである。幸いなことに、テレビ報道によると、被災地の子ども達には、いろいろなところから立派なおもちゃが沢山送られているようである。映像の子ども達の笑い顔が印象的であった。

ここで、皆さん方にお願いしたいことは、育児・保育・教育に関係する問題の解決に必要な支援の在り方を考えるため、被災地にいらっしゃる方々は当然のことながら、それ以外にもいろいろなお立場で関心をお持ちの親御さん、保育士さん、そして先生・教育関係者の方々から、チャイルドケアリング・デザインするのに役立つアイデアをいろいろと頂きたいと思うのである。何とぞ宜しくお願い申し上げます。

このエントリーをはてなブックマークに追加
東日本大震災の被災者の皆さん、心からお見舞い申し上げます。亡くなられた方々の御冥福を祈り、ご遺族には心からお悔やみ申し上げます。いろいろと大変なことと思いますが、皆さん方と一緒になって再建して行きましょう。

4月の所長コラムで、私の経験やら考えた事を申し述べさせて頂きますが、皆さん方からも私達の最大関心事である子ども達について何でも、体験された事、考えられた事などをCRNのコメント欄で共有してください。また、記事の投稿も受け付けていますので、お寄せください。「震災の子ども学」として、皆さんと一緒にそれらをまとめようではありませんか。

また、保護者の方、学校の先生方、行政・支援にあたる方のために新コーナーを開設しました。こちらもご参考ください。
「東日本大震災の子ども学:子どもの心のケア」

このエントリーをはてなブックマークに追加
この1月20日(木)、東大の医学部に『健康と医学の博物館』がオープンした。神田お玉ヶ池種痘所から始まった東大医学部・医学部附属病院は、平成20年(2008年)に創立150周年を迎え、その記念事業のひとつとして、この博物館が出来たのだ。

残念ながら、私は未だ見ていないが、中は常設展示と企画展示とに分かれているそうだ。常設展示では、神田お玉ヶ池種痘所から始まり、ドイツ人教師による西洋医学教育を行う東大病院へ、そして東大医学部へと変わった150年の歴史の中で、多くの先輩達の努力によって積み上げられたモノを展示している。その代表としては、東大で行われた研究の成果である眼科の石原式色盲検査表や、病理学教室で作られた人工癌、外科が開発した胃カメラなどがあるという。

企画展は、一般の方々に医学・医療の問題をわかりやすく紹介するトピック形式で、年数回行う計画だそうだ。立ち上げの企画展は、当時重大な感染症だった天然痘を予防するために設立された神田お玉ヶ池種痘所にちなんで「感染症への挑戦」というテーマである。「感染症とは」、「感染症と東大医学部のかかわり」、「身近な感染症」、「医療における取り組み」、「新たな挑戦」の5テーマについて展示しているそうである。

私が東大医学部で過ごしたのは、学生として1950年から54年の4年間、そして1959年に東大医学部小児科の教官助手になってから国立小児病院に移るまでの25年間であった。学生時代は勿論のこと、アメリカ留学から帰った1959年でも、第二次世界大戦の影響で、医学部・東大病院はまだまだミゼラブルなものであった。つづいて、1960年代末の大学紛争と、なかなか病院はきれいにならなかった。

特に病院の現実はひどく、何しろ1960年代はじめは、入院している子ども達の食事を、ベッドのかたわらで母親が七輪の火で作っているような状態だったのである。しかし、この20年間で、病院も医学部も立派になった。特に病院は新しくクリーンになったばかりでなく、沢山の外来患者さんに対応する職員も親切で、コンピューター・システムのおかげか、待ち時間も少なく、スムーズに診療が行われている。職員たちは、患者さんに対する対応のやり方を研修などで学んでいるそうである。私も患者として何回か病院にかかったので、それは実感として体験している。

その東大医学部・医学部附属病院が、第二次世界大戦後の平和のつづく中で、わが国の発展とともに立派になり、医学・医療の社会教育のために、外からお招き出来るような博物館も出来たことは、大変喜ばしいことである。

