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ギフティッド児の誤診を防ぐ:その理解と,適した環境の必要性 (2)

要旨:

本稿では,現在翻訳中の書,Webb, J. T., Amend, E. R., Beljan, P., Webb, N. E., Kuzujanakis, M., Olenchak, F. R., & Goerss, J.(2016). Misdiagnosis and Dual Diagnoses of Gifted Children and Adults: ADHD, Bipolar, OCD, Asperger's, Depression, and Other Disorders (2nd Edition). Great Potential Press.に基づき,ギフティッドの誤診予防のために理解が必要なギフティッド児の特性に触れ,また,彼らに合った教育環境の必要性を論じます。ADHDやアスペルガー症候群を例としてとりあげ,ギフティッドネスとそれらの障害との違いを見極めるための視点を11月22,30日,12月7日の3回に分けて紹介します。
第一回目は,ギフティッドや発達障害等をめぐる日本の現状に触れ,翻訳書の紹介,ギフティッドという語について触れたいと思います。
第二回目では,ギフティッドの特性,五つの過興奮性(overexcitabilities)と誤診とのかかわりに触れます。
第三回目は,ギフティッドとADHDやアスペルガー症候群との違いを具体的にとりあげ,専門機関相談前に,教師や親が利用できる,ギフティッドの可能性を視野に入れたチェックリストもご紹介いたします。そして,誤診予防とともに,ギフティッド児のニーズを満たす教育環境や周囲の理解の必要性を論じます。

Keywords: ギフティッド,誤診,ADHD,アスペルガー症候群,発達障害,フレキシブルな教育環境

ジャマールは就園前からずっと並外れて頭がよく,鉄の意志をもった子どもであった。9歳で妹が生まれると,さらに強情さを増していった。おもちゃを片づけるようにとか,簡単なお手伝いをするように言うと,聞こえないふりをしたり,いい加減にゆっくりとやったりした。断固拒否することもあり,次第に反抗的になっていった。

かかりつけの心理士は,ジャマールがすべきことをしたらカレンダーにシールを貼る,トークン・エコノミー法(適切な行動にシールや他の賞品を与えることで報酬とすること)を取り入れるよう,両親に提案した。それができなかった時には,ジャマールの部屋から1つずつ物を取りあげることになった。数週間経ってもジャマールはシールを2つしかもらえなかった(しかも,それをすぐになくしていた)。そればかりか,彼の部屋からすべてのおもちゃ,本,ビデオゲームを撤去していたことに両親は気づき,愕然とした。しかし,彼の態度は相変わらずだった。

心理士は,ジャマールが反抗挑発症であると判断し,両親がめげずにやりぬけば,この方法の効果が出るはずだと断言した。そして,両親にトークン・エコノミー法を続けるよう励まし,ジャマールの部屋から,椅子やサイドテーブル,ベッドフレーム,枕さえも取り上げ,床にマットレスだけが残るまで続けるよう勧めた。その心理士は,ジャマールが自分の持ち物を取り返すためにシールを獲得するようになると思い込んでいた。

両親が新しいルールをジャマールに伝えたとき,ジャマールは反抗的に両親に言い返した。「ファシストのような養育スタイルに操られたり強制的に従わされる」つもりはないという信念に基づいて行動すると。

ジャマールの両親は,より効果的,かつ,ジャマールとの関係を悪化させる可能性の低い養育方法や対策を支援してくれる,別の心理士を探した。家族全員で協力していくうちに,ジャマールも協力的になり,すべきことをするようになるという望ましい結果が得られた。
(Webbら, 2016, pp. 96-97.)

3. ギフティッドの特性

ギフティッド児の支援を要する点への誤解,また,誤診の背景には,ギフティッド児についての理解不足があります。誤診を防ぐ意味でも,ギフティッド児の正確な理解が求められます。

ギフティッドの定義や米国での判定基準例は,ポーター倫子先生による2011年の記事,「アメリカのギフテッド教育事情」https://www.blog.crn.or.jp/report/02/130.html 等を参照いただければ幸いです。

ここでは,ギフティッド児の重大な特性の一つであり,判定基準の一つでもある,IQの高さに注目します。IQだけでギフティッドの判定をおこなうことは適切ではないとされていますが,それでも,IQは,ギフティッドの理解に不可欠な情報を提供しています。これには,いくつかの理由があります。

