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【インドの育児と教育レポート~チェンナイ編】 第9回 インドの総選挙のしくみと子どもたちの選挙への関わり

はじめに

今年のチェンナイ市内の5月の気温は例年に比べて更に高く、政府から熱中症に対するアラートが発令され、いくつかのインターナショナル・スクールでは、外気が高温になる午後を避けて、午前中で授業が打ち切られる措置が取られたり、急きょ、夏休みを前倒しして学校閉鎖をしたりするほどです。筆者の娘が通うアメリカン・インターナショナル・スクールでは、エアコンや大型のファンなどをフル稼働させ、授業中にも水分補給をするなどの熱中症対策を施して通常授業が行われていますが、チェンナイ市内の公立校(ガバメントスクール)やほとんどの私立校は、この猛暑を避けて、この時期は例年、夏休みとなっています。そして4月及び5月の夏休みが明けると新年度が始まり、新入生を迎えて再び賑やかな学校に戻ります。

筆者の住む海沿いの街に南北に走る幹線道路には、いくつかの遊園地や水族館などがあり、夏休みの期間には子どもたちを連れた多くの家族や観光客でにぎわうため、渋滞もしばしば起こります。特に今年は、4月の半ばにチェンナイでインドの総選挙の投票が行われました。投票日2日前の夜8時までは選挙活動が可能であるため、キャンペーンの最終日には、多くの候補者の陣営が幹線道路で最後の演説をしたり、パレードをしたりと、その様子はまるでお祭りのようでした。最終日のその日も道路は大渋滞で、道をふさいでパレードをしているのは、政党の旗を掲げる男性や風船を手にした女性たちです。今回は、にぎやかなインドの総選挙の仕組みと子どもたちの政治や選挙への関わりについてレポートします。

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選挙パレード

1.インドの総選挙

1950年にインド議会が設立されて以来、議会は上院のラージャ・サバーと下院のローク・サバーの二院から成り立っています。今回の総選挙では下院のローク・サバーの543名の議員が小選挙区制により選出されます。上院にはインドの有識者や各地域の有識者や財閥出身者などが名前を連ねており、選挙によって選出されるのではなく、各州の首長の指名によって議員に選出されます。インドには2,500以上もの政党がありますが、そのうちの10大政党が全体の86%を占めているそうです。主な二大政党は与党の「BJP」と野党の「コングレス」です。インドの28の州と8つの連邦直轄地において同時期に行われている総選挙は、インド人の有権者にとって政治参加の意思を表明できる重要なイベントとなっています。選挙期間中は、テレビのニュース番組だけでなく、ドラマやコメディー番組の放送中にも、選挙に関するニュースや各政党からのメッセージが画面下部にテロップで流れてきます。ドラマのクライマックスの別離のシーンでも、無関係に「選挙の投票に行きましょう」と表示されたり、政党のCMが流れたりします。日本では、選挙の投票締め切り直後に開票速報がテレビ番組で放映されますが、インドでは選挙期間中の方がテレビは賑やかで白熱している様子がうかがえます。
※ローク・サバーの公式ホームページ https://elections24.eci.gov.in/

2.選挙権と被選挙権

インドでは18歳以上の全てのインド国民に選挙権が与えられています。下院の被選挙権は25歳から、ローク・サバーに立候補するのはほとんどが男性で、女性の国政への参加(被選挙権)は全体の三分の一以下と法律で定められています。上院の被選挙権は35歳からですが、実際に選出されるのは若い人よりも高齢の人が多いようです。政治や経済や法律の知識があり、社会人としての経験や過去の役職なども考慮して選出されているそうなので、なかなか若い人が活躍する場は多くはありません。ただし、ITや芸術に関する著名人は若手議員として期待され、活躍しています。

3.選挙期間と選挙の方法

2024年の総選挙は4月19日から6月1日までで、7つの期間に分けて州ごとに選挙戦や投票が繰り広げられました。タミル・ナドゥ州のチェンナイ市は4月19日に投票が行われました。開票結果は6月4日に発表されました。現在のモディ政権の樹立から10年の節目となる今年は、政権交代を唱える野党の勢力も増しているため、日本も含め世界各国から注目を集めていました。結果は、前政権のモディ氏の圧勝でした。一部の州においては、反モディ政権の野党が与党を上回りましたが、インド全土においては、与党の力は衰えることなく、ヒンドゥー教中心のインド国家が継続することになります。

4.投票手順と投票の証

インドの選挙で一番驚くのが投開票の仕組みです。10億人近い有権者のプライバシーを保護しながら、投票用紙を投票箱に投函してもらう作業というのは、想像するだけでも気が遠くなります。炎天下、投票所の建物の外にまで伸びる長蛇の列には、富裕層も貧困層も区別がなく、その地区に住民登録をしている人々は全員平等に列に並びます。ただし、85歳以上の高齢者や障害者への特別な配慮があり、車いすのまま投票できるような設備や、各家庭へ選挙管理委員会のスタッフが出向いて投票してもらう仕組みなども整っています。

