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【中国・瀘沽湖の母系社会、モソ族の伝統文化を知る】第2回 モソ族の赤ちゃんがもらう見日(太陽初見の日)の贈り物

要旨:

モソ族はしばしば語る。人生には太陽、月、風、水、土等の自然物が必要で、それらがなければ地球上で平穏に暮らすことはできない、と。太陽はモソ族にとって光であり希望である。モソ族は赤ちゃんが生まれて満1ヵ月経つと、吉日を選んで寝室から屋外に連れ出し、太陽の光を浴びさせる。ここからその子の儀式に満ちた生活が始まる。

キーワード
モソ族, 赤ちゃん, 見日(太陽初見の日)の贈り物, 名づけの儀式
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モソ族は生活する上において礼儀を非常に重視しますが、贈り物はとりわけ大切です。親族や友人を訪ねる時は手ぶらではなく、必ず手土産を持っていきます。これは「郭魯帕巴」と呼ばれ、鍋荘(祖母屋の囲炉裏)への贈り物で、囲炉裏に捧げます。新年の挨拶には「詹魯帕巴」と呼ばれる贈り物の箱を背負っていきますが、これは先祖に挨拶するためのものです。こうした訪問時の贈り物の他に「若姆帕巴」と呼ばれるものがあって、これはモソ族の生命に対する喜びを表すものです。モソ族には、赤ちゃんの時に二つの大切な儀式があります。「名づけの儀式」と「見日(太陽初見の日)の儀式」です。二つの儀式はともに「阿坡舒(初めての外出)」[1]と関わりがあります。そこで、ここではモソ族の赤ちゃんの二つの重要な儀式、および赤ちゃんを尊重して与えられる贈り物を「見日(太陽初見の日)の贈り物」と呼ぶことにします。

一、モソ族の赤ちゃんの重要な儀式

モソ族は、肉体と魂が一つになって「人」が形成されると考えています。子どもが生まれると、肉体と魂が完璧に結合されなければならないので、二つの重要な儀式を執り行い、赤ちゃんがこの世界に徐々に適応するようにしなければなりません[2]。一つは「名づけの儀式」で、もう一つは「見日の儀式」[3]です。この二つの儀式は特別に準備され、赤ちゃんを中心に行われます。儀式の過程はシンプルですが、欠かすことはできません。なぜならこれらはモソ族にとって、赤ちゃんに命と魂を授ける過程だからです。

(一)見日の儀式

子どもが生まれて満一ヵ月後、家の年長者が吉日を選び、子どもを抱いて部屋を出て、太陽の洗礼を受けさせます。雲南省の瀘沽湖地域では、この儀式は通常子どもの干支に基づき、チベット仏教の占い師に問題のない日を選んでもらい、子どもに太陽の光を浴びさせます。儀式[4]は以下のように行われます。

  1. バターランプを灯します:松明で赤ちゃんの手を撫でてから、この松明で鍋荘のところにあるバターランプに火を灯し、「鼎布児甲克」[5]を祈ります。
  2. 「長寿経」を唱えます:吉日にダバ(司祭)またはチベット僧に赤ちゃんのために「長寿経」を唱えてもらい、新しい生命を祝福します。ダバもチベット僧もいない場合は、家の年長者が赤ちゃんのために生命の賛歌 [6]を唱えます。
  3. 「九宮八卦図」を捧げて赤ちゃんを屋外に連れ出します:大人は、赤ちゃんと一緒に「九宮八卦図」を持って出なければなりません[7]。これは赤ちゃんが「人生の門を開き、途中に障害がない」ことを意味します。
  4. 太陽の下で理髪をします:赤ちゃんを外に連れ出した日に、太陽の下で沐浴させるか理髪をするかを選ぶことができます。モソ族には、特に理髪についてのこだわりがあります。赤ちゃんの髪はむやみに捨ててはならず、きちんと取っておいて、後日中庭のよく茂った木の根元に置かなければなりません。通常は万年青(オモト)が選ばれます[8]
  5. 魂を呼びます:赤ちゃんに太陽光を浴びさせる時、時間が長すぎるのはよくありませんし、風が当たるのも避けなければなりません。そして赤ちゃんを寝室に戻す時には魂を呼ばなければなりません。この時、「喊魂経」を唱えます。「喊魂経」は、「世界の果てにいても、雨や風の中にいても、家に帰る道に迷うことはありません。お母さんの呼ぶ声を聞けば家のある方角がわかり、お母さんの呼ぶ声を聞けばお母さんの傍に帰ることができます。お母さんは金の器や銀の器で、帰ってくるあなたのために十分な食事を用意しています」のような内容です。見日の儀式を終えた後は、赤ちゃんを連れて外出することができます。例えば赤ちゃんと一緒に親族や友人を訪ねたり、村のイベントに参加したりすることができます。また、赤ちゃんはたくさんの贈り物を貰います[9]

