CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 小林登文庫 > 【4月】今年の3月11日に考えたこと、発達心理学会とアメリカの「トモダチ作戦」

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

【4月】今年の3月11日に考えたこと、発達心理学会とアメリカの「トモダチ作戦」

小林 登 (CRN 所長、東京大学 名誉教授、国立小児病院 名誉院長)

2012年4月 6日掲載
東日本大震災から丁度1年たった3月11日は、名古屋にいた。3月9日、10日、11日と3日間にわたる第23回日本発達心理学会の最終日のポスター・セッションに出席するためである。そこでは、ベネッセ次世代育成研究所の研究員三人の発表に、所長として立ち会った。と言っても、時々見ていただけで、隣でやっていたシンポジウムにも顔を出したりしていた。私が出なくても皆さんだけでも充分に、しかも立派に対応できていたのである。それぞれ「妊娠出産子育て基本調査」「3.11東日本大震災の影響 子育て調査」について発表し、会員と活発に討論していた。

ベネッセの調査研究は大変評判が良い。それは、いろいろなところから直接、間接的に私の耳に入って来ている。この様に学会での発表の積み重ねの結果も、評価されていると思われる。

日本発達心理学会というと、その設立に、私も他の心理学者と一緒になって東 洋(あずま ひろし)東京大学名誉教授のお手伝いをしたのである。23年前の第1回には、6~700人の会員しか集まらなかったのであるが、この名古屋の第23回大会には2,000人足らずではあるが、その3倍程の方々が集まったという。内容も豊富で、私も2、3の特別講演を伺ったが大変勉強になった。外国人の演者も3人ほど招待されていた。懇親会にも出席したが、学会設立当時の古い友人にも会い、若い研究者や招待された外国人演者とも話ができて大変楽しかった。

学会を早めに失礼して帰京の途についたが、2:46という時刻には、名古屋を出たばかりの新幹線の中にいた。東日本大震災で亡くなられた沢山の方々、被災した方々、そして原発事故で住んでいた村や町から離れて生活せざるを得ない方々に思いをはせ、新幹線の中で目を閉じ静かに祈った。

わが家に帰ってテレビをつけると、どのチャンネルも3.11東日本大震災の特別番組ばかりであった。その中のテレビ朝日の報道番組の「トモダチ作戦」は、内容が濃く、感銘深く学ぶことも多かったため、いろいろと考えさせられた。それも、この4月の所長コラムでお伝えしたい。タイトルは、3月11日に関係した2つの項目を挙げただけで、特に特別関係があるわけではない事をあらかじめお断わりしておく。

「トモダチ作戦」でまず驚いたのは、その作戦行動の早さであった。災害支援を行うにしても、アメリカ海軍は手際よくテキパキと行い、日本政府が要請した時には、救援物資を積んだ航空母艦から上陸用艦艇まで多くの艦船が仙台沖に着き、待機していたというのが事実である。

次には情報収集の駿速さである。勿論のこと、情報なくしては上述のように手際良い作戦行動はとれない。番組では、震災発生直後作戦開始と同時に、空高く成層圏を飛び写真を撮る偵察機(ドラゴンレディ)が韓国から飛び立ち、被災地の写真を次々に撮って司令部に送り、どこで何をすべきかを判断して、作戦を展開していた経緯が報道されたのである。さすが、情報科学・情報技術の進んだアメリカだと思った。

御存知の通り、アメリカは情報科学という学問と、その技術を体系づけた国である。それも第二次世界大戦の時に、戦争を勝利に導くため、暗号解読の方法を確立する必要があったことも関係していたというのである。わが国の海軍の艦艇が作戦遂行のためにやりとりする暗号を収集して分析し、それを解読するため、その大量の情報を分析し処理する理論と方法を考え、計算機まで作って目的を果したという。それが、現在ではコンピューター技術にまで発達しているのである。

