CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 小林登文庫 > 【6月】4回目の韓国訪問、晋州の教育大学で「子ども学」の講演をした

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

【6月】4回目の韓国訪問、晋州の教育大学で「子ども学」の講演をした

要旨:

小林所長の4回目となる韓国訪問の報告記事です。今回は、「子ども(学)研究所」とそれを支持する財団を設立する計画にあった晋州教育大学校に招かれて「子ども学」の講演をした。子ども学を提唱するに至ったきっかけを振り返りながら感慨深い想いを語っている。また、約30年ぶりに訪れた韓国の印象や、講演をした都市である晋州の雰囲気や歴史についても述べている。

今回の韓国訪問は、個人的には4回目となる。第1回目は、1960年代末、東大が大学紛争の余波で荒れていた助教授の時代、WHOの医学教育のセミナーでソウルに行った。2回目は、1970年代の前半、東大教授として韓国小児科学会に招かれて腎炎の免疫病理の話をソウルでした時である。3回目は、1980年代初め、国際小児科学会会長として、同じく韓国小児科学会の招きで、原発性免疫不全症候群の講演をソウルでして、その後南に下る韓国の旅をした。4回目の今回は、医師としてではなく、南の国立晋州教育大学校に招かれ、「子ども学」の考えを述べたのである。

 

前回の訪問から約30年振りになる今回の旅は、5月25日から4日間、ソウルと韓国南部の海岸都市チンジュ(晋州、Chinju)の訪問であった。そもそもの始まりは、そこにある国立の晋州教育大学校 Chinju National University of Educationに、「子ども(学)研究所」とそれを支持する財団を設立する計画にあった。大学がいろいろ調査している内に、「甲南女子大学国際子ども学研究センター」の存在を発見し、恐らくインターネットで見つけたものと思うが、連絡がきて、その設立者として、私の訪韓になったのである。まさにIT時代でなければ起り得ない出来事である。

国立小児病院の院長を1996年に退官した時、1992年のノルウェーのベルゲンで開かれた国際会議で話し合った、インターネットによって日本ばかりでなく世界の子どもに関係する研究者・実践家のネットワークを作ることと、私の言う「子ども学」"Child Science"を体系づけると共に学会活動によって普及させる仕事を始めたいと考えた。そんな中で、定年後の短い時間ではあるが、甲南女子大学で私の考える「子ども学」を講義する機会を持ったばかりでなく、国際子ども学研究センターも設立することが出来たことが、今回の韓国の旅につながっている事は、正に人生の妙と言えよう。

御存知のように、インターネットによるネットワークはChild Research Netであり、学会は日本子ども学会(Japanese Society of Child Science)である。幸いいずれも活発で、子ども学という考えも普及して来たことは皆さん御存知のことと思う。

残念ながら韓国語は全く出来ないので日本語で発表したが、幸い大変上手な通訳者の方が逐次通訳をして下さったので、内容は充分通じたものと思われる。申し上げたことは、子ども問題"Child issues"の研究(research, studies)には「子ども学」"Child Science"が必要であるということである。それは、学際的、包括的な子どもの人間科学でなければならないという考えでもある。このことについては、CRNでしばしば書いたりしているので、皆さん方は、すでに周知のことであると思うが、韓国の方々にもぜひご理解頂ければと思っている。

今回の旅で最も強く印象に残ったのは、韓国の豊かさであった。経済の発展と共に、街がきれいになり、人々が明るく生活している姿である。60年代末の旅では、夜は外出禁止で、泊まったホテルから外には出られなかった。もちろん、70年代、80年代の韓国の旅でもそれなりに豊かで明るくはなってはいたが、今回とは比較しようもなかった。80年代の南への旅では、ソウルからプサン(釜山)までテグ(大邱)を通って高速道路を走ったが、今回も少なくとも途中までは同じだった様に思う。車の窓から、向こうに見える小さな町、小さな村に森の緑や赤い屋根の間にいつも十字架を持つ教会の建物が静かに立っているのが見えた。前回と同じ風景であった。

チンジュは人口34万であるが、静かな落ち着いた街並みで、織物工業のクリーンな産業で栄えている町である。大学は六つ程もあり、学問の盛んな町でもある。晋州教育大学校は、小学校教員養成大学としては韓国屈指で、日本時代の師範学校から始まり、1963年に大学になり、1983年に二年制から四年制に改編された、歴史と伝統ある教育大学である。

日本との関係では、秀吉軍の侵攻による文禄の役での二回の晋州城攻防戦の古い歴史もある。文禄の戦では、韓国の女性が日本の指揮官を抱いて川に飛び込み、身を挺して戦を勝利に導いたという。その銅像が町を流れる川岸に静かにたたずんでいた。このような戦争による悲劇は、もう起こしたくないものである。

韓国の旅でいつも思うことであるが、文化、特に古い建築物には日本との共通性があり、町には日本のふる里というような雰囲気がある。歴史的に考えれば当然と言えよう。今回、驚いたことに、日本語を流暢に話せる人が多くなったようである。特に大学の先生に多く、日本への留学経験を持つ方々も少なくない。日本が長きにわたり朝鮮半島の人々に対してしたことを思うと考えさせられることが多い。私たちも、是非子ども学を介してこのような交流を深めて行きたいものである。

このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

論文・レポートカテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP