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【一人一人の違いに寄り添うために】第2回 「人は、幸せになるために生まれてくる」を前提に、学びをとらえ直す

私は小学校の通常学級で教員を6年勤めた後、特別支援学校に異動しました。そこで、今でも忘れられない光景に出会うことになります。当時の担当は中学2年生だったのですが、クラスの子が泣きながら九九のプリントに取り組んでいたのです。

人によっては「投げ出さず、辛抱強く学んでいて偉い!」と、美しく映るかもしれません。しかし私は、その姿を見て、勉強する意味が分からなくなってしまいました。

それまでの私は、決められたカリキュラムを分かりやすく教え、学力を上げることが教師の役割だと思っていました。学力をつけて、よい大学に入れる可能性をあげることこそが、その子の幸せに繋がると信じていたのです。

しかし目の前で泣いているこの子は、中学2年生でありながら、小学2年生相当の学習をしているわけです。もちろん、毎日続けることで少しずつできるようになっていることは確かです。しかし、このペースで学習をしていったところで、大学受験の時に通常学級の小学生の子たちと肩を並べられるようになるとは思えません。一方で「九九を知っていると、人生で役に立つよ!」と自信をもって言うこともできませんでした。

それなら、この子はなぜこんな辛い思いをしながら九九を学んでいるのだろう? どうしたって追いつくとは思えない普通学校のカリキュラムを、将来役立つ可能性もほとんど無いままに後追いさせられている。この子は将来、他の子と同様に特別支援学校高等部を卒業して、福祉作業所に就職する可能性が高いと思われます。そうした場合、作業所で九九を使うタイミングはほとんど無さそうですし、日常生活で使いこなすには更なる修練が必要となるでしょう。

何のためにこの子は苦しんでいるんだろう? 何のために学校はあるんだろう? 人生とは、何のためにあるんだろう? 青春時代に、楽しいことを我慢しながら、その子にとって意味を見出しにくい苦行を強いられ、大人になったら働かされて、休日の楽しみだけのために生きていく。そんな暗たんたるイメージが浮かんでしまいました。自分のこれまでの教育観が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちました。

その後、私はむさぼるように様々な本を読み、人に会い、大学院で学びました。学ぶ中で、徐々に自分の中に形成されていった新たな人生観…それこそ「人は、幸せになるために生まれてくる」というものでした。障害のあるなしなんて関係ない。すべての人は、幸せになるために生まれてくるんだ。それなら、学校で学ぶ理由も「幸せになるため」。幸せになるか分からない学習なんて、泣くほどの思いをしてまで学ぶ必要なんてないし、最低限身に付けなきゃいけない知識や技能なんて存在しない。今でもそれくらいに思っています。

今年の4月に私が立ち上げ、校長を務めているヒロック初等部の最上位目標は「福利の拡張」です。カリキュラムも「子どもたちが幸せを拡張できるかどうか」の基準で取捨選択しているし、毎日子どもたちに「幸せになる力は伸びた?」と聞いています。子どもたちは遊ぶように学び、昨日より幸せになる力が伸びた喜びを表現するし、だから明日は、未来はもっと幸せになれると確信しています。

一人一人の幸せって、みんな違うはずですよね。お金が多ければ幸せなわけでもないし、地位が高ければ幸せというわけでもない。SNSのフォロワーが多くても、能力が高くても幸せを感じられていない人はたくさんいます。幸せの形は人それぞれです。

とはいえ、共通点はありそうな気もします。人生のより多くの時間を、好きなことをして、好きな環境に身を置き、好きな人と一緒に過ごせること。そのために身に付けた方がよい知識や能力はきっとあるし、伸ばした方がよい力もある。大切なのは、自分が「何が好きか」を自覚し、そのためにどんな力が必要かを腹落ちして、選び取って取り組んでいるかどうかだと思っています。

今の日本の子どもたちの多くは、偏差値が1ポイントでも高い大学に入ることを目標に学んでいるし、保護者の多くはそれが子どもの幸せと信じています。しかし、本当にそうでしょうか。ヒロック初等部では、明確に「受験勉強のサポートはしない」と明言しています。ヒロックは「幸せになる力をつけるスクール」ですが、幸せになるには偏差値よりも大切なことがたくさんあると信じているからです。事実、よい大学を出ても幸せを感じられていない大人は多くいるし、それまでの受験競争の激しさに、自らの命を断つ若者も後を絶ちません。また、学歴=幸福を真理とするならば、知的な障害をもって生まれてきた子は、スタートラインで既に「幸せになる可能性はない」ということでしょうか。そんなわけはありませんよね。

「基礎学力」という概念が、単純に「小学校で学ぶ国語や算数」と同義で考えられる風潮も、今一度考える必要がありそうです。読み書き計算を基礎学力とし、それがないと幸せになれないなら、たとえばディスレクシアの方は幸せになれないことになってしまいます。一方で、ディスレクシアをもちながら幸せに生きている大人も世界にたくさんいます。他の表現方法でも代替可能ですし、現代においてはさらにテクノロジーがサポートしてくれます。百歩譲って、真の意味で基礎になる学力なら、その子が好きなことをやっている中で、確実に必要になるはずではないでしょうか。もし必要にならなかったとしたら、それは基礎学力ではなかったということです。

ヒロック初等部では、読み書き計算も、子どもが「教えてほしい!」「できるようになりたい!」と思うまで無理強いはしません。その代わりとして、学校生活を送る中で「文字を読めるようになりたい!」「書けるようになりたい!」と思うような仕掛けをちりばめるようにしています。例えばあえて漢字を使ったり、一緒にインターネット検索したりすることで「私も読めるようになりたい!」と思う子は出てくるし、メモをとる友達を見て「ぼくも書けるようになりたい!」と思うんですよね。読むにしても、ひらがな→カタカナ…という順番じゃなくていいし、読みたいものを読めばいい。英語やタイピングも含めて、広い意味での読み書き計算を、子どもたちはやりたくてやっているし、覚えることで、幸せになる力が拡張していることを実感しています。比較や評価のためではなく、「やりたい」から始まる学びを意識しています。

特別な配慮を要する子が、授業中に一人だけタブレットを活用しようとすると「ずるい!」などの声がいまだにあるようですが、 それは周りの子も「やりたくもない基礎学力の勉強を、我慢して押し付けられている」結果から来ているのではないでしょうか。さらに言えば、多種多様ないじめの原因の中にも、本人に合っていない学びを押し付けられる反発から起きているものもあるような気がします。

ヒロック初等部では、子どもたちが自分で学び方や学ぶものを選択しています。困ったことがあれば声を上げるし、みんなが気持ちよく学べる方法をみんなで考え、作っていく。そこには1つの正解もなければ、基準もありません。自分も配慮を望むなら、そう主張すればいい。誰も止めたりなんてしません。子どもたちは、自分で選択できる環境になると、驚くくらいの優しさを見せてくれます。

みなが同じ内容を同じくらいできることを良しとするような横並びの教育に固執せず、もっと子どもを信じて自由に選択できるようにする。そうすれば、いじめや差別、偏見といった教育課題の多くは、案外いともたやすく解消してしまうのかもしれません。

筆者プロフィール
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蓑手 章吾(みのて・しょうご)

HILLOCK(ヒロック)初等部 校長。元公立小学校教員で、教員歴は14年。教鞭を持つ傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士修了。プログラミング教育で全国的に有名な前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任。2022年4月、オルタナティブスクール・HILLOCK(ヒロック)初等部を開校。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』『個別最適な学びを実現するICTの使い方』(ともに学陽書房)、共著に『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)、『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書出版)などがある。
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