(二)名づけの儀式

モソ族はチベット仏教とダバ教[10]を同時に信仰しています。従って、名づけの儀式で名前を授ける人をチベット僧とダバから選ぶことができます。チベット僧を選んだ場合、高僧を訪ねて名前をつけてもらうか、あるいは徳が高く人望のあるチベット僧に「長寿経」を唱えてもらい、名前をつけてもらう必要があります。ダバを選んだ場合、ダバに家に来てもらい、赤ちゃんのために儀式を行って名前を与えてもらいます。

モソ族の赤ちゃんの名づけの儀式は、ダバであってもチベット僧であっても、荘重で複雑で神秘的です。雲南の瀘沽湖畔に住むモソ族の集団では、名前は通常現地の高僧につけてもらいます。長老が赤ちゃんを背負って高僧の邸宅に行き、高僧は経文を唱えてから赤ちゃんに縁起のよい名前を与えます。

一方、四川の瀘沽湖畔に住むモソ族は、大部分の赤ちゃんの名前はダバがつけます。ダバが赤ちゃんの名前を決め、ダバが赤ちゃんの名前を3回呼んで、囲炉裏のそばで赤ちゃんを抱いている母親が赤ちゃんの代わりに返事をした後、ダブ[11]が赤ちゃんに食事を分け与えます。この時から、赤ちゃんはこの家庭の一員である資格を有します。与えられた食事は母親が代わりに食べます。

名前をもらった赤ちゃんは、モソの大家族という温かいゆりかごの中で人生の旅を始めるのです。

二、モソの赤ちゃんがもらう「見日の贈り物」

モソ族の赤ちゃんは自分の名前をもらい、太陽の光を浴びると、この世界の自分に対する善意を受けるようになります。我々は通常、他人に対する尊重や愛を表現しなければなりませんが、この表現の最もよい方法は贈り物をすることです。筆者はモソ族集団の中で調査をしていて、それぞれの赤ちゃんが受け取る贈り物は、卵や腕輪、衣服等さまざまであることがわかりました。

筆者は子育ての過程の中で、モソ族の赤ちゃんに対する尊重を、身をもって体験しました。2019年6月の調査期間中、筆者はモソ族集団の中に身を置き、畑で働く労働者であるだけではなく、子どもを産んだばかりの母親でもありました。そのため筆者の子どもは生後何ヵ月であるか、また、よく食べ、よく寝るかどうか等をしばしば尋ねられました。また、家から卵や鶏を出してきては持たせてくれ、「これは『若姆帕巴(生命への喜びを表す贈り物)』だからね」と念を押されたりしました。その後、筆者は30人以上のモソ族の女性のインタビューを通して、モソ族の赤ちゃんの「見日の儀式」の贈り物について理解することができました。その中から、モソ族の赤ちゃんへの尊重を表す典型的な3例を選び、彼らがごく単純なものから生命に対する喜びをみいだしていることを紹介したいと思います。

