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【中国・瀘沽湖の母系社会、モソ族の伝統文化を知る】第3回 モソ族の育児期

要旨:

モソ族の世界では、生命の誕生を待ち望み、また大切にする。子どもを産み育てるのは、大家族全体に関わることである。女性が妊娠してから子どもが13歳で「成人礼」という儀礼を行うまでの期間がモソ族にとっての育児期であり、その間、家族のメンバー全員が養育者の役割を担う。

キーワード:

モソ, 母系家族, 育児支援, 妊婦, 産婦, 産褥期, 育児期
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多くの家庭では、日常生活においてしばしば子育ての問題が起こります。そのひとつに、経済の発展に伴って物質面への要求が高まったことにより、生活の質が下がることを恐れて子どもをもつことに二の足を踏む人が増えています。また、子どもを育てるには時間も労力もかかるので、個人のキャリアアップを阻害しかねません。そのため、多くの民族や国家が人口のマイナス成長という問題に直面しています。筆者は二人の子どもを育てるモソ族女性であり、仕事や生活上の理由からしばしば都市部と瀘沽湖とを行き来しなければなりませんが、それゆえ二つの異なる環境での育児方法を知ることができました。「人類に忘れられた女の国」となったモソ社会において、育児についてどんな問題があるのか知るのは非常に興味深いことです。

一、モソ族女性の妊娠期

伝統的なモソ社会では、女性が身ごもると、妊娠期のいくつかの禁忌事項を守らなければなりません。こうした禁忌事項は妊娠期の女性を束縛する一方で、特殊な時期にある女性を守ることにもなります。女性が妊娠すると、家族にとって大きな喜びとなると同時に、妊婦は家族全員が優先的に護る対象となります。みなが妊婦を精神的にも優しく扱い、誰もが妊婦を悩ませることなく、楽しい気持ちを保つことができるように心がけます。また生活の面でも、妊婦は特別な配慮を受けて、栄養のある食べ物等が与えられます。そのため瀘沽湖地域では、産前も産後もマタニティブルーはほとんどありません。

それでは、モソ族女性の妊娠期の禁忌事項とはどんなものか見てみましょう。最も重要なことは何でしょうか? なぜそのような禁忌事項があるのでしょうか? 以下に例を挙げて説明しましょう。

(一)「外からの食べ物」は何も摂らない

瀘沽湖地域に住むモソ族は、田畑で穀物を植え、庭で果物や野菜を育て、外の草地で牛、羊、鶏、鴨、豚等を飼育します。高原の他の土地に比べて暮らしやすく、伝統的な自給自足での生活を行っています。十数年前注1のモソ族は、外の市場に出かけて野菜や食糧を買うことはほとんどありませんでした。外から来る食べ物は「手土産」としてもらうものだけで、女性は妊娠すると外から来た手土産はほとんど食べません。

妊婦は1日3回家族と同じように食事をしますが、妊娠期が進むと妊婦の母は妊婦のために午前10時頃、および午後2時頃にも食事を出します。通常は甘酒、卵、赤砂糖の砂糖湯等ですが、妊婦の好みに合わせて調整することもあります。しかし制限もあって、伝統的なモソ族女性は妊娠中に現代的な「栄養食品」を摂ることはありません。

伝統的なモソ社会では妊婦はほとんど遠出をせず、妊婦健診も受ける機会がありません。そこで家で軽い家事を行い、飲食に普段より注意を払うことで、妊婦と胎児の安全を守っています。

(二)葬儀関連行事への参加を避ける

モソ族の生活では、別離は重要なことだとみなされます。モソ族は出産に関する儀式にとてもこだわりますが、同じように葬儀もたいへん盛大に行います。出産は喜び、死は悲しみを伴い、両者は矛盾し対立した関係です。筆者はフィールド調査で以下のような光景を目撃しました。

阿さんが妊娠4ヵ月の時、父方の祖母が病気で亡くなりました。祖母の葬儀は四十九日間続きます。その間彼女は男性側の家に行って、しばらくの間そこで生活しました。祖母の葬儀の3日目になって彼女は家に戻り、伝統に従って祖母の霊前に燈明を供えました。しかし家族は彼女の食べるものに気を配ると同時に、葬儀に参加し過ぎないように彼女に注意することも忘れませんでした。そこで彼女は読経の場所注2で頭を下げ、燈明を供えるだけで、その他の時は葬儀の場所から遠く離れていました。彼女が特に注意するよう言われていたのは次の事柄です。野辺送りの日は、死者のすべての親族がお別れに来ます。その時、親族たちは全員、母屋(おもや)から列を作って地面に伏して叩頭し、死者の棺が彼らの身体の上を通過するようにします。これによって、生者と死者のこの世での縁に敬意を表するのです。しかし妊婦は、たとえ死者との間にどれほど深い繋がりがあったとしても、叩頭することはできません。妊婦の体内でははかない小さな命が育っており、人々が忌避するものや見えないもの注3にこの小さな命は耐えることができないとモソ族は考えるからです。そのため、妊婦はたとえ最も親しい人が世を去った場合であっても、死者の身体が自分の身体の上を通ることを禁じられているのです注4