(ア) 標準的な環境,特に,教育環境に合わない
まず,IQが標準よりも非常に高い(たとえば,IQが130以上など)と,それは,標準(IQが100)から非常に外れたところに位置した少数派で,標準に的が絞られた環境,特に,教育環境への適応が難しいという点では,IQが非常に低い(たとえば,IQが70以下など)子どもと同じ境遇にあることを意味します。学校という教育環境は,子どもが一日の多くの時間を過ごす場という意味でも,子どもの人生の大半を占める場です。今日の日本では,インクルーシブ教育ということばが叫ばれています。そのなかで,障害の理解は進みつつある一方,そもそもギフティッドを知らない教育関係者が,それをも考慮したインクルーシブ教育を実現するなど,不可能です。本稿第一回の記事で述べたように,大半の点,特に学業面のほとんどで困難を示す子どもを支援することの必要性を否定する人は少ないでしょう。しかし,「もう知ってる。」「簡単すぎてつまらない。」「それ,ちがう。」と,生意気な口調で言い,大人顔負けの議論をふっかけて,確かに物知りなのだけれど興味のないことは断固としてやらないような生徒が,支援を必要としているなど,気づく大人は少ないのです。

なかには,ギフティッドを知らないけれども,あらゆる子どものありのままの姿を受け入れ,彼らの行動の理由を一つ一つ考え,日々の実践を工夫している先生もいます。ただ,これは相当な度量,スキル,能力を要し,これができる教師は,ほんのわずかでしょう。

このような状況から,ギフティッド児は,自分に合わない教育環境に,6歳から晒され続けることになります。IQの高さが,自分に合わない環境に有無を言わさず晒され続けるという困難を生み出しているのです。大人であれば,そのような環境から逃げる手段がまだ残されていますが,小・中学生がその場から逃げる自由は,ほとんどありません。そんなことをしたら,まさに,「教室からフラッと出ていく。座っていられない。授業に参加できない。」として,ADHDと診断されかねません。

(イ) 過興奮性(Overexcitability:OE)
第二に,IQの高さと関連する,激しさ,繊細さの問題があります。IQが高いのは,知的な情報処理能力が高いというだけでなく,様々な感覚的情報も大量に取り込み,そして,そこに強く反応するということにもつながるのです。インプットもアウトプットも激しいのです。これが,ドンブロフスキの過興奮性(Overexcitability:OE)です(Dąbrowski, 1964)。合わない環境にさらされた正常な人間は,否定的な反応を示します。これは,ギフティッド児でも同じです。ただ,IQの高さに伴う過興奮性をもちあわせるため,合わない教育環境での様々な刺激を,繊細に,そして激しく感じ,そして,それらに対して激しく反応するのです。傍からすれば些細な,気に留める必要のない刺激を,強く,深く感じ取ります。それは,標準的な人にとって,ひどく苦痛な刺激を感じ取っているのと同じ状況となります。そして,その苦痛な状況に,正常な否定的反応を示します。しかも,その反応がとても激しいのです。

合わない環境,特に,合わない教育環境にさらされた繊細なギフティッド児は,苦痛をより多く感じ,持ち合わせる激しさに見合った反応を示すことになります。このような否定的な反応は,問題行動とみなされることが多いです。この問題行動の頻度の多さ,また,その激しさにより,障害と誤解され,誤診されるのです。

4. 5つの過興奮性

Overexcitabilityは,ネット上で検索すると,「過度激動」と訳されていることが多いもので,ここで言う「過興奮性」と同じものを指しています。日本で,我が子がギフティッド(ギフティッドかもしれない)という親であれば,たいていは,馴染みのある,ギフティッドを語る上で基本となることばです。ただ,私たちは翻訳に当たり,「過興奮性」としました。「過度激動」は,初めて目にした人にとって,それが何であるのかイメージしにくいこと,overexcitabilityとうまく対応できない語の組み合わせであること,また,精神医学の領域でeasy excitabilityという語が「易刺激性」や「易興奮性」として用いられていることを考え,「過興奮性」としました。

それでは,具体的に,どのような過興奮性が,どのような誤解と誤診を招くのでしょうか。

過興奮性には五つの領域があります。それは,知,想像,感情,精神運動,感覚です。このうち,知的な卓越ともとらえることのできる過興奮性は,知的過興奮性,想像の過興奮性,感情の過興奮性の三つですが,精神運動と感覚の過興奮性も持ち合わせるギフティッド児は多いです。以下,ギフティッド(かもしれない)子どもを抱える親にとっては,あまり目新しさも感じられないものではありますが,さまざまな誤診の根幹の一つでもありますので,Webb ら(2016)に沿いつつ,それぞれの具体的な姿をとらえ,それらが誤診とどのように結びつくかを概観しようと思います。