アメリカの暗号解読の技術が進んだ結果、第二次世界大戦開戦時の昭和16年12月8日に、日本海軍が初めて、航空母艦から飛び立った艦載機でハワイのパールハーバーを攻撃した時に、暗号が既に解読されていたかどうかは、残念ながらわからない。しかし、ミッドウェー海戦、山本連合艦隊司令長官の戦死などの時には、全てわが海軍の暗号は解読されていて、作戦の手の内を読んで、先手、先手とアメリカは行動していたといわれている。したがって、第二次世界大戦におけるアメリカに対する戦争は、暗号で日本が敗けたとさえ言える。すなわち、情報科学の理論と技術のレベルが余りにも違い過ぎていたからとも言えるのである。

したがって、3.11東日本大震災の地震・津波・原発事故の情報を、わが国以上にアメリカはもっていたに違いない。3.11後間もなく、わが国で生活していたアメリカ人は、大使館の指示で、関西に避難したか、アメリカに帰国したと言われている。東京にアメリカ人は、ひとりもいなくなってしまったという噂さえあるのである。

第二は、アメリカ人の善意である。あの番組をみると、日本人に対して格別の善意をもっていることが明らかだと思う。それはまた、「トモダチ作戦」に従事した水兵・兵士から士官・将校にまでみられたように思う。それだからこそ、海軍、海兵隊、空軍そして陸軍と総力を上げて作戦することができたのである。福島に上陸して援助活動を行う前に、水兵・士官が上陸すれば、放射線被害を受ける可能性が話されたにもかかわらず、全員が救助作戦参加の意向を示したという話が、テレビの中で報道されていたのは、大変感激的であった。

その昔、1877年に来日し、大森の貝塚を発見し、東京大学理学部の教授として生物学や進化論を教えたE. S. Morse、つづいて1890年に来日した元新聞記者であった文筆家、エッセイスト、日本研究家と言えるP. Lafcadio Hearn(小泉八雲)から始まって、そして最近、しかも東日本大震災のあと、日本国籍を取って日本永住を決めた日本文学者のDonald Keenさんと、わが国を好きになったアメリカ人は少なくない。何か、ヨーロッパの古い文化の中で育ち、新しい文化の創造を目指してアメリカに渡った人々やその子孫には、日本の文化の魅力になにか惹き込まれるやさしい心があるのではなかろうか。

前にも申し上げたと思うが、「トモダチ作戦」でみられたアメリカ人の善意というと、私の体験が思い浮かぶ。1954年というと60年近くも前になるが、大学卒業直後私は貨物船でアメリカに渡り、8月にクリーブランドの病院でインターンを始めたのであった。その翌年の春のある日曜の午後、暖かな太陽を背に浴びながら街を歩いていた。後から来た車が私のわきにスーっと静かに止まり、車の中から"Hey, doc"と声をかけてきた。彼は、自分の子どもが小さなケガで病院の救急室に行った時、私に親切に診てもらったそうで、有難うと言うのである。忙しい救急室勤務なので、よくは憶えていなかったが、私にとってはうれしい話であった。つづいて彼は、GIとして日本に駐留している時に、日本人との交流が如何に楽しかったか私に聞かせてくれたのである。彼も、日本に来て日本人とつきあって、日本が好きになったアメリカ人のひとりであると言えよう。こんなこともあってか、私にとってアメリカの留学生活は楽しいものであった。

「トモダチ作戦」の水兵や兵士の中にも、日本に寄港した時の体験によって、日本人が好きになった者が沢山いたに違いない。それが、アメリカの「トモダチ作戦」に「たましい」が入り、あのように素晴らしいものになったに違いない。報道されたシーンに現れたアメリカ兵士の眼に、やさしさを感じたのは、私だけではないと信じている。

今年の3月11日に思った事2つを、4月のコラムとしてまとめてみた。
このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

遊び

メディア

特別支援

研究室カテゴリ

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP