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【教育学者の父親子育て日記】 第25回 パパは仲間外れ?!

要旨:

子育てに関わる父親は、「女の子」の世界では当たり前のように行われていることを、必ずしもスムーズにすることができない現実を思い知らされる場面があります。それは、私にとっては、髪留めゴムを使って娘の髪を結ばなければならないときです。どうしても髪を結ぶことのできない私に、娘もフラストレーションを感じ、娘と父はどうしようもない状況に陥ってしまいます。そして、自分が「女の子」の世界の「仲間」ではないということを、思い知らされる父親です。ジェンダーを反映した「仲間意識」と、どのように向き合っていけば良いのか、まだまだ手探り中です。
そんな未熟な父親ですが、同世代の親として子育て真っ最中のタレントである西田ひかるさんと、子育て対談をさせていただきました。そのときの様子も、報告させていただきます。
娘のこだわり

5月6日(日)午前10時30分
「パパは男の子だから、一人で遊んでください。サヤカとママは、女の子同士で遊ぶんだもん!」

ゴールデンウィークも最後の日を迎え、この貴重な一日をどのように過ごそうかと思案し、「今日は何をして遊びたい?」と娘に訊いたところ、返ってきた答えがこれです。

最近、父親のひがみなのか、「仲間外れ」を娘から宣言される機会が増えてきた気がします。それというのも、妻にはできて私にはできないことがいろいろとあるのですが、それらの多くが女性にとっては比較的容易にできることのようです。

たとえば、娘のこだわりのひとつに、髪の毛をゴムで留めるということがあります。保育園へ行くときには、きちんと髪を結わえていかないと(場合によっては2か所も!)、娘としては納得がいかないようです。しかし、悲しいかな、私は生まれてこのかた自分の髪の毛をゴムで結んだことがありません。もちろん、誰かの髪を結わえた経験もありません。したがって、そもそも髪を結ぶためのテクニックが私にはないのですが、加えて私の太い指では髪留め用のゴムを上手く結わくことすら難しいのも現実です。

こんな私ですから、普段、はなから娘は私に対して期待などしていません。そこで、基本的には毎朝、妻が娘の髪を結んであげています。ところが、朝早くの講義や出張などで妻がいないときがときどきあるのですが、そのような日のわが家は大パニックです。私自身も出勤の準備をしながら、とにかく娘に食事、歯磨き、トイレ、着替えといった一連の儀式を慌ただしくやらせて、「さあ、もう後は靴を履いて、保育園に連れて行くだけだね」と私が思った瞬間、娘の口から悪魔の言葉が出てきます。

「髪の毛を結んで!」

さあ、どうすれば良いでしょうか。とにかく何とか娘の髪の毛をつまんで、ゴムを結わえてみます。しかし、緩くしか結ぶことができないため、あっという間にとれてしまいます。何度か試みるのですが、やはり上手くいきません。

そこで、「もう諦めよう?」と娘に問いかけるのですが、「嫌だ!」の一点張りです。そう言われても、できないものはできません。そのうち、娘は「髪の毛を結んでくれなきゃ、嫌だよう」と言って、泣き出します。こうなると、あとは力づくで、連れて行くしかありません。娘を無理やり自転車のチャイルド・シートに乗せて、泣き叫ぶ声を背中に聞きながら、保育園まで全速力でこいでいきます。

実は、娘のこだわりは、髪留めのゴムだけではありません。スカートなどに関しても、娘にはお気に入りのものがあります。とくに、お昼寝後の着替え用スカートを、娘のカバンに入れ忘れてしまうと、もうダメです。保育園に着いた後にこの事実を知った娘は、すっかり落ち込んでしまい、私を仕事に行かせてくれません。保育園の先生も、何とか娘の気持ちを落ち着かせようとしてくださいます。先生にも申し訳なく、私の出勤時間も迫っており、焦れば焦るほど私もイライラしてしまい、ついつい声を荒げている自分に気づきます。しかし、こういった親の態度は逆効果です。娘は、ますます頑なになり、忘れ物への未練でいっぱいです。


ジェンダー意識にもとづく言動?

また、最近の娘と父親のせめぎ合いとして、トイレット・ペーパーの消費に関するものがあります。5歳になる少し前から、おしっこをした後に自分でトイレット・ペーパーを使って拭くことができるようになりました。そんな姿から娘の成長を感じて、感慨に浸っていたのも、つかの間でした。よくみてみると、大量のトイレット・ペーパーを盛大に使って、念入りに拭いています。きれい好きで几帳面といえば聞こえは良いのですが、無駄遣いは見過ごせません。

「ほらっ、ほらっ、紙を無駄に使わないの」
私が注意すると、ムッとした顔でにらまれました。
「だって、まだ濡れているもん!」
娘の言い分にも一理あります。
「わかった、わかった。じゃあ、パパが拭こうね。仕上げは、君がやればいいでしょう」
ということで、娘も納得。まず私が拭いてあげて、それから娘が簡単に仕上げをして・・・、と思っていたら、何と仕上げのトイレット・ペーパーをクルクルと勢いよく引き出してしまいました。

「それじゃあ、やっぱり無駄遣いでしょ。パパがちゃんと拭いたんだから、そんなに使わなくても大丈夫だよ」
「だって、ちゃんと拭けていないもん。やっぱり、パパは男の子だから、ダメなんだよ」
と思い切りダメ出しをくらってしまいました。ここでもやはり、男である私は女の子とは違うのだ、という娘の論理です。いずれにしても、紙の無駄遣いは慎むようにと、力なく注意を繰り返す父親なのでした。

