はじめに:ギフティッドとは
ギフティッドは,知的能力全般,特定の学問領域,創造的思考,リーダーシップ,ビジュアル・アーツやパフォーミング・アーツの領域の一つあるいは複数で,ずば抜けたレベルのパフォーマンスを見せる人,あるいはそのような力が潜在的にある人とされています。知的ギフティッドの場合,知的能力の上位3~5%という計算に基づくことが多いですが,この割合の基準,知的能力の測定方法は国や地域でさまざまです。また,ギフティッド児は,天才・神童とイコールではありません。ウェブら(2019)の序章には以下のようなくだりがあり,ギフティッド児への大きな誤解に対する警告がなされています。「たとえばメディアでは,ギフティッド児はちっちゃな変人として描かれることが多い。とてつもなく難しい数学の問題を解いたり,楽器を名演奏家のように演奏できたり,12歳で大学に入学するような天才だとか,一日中本を読んだり練習したり勉強したりしているような子ども像となる。」ギフティッド児をこのような像にしたてあげるべきではありません。
2019年7月24~28日,米国テネシー州ナッシュビルで開催された,ギフティッドに関する国際学会(第23回 World Council for Gifted and Talented Children)に参加しました。発表はギフティッド教育に関連するものが多く,刺激的で,日本での今後のギフティッド児をめぐる教育環境を考えるうえで非常に勉強になりました。参加者も研究者ばかりでなく,教師や学校の管理職の方々も多くいらっしゃいました。「毎年参加している」とおっしゃるオーストラリアからの元校長先生ともお会いしました。
本稿では,この学会で聞かせていただいた発表や参加者との話を取りあげた後,ギフティッド児の適応に必要な教育的配慮,長所や可能性を伸ばすことの意味について考えたいと思います。
学会発表のなかから
まず,基調講演のひとつですが,ニュージーランドのMelinda Webberにより,先住民マオリのための,彼らの文化に根差したギフティッド・スクール設立までの経緯が発表され,その功績が称えられていました。世界のギフティッド教育はここまで広がっているのだと,改めて痛感した発表でした。
続いて,早修のセッションの一つでは,ギフティッド研究の方法論(スウェーデンの研究者Caroline Simsによる発表でした)も含め,複数の発表者が,集団学力検査や教師推薦あるいは教師によるチェックリストを使ったギフティッド判定の限界,つまり,アンダーアチーバー(その人のもっている潜在的な才能を発揮できず,不適応状態に陥ってしまう人。学校では学業不振が中心的な問題となる)とされるギフティッドの判定漏れの問題に触れていました。教師推薦と教師によるチェックリストでの評価は異なるものですが,チェックリストを使用しても教師の主観が入るために判断に限界があるという共通の問題が指摘されていました。ギフティッド教育が進んでいる国では集団学力検査や教師推薦の方式でのギフティッド判定方法を取り入れていることが珍しくありません。この方法で見出されるギフティッド児もいるという意味で,この判定方式がまったく的外れだということではないのですが,たとえば小学校のごく初期に(早い子どもでは数日のうちに)公教育での勉強,学校の制度に疑問や不満を抱き,不適応状態となった「本来ギフティッドであるはずの子ども」が,集団学力検査や教師推薦だけではギフティッドと判定されず,必要な教育的配慮を受けられない(ギフティッド教育プログラムを受けられない)という問題が生じます。これは,世界各国で行われているギフティッドにかかわる研究と実践の双方にとって大きな問題とされています。
次に,ポスター発表も含め,様々なギフティッド教育プログラムの実践例に触れることができました。STEAM(Science, Technology, Engineering, Art, and Mathematics),PBL(Project Based Learning),個人の特性に応じたカリキュラムは,日本でももっと力を入れるべき,あるいは新たに取り入れることができそうだと思いました(まず,日本ではそもそも幼児教育含め,公的教育における教師一人当たりの子どもの人数が多すぎるという問題がありますが)。ギフティッド児を念頭に置いた高度な実践にするということも必要だと思いました。ギフティッド教育プログラムには,紙と鉛筆だけでの反復学習が性に合わず,実社会とつながった実際的な学びが大好きな子どもたちが多く集められていますので,実践例の写真などを見ると,日本でいえば,非常に充実した高度な総合的な学習の時間の実践と近いように感じました。
飛び級の意義なども複数の発表にありましたが,日本でどのくらい現実的なのか,あるいは,今後どのくらいの年月をかけるとそのようなシステムが日本で実現可能になるのか,今の私には想像がつきません。ただしギフティッド児には,早い段階,つまり,小学校からの何らかの教育的配慮が必要なことは確かなようです。これも基調講演のひとつですが,Camilla Benbowは,早期から飛び級をした人の方が,それより数年遅れて飛び級をした人よりも,大学院進学後の業績が高い状態を維持し続けることを統計的に示しました。
最後に,「ギフティッド その誤診と重複診断:心理・医療・教育の現場から」(ウェブら(著)角谷・榊原(監訳)2019,北大路書房)の原著者の一人でもあり,ギフティッド―アスペルガー症候群チェックリスト(角谷,2019;2020(予定))原本(Amendら,2008)の製作者の一人であるAmend氏にもお会いできたことは,個人的にとても意味のあることでした。日本でのギフティッド啓発のスタートにWebb氏の書籍が用いられるのは,日本にとってとても有益だと励ましてくださいました。
的確な判定方法と子どもを尊重した早期からの教育的配慮の必要性
以下は,私が学会に参加するなかで,日頃の問題意識を改めて考えたものです。