妊婦とは特殊な人であり、妊娠の期間中、心は喜びにあふれていなければなりません。それゆえモソ族は、妊婦を葬儀から遠ざけます。それによって妊婦が極度に悲しむことをある程度防ぐことができるからです。また、葬儀に参加して帰ってきた人がすぐに妊婦の傍に座ることも、葬儀から持ち帰った食べ物を妊婦に食べさせることもよくないとされています。

(三)馬と手綱を遠ざける

「10ヵ月身ごもって、1日で出産する」のが普通です。モソ族には、馬と手綱から妊婦を遠ざけるという習慣もあります。妊婦が馬の手綱をまたぐと、妊娠期間が12ヵ月になってしまうと考えられているからです。12ヵ月の妊娠期間とは、身体に異常が起きたことを意味します。出産が遅れるのも早産になるのも、妊婦にとって非常に危険なことなのです。

伝統的な文化では、モソ族女性の「12ヵ月の妊娠」は「馬障(馬の障り)」と呼びます。なかなか子どもが生まれない場合、妊娠してから馬の手綱をまたいだか、あるいは馬に乗ったせいだと考えられています。そのためモソ族の女性にとって、妊娠中に馬を放牧したり馬に餌をやったりするのは禁忌事項になっており、極端な場合は馬に関するすべてのものが忌避されます。

モソ族は馬に乗って暮らす民族です。千年前の祖先が移動してきた道はもちろん、現在目の前にある茶馬古道も、先祖が代々歩いてきた富への道です。数十年前にモソ人の家庭で十数頭の馬を飼っていた人は大金持ちでした。今ならトラックを何台も持っているようなもので、馬は富をもたらしてくれるものなのです。

またモソ族女性にとって、仕事の時に馬は欠かすことのできないものです。早起きしての山での柴刈りでも、田畑での労働でも、2頭の小さな馬がいつも彼女の傍にいます。仕事が終わると、馬たちに荷を背負わせて家に戻ります。これがモソ女性のごく普通の1日です。

しかし妊娠した女性は、疲労を避けることが大切です。そのため妊婦はまず、日常のつらい仕事を離れなければなりません。そこで馬と手綱から遠ざかることがとりわけ重要となります。時代の移り変わりとともに、馬を使う生活は次第に少なくなってきましたが、老人たちが妊娠した女性に、馬と手綱から離れろ、と忠告するのは今でも日常的にみられますし、予定日を過ぎても赤ちゃんが生まれない女性に会うと、馬の手綱に触ったのではないか、と尋ねる人もいます。もし触っていたら、この「障碍」を解かなければなりません。遥か昔の神々の世界に入り込んだような感じがしますが、「馬障」は、私たちが思うほど単純なことではありません。

モソ族の生活はさまざまな「禁忌事項」に満ちています。妊娠についても同様で、これらの禁忌事項以外にも多くの言い伝えがあり、瀘沽湖の神秘を物語っています。こうした禁忌事項の存在は、出産に関することを気恥ずかしく思うモソ社会において気まずさを取り除いたり、また女性たちが恥ずかしがらずに出産に向き合えるよう、そして女性たちが妊娠期間を順調に過ごせるよう、上手く妊婦を守っているのかもしれません。

二、子どもの成長期

モソ族の女性は、妊娠中に「外から来たもの」を食べることができず、葬儀に参加できないだけではなく、暗くなったら外出することも山での柴刈りもできませんが、日常の細かい仕事は家庭内の他の女性が担ってくれます。無事に妊娠期間を過ごして子どもが生まれると、子どもが大人になるまで誰がどのように子どもの面倒を見るかが最も重要なことになります。