(ア) 知的過興奮性
これは,「知りたくて,調べたくて,考えたくて,たまらない」姿がわかりやすいでしょうか。好奇心が猛烈に旺盛,とどまるところを知らない質問攻め,集中力,問題解決力,内省力,論理的思考力の高さとして現れます。読書が非常に好きだとか,小学校入学前に,教えてもいないのに読み書きや足し算ができてしまうなどが具体的な姿ですが,これこそ,ギフティッド児のための教育支援を,「エリート教育」と誤解するゆえんかもしれません。

これらの力が高いことは,一見,学業に非常に有利に見えますし,先生にとっても,授業展開の助けになりそうです。日本で21世紀型学力などと言われているような力に,まさに,ドンピシャの力が備わっているように見えます。しかし実際は,そのような彼らの特性,21世紀型学力として求められている力を,日本の教育環境は受け入れる器を持ち合わせていないわけです。それは,教育環境が依然として実証主義的な考えにとらわれた状態から離れられないということも原因にはあるとは思いますが,他方,ギフティッド児に備わるそのような特性や力が,標準的な多数派からみれば「度が過ぎている」ことも,一つの原因と考えられるでしょう。これが,過興奮性の難しさです。好奇心の度が過ぎているため,質問もとどまるところを知らず,応じる大人はうんざりします。また,本当に真理を追究する意欲に満ち満ちているため,授業中に,思わず間違いを指摘したり,もっと良い考え方を口走ったりという様子が見られます。そして,これが,多数派からすれば「度が過ぎている」わけです。これだけでも,「人の話を聞いていられない」などの評価がつきやすくなるわけですが,これに,特に後述の精神運動の過興奮性が伴う場合,「多動」とみなされる事態が生じてきます。

また,自らどんどん学ぶ意欲にあふれ,問題解決能力や論理的思考力も高いため,標準的な学習内容は,既に知り尽くしているということになります。ギフティッド児は,授業中の4分の1~半分,ハイリー・ギフティッド児(IQが145~159)の場合は,4分の3の時間を,「ただ待つ」だけで過ごしているという実態調査もあります(e.g., Gallagher & Harradine, 1997)。

たとえば,大人が何らかの講習会や講演会に参加し,そこで得られる情報が,ほとんど知っていることばかりだったとしたら,席を立ち他の講習を受けるなり,家に帰るなり,あるいはその場で内職をするなり,居眠りをするなりするのではないでしょうか。また,講習や講師に対して反発心や不快感も抱くことでしょう。しかし,学校にいる生徒は,そのようなことが許されません。しかも,そのような不毛な講習に相当する授業を,来る日も来る日も受け続けなくてはならないのです。そのような状況に身を置く子どもが,学校に対して,先生に対して,どのような心情を抱くかは想像に難くありません。そして,様々な正常反応としての行動を否定され続けた挙句,彼らのとる苦肉の策の一つとして,自分の世界に入り込むということをします。空想にふけるのです。

(イ) 想像の過興奮性
イマジネーション溢れる姿とでも言いましょうか。また,創造的思考,拡散的思考にも優れています。ただ,その「度が過ぎている」わけです。たとえば,前述の退屈な授業の際に,ものすごく鮮明な空想の世界に完全に入り込み,「心ここにあらず」の状態になったりします。授業よりも自分で考える世界の方が,よっぽど知的刺激に溢れているため,そこに逃げ込むのも当然のことです。しかし,これが,傍から見ると,「不注意」に見えるわけです。そして,その「度が過ぎている」様子に,障害が疑われることになります。

(ウ) 感情の過興奮性
これは,「激しい性格」として受け取られるものでもあります。喜怒哀楽,すべてが「激しい」のです。初めてディズニー・ランドに行ったことに感激し,そこで食べた飴の包み紙をいつまでも持っているなど,愛着も激しいです。「たかがゲーム」でも,負ければ,酷く落ち込んだりします。人の痛みをわがことのように感じ,号泣します。学校では,たとえば,普段とは異なる校外学習などの日は,出発まで楽しみでウキウキして居ても立ってもいられない興奮状態になったりもします。正義感や理想主義が強い傾向ももちあわせるため,学校での先生の采配に少しでも納得がいかないと,激怒し不登校になったという事例もあります。ホームレスを見て,いたたまれず,家の空いている部屋に住まわせてあげようとしたりもします。それらが,尋常でなく強烈な思いと信念をもってなされるわけです。

