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【教育学者の父親子育て日記】 第22回 「女らしさ」を考える(前編)

要旨:

娘の将来の「夢」に関する話をきっかけに、「女らしさ」・「男らしさ」といったジェンダー意識のあり方について考えました。今日の日本社会では、若い人たちほど昔からの性別役割意識にとらわれることなく、仕事でも家庭でも、男女が平等に役割を果たすべきだということを感じているようです。ただし、そういった若者たちの意識も、必ずしもジェンダー平等の意識が浸透してきた結果として生まれているのではなく、経済不況などの社会環境の変化が、複雑に影響しています。今回と次回の2回にわたって、ジェンダーの問題を考えるとともに、娘にどのような生き方をして欲しいと願っているのか、父親としての思いについてお話します。
将来の夢

1月1日(日)午前11時00分

「おかあさんとコックさんになりたい!」

新年の挨拶をするために私の実家へ向かっている車中のことです。妻と娘と私の3人で、新年の願いごとについて話をしていました。年が改まり、気持ちも新たになったところで、この一年間を充実して過ごすために、今年をどのような年にしたいかということで、お互いに2012年の抱負を述べ合うことにしました。私は、今年の8月に40歳の誕生日を迎え、「不惑」の年となるのですが、惑わないどころか日々惑い続けているような有様ですので、何を目標として掲げるか迷ってしまいました。とりあえず、ここ数年、筋力が失われていくのと反比例して、脇腹の脂肪が溜まり続けている現状を鑑み、「定期的に運動すること」を目標と掲げてみました。それから1か月半が経ちますが、一応、ほぼ毎朝、ランニングを継続しています。

順番に抱負を述べ合おうとしたのですが、娘には「新年の抱負」というのがいまいち概念として理解しにくいようです。そもそも、「去年」と「今年」と「来年」の区別も、まだ難しいところがあります。最近になって「昨日」と「今日」と「明日」の区別は明確につくようになりましたが、「先月」と「今月」と「来月」に関しても、どのぐらいの時間の長さであるのかということについての理解は、まだまだ曖昧であるように見受けられます。たとえば、娘の誕生日は4月なのですが、お正月が終わってから常に「来月がサヤカの誕生日だよね」と言い続けています。(とはいえ、それは誕生日プレゼントを買って欲しいために言っているという側面もあるので、実は結構ハッキリと時間の概念を身につけているのかもしれません。真相は、本人のみが知るところです・・・)

いずれにしましても、一年間という時間の単位については、まだ十分に理解できていないことは確かなようです。そのため、「今年の目標を考えてみよう!」と言っても、何のことやらといった様子でした。そこで、少し角度を変えて質問をすることにして、単純に将来の夢について尋ねることにしました。

「サヤカは、大きくなったら何になりたい?」
その答えが、冒頭のセリフです。

「何で、おかあさんとコックさんになりたいの?」
重ねて聞いてみると、
「お料理が上手になりたいから!」

力強い言葉で、理由を説明してくれました。「なるほど」と、納得の一言でした。妻が、いつも仕事から帰ってきて、着替えもそこそこに夕食の支度をするなかで、できるだけ栄養バランスを考えて野菜をたくさん使った料理を作ったりと努力している姿を、娘なりに理解しているのだと思いました。親の背中をみて子どもは育つと言いますが、そんな母親の姿からきっといろいろなことを学んでいるのでしょう。

それと同時に、ふと疑問も湧き起こってきました。料理をする頻度は妻よりも少ないのですが、私もちょこちょこと料理をしています。トータルで考えると妻の腕前には及びませんが、ハンバーグなどは私の方が上手いのではないかと、内心、自信をもっていたのです。しかし、娘の心には届いていなかったのでしょうか。「おとうさんも料理をするのに・・・」と、勝手にちょっとひがんでしまった私でした。後に、娘のセリフから私がどのようなことを感じたのか妻に話をしたところ、「そんなことないわよ。結構、サヤカも、あなたの料理を評価しているわよ」と慰められました。


男は仕事、女は家庭?

そんな会話のやりとりをしていて、いわゆる「ジェンダー(gender)」の観念が4歳の娘にも垣間みられることを感じました。

ジェンダー(gender)とは、生物学的な性(sex)とは異なり、社会的・文化的・歴史的・経済的・政治的に構築される性差のことを指します。そして、いわゆる「女らしさ」や「男らしさ」といった言葉で表現され、時代とともに変化します。こうしたジェンダーの概念は、もともと19世紀以降に産業革命が進展し、社会状況が変化したことにともない、経済的にそれ以前よりも豊かになった層(中産階級)が生まれてくるなかで形成されてきました。また、ジェンダー概念のなかには、とくに男性優位・女性劣位といった縦の関係性が組み込まれていることが多く、女性の社会進出を阻む原因ともなってきました。

ジェンダーの問題を考えるとき、男女の性別役割意識がどのように育まれるのかについて理解することが欠かせません。ジェンダーによって異なる役割があるという考え方は、日常生活のさまざまな場面で強調されています。また、学校でも、そういった考え方が知らず知らずのうちに伝えられています。