(一)産褥期

モソ族の女性にとって、出産してから満1ヵ月間が産褥期です。その間、産婦は「度盤」注5から外に出ません。産褥期には多くの親戚や友人たちが赤ちゃんを見に来ますが、家族が彼らの相手をするので、産婦は「度盤」にいて、客の相手をせずともよく、ゆっくり休むことができます。また、産婦の1日3回の食事は家族の女性たちが持ってきてくれるので、安心して「度盤」内で過ごすことができます。産褥期間について、モソ族は他の民族とは異なる習慣があります。

伝統的なモソ文化では、女性が産褥期にある間、男性が産室に行って産婦に会うことはできません。伴侶であっても同様です。産褥期には通常、産婦が退屈しないよう、家庭内の姉妹や女性の親族が順番に「度盤」に来ておしゃべりをします。現在ではこうした習慣は変化しつつあり、モソ族の女性も病院で出産するようになったので、家族が病院に同行する必要があります。一般的には家族として産婦の伴侶の同伴が求められます。そのため、以下の例のような問題が起こりえます。

楊さんは都市部で働くモソ族女性で、伴侶もモソ族であり、非常に伝統的なモソ族の大家族の中で暮らしています。しかし楊さんは最初の出産の時、仕事の関係で、病院での出産を選びました。そこで楊さんの義母と母親を都市部に呼んで、街での産褥期に備えました。出産当日、二人の母親は産室に男性を入れてはいけないと思い、楊さんの夫を家に留まらせました。夫は二人の母親に自分が楊さんの面倒を見ると説得しましたが、同伴を拒まれました。彼女たちは嬉々として病院に行き、楊さんの世話をしました。ところが、医師は出産のサインは子どもの父親がしなければならないと言って、母親たちのサインを受け付けませんでした。母親たちはたいへん不愉快になり、楊さんは、これは伝統と現代の衝突だ、と言いながらこの話をしてくれました注6

モソ族女性の産褥期に男性が産室に入ることができないのは伝統であり、モソ族の伝統文化における禁忌事項です。産室は「不浄」の場所とされ、男性は避けなければなりません。外部の人々は、モソ族の男女の地位に差があるとしばしば書いていますが、モソ族の社会では、男女はそれぞれの役割があるだけで、絶対的な男女の地位の差が存在するのではありません。

(二)乳児期

産褥期が終わると産婦は以前の生活に戻ることができ、子どもも家庭内の他の人々に接触するようになります。もはや子どもを育てるのは母親ひとりではなく、家族全体の仕事になります。この時期、産婦の母親が若かったり、産婦に姉妹がいる場合、彼女たちが産婦に代わって夜は子どもを預かり、夜中の授乳の時には子どもを産婦のところに連れていきます。

拉さんが出産した時、母親は40代だったので拉さんの子どもの世話を手伝い、夜は子どもと一緒に寝ました。拉さんは子どもの世話で睡眠不足にもならず、産後の健康回復のためにとても助かったそうです。拉さんの母親が拉さんを産んだ時も同じように拉さんの祖母がいろいろ手助けしてくれたので、母親は子育てがさほど大変ではなかったと言います。

モソ族女性の出産年齢は低く、一般に子どもと母親の年齢差は20歳~25歳です。これは女性の子育てにとって非常に有利なことだと言えます。まだ若い祖母が子どもの世話を手伝ってくれるからです。また、次の例のように家族の中の他の女性たちの手助けもあります。

生さんは食堂を経営しており、普段は朝4時に起きてその日に売るパオズ(中華饅頭)を作らなければなりません。夜の客がなかなか帰らなかったときは帰宅が遅くなるので、生さんは子どもを姉の家に預け、姉と姪たちが面倒を見てくれました。

モソ族の伝統文化では、子育てについて「子どもを産むのは恐れない、恐れるのは子どもを産まないことだ」とよく言われます。子どもが生まれれば、多くの人が世話を手伝ってくれるからです。しかし他の地域では、子どもが生まれると誰が世話をするのかが問題になります。例えば、家族の人数がモソ人の家庭ほど多くなかったり、両親が年取っていたり、兄弟姉妹が独立した家庭を営んでいたりする場合です。そのような場合、子どもを産み育てることは夫婦ふたりの問題となるからです。

(三)独立期

モソ族の子どもは4歳になると、特にその子を世話する人は不要となり、子どもは大人に連れられて一緒に田畑に出かけます。大人は田畑で働き、子どもはあぜ道で他の家の子どもと遊びます。遊び相手がいない時は泥遊びをします。村の大人たちに聞いたところ、筆者が子どもの頃の様子は、次のようだったそうです。