御関心をお持ちの方は、ぜひ御来館下さい。赤門を入って真直ぐ行くと医学部本館に突き当たり、その右側のゆるやかな坂を下って、龍岡門から入って来るバス通りに当たる手前左側に医学部総合中央館があり、その1階が医学図書館で、地下1階(B1F)が博物館になる。医学図書館は東大医学部100周年記念事業で、150周年の記念事業の博物館が並んだことになる。私も近く参上したいと考えている。


「健康と医学の博物館」
http://mhm.m.u-tokyo.ac.jp/
このエントリーをはてなブックマークに追加

日本子守唄協会主催の児童虐待防止キャンペーン

日本子守唄協会は、理事長 西舘好子さんが作られたNPO団体であるが、子育てばかりでなく児童虐待防止も、活動の大きなテーマのひとつで、何回かキャンペーンをしている。それは、子守唄は、子どもを喜ばせたり、眠らせたりするばかりでなく、母親の心をなごませたり、子育て意欲を高めたりする力もあり、子ども虐待の防止力になると考えられるからである。

平成22年12月15日午後、江戸東京博物館ホールで、「やめようとめよう児童虐待-児童虐待防止を考察する」と題して、読売新聞東京本社との共催で、内閣府、厚生労働省、文部科学省、東京都・心の東京革命推進協議会、子どもの虹情報研修センターの後援をいただいて、NPO法人日本子守唄協会主催で開かれた。

基調講演は、私が「児童虐待防止と子育て支援」と題して、この春までセンター長をつとめていた子どもの虹情報研修センター(日本虐待・思春期問題情報研修センター)で学んだ事を中心に、ダナ・ラファエル女史の「ドゥーラ」という考え方を紹介し、子ども虐待防止には、優しい社会、人を思いやる社会を作る必要があることを述べた。基調講演の第2は、盛岡にある、みちのくみどり学園(養護施設)の園長であられる藤澤昇先生が、親と別れて学園に入ってきた、虐待された子ども達の心の問題について、自らの御体験を話された。子ども達のエピソードは、親達の問題にも関係しているが、正に心が痛むものであった。

つづいて、子どもの虹情報研修センターの研究部長で、児童相談所に長期にわたり勤められて虐待問題に対応し、それに関する多数の本も書かれておられる川崎二三彦氏を司会にして、日本子守唄協会理事長 西舘好子さん、読売新聞東京本社 記者の小坂佳子さん、そして基調講演の演者2人が加わってシンポジウムが開かれ、児童虐待の予防も含めて、会場の皆さんと一緒に話し合った。

内容の細かい点は別の機会にゆずるが、第三部の「命の讃歌ミニコンサート」が開かれ、木下綾香さん作詞・作曲の「冬に咲くひまわり」が彼女自身によってまず歌われた。つづいて声楽家の川口京子さんが、「この子の可愛さ」「しゃぼん玉」など、子守唄や童謡が6曲歌われ、最後に美輪明宏氏作詞・作曲の「ヨイトマケの唄」が熱唱され、会場の皆さんに感銘を与えた。つづいてフィナーレは、演者全員が壇上に上がり、会場の皆さんと一緒に「夕焼け小焼け」が合唱されて終了した。


chief_01_13_1.jpg

子守唄協会が行う行事は、いつもこのやり方である。協会は、過去に「日本の子守唄」「とやま子守唄フェスタ」「親子のきずな」「子ども虐待」などいろいろなテーマで、この様な会を開いているが、そのあとに必ず子守唄・童謡などが歌われ、フィナーレは皆さん御存知の歌の合唱で終わるのである。「歌は人の心を優しくする」ということを、この会ではいつも身をもって体験することが出来る。

現在のように、物質的に豊かな社会では、「優しさ」、「思いやり」、「うるおい」などがなくなり、人間関係は希薄、考え方は物質万能主義、人々の心は荒び、家庭・社会のあらゆる面で心の問題を起こしている。社会にガタが来ているのである。それを取り除くために、みんなが歌を唄う明るい町、子守唄や童謡のメロディーが流れる町にすることが、町を優しさで一杯にし、社会のガタを取り除き、虐待のない社会にする大きな力になると思うのである。

