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【保育フィールドノートにみる気まぐれな子どもたち】第5回 異質なものに出会う場:異年齢のかかわりとすれ違い

要旨:

保育の場は、子ども同士のタテ・ヨコの人間関係ができる貴重な場となっている。とりわけ、園庭は、クラスを越えて、他のクラスや異年齢の子どもたちが交じり、異質なものや人に出会う場である。そこでは、さまざまな思いをもった子どもたちが交錯し、子ども同士の思いがすれ違うことも多々ある。すれ違いの経験のなかで、子どもたちは「どうして?」という思いを抱え、他者には他者の思いがあること、自分の思いを表に出して伝えていかなければ相手にはわからないのだということを学んでいく。すれ違いも含めた異年齢の豊かなかかわりを支えるのは、「年上は年下にやさしく」という規範的な正しさを一方的に押し付けることなく、子どもたちのまなざしの先にあるものを子ども同士が伝え合うことができる関係性をつくる保育者の存在である。

キーワード:
異年齢、規範、子どものまなざし、保育
English

地域で様々な子どもが入り交じって遊ぶ機会が少なくなっている昨今、保育所・幼稚園・認定こども園などの園は、子ども同士のタテ・ヨコの人間関係ができる貴重な場となっています。とりわけ、園庭は、クラスを越えて、他のクラスや異年齢の子どもたちが交じり、異質なものや人に出会う場です。年上の子どもが年下の子どもにどう接したらいいかを考えたり、年下の子どもが年上の子どもに憧れを抱いたりして、豊かなかかわりが日々繰り広げられています。

ある保育園の砂場で、異年齢ならではのかかわりとすれ違いの場面に出くわしました。4歳児のハルカちゃんが、2歳児のトシキくんのためにシャベルで砂を運んであげているところです。一見、仲良く遊んでいるように見える場面ですが、トシキくんの浮かない表情から、少し立ち止まって見てみることにしました。

2歳児のトシキくんは、砂場の横に備え付けられた流し台にシャベルを叩きつけていました。叩きつけるというと、乱暴なことをしているようで、我が子が公園でそういうことをしていたら、つい止めてしまう人がほとんどだと思います。しかし、その園では、近くで保育者が見守っていましたし、ただ叩きつけているだけではなく、叩きつけたあとにじっと何かに目をこらしている様子があったので、観察者である私も、そばで、トシキくんのまなざしの先にあるものに目を向けてみました。

トシキくんの前にあったのは、台所にあるようなステンレスの流し台で、その流し台のシンクの真ん中には排水口の穴がありました。トシキくんは、シャベルで砂を持ち上げると、穴のまわりに砂を散らばらせ、その後にシンクの下部にシャベルを叩きつけるということをくり返していました。じっと目をこらしてみると、トシキくんがシャベルを叩きつけるごとに、シンクが振動し、シンクの上で砂が踊っているように跳びはね、穴の方に近づいていきます。そして、穴のすぐそばまで来たら、突然、穴の中に消えてなくなるのです。見ている私も、思わず、「うわぁ〜」と声を出しそうになるような驚きの光景でした。大人の頭で考えてみると、シンクは水が流れやすいように、排水口に向かって傾斜がついているので、砂がそちらに向かって動いていくのも不思議ではないのですが、砂が跳びはねながら消えていく様は、まるで生きているようで不思議そのものでした。トシキくんが心を奪われて、何度も何度もシンクにシャベルを叩きつけ、砂の踊りと消失を試し、感じ、味わうことは、その甲斐のあることだと納得できたのです。

さて、そこに、4歳児のハルカちゃんがせっせと砂を運んできました。ハルカちゃんは、自分より年下のトシキくんがシャベルでシンクに砂を入れているのを見て、手伝ってあげようと思ったのでしょう。年下の子どもに対して自然にわいてきた思いから、運んできた砂を、どんどんシンクに入れてくれました。シンクに盛り上がっていく砂の山。シンクにいっぱいになった砂は、トシキくんがシンクにシャベルを叩きつけても、踊りもしなければ、穴の中に消えたりもしません。トシキくんは、それをじっと見た後、砂場から立ち去ってしまいました。ハルカちゃんは、トシキくんを追いかけ、「もっとやろう」と声をかけますが、トシキくんはもう興味を失ったという顔つきで、ふらふらと歩いていってしまいました。取り残されたハルカちゃんは、きょとんとした表情で、トシキくんの背中を見ていました。 このように、さまざまな思いをもった子どもたちが交錯する園では、子ども同士の思いがすれ違うこともたくさんあります。すれ違いの経験のなかで、子どもたちは「どうして?」という思いを抱え、他者には他者の思いがあること、自分の思いを表に出して伝えていかなければ相手にはわからないのだということを学んでいくのだと思います。そして、子どもの遊びでは、シャベルで叩くというその子の行動そのものよりも、子どものまなざしの先にあるものに目を向け、その子が世界とどう出会い、かかわろうとしているのかを感じ取ることの大切さを思いました。もし大人が、トシキくんが何をおもしろがっているのかを知ろうとせずに、シャベルを叩きつけるのをやめさせていたら、トシキくんと砂の出会いはそこで終わっていたでしょう。

別の園での異年齢のかかわりをご紹介します。5歳児の子どもたちがドッジボールをしていました。そこに、3歳児の男の子が「入れて」とやってきました。5歳児たちは、少し話し合った後、「入れてあげられない」と伝えました。3歳児の男の子は、近くにいた先生を連れてきて、もう一度、「入れて」と伝えました。そこで、先生が「どうして入れたくないの?」と5歳児の子どもたちに聞くと、「当たったら危ない」「3歳はルールがわからなくて、ぐちゃぐちゃになる」「おもしろくなくなる」と言いました。この5歳児たちの言葉は、意地悪から出てくる言葉なのでしょうか。5歳児たちのまなざしの先には、3歳児をドッジボールに入れたときの光景が見えていたのではないでしょうか。自分たちの遊びがおもしろくなくなること、入れてもらった3歳児も危なくて楽しめないことといった、少し先の未来の光景が5歳児たちのまなざしの先にはあったのだと思います。一見すると、意地悪にも見えるような「入れてあげない」という返事には、5歳児たちが少し先の未来を見据えていること、自分たちの思いを伝えて遊ぶからこそ楽しいことが表れています。ドッジボールに入れてもらえなかった3歳児も、このときの悔しい思いから、「もっと大きくなったら自分もドッジボールをしよう」という憧れと目標を抱くことになったかもしれません。

もし保育者が、異年齢のかかわりだからといって、「年上は年下にやさしく」という規範的な正しさを一方的に押し付け、遊びに入れてあげてと言っていたら、違う展開になっていたと思います。規範的な正しさを押し付けない保育者、そして、子どもたちのまなざしの先にあるものを伝え合う関係性をつくる保育者の存在が、園での異年齢同士のかかわりを表面的で規範的なものにとどまらない、豊かなものにしているように思います。

筆者プロフィール
佐川 早季子(さがわ・さきこ)

京都教育大学教育学部 准教授。
長崎市生まれ。一人目の子どもを生み育ててから、どうしても子どもに関わる研究がしたくなり、大学院に入り直し、今に至る。母親であり研究者であり大学教員。
著書に『他者との相互作用を通した幼児の造形表現プロセスの検討』(風間書房)、共訳書に『GIFTS FROM THE CHILDREN 子どもたちからの贈りもの−レッジョ・エミリアの哲学に基づく保育実践』(萌文書林)などがある。

※肩書は執筆時のものです

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