まず、投票所の受付にたどり着くと、有権者は顔写真付きの身分証明書を提示します。選挙管理委員会のスタッフが、自治体から発行されている顔写真付きの有権者リストから有権者の氏名を探し出し、両方の顔写真と本人を見比べて間違いがないと判断されると、有権者の人差し指に一本の線を書き入れます。これは「墨入れ」と呼ばれ、一人が何度も不正に投票することを防ぐために、投票の証として行われています。投票は電子投票で端末の画面の中から、投票したい候補者のボタンを押すと投票用紙が発行されます。それを折りたたんで外からは見えないようにして、会場内の投票箱に投函します。電子投票機の画面には、識字できない人のために政党ごとにイメージカラーやイラストも表示されており、例えば「赤色の花のマークを押すんだよ」などと家族や近所の人に事前に教えてもらって投票をする人もいます。また、誰にも投票はしたくないけれども政治への参加意思は表明したいという人のために、白紙投票が認められています。電子投票機の画面には「誰にも投票しない」という選択肢が表示されています。

開票は州ごとに電子投票の結果が集計されます。全ての州の集計が終わると、中央政府の選挙管理委員会によって、その総計が公表される仕組みとなっています。また、投票用紙は手作業で開いて不正がないか確認されますが、得票数は電子投票の数によって決まるため、現在は投票用紙での集計は行っていないとのことです。インドの選挙はスタッフの人数も多く、不正行為が無いように監視する役人も配置されて、時間をかけて行われます。そのため、インド全土を7つの地域に分けて時期をずらしながら投開票が行われているのだそうです。

5.子どもたちの大合唱

選挙キャンペーンの行われている市内の幹線道路の片隅では、小学校低学年くらいの子どもたちが風船を片手に、ドラムの演奏に合わせて踊っています。政党カラーの風船で作られた大きなアーチが道路のあちらこちらに設置され、大音量で流される音楽に合わせて子どもたちが大声で政党名をリズミカルに叫んでいました。日本では見ることがない光景ですが、以前筆者が住んでいたインドのムンバイでも同様に、子どもたちの大合唱を聞いたことがありました。それは娘が小学校2年生の時でしたが、インド人のお宅で遊んでいたときに「選挙ごっこをしよう」ということになり、みんなで旗を作ったり、その旗を振りながら、政党名を叫びながらパレードしたりと、大人の姿を模倣して遊ぶ時期がありました。また、学校内でも選挙期間中に誰からともなく掛け声が始まると、子どもたちが一緒に声を揃えてジャンプしながら政党名を言って盛り上がっていました。それだけ選挙活動が子どもたちの身近にあるということなのかもしれませんが、学校教育の場で親の支持する政党名を子どもたちが集まって連呼して遊ぶということに違和感を覚えたのを思い出しました。特に学校の先生もそれを止めることもなく、教育の現場が政治や宗教と切り離されている日本とは全く異なる環境で、娘は選挙の意味もほぼ分からずに、友だちの輪の中で楽しく大合唱に加わっていたのでしょう。

6.若者の初めての投票日に密着

今回、チェンナイ市内において、選挙権を得て初めて投票する18歳の若者たちに取材を申し込み、総選挙の投票日に密着しました。取材に応じてくれた若者は、高校を中退してスーパーで商品の搬入を行っている男子、中学卒業後に漁師の家業手伝いをしている男子、4月に高校を卒業したばかりで美容師の専門学校に進学が決まっている女子、政府のITのスキルトレーニングを受講している女子の4名です。この4人の中では、どちらかと言えば女子の家庭のほうが貧困度は低いように見受けられましたが、彼らはみな貧困層の通う公立校の出身者です。

彼らが初めての選挙に出掛ける日は、家族からお祝いの祈りを捧げられたそうです。投票所で必要な顔写真付きの身分証明書を忘れないように何度も確認して、「少し緊張する」とはにかんでいましたが、大人になって選挙に行くことが幼いころからの憧れで、「自分の一票が苦しい生活を変えることができると思うと嬉しい」と言っていました。選挙キャンペーンでは、貧しい地域の子どもたちにお菓子やおもちゃや文房具を配ったりする政党も多く、本来は選挙法で違法と定められている「賄賂」なども横行しているため、そうした金品の授受によって政党を選ぶ人々も少なくありません。どのような基準で投票する人を選んでいるのかと聞くと、全員が「親が支持している人」と答えました。タミル語の通訳として同行してもらった40代半ばの運転手さんによると、若者の選挙への意識・関心は年々低下しており、どの政権が与党になったとしても下層階級の人々の暮らしは変わらないと感じているようです。それよりもスマートフォンを片手にインターネットの世界に浸っている方が楽しいと感じる若者が増えているため、近年は若者に向けた政治家からのインターネットを通したメッセージが特に増えているのだそうです。子どもの数が多いインドでは、将来的に次世代の若者からの得票が期待できるため、子どもたちを巻き込む形で賑やかな選挙戦を繰り広げ、政治への関心を促す目的もあるとのことです。また、識字率の低い貧困の高齢者などが分かりやすいように、政党のポスターの色を覚えてもらう工夫などをしているそうです。