この運動に関心をお持ちの方は、ぜひ日本子守唄協会の活動を御支援いただきたい。
  (連絡先:NPO法人 日本子守唄協会 TEL 03-3861-9417
  URL:http://www.komoriuta.jp/ MAIL: info@komoriuta.jp)
このエントリーをはてなブックマークに追加

10年ぶりの北京訪問で思ったこと

先月11月22日から3泊4日で、東アジア子ども学交流プログラムのため北京に旅した。1970年初頭以来、北京訪問は10回以上になると思うが、この前の旅では、ホテルのテレビで9・11テロ事件の飛行機がニューヨークの高いビルに突っ込むあの映像を見た。ということは、2001年のことである。北京で開かれた国際小児科学会議に参加した年で、もう10年近くなる。

久しぶりに来た北京は、日本のGNPを抜いて、いろいろな面でアメリカに次ぐ世界第2位の大国の矜持を示し始めていた。まず、オリンピックのために建て替えられた北京国際空港ビルの屋根の優しい流線は、中国を感じさせる美しさであった。建物の中は近代化され、乗客の流れもスムーズであった。その上、対応する役人達の服装もきちんとしていて、好感が持てた。町を走るタクシーは、日本とあまり変わらなくなり、10年前ならタクシーの流れをぬって走っていた自転車の群もほとんど消えてしまっていた。中国は豊かになったばかりでなく、人々もそれなりに国際化の意義を理解し、大国の誇りを感じさせた。

東アジア子ども学交流プログラムの会場は、中華女子学院という中国に現在ある3つの女子大のひとつで、歴史と伝統ある大学のホールであった。毛沢東が政権をとって1949年10月1日に中華人民共和国を設立した時に、次の中国を担う女性の教育を目的として北京に設立された大学である。会場には1500人近くの人が集まり、幼稚園(保育園)と小中学校教育をどう結び付けるのが良いかを、日中の専門家と共に話し合ったのである。質疑応答も活発で、会場は沸いた。


chief_01_12_1.JPG

(中華女子学院の学生さん達に囲まれて)

中国側のいくつかの発表は、私達に考えさせる問題でもあった。というのは、北京のような大都市には、仕事を求めて人が集まってくるものであるが、家に住み仕事に就いていても、外から来た人は正式の住居登録は出来ないという。すなわち、従来から住んでいた北京在住の人々とは別に登録されるのである。したがって、そういう立場の人々の子ども達が受ける教育は、前から北京に住んでいた人々の子ども達が受ける正式の教育とは異なるのである。特に、学校に就学する前の教育は充分でなく、幼稚園・保育園も少なく、なかなか入れないという現実がある。

帰国のため、北京空港に向かう前に、北京師範大学の学生さんの案内で、就学前教育を専門とする教師と学生さん、そして親とが一緒になって運営している保育園を見学させて頂いた。30人程の4・5歳の子ども達が、学生さんのお世話で、寒い空気の中で元気よく遊んでいた。先生とのやりとりで見せる子ども達の笑顔や、小さなけんかで見せる泣き顔は共に印象的であった。その子どもの母親が働いている市場も見せてもらった。電気用品から野菜・果物、肉まで並べている大小の店が、優に100はあったであろう。そこは、人間の生きている姿と息づかいが一杯であった。その中では、保育園で笑顔をみせていた男の子の母親が、食糧品を売って働いていた。太った恰幅の良い白衣を着た明るい女性だった。

中国が、間もなくアジア、さらには世界の大国として、世界をリードする国の仲間に入ることは間違いない。その中国の未来を支える子ども達のことに、もう少し配慮して頂きたいものと思ったのは、私だけではないであろう。


chief_01_12_2.JPG

(訪問した保育園で遊ぶ元気な子ども達)


chief_01_12_3.jpg

(保育園に近いマーケット)



文中の保育園は中国語版で連載して取り上げています。
 5年間の経歴をずっとつづっていますので、そちらもご覧ください。
 http://www.crn.net.cn/research/sihuan/2005/(中国語)

このエントリーをはてなブックマークに追加

PAGE TOP