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【4月】桜満開で春爛漫

桜が満開になると、「春爛漫」という言葉が浮かぶ。「爛漫」という言葉自体が、「花が美しく咲き乱れる」の意であるという。日本人は、春に咲く花の中でも桜こそが主役、と考えているのではなかろうか。どんな人の人生にも、桜は年に一度、春と共に現れるものである。

 

わが国の教育制度における区切りとしての新学年は、もちろん北海道や沖縄では多少ずれると思うが、桜と共に4月に始まる。恥ずかしい話であるが、私にとってその桜というと、小学校一年生になった入学式を思い出す。どういう訳か怖くて学校に入ることが出来ず、母親に無理やり手を引かれて、泣きながら門をくぐった思い出がある。その時ちらっと見た若木の桜一本が、校門の脇で静かに花を咲かせていたのが瞼に残っている。いま人生を振り返ってみると、そんな頃もあったのだと、つくづく考えさせられる。子どもの将来はわからないものである。

昭和の二桁を過ぎると、事変という名の戦争、そして世界大戦の時代に入り、現在のように飲んで食べてという花見をした記憶は思い出せない。しかし、桜は忠実に花を開き、春を告げていた。

戦争末期、海軍兵学校で過ごしていた私は、2回の春を瀬戸内海の江田島で迎えた。江田島の校庭には桜が多く、4月には正に春爛漫であった。昭和19年の春はまだまだ桜の花を愛でる余裕があったが、終戦の年である昭和20年の春はそれどころではなかった。敗戦の流れの中で、2月に硫黄島、3月末には沖縄にアメリカ軍が上陸し、わが国は追い詰められていた時である。アメリカの機動部隊が日本の近海に近づき、航空母艦から飛び立った艦戴機のグラマンが江田島の上空を飛び交っていた。山の防空壕に飛び込むため走っている我々に、グラマン機は急降下して機銃掃射した。攻撃を終えて反転する時にパイロットの顔がわかる程、機は近かった。その時も、山には桜が咲いていた。

そうして戦争もやっと終わり、平和がおとずれてからの桜は格別であった。それは駒場の東大教養学部の桜から始まった。キャンパスには桜の木がたくさんあり、4月は春爛漫。しかし、それは戦後から3年間程の駒場生活だったので、未だ旧制第一高等学校時代であり、しかも寮生活であった。ビールを飲み、寮歌を歌い、若さを満喫した花見で、つくづく平和とはありがたいと思ったものである。毎年、皆で昔を思い出そうと、桜の花見を兼ねて、寮の同じ部屋の仲間と春に集まることにしている。今年は残念なことに都合がつかず、参加出来なかった。

どういう訳か、今年の桜は気になってしかたなかった。温暖化現象で桜の開花が早くなると、テレビや新聞が盛んに伝えていたからかもしれない。今までそんな思い出はないのだが、週3回、世田谷から神田に高速道路で通っている途中、目につく桜が気になったのである。霞が関に向かってトンネルに入り、代官町近くでパッと明るくなって、そのトンネルを出ると、左の千鳥ヶ淵の桜と共に、左右に皇居内堀の桜が目に飛び込んでくる。続いてすぐまた短いトンネルに入り神田に向かうので、眺める時間は長くない。

東京の桜の開花は今年、3月21日と報道された。しかし、その後2月並みに寒い日が続いたためか、千鳥ヶ淵の桜も皇居内堀の桜もなかなか開花せず、裸の桜木が淋しく立っているのが印象的だった。3月から4月に移る頃、暖かくなり急に咲き始めた桜は、やがてあっという間に満開となり、正に春爛漫となった。1週間程経つと花吹雪としてハラハラと散り始めていたが、それでも開花の期間は例年より長かったそうである。

地球温暖化と言っても、桜の花が見られなくなることはまずないと思うが、色々変わることは間違いない。気温が1度上がれば、植物の北限が180kmから200kmも北上すると計算されている。したがって、現在報道されているより桜前線の北上が早まることは確実であろう。しかし、桜の開花の時期よりもむしろ、地球温暖化による熱波、豪雨、干ばつなどの異常気象などで桜の生態が脅かされる方が心配である。落ち着いて花見が出来なくなることが起こり得ると思うと、今から来年の桜も少々気になるのである。


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