ある保育園で、子どもの表現を支える環境構成についてのアクション・リサーチを行いました。保育現場で行うアクション・リサーチとは、研究者が、保育者たちとともに、または保育者自身の手で、現場にある問題を発見し、その問題に実際に応えようとする研究手法です。今回のアクション・リサーチでは、リサちゃんという3歳児の女の子について保育者が抱えていた悩みを出発点に始まりました。
当時、経験2年目だった担任保育者は、保育室のなかにある製作コーナーで、他の子どもがやっていることを傍観したり、真似ばかりしているリサちゃんに対して、どう関わっていいのかわからないという思いを抱えていました。そこで、このリサちゃんと、保育の場でどんなことができるかを、筆者も一緒に考えていくことにしました。補足しておくと、幼児期の子どもたちにとって真似すること、すなわち、模倣は、発達的にとても重要な意味があります。製作や描画の場面でも、模倣は「積極的な情報収集であったり、表現イメージの摂取であったり、あるときは表現の展開に組み込み、別の場合は現状打破の策であったりすることから、肯定的なスキルとして受け入れたいもの」(奥, 2004, p.70)だと言われています。担任保育者にとっては、リサちゃんが真似ばかりしていることよりも、そこにリサちゃん自身の「〜したい」という思いがないように見え、かと言って、モノと関わることを楽しんでいるようにも見えないこと、その所在なげな様子に課題を感じていました。それに加えて、製作コーナーでのリサちゃんは、つくっているものができあがりそうになると、自分でぐしゃぐしゃにしたり、友達のつくるものと少しでも違うものができると、隠したりするような姿がよく見られました。一方で、やり方がわかるときや目的意識をもっているときには、打ち込んでやる姿がある、とも保育者は捉えていました。そんなリサちゃんに、保育者は、「〜したい」という思いをもって、それを実現してほしいという願いをもっていました。
そこで、まず筆者が、リサちゃんの製作コーナーでの様子を観察し、ビデオで記録することにしました。観察したのは3月のある日のことでした。その保育園では、4歳児と5歳児は同じ保育室で過ごします。リサちゃんのいる3歳児9名も、4月に4歳児クラスに進級することを見越して、4歳児12名、5歳児11名と同じ保育室(約42㎡)で生活していました。その日は、製作コーナーに置かれていた粘土を4歳児が取り出したことに影響を受けてか、3歳児数名も粘土を使いはじめ、リサちゃんもその中に入っていきました。 その粘土を扱う場面のビデオ映像を担任保育者と筆者で丁寧に観ながら、その日の保育をふり返りました。すると、製作コーナーでのリサちゃんの姿とリサちゃんを取り巻く環境構成の課題が浮かび上がってきました。
第一に、リサちゃんは、他の子どもたちの様子を傍観する回数や時間が多いということがありました。傍観といっても、近くで粘土をしている子どもたちの様子をじっと観るのではなく、室内で聞こえてくる音や目に入るものに気を取られて、そちらに目を向け、何が起きたかを確認する時間がほとんどでした。異年齢の子どもが密集している保育室の中では、様々なものが視界に入り、リサちゃんにとって、気もそぞろになる空間なのではないか、という課題にたどりつきました。
第二に、リサちゃんは「〜をつくりたい」という思いをもってつくっているようには見えず、どうしたらいいのかわからずに戸惑う表情を浮かべていました。保育者と筆者は、リサちゃんはやり方がわかるときや目的意識をもっているときには打ち込んでやるということを思い起こし、リサちゃんが置かれている環境の中に、イメージを引き起こすものがなく、目的意識をもてるものがないことが課題ではないか、という結論にたどりつきました。
第三に、もともと4歳児が使っていた粘土が、固く大きすぎて、3歳児が自力で粘土を分けることができず、手元にあるヘラで粘土をこそげとることを繰り返す姿がありました。その映像を見ながら、固い粘土を大きな塊のまま出し、配慮なくヘラを出すといった素材・道具の出し方にも課題があるということに気づきました。このような課題から、リサちゃんが「〜したい」という思いをもち、それを実現できる環境構成について仮説を立てました。
その仮説の一つ目は、他の活動が視界に入りにくく、同じ活動を行っている人たちだけで過ごせるような環境をつくることで、落ち着きを得られるのではないかというものです。そこで、保育者は、部屋の真ん中にあったテーブルを壁際に寄せ、イスも、子どもが座ったとき壁の方向に目が向くように位置を変えました。ただし、隣に何脚かイスを並べ、同じ活動をしている人とは近くにいられるようにしました。