そんなやりとりを経て、打ちひしがれた私がソファーに座り込んで溜め息をついていると、すっきりした様子の娘がやって来て、私の顔をのぞきこみ、肩をポンポンと叩きながら、一言。
「まあー、そんなに気にしなさんな」
どこでそんなセリフを覚えたのでしょうか。いずれにしても脱力感に襲われた父親なのでした。

ところで、こういったセリフも、以前にこの日記でお話したようなジェンダー意識の表れといってよいのでしょうか(第22回「『女らしさ』を考える(前編)」第23回「『女らしさ』を考える(後編)」 )。それとも、単に生物学的な性差を、娘なりに理解しているということなのでしょうか。こんなことを考えてしまうのも、娘がどんどん「女の子」らしい言動をとるようになってきたからです。

先日も、保育園で予定されている保育参観について妻と私が話をしていたところ、妻に対して娘が注文をつけました。
「ちゃんとメイクをしてきなさいね。メイクなしだと恥ずかしいから」
一体、どこで覚えたセリフなのでしょうか・・・


子育て談義

こんな風に、娘に振り回される日々を送っている私ですが、最近、タレントの西田ひかるさんと「子育て」に関する対談をさせていただく機会がありました。これは、上智大学が主催した会で、上智の卒業生である西田さんをお招きして、子育てを通して経験するさまざまなことについて語り合うというシンポジウムでした(http://www.sophia.ac.jp/koukai_kouza/2012spr_osaka/osaka_7111.html)。西田さんは二人のお子さん(2歳と5歳の男の子たち)の子育て真っ最中ということで、子育てをめぐる悲喜こもごもについて共感する点が多々ありました。

西田さんのお話を伺ったなかでとくに印象に残ったことが、中学の半ばまでアメリカで育ったため、自分のことをアメリカ人のように感じており、オリンピックでは日本よりもアメリカを応援するような日々を送っていたのが、日本に帰ってきてからは日本人であることを強く意識する(あるいは、意識させられる)場面が多くなり、果たして自分が何者であるのか分からなくなる、「アイデンティティ・クライシス」の状態に陥ったというお話でした。そういったご自身の経験から、お子さんたちには国際的な感覚も身につけながら、その根底には、日本人としてのアイデンティティを確たるものとしてもっていて欲しいということでした。

また、西田さんは芸能界での仕事を始めてから、非常にお忙しくなっていったそうですが、ご両親が学校を休むことを許してくれず、夜中(ときには明け方)まで仕事があっても、1時間半の通学時間をかけて必ず学校へ通っていたそうです。おそらく間近で娘の忙しい姿をご覧になっていたご両親は、ときには学校なり仕事なりを休ませたくなったこともあるかと思いますが、一度始めたことには責任をもって、「学校100%、仕事100%」で頑張りなさい、ということを西田さんにお伝えになり続けたとのことです(芸能界での仕事を始められるときの条件が、学校にきちんと通うということだったそうです)。

私が西田さんのご両親の立場にあったとして、同じような態度で娘と向き合うことができるだろうかと考えると、必ずしも自信がありません。しかし、親としては、人生において大切なプリンシプル(=生きていくうえでの基本的な姿勢)を伝えるために、ときには厳しい態度を示すことも大事であると、改めて感じました。

ところで、私は以前にこの日記で、教育学者であることが子育てに役立つのは、わがままを言っている娘にカッとなり、思わず手を振り上げそうになるとき、「僕は教育学者なのだから」と自分に言い聞かせて、何とか振り上げた手を下ろすことができるときだ、ということを書きました。実は、西田さんとの対談でもこのことをお話したところ、西田さんも子どもに思わず手を上げそうになる瞬間があると、「私は『西田ひかる』なのだから」と自分に言い聞かせて、振り上げそうになった手を下ろすのだそうです。

子どもに振り回されながらも、子どもと一生懸命向き合おうとしている、同世代の親である西田さんからは、アイドル時代と変わらぬ明るい笑顔で、ポジティブな力をたくさんいただきました。

さて、冒頭でお話をした娘の髪を結ぶ件ですが、最近になってこの点については状況が劇的に改善されました。不器用な父親に愛想をつかした娘は、力強い味方をみつけたのです。それは、義母です。

以前にこの日記でも触れたように、私たちは妻の実家の近く(まさにスープの冷めない距離)に住んでいるため、娘を保育園に連れていく前には、ほぼ毎日のように妻の両親のところに立ち寄り、朝の挨拶をするのが日課となっています。そこで、妻が仕事でいない朝には、最初から娘は髪留め用のゴムを手に握りしめ、おばあちゃんに結んでもらうことにしたのです。朝の慌ただしい時間に義母の手を煩わせるのは申し訳ないのですが、そのおかげで私は心穏やかに朝を過ごすことができるようになりました。

しかし、そんなときにも、ちょっと気になる娘の一言がありました。
「サヤカと、ママと、おばあちゃんは、みんな女の子だから、仲間だね。パパは、男の子だから、サヤカの髪のことは気にしないでね!」

これは、私に対する娘なりの気遣いなのでしょうか。それとも、ジェンダーを反映した仲間意識にもとづき、やっぱり私が「仲間外れ」にされているのでしょうか。どう理解すれば良いのか悩んでしまう、少々ひがみっぽい父親なのでした。
筆者プロフィール
lab_06_27_1.jpg 北村 友人(上智大学総合人間科学部 准教授)

カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学大学院修了。博士(教育学)。 慶應義塾大学文学部教育学専攻卒業。 現在、上智大学総合人間科学部教育学科 准教授。
共編書に"The Political Economy of Educational Reforms and Capacity Development in Southeast Asia"(Springer、2009年)や『揺れる世界の学力マップ』(明石書店、2009年)等。
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