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【2月】「子ども学」とベルゲンの国際会議(1992)

要旨:

今月の所長メッセージは、1992年5月にノルウェーのベルゲンで開かれた国際会議の思い出と共に、「チャイルド・エコロジー」を含めて、現時点での所長自身の「子ども学」に関する考え方を整理した内容となっている。

最近、CRN英語版サイトの「Koby's Kodomogaku」に載っている私の古い論文 "Child ecology: a theoretical basis for solving children's problems in the world" を読んで下さる方が少なくないことを知った。大変嬉しく思うと同時に、1992年5月、ノルウェーのベルゲンで開かれた国際学会への旅を懐かしく思い出した。

 

論文は、ノルウェー政府に招かれたこの国際会議 "Children at Risk" 「危機にある子どもたち」で発表した特別講演の内容をまとめたもので、この会議が、私の現在の在り方に色々な意味で深く関係しているのである。すなわち、従来から考えていた「子ども学」を体系づけ、「日本子ども学会」を立ち上げ、それを普及させて「子ども問題」"Child Issues" (当時は、 "issue" という言葉はあまり使われていなかった)解決に少しでも貢献しようと決意した機会でもあった。

したがって、今月の所長メッセージでは、ベルゲンの国際会議の思い出と共に、「チャイルド・エコロジー」を含めて、現時点での「子ども学」の考え方を整理してみたい。そして、是非、皆さん方の忌憚のない御意見も伺いたい。

1992年に開かれたベルゲンの国際会議は、ノルウェー政府と "Norwegian Center for Child Research" (ノルウェー子ども学研究センター)との共催で開かれたもので、1989年の国連での「子どもの権利条約」採択を記念して、全世界から子ども問題に関心を持つ学者・研究者・実践家を集めた学際的、包括的な会議であった。わが国からも、東 洋先生ほか、何人かの学者が参加された。

開会式には、マッタ・ルイーセ王女をはじめ、首相のブルントラント女史、国会中わが子に母乳哺育をして日本でも有名になった子ども家庭大臣グレーテ・ベルゲ女史、そしてWHO、UNICEFなどの国際機関の代表の方々が出席され、スピーチもされた。

"Norwegian Center for Child Research" の "Child Research" をあえて「子ども学」と訳したのは、その会議が学際的、包括的で、あまりにも私の考える「子ども学」そのものに近かったからである。そもそも、子どもは「生物的存在として生まれ、社会的存在として育ち、育てられる」もので、「子ども学」は、その両面を併せ捉え、人文科学を学んだ人も自然科学を学んだ人もお互いに理解し合えるように、少なくとも「文理融合科学」でなければならないし、包括的、統合的、さらには学際的、環学的でなければならない、という思いをベルゲンで強くしたのである。

その後10年程経ち、同じ考え方で、ロンドンの大学に "Child Study"というコースが始まった。従来、要素還元論を柱にしてきた科学が、21世紀に向け包括的、学際的になる流れがあったことは、ひとつの大きなトレンドと言える。特に、人間に関わる科学はその傾向が強いと言えよう。その代表は「人間科学」"Human Science" であり、イギリスにはその流れが古くからあった。個人的には、「子ども学」 "Child Science" は、「子どもの人間科学」であると考えている。

私の考える「子ども学」には、少なくとも3つの柱があると思っている。第1の柱は、生物的存在としての子どもを、どう包括的、統合的に考えるか、第2の柱は、子どもの全てのいとなみを、どう「脳科学」 "Brain Science" の立場で考えるか 、第3の柱は、社会的存在としての子どもを、どう「チャイルド・エコロジー」 "Child Ecology" の立場で考えるかである。

私は、「子ども学」全体にとって、「システム・情報論」の立場が重要であると思っている。それは、上述のように、自然科学を勉強した人でも人文科学を勉強した人でも、お互いに理解し合うために必要だからである。生物的存在としての子どもは、両親の遺伝子の情報により、細胞を組み合わせて組織を、組織を組み合わせて臓器を、臓器を組み合わせて身体をシステムとして作りあげたものである。その身体システムを機能させるため、脳ではニューロンを組み合わせてネットワーク・システムが作られ、情報によってそれを働かせる心と体のプログラムも作られているのである。