仮説の二つ目は、リサちゃんのように、目的意識やイメージをもって製作したい子どもにとっては、製作の目的やイメージを得て、それをもち続けることができるような環境が必要ではないかというものです。保育者は、リサちゃんを含め、クラスの子どもたちが興味をもっている動物園の絵を描くための紙を床に敷き、その近くに粘土で製作をする机を設置しました。動物のフィギュアも近くに置いておきました。
仮説の三つ目は、リサちゃんと粘土との出会いを演出するため、素材の材質、形態、使いやすさ、道具の出し方に配慮した環境をつくることが必要ではないかというものです。そこで、保育者は、粘土(油粘土・白)を塊のまま出すのをやめ、3歳児の手でも分けられるくらいの5センチ角ほどの塊に分け、やわらかくしておきました。また、まずは手でさまざまな粘土の感触や伸びを感じた上で変形させてほしいという願いから、ヘラを出すのをやめました。
他の遊びコーナーと離れたところに粘土のテーブルを設置し、ヘラを出していない
子どもたちの好きな動物園の絵を描いた模造紙を広げている。
子どもたちは粘土でつくった動物をここに持ってきて遊んでいる
環境を変えてからのリサちゃんの様子は、環境を変える前とは別人のようでした。まず、他の子どもの様子をぼーっと見て確認するような時間が大幅に減りました。そして、動物園というイメージの世界に入り、自分が動物園で見たカバを粘土でつくり、その後には、保育者の予想を超えて、お風呂やトイレなど、カバが生活するための場所を次々につくっていました。その様子を見て、保育者は、動物園の絵にカバの住んでいる場所をクレヨンで描き、リサちゃんのつくった粘土のお風呂やトイレを置くスペースをつくりました。リサちゃんは、粘土が形を変えるたびに、保育者に「ねぇ、先生、見て。お風呂」「ねぇ、見て、こんなになったよ。トイレしてるんだよ」と、つくったものを嬉しそうに見せ、粘土をつくる場とつくったもので遊ぶ場を行き来して、製作とごっこ遊びをしていました。また、ヘラがないためか、爪を使って粘土に模様をつけるという動きもしていました。指先で粘土に穴をあけるという手指の動きも見られました。この動きは、偶然、指が粘土に食い込んだときに発見した方法のようでした。イメージや思いをもつなかで、「粘土ってこんな風に動くんだ」「こうしたら、こんな風に伸びるんだ」と、粘土の声を聴いて、それに応じて、手を使って話しかけているようでした。粘土もまた、応答的に、リサちゃんの呼びかけに応えているようでした。
保育のふり返りで、保育者は「素材を前にすると、さまざまな発想が浮かんで、どんどん表現する子どももいますが、リサちゃんのように周囲にあるもので、目的やイメージを確かめながらつくりたいという子もいるんですね。その子に応じた環境構成をしていくことが重要だと気づきました」と語っていました。
付け加えるならば、こんなふうにも言うことができるのではないでしょうか。子どもとモノが対話するように応答しあう場には、モノの声が聴こえるような配慮が必要だ、と。粘土というモノ自体も声をもっています。それは、私たちが考える音声的な声ではなく、そのモノの物質性や特徴、潜在的にもつ動きの可能性のようなものです。この声は、耳を傾けなければ、聞こえないくらい小さな、声にならない声であるときもあります。人とモノが声を出し合い、聴き合う場をつくるための配慮を、デザイナーでもありアトリエリスタ注でもある伊藤史子さんは、「デートのセッティング」にたとえています(伊藤, 2021)。興味のある者同士が互いの魅力に惹かれ、近づき、おしゃべりして、関係を深められるようなデートを、人とモノのあいだにセッティングするということです。子どもに応じた環境構成とともに、そのモノに応じた、モノとの関係が深められるような環境構成の配慮が必要だといえます。リサちゃんと粘土とのやりとりを通して、互いの声に耳を傾けられるような場の配慮があるかどうかが、人とモノの対話が可能かどうかの分かれ目になると学んだ研究でした。
注)アトリエリスタ:レッジョ・エミリア・アプローチの保育施設で子どもとかかわるアートの専門家。発祥地であるイタリアのレッジョ・エミリア市では、保育施設にアトリエリスタが常駐し、子どものアートを支えている。引用文献
- 伊藤史子(2021)「子どもの表現と社会をつなぐ―環境を支えるアトリエづくり」発達, 165, ミネルヴァ書房.
- 奥美佐子(2004) 「幼児の描画過程における模倣の効果」 保育学研究, 42(2),163-174.