まず,ギフティッド判定を巡る問題について,この背景には,個別式の検査には多大な労力と時間と経費がかかるという実情があります(ウェブら, 2019)が,同時に,「教育を通して高い可能性を伸ばす」ことに対する各国の重点の置き様が反映されている部分もあるように思われます。個人の才能の開花が個人だけでなく社会にとっても益となることは実際にあります。また,社会の豊かさが個人の自己実現やウェル・ビーイングに影響を及ぼすことも確かです。ただし,ギフティッド児に適した,ある意味標準よりは高度な教育的配慮や,彼らの可能性を伸ばすことをめぐる私の基本的なスタンスは,そのような教育的配慮がその子自身の社会性や情緒面での適応的発達に必要不可欠であり,また,その子の才能を伸ばすことが,その子の生きる意欲,適応,ウェル・ビーイングに必要だというものです。ですから,たとえ高度な教育を施したとしても,ギフティッド児の生得的な特性(e.g., ギフティッド児の誤診を防ぐ:その理解と,適した環境の必要性(1),(2),(3))を教師が理解していない場合,その教育の意義は非常に小さくなってしまうだろうと考えます。また,国策の一部として,秀でた子どもの才能を伸ばすことが各学校の使命とされている国や地域もありますが,国益を念頭においてその子の才能を伸ばすということが,その子の守られるべき尊厳,適応,ウェル・ビーイング以上に過度に重視されてしまうような教育がなされると,それは,社会的には「エリート教育」という誤解や批判を生み出すもととなり,個人や家族においては「過剰期待」や「
日本には,学校での不適応が顕著にみられる場合,多くは親の同意さえあれば,自治体において個別式の知能検査を受けることができます(ただし,現在でも非常にニーズが高い状態にあり,そのプロセスは決してスムーズとは言えないという問題があります)。このシステムは,日本の制度を活かした,現在の学校には合わないギフティッド児の救済方法の土台のひとつとなるのではないかと思います。現在は,その先に特別支援教育しか存在しないということが日本の問題であるという点については,榊原洋一先生が強く訴えられている点(所長ブログ:何か変だよ,日本の発達障害の臨床)でもあります。まず,そのような状態にあるギフティッド児の居場所をつくり,彼らの「適応や精神的健康に必要不可欠な」高度な教育が与えられる必要があるだろうと思います。
知能検査では芸術面やスポーツ,リーダーシップのポテンシャルを見いだせないという限界もありますが,学力検査にも同様の限界があることは確かです。この問題については,Pfeiffer & Jarosewich(2003)のチェックリストを用いるのも一つの方法かもしれません。
以上のような基本的スタンスではありますが,Camilla Benbowの基調講演にあったような,早期の飛び級の影響が,成人期以降の研究職での功績の差として明らかにみられるという研究結果は衝撃的でした。私のようなスタンスから見れば,ギフティッド児の適応を第一に考えたうえでの教育的配慮を施した結果,ある意味副産物として生じた「研究力」が,歴然とした国力の差となっている現実を見せつけられたように思えたからです。日本の研究力を高等教育以降の問題の枠組でしかとらえていないのであれば,おそらく,いつまでたっても日本の研究力は国際的に下位に留まるだろう,早期からのギフティッド教育が浸透している国々には太刀打ちできないだろうと思いました。ギフティッド児向けの義務教育策を練らないということは,好奇心旺盛で,本来学習や探究が大好きで,それに携わることで生きる活力を得られる子どもたちを,その魅力から遠ざけ,さらには活力までをも奪っていることになるからです。そして,これは研究領域に限ったことではないと想像できます。米国のギフティッド教育の起点ともいえるマーランド・レポート(1972)では,ギフティッド児の「自己実現と社会貢献のため」に,通常学校で標準的に提供される教育とは異なる教育を施すことが必要だと,明言されています。
ギフティッド児の学業面(知的側面),社会面,情緒面でのニーズ,そして,それらを相互に切り離すことができないがゆえに彼らに特化した教育的配慮が必要であることが,日本でも広く受け入れられ,それが実現できる社会になってほしいと思います。
文献
- Amend, E. R., Beaver-Gavin, K., Schuler, P., & Beights, R.(2008). Giftedness/Asperger's Disorder Checklist(GADC)© Pre-Referral Checklist.(Available from Amend Psychological Services, PSC, 3131 Custer Drive, Suite 5, Lexington, KY40517)
- Pfeiffer, S., & Jarosewich, T.(2003). Gifted Rating Scales(GRS)™ . Pearson.
- 角谷詩織.(2019). 学校・家庭でのギフティッド児の誤診予防と適切な理解・支援 ―日本語版ギフティッド―アスペルガー症候群,ギフティッド―ADD/ADHDチェックリスト―. 日本発達心理学会第30回大会.
- 角谷詩織.(2020予定). 学校・家庭でのギフティッド児の誤診予防と適切な理解・支援 のために―日本語版ギフティッド―アスペルガー症候群,ギフティッド―ADD/ADHDチェックリスト―. 上越教育大学研究紀要39巻2号.
- ウェブ, J.T・アメンド, E.R.・ベルジャン, P.・ウェブ, N.E.・クズジャナキス, M. ・オレンチャック, F.R.・ゴース, J.(著)角谷詩織・榊原洋一(監訳)(2019). ギフティッド その誤診と重複診断 心理・医療・教育の現場から. 北大路書房(Webb, J. T., Amend, E. R., Beljan, P., Webb, N. E., Kuzujanakis, M., Olenchak, F. R., & Goerss, J.(2016). Misdiagnosis and Dual Diagnoses of Gifted Children and Adults: ADHD, Bipolar, OCD, Asperger's, Depression, and Other Disorders(2nd Edition). Great Potential Press.
- Marland, S.(1972). Education of the gifted and talented. U.S. Commission of Education, 92nd Congress, 2nd Session. Washington, DC: USCPO.