そして,この感情の激しさゆえに,「双極性障害」が疑われることもあります。

(エ) 精神運動の過興奮性
非常にエネルギッシュだということになります。動くことが大好きで,エネルギーが有り余っているふうに見えます。早口,身体の動きの激しさ,運動欲求の激しさ,激しく自分を鼓舞する姿として現れます。緊張すると,衝動的な言動や,神経症的な癖が出ます。身体を動かしながらものごとを考えたり集中している人もいます。じっとしていることを強要される場を苦手とします。周囲は,「いいから,とにかくじっとしてて!」と言いたくなるほどです。前述のとおり,ADHDと誤解されやすい特性となります。

(オ) 感覚の過興奮性
シャツのタグをすべて切り落としてもらわないと着ることができない,教室の蛍光灯のちらつきが耐えられない,靴下の縫い目が痛くて履くことができない,香水の匂いに圧倒されてしまう,ザワザワした場では疲れ切ってしまうなどです。Webbら(2016)には,アレルギー,体内の免疫反応にかかわる感受性との関連も記されています。否定的な感覚だけではありません。美味しさ,音楽や芸術の美しさも,人一倍強く感じ,喜びを味わうことができます。ただ,この喜びも,そして,前述の否定的な感覚も,激しさの度が過ぎるばかりに周囲とは共有できないという難しさがあります。これは,孤独感につながります。

日本では,感覚過敏という語は比較的よく耳にします。英語では,hypersensitivityです。そして,日本では,感覚過敏があると,何らかの発達障害と結びつけられる傾向すらあります。この感覚過敏に相当するものが,感覚の過興奮性ととらえられることからも,いかに,ギフティッド児が誤診されやすいかがわかります。

この過興奮性以外に,本人の中での能力レベルに大きな差がみられるという,非同期発達もまた,誤診と関連するギフティッド児たちの特性とされていますが,詳細は,Webbら(2016)を参照いただければと思います。ギフティッド児の多くは,知的に早熟であるのに対し,情緒面では,実年齢相当あるいはそれよりも低い傾向にあるため,知的レベルに見合った判断力を期待してしまう周囲からの理解を得にくい状況にあります。

5. 問題への対処

これらの過興奮性から生じるさまざまな支障は,本人の生きづらさを生み,また,周囲も困る状況に陥る場合に,何らかの対処が必要であることは確かです。しかし,その対処の仕方が,実際は障害が原因ではないにもかかわらず,障害という枠組みで行われることが度々生じています。それが,誤診の問題です。表面的に現れる行動は障害と似ていても,その原因がまったく異なる場合,対処の仕方も,その子,その原因,ニーズに沿ったものとしなければ,薬物療法をはじめとする,効果のない,ときには有害ですらある対処がなされ続けてしまうわけです。誤診を可能な限り防ぐことが求められます。そして,ギフティッド児の問題の多くが,教育環境の調整により,最も効果的に,そして,劇的に改善されるのです。それは,本稿第三回の記事にも述べますが,ギフティッド児の問題のほとんどが,「合わない環境」においてのみ見られ,そうでない環境では,問題が皆無,あるいは,ほとんど見られないということからもわかります。これは,障害のある子どもが,ほぼどのような文脈においても問題を示すことと,大きく異なる点です。

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引用文献

  • Dąbrowski, K. (1964). Positive disintegration. Boston: Little, Brown, & Company.
  • Webb, J. T., Amend, E. R., Beljan, P., Webb, N. E., Kuzujanakis, M., Olenchak, F. R., & Goerss, J. (2016). Misdiagnosis and Dual Diagnoses of Gifted Children and Adults: ADHD, Bipolar, OCD, Asperger's, Depression, and Other Disorders (2nd Edition). Great Potential Press
  • Gallagher, J., & Harradine, C. C. (1997). Gifted students in the classroom. Roeper Review, 19, 132-136.
筆者プロフィール
Shiori_Sumiya.jpg 角谷 詩織(すみやしおり)

上越教育大学大学院学校教育研究科 准教授
2002年 お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了 博士(人文科学)
専門:発達心理学・教育心理学
受賞歴
2005年 公益信託 平成16年度後期 小貫英教育賞 心理学部門 受賞 「中学生にとっての部活動・総合的な学習の時間の意義―発達段階-環境適合理論の観点から―」
2007年博報財団 第2回児童教育実践についての研究助成 優秀賞 受賞 「論理的説明力育成を通した学習理解・人間理解の促進」
委員等
2009年 文部科学省初等中等教育局児童生徒課 生徒指導提要の作成に関する協力者
2017年- 国立教育政策研究所 「幼児期からの育ち・学びと プロセスの質に関する研究」委員 等
著書
理科大好き!の子どもを育てる―心理学・脳科学者からの提言 北大路書房(分担執筆) 等
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