さて、投票所の中には筆者が入ることはできないため、近くの駐車場で待機して彼らを待つこと1時間半。満面の笑みで戻ってきた彼らの第一声は、「暑かった」でした。投票所では身分証の確認だけでなく、本人確認を名簿と照合するのに時間がかかるそうで、暑い外気温と太陽の照り付ける路上で長い列に並ぶだけでも相当な体力を消耗すると想像できます。手作業で名簿のチェックをするため、長蛇の列となり、投票箱までたどり着くのに約1時間から2時間かかるそうです。初めての投票を終えた若者には、近所のおじさんやおばさんが声をかけて、髪の毛がくしゃくしゃになるほど勢いよく頭をなでていました。「大人の仲間入り、おめでとう」とでも言われているように見えました。

インドの煩雑な投票のしくみや手順をどのようにして学ぶのかと質問すると、若者向けにウェブサイトやSNSなどで、その方法を詳しく説明する動画があるそうで、それを事前に見てきたとのことでした。学校で子どもの頃から選挙に関わる遊びなどが行われていても、選挙の投票の方法などについては、学校では一切教わらないそうです。以前は、両親や祖父母と一緒に投票所に出かけて、その場で教えてもらいながら投票することが多かったそうですが、近年の若者たちは友達同士で出かけることが増えてきているとのことです。投票までの待ち時間の列では何をしているのかと聞くと、SNSを見たり動画配信を見たりして過ごすというので、時代の移り変わりとともに選挙の様子も様変わりしていることが推察できます。この選挙を通して、彼らの願いが少しでも叶うように、また彼らの政治への関心が薄れることなく、今後も社会との関わりを尊重して生きていけると良いだろうなと感じました。「子どもの頃から憧れていた選挙に参加することができて嬉しかった」と話す彼らの笑顔が印象的でした。

最後に

4月末に筆者がチェンナイで習っている南インドの伝統舞踊「バラタナティヤム」の大きな発表会がありました。筆者は今年で3回目の出演となりますが、インド人女性約400名の中で唯一の日本人学習者であるため、周りから奇異な目で見られることも多かった学習初期の頃に比べ、今年は親切に声をかけてくれる人も多くなり、インド人ならば当然知っているような日々のお作法などについてもこっそりと教えてもらい、少しずつ土着の文化や環境に慣れてきたことを実感しました。以前は恥ずかしくて表現することができなかった首や顔や目の動きを使った感情表現も少しずつできるようになったことや、タミル語で教授される言葉の意味が少しずつ理解できるようになったことで、この舞踊の魅力をより深く知ることができました。

しかし、インド舞踊の中でも南インド特有の「顔芸」ともいえるバラタナティヤムの表情管理は本当に難しく、ステップも複雑でなかなか手と足の動きがそろいません。ムンバイ在住時から5年ほど続けている北インドの伝統舞踊「カタックダンス」が視線の角度によって表情管理されるのと異なり、バラタナティヤムでは眉毛や口元やあごを動かして喜怒哀楽を大げさに表現するため、まだまだうまくできずに戸惑う場面が多くあります。同じ教室のインド人の女性たちから多くのサポートを受け、舞台の本番を迎えられたことは大きな喜びでした。また、舞踊音楽の歌詞にある難しいサンスクリット語を英語に翻訳するのを手伝ってくれたり、休憩時間にはインドの手作りお菓子を差し入れてくれたり、この発表会を通して地域の人々との交流ができたことは貴重な体験でした。

彼女たちが、本番後の楽屋で選挙の投票の証を見せてくれました。手を洗ってもシャワーを浴びても約2か月間は取れることがないインクとのことです。バラトナティヤムの舞踊の発表会とともに、今回のインドの選挙の過熱ぶりも、筆者のインド生活の記憶に残ることと思います。

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チェンナイ最大のバラタナティヤム祭典
 
ダンスの仲間たちの投票の証


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バラタナティヤムで踊った筆者らと仲間


筆者プロフィール
sumiko_fukamachi_2023.jpg 深町 澄子 静岡大学大学院修士(音楽教育学)。お茶の水女子大学大学院(児童・保育学)にて南インドの教育研究及びインド舞踊の研究中。 約30年間、子どものピアノ教育及び音楽教育に携わり、ダウン症、自閉症、発達障害の子どもたちの支援を行っている。2016年12月より2021年3月までムンバイ在住。2021年9月よりチェンナイ在住。
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