筆者は3~4歳の頃、いつも家族が田畑に行くのに付いて行き、そこで遊んでいました。ある日、筆者の家で多くの村人に頼んでトウモロコシの種を一緒に蒔いてもらったことがありました。モソ族はトウモロコシの種を一つの畑のこちら側からあちら側へと、休みなく往復して蒔いていきます。筆者はあぜ道に座って、一人で歌を口ずさんでいたのですが、一曲また一曲と歌って、同じ曲を歌うことがなかったそうです。働いていた人々はそれが印象深かったと言います。大人たちは筆者が思いつくままに歌っていたことを分かっていたのですが、それ以来、彼らは筆者に会うとよくこのことを持ち出して冗談をいったものです注7

多くのモソ族の子どもはこのような幼年時代を送ります。学校に上がる前は大人の後に付いて行って田畑でチヨウやトンボを眺め、草地では牛や羊と一緒に太陽を浴び、山では風の音を聞きます。子どもたちは小さい頃から、午後に格姆女神山注8の頂上が雲でいっぱいになったら、すぐに豚や牛や馬を集めて急いで帰らなければならないことを知っています。大雨が降るに違いないからです。山の上に雲がない場合は、太陽が山の3分の2のところに来た時に家畜を集めて帰ります。このようにして、牛、馬、豚のお腹を満たします。学校に上がると、モソ族の子どもは毎日8時にカバンを背負って学校に行き、下校時は途中で家の家畜を集めて帰ります。週末には、どの子どもも家畜を追って村はずれの草地に行き、乾燥して快適な場所を探して座り、まずノートを出してその日の宿題を済ませ、それから皆で一緒に遊びます。草地で相撲を取ったり、ハンカチ落としをしたり、抓沙包(お手玉のような遊び)をしたり、サッカーをしたりします。子どもたちは真っ黒に日焼けし、服は泥だらけになりますが、彼らの顔はいつも笑顔で、輝いています。

近頃子どもを育てる大人たちが関心をもっているのは、彼らにどんなことに興味をもたせるか、どんなおけいこ事に申し込むか等ですが、子どもたちの好きなことを聞くことはあまりなく、彼らが大自然と共に過ごす時間が少なくなっています。しかしモソ人の子どもは生まれた時から、古代の神話や伝説、物語などを通して自然や人文的な知識を身に付け、周囲の世界から、大人の言う知識が真実かどうかを理解します。こうして彼らは成長する過程において、健康で楽しく生活することができるのです。

生命を育むのは容易なことではなく、それぞれの民族には独自の子育てのやり方があります。命への熱い想い、女性への思いやり、生命の自由な羽ばたき等、彼らの養育過程のすべてに、モソ人の命に対する尊重と愛情が表れています。


  • 注1 2010年以前の瀘沽湖地区には、観光客がモソ族の住む村落にまで来ることがなかったため、モソ族の伝統的生活習慣はまだ完全には損なわれていなかった。
  • 注2 読経の場所:モソ族の葬儀ではチベット僧に読経してもらう必要がある。仏間で読経する僧もいるし、死者の霊前で読経する僧もいる。さらに火葬場まで行って読経する僧もいる。読み上げる経文はさまざまで、また読経場所も多様である。
  • 注3 モソ族の伝統文化では、人は死ぬ時に肉体だけが死ぬと考えられているので、生きている人が死者のために読経して幸福を祈り、死者の魂がよりよく生まれ変わるよう助ける必要がある。生まれ変わらないうちは、魂が生きている人々の周りを孤独に彷徨い、落ち着かない。そのため死者の霊魂に対して畏れ敬う心理が生まれるのである。
  • 注4 2021年5月16日のフィールドメモを整理。
  • 注5 度盤:モソ語。モソ族の祖母屋(祖母の間)の奥の部屋で、一般には女性が分娩時だけ居住する。
  • 注6 2021年5月18日のフィールドメモを整理。
  • 注7 2021年5月18日のフィールドメモを整理。
  • 注8 格姆女神山:瀘沽湖の山。

筆者プロフィール
独瑪拉姆 (麗江文化旅遊学院)
Du Ma La Mu_profile.png モソ族。麗江文化旅遊学院で教鞭をとる。西南民族大学宗教学修士。国家言語保護プロジェクト・モソ族言語の救済と保護、国家社会科学基金「雲南に代々住む少数民族の災害文化史」プロジェクトなど、多くの社会実践の調査研究に参加する。2011年から現在に至るまで、モソ族の母系文化(婚姻、宗教など)の追跡研究を行い、その文化調査研究とスタディビジットプロジェクトに従事している。
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