インタビュー1:永寧鎮者波村、郭さん、女性、モソ族、56歳
うちの村の拉措(ラツオ)が赤ちゃんを産む時、私は生まれてくる子どものためにケープを編んであげようと思いました。しかし生まれるのが男の子か女の子か分からなかったので、中性的な色の毛糸を選びました。それなら男児であっても女児であっても使えるからです。私の友だちは拉措の子どものために毛糸の帽子を編みました。ちょうどよい具合に私のケープとセットになりました。私と友だちは編み物が得意で、時間があれば赤ちゃんのために衣類を編んでいました[12]

世界の多くの都市では、子どもが生まれるのは家庭内のことであり、隣近所が赤ちゃんのために何かを準備する必要はありません。しかし瀘沽湖畔のモソ族にとって、村に子どもが増えるのは、おめでたいことです。心優しい村人たちは子どものために贈り物を準備し、赤ちゃんが家から出て太陽の光を浴びる時に贈ります。モソ族の伝統には「成人礼」[13]という儀式があり、毎年春節(旧正月)に行われます。村では春節に成人礼を行う子どもがいないことを縁起が悪いとして嫌がるので、毎年新しい赤ちゃんが生まれることを期待しています。

インタビュー2:永寧鎮者波村、王さん、女性、漢族、34歳
兄嫁と一緒に麗江に遊びに行ったとき、毎日子ども服の店ばかり見ているので、「彼女には子どもがいないのにどうしてかしら?」と思いました。後になって、彼女は「村の子どもが最近『屋外に出た』けれど、子どもに出会った時に贈るものを持っておらず、そのため今回街に来たついでに、村に新しく生まれた赤ちゃんたちのために新しい服を買って帰り、次に会った時に贈るつもりだ」と教えてくれました。漢族である私は、初めて日常生活におけるモソ族の無私の気持ちに触れました。兄嫁はモソ族なので、ショッピングに行っても自分の新しい服を買うことより、まず子どもたちのことを考え、街のよい品物を彼らに与えたいと思ったのです[14]

遠くに出かけた人は手土産を買ってくるものですが、遠出したモソ族はまず子どもたちへの贈り物を考えなければなりません。子どもたちには最もいたわりや配慮が必要だと知っているからです。中でも生後数ヵ月の赤ちゃんは気遣われ、認められることがとりわけ必要です。

インタビュー3:永寧鎮者波村、申さん、男性、モソ族、82歳
我々モソ族は客人があると家で飼っている鶏一羽を振舞って、お客さんへの敬意を表します。客人の中に家に赤ちゃんのいる人がいた場合、モモ肉はその晩の食卓に載せず、よく茹でてから清潔な袋に入れて赤ちゃんのために持って帰ってもらいます。赤ちゃんは言葉を話すことはできませんが、周囲の人々が自分を認めてくれることを心の中で期待しているのだと、モソ族は考えます。ですからこの習慣は赤ちゃんを認め、尊重していることを表しています[15]

子育てには、民族によって、家庭によって、あるいは人によって独自の方法があります。そして子育ての習慣が伝統を作っていきます。こうした伝統や儀礼の背後にある真理は、人に対する最も基本的な尊重と思いやりです。モソ族の文化が千年も続いた理由のひとつは、彼らが生命を深く愛しているということでしょう。そしてその生命には、大人だけでなく赤ちゃんも含まれ、自分の家族だけでなく他人の家族も含まれるのです。

人口増加率が急速に減少する時代にあって、我々人類は生まれてくる子どもたちに愛情を注ぎ、守らなければなりません。モソ族の集団においては、生まれてきた赤ちゃんに「名づけ」をし、「見日の儀式」を行うことで、外界からの贈り物を受け取ることができるようになります。悲しみや喜びも受け取っていくのです。モソ族の子どもの儀式の多くは祝福と賛歌です。 モソ族にはこんなことわざがあります。「お金があるのが豊かさではなく、子どもがあってこそ豊かなのだ」[16]