例えば、「手を動かす」という体のプログラムに何らかの情報でスイッチが入れば、脳のニューロンのネットワーク・システムが働いて、胎児の手が動くのである。「笑う」という心のプログラムに何らかの情報でスイッチが入れば、胎児は微笑むのである。同じ心のプログラムの発達したものを使って、赤ちゃんはあやされて笑い、小学生は漫画で笑い、高校生は落語で笑うのである。

「システム・情報論」は、子どもの体の成長ばかりでなく、心の発達を科学的に考えるのにも有用な理念である。受精卵から始まる胎児は、この世に生まれるまでに身体システムの基本を作り上げると共に、それを働かせる基本的な心と体のプログラムも持って生まれる。生後は、体験したことのない生活環境の情報で、基本的なプログラムを働かせながら、組み合わせて、体を動かし行動する複雑な体のプログラムばかりでなく、優しくしたり、喜んだり、笑ったり、あるいは泣いたり、怒ったり、怖がったり、さらには考えたり、学んだり、憶えたりする複雑な心のプログラムも作っているのである。基本的なプログラムを働かせながら、組み合わせて、われわれ大人が持っている複雑で豊かな心と体のプログラムを脳に作ることが、心の発達と言える。

胎児も微笑むことは上述したが、それは基本的な笑う心のプログラムの働きであり、赤ちゃんがお母さんにあやされて声をたてて笑うことは、その基本的なプログラムが、お母さんの表情や声のリズム・ピッチという情報の意味するもの、すなわちお母さんの優しさ、母性愛を感じ取る知性なり感性の心のプログラムと組み合わされて複雑になったものの働きの現れである。小学生が漫画で笑う、中学生や高校生が落語で笑うとなると、より高度な知性の心のプログラムとの組み合わせによる洗練されたものの働きであることは理解されよう。

さらに、「システム・情報論」的に「チャイルド・エコロジー」をみてみると、子どもは、家庭(ミニ・エコシステム)、保育園・学校など(メゾ・エコシステム)、そして地域社会・国など(マクロ・エコシステム)に囲まれた生活の場(エコシステム)で生活し、体を成長させ、心を発達させ、大人になっているということが理解されよう。それぞれのエコシステムの中には、人間ばかりでなく動植物などの「生物因子」、空気・水・土、そして生活や生産から廃棄される「物理・化学因子」、そして社会文化、特にメディアなどの色々な「情報因子」が「エコファクター(生態因子)」として存在し、その海の中で子どもは生活していると言えるのである。これらの「エコファクター」は、極言すれば「物質」と「情報」と言えるかもしれない。子どもの体の成長には栄養という「物質」が必要であり、心の発達には日常生活のメディア、家庭の育児、そして保育園・幼稚園・学校の教育による「情報」が必要である。良い栄養、良い情報は、子どもにとって必須のものなのである。

そんなことを考え、ベルゲンの国際会議では、子どもの危機 "at risk" を避けるためには、「子ども学」のひとつとして、社会的存在としての子どものいとなみを理解する「チャイルド・エコロジー」という考え方が必要である、と申し述べたのである。

この国際会議の後、ベルゲンからバスで2時間、船でまた2時間程の美しいフィヨルドの奥のホテルで缶詰めになり、世界の代表達と話し合ったことが2つある。ひとつは、学際的な子ども学雑誌 "Childhood"を作ること、もうひとつは、世界の子ども問題に関心がある学者・研究者・実践家をインターネットでつなぐことである。その結果、私の発表した「チャイルド・エコロジー」を論文にして、"Childhood" の第1巻第1号に掲載する光栄を頂いた。また、インターネットのネットワークの方は、国立小児病院を定年退官した機会に、ベネッセコーポレーションの御支援を頂いてCRNの日本語版・英語版を立ち上げ、続いて中国語版にもサイトを拡大させ現在に至っていることは、皆さん御存知の通りである。

充実したノルウェー滞在であったが、どうしても急いで帰国する必要があったため、仲間と2人で小さな水上飛行機をチャーターしてベルゲンに出ることにした。泊まったホテル前からフィヨルドの静かな水面を滑走して飛び立ち、5月というのに雪をたたえた山の頂を這うように飛び、いくつかのフィヨルドを越えて、ベルゲン空港脇に着水した。そしてロンドン行きの飛行機に飛び乗って、この旅は終わりを迎えた。今でも懐かしく思い出すのである。

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