たとえば、学校には学習内容の範囲を示す教育課程(=公的なカリキュラム)の他に、暗黙のうちに共有されたある種の「隠れたカリキュラム(hidden curriculum)」が存在しており、学校現場において教師が無意識・無自覚にとっている態度や行為が、子どもたちの価値観の形成に対して大きな影響を及ぼすことも指摘されています。とくに「女の子らしさ」や「男の子らしさ」といったジェンダーに関する価値観は、教師自身が気づかずに教室のなかなどで生徒たちに押しつけてしまっていることがあります。たとえば、学級活動や学校行事などにおける役割分担や、生徒に対する叱り方などを通して、伝統的なジェンダー秩序をメッセージとして生徒たちに伝えてしまっていることがあるのです。そのため、公的なカリキュラムだけではなく隠れたカリキュラムに関しても、ジェンダー平等の視点からみつめ直すことが求められています。

このような男女の性別役割意識に関して、ベネッセ教育研究開発センターが東京大学と共同で興味深い調査を行っています(「変わる性別役割意識 ― 子どもにどのような力を育てるか」(2009) )。

ここで引用されている1990年代から内閣府が行ってきた調査によれば、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という性別役割分業の考え方に対して、「賛成」すると答える人の割合が年々減っているとのことです。また、男性は女性よりも「賛成」と答える人の割合が1割程度高いのですが、若い層になるほど「反対」と考える人の割合が多くなり、20歳代では男女の差がほとんどなくなり、6割程度の人が性別役割分業を否定する結果となっています。

この結果は、より多くの人がジェンダーにもとづく役割分業の考え方に否定的であることを示しており、よりジェンダー平等の考え方が浸透してきていることを示しています。その意味では望ましい社会のあり方に近づいているのかとも思います。

ただ、ベネッセと東大の調査が興味深いのは、こうした性別役割分業の考え方をさらに若い層(すなわち高校生)について調べた点です(http://benesse.jp/berd/center/open/report/toritsu_kousei/2009/pdf/data_15.pdf)。 東京都の高校生を対象としたこの調査では、「家事・育児の分担」について、男子は「夫と妻が同じくらい」を最も多く選択している(50.3%)のに対して、女子は「妻が中心」を最も多く選んでいる(45.7%)という結果が出ました。また、「結婚・出産後の妻の就労」に対する回答では、男子の3人に1人は「仕事を継続」することを望むのに対して、それを望む女子は2割に満たない、という結果になりました。

この調査の結果を分析した報告書では、次のようなことが指摘されています。調査結果を分析すると、性別役割分業に否定的(=夫婦同等の家事・育児負担/結婚・出産後の妻の仕事継続を希望する)な男子は、大学進学率の低い高校に多いことが明らかになりました。報告書によれば、「彼らは、希望する職業がある割合が低く、自分に自信がもてていない」と分析されています。また、「雇用条件のよい職業に就くことが難しいと考え、妻の仕事継続を期待しているようである」との指摘もされています。

その一方、性別役割分業に肯定的(=妻中心の家事・育児負担/出産による妻の仕事中断を希望する)な女子も、大学進学率の低い高校に多かったとのことです。報告書では、「彼女たちもまた、条件の良い職業に就くことが難しいと考えて、自分が家事・育児を負担する代わりに、夫に収入を期待する意識が強い」と分析したうえで、「性別役割分業の意識変化は、いずれも結婚する相手に依存したいという心理から起こっているように思えるのだ」と結論づけています。

こうした調査の結果から、単にジェンダー意識によって役割分業のあり方を考えているのではなく、1990年代から長引く経済不況のなかで、不安定な雇用環境などが想定される若者たちが、自分たちの将来のあり方を現実的に考えている様子をうかがうことができます。一見するとジェンダー平等が進んでいるようにみえる背景には、複雑な社会状況の影響がみえてきます。

こうした現実を直視するとともに、いまだステレオ・タイプなジェンダー意識が日本社会のなかに散見されることをふまえたうえで、やはり娘が育っていくなかで、そういった環境が変化していくことを強く願っています。学校だけに限らず、家庭や職場、近所のコミュニティなどのなかでも、私たちが気づかないところに「隠れたカリキュラム」のような、枠にはまって固定化されたジェンダーの観念が存在しています。「女の子はこうでなくてはならない」、「男の子はこうであるべき」といったジェンダー意識は、日々の何気ない会話や行為を通して、子どもたちに刷り込まれています。

そうしたなか、子どもにとって最も身近な大人である親が、ジェンダー平等のメッセージを伝えることが大切ではないでしょうか。妻が、美味しい料理を作るとともに、大学で教えたり、研究論文を書いている姿をみせること。また、私が自らの仕事について娘と話をすると同時に、自慢のハンバーグを作ったりすること。そういった母親と父親の姿を通して、娘が自由に将来の夢を考えていくときの参考にしてもらえたら嬉しいなと思っています。



筆者プロフィール
lab_06_27_1.jpg 北村 友人(上智大学総合人間科学部 准教授)

カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学大学院修了。博士(教育学)。 慶應義塾大学文学部教育学専攻卒業。 現在、上智大学総合人間科学部教育学科 准教授。
共編書に「The Political Economy of Educational Reforms and Capacity Development in Southeast Asia」(Springer、2009年)や「揺れる世界の学力マップ」(明石書店、2009年)等。
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