モソ族は、人の一生でどれだけ財産があっても、死んだら持っていくことはできず、子どもを残してこそ自分の文化と精神を継承できる、と考えています。人がいれば、両の手で物を創造することができるのですから、モソ族は子どもの誕生を待ち望みます。赤ちゃんが生まれるのを楽しみに待ちながら、生まれてきた赤ちゃんに神聖な儀式に満ちた生活を与える準備をしています。ですから生命の尊重を表すために、それぞれの段階で儀式を行う必要があります。

21世紀の今日、さまざまな原因でモソ族の人口は徐々に減少していますが、それはモソ族の新しい生命への熱望に影響を与えてはいません。むしろ物質的に豊かになったことで、儀式がさらに厳かで賑やかに行われるようになりました。しかしモソ族のダバ教によれば、人への最大の尊重は認めること、人の存在を認め、その生命を大切にすることです。したがってモソ族が赤ちゃんに与える「見日の贈り物」は、人の生命に対する集団的な共感といえるでしょう。


[1] 阿坡舒:モソ語で「外に出る」という意味。「見日(太陽初見の日)」と訳すことができる。
[2] モソ族は魂という観念を持っていて、魂のある肉体だけが生きていくことができると考えている。
[3] 見日の儀式:吉日を選んで子どもを外に連れ出し、太陽の温かさを感じさせる。「太陽礼拝の儀式」ともいう。
[4] 2020年12月の永寧鎮者波村調査研究期間における儀式の過程を整理。
[5] 鼎布児甲克:モソ族の祝福のことばで、吉祥如意(万事めでたく意のままになる)という意味。
[6] モソの伝統儀礼の賛歌は口伝えで伝承され、家の年配の祖母たちは唱えることができる。賛歌の中にある多くの生命に対する祝福は、伝統信仰のダバ教に由来する。
[7]「九宮八卦図」:モソ語では「巴闊」と呼ぶ。九宮八卦図はモソ族の一生に寄り添い、平安と幸福を守ってくれる。特に遠方に出かける人や生まれたばかりの赤ちゃんには重要である。
[8] 万年青:俗称「黄楊木」。常緑で暑さにも寒さにも強く、モソ族が非常に好む。家の中庭によく植えられる。
[9] 贈り物の詳しい内容については、本記事「二、モソの赤ちゃんがもらう見日の贈り物」を参照。
[10] ダバ教:モソ族の伝統的な信仰で、司祭をダバと呼ぶので、信仰も習慣的に「ダバ教」と呼ぶようになった。
[11] ダブ:モソの大家庭の中で、家庭の事務を管理する人。
[12] 2020年12月23日、筆者が永寧鎮者波村で郭さんに行ったインタビューの記録。
[13] 成人礼:モソ族の子どもが13歳になると、村民全員が子どものために歌を歌ったり踊りを踊ったりして祝う。
[14] 2021年3月15日、筆者が永寧鎮者波村で王さんに行ったインタビューの記録。
[15] 2021年1月7日、筆者が永寧鎮者波村で申さんに行ったインタビューの記録。
[16] このことわざは2020年12月の永寧鎮フィールド調査で収集した。モソ族には魂という考え方があって、魂のある肉体だけが生きていくことができると考えている。


筆者プロフィール
独瑪拉姆 (麗江文化旅遊学院)
Du Ma La Mu_profile.png モソ族。麗江文化旅遊学院で教鞭をとる。西南民族大学宗教学修士。国家言語保護プロジェクト・モソ族言語の救済と保護、国家社会科学基金「雲南に代々住む少数民族の災害文化史」プロジェクトなど、多くの社会実践の調査研究に参加する。2011年から現在に至るまで、モソ族の母系文化(婚姻、宗教など)の追跡研究を行い、その文化調査研究とスタディビジットプロジェクトに従事している。
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