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【3月】どうしたら「よい子育て」の在り方が見つけられるのか、チャイルド・イシューズとしての保育を考える

要旨:

今回は、いわゆる「よい子育て」を、「チャイルド・イシューズ」の大きなひとつとして考えている。子育てのあり方に関する議論が「保育」中心になった。良い子育てを考えるために、「保育施設を利用しても問題ない」ということを証明する調査が必要である。「コホート調査」というものが最もよい方法とされている。米国立衛生研究所のNICHDによるコホート研究の結果を紹介しながら、所長が「よい子育て」について私見を述べている。

子どもは生物的存在として生まれ、社会的存在として育てられ、育つ。「子ども問題」 "child issues" を考える時はいつでも、これが全ての出発点になる。今回は、いわゆる「よい子育て」を、「チャイルド・イシューズ」の大きなひとつとして考えてみたい。

 

まず、「イシュー」の意味するところから考えてみよう。 "issue" は、「流れて外に出たもの」の意味である。「発行物」や「発刊物」はもちろんのこと、「問題」も「イシュー」であり、流れて外に出たものである。しかし、日本語で「問題」というと、英語では "problem"、 "question"、"issue" の3つになる。"problem" は「研究・調査・検討などを必要とする問題」であり、"question" は「疑問として浮かぶ問題」、そして"issue" は「論点の分かれる問題」である。

「よい子育て」は、確かに論点の分かれる問題である。私が大学を卒業して医師になり小児科医を志した1954年(昭和29年)から流れた年月は60年になろうとしているが、その間、子育ての論点も大きく変わった。戦後の荒廃から立ち直り、生活は電化・機械化によって大きく変貌し、豊かな、特に物質的に豊かな社会になると共に、子育ての在り方が色々論議され、社会化されたと言える。すなわち、論点が「保育」中心になったのである。

冒頭に述べた通り、「子どもは社会的存在として育てられ、育つ」のであって、それに必要な社会技術は「保育」であり、「教育」、特に「幼児教育」である。親を中心とした血縁関係者による子育ては「育児」であって、家庭という場の中で行われるため、母親中心の子育てであり、「家庭技術」に位置づけられる。しかし、「育児」も、その目的が社会的存在として生活出来る力を育てることにあるので、子どもは社会的存在として、育児によって家庭内でも育てられていると言える。

私が幼い頃(1920~30年代)に受けた子育ては、確かに母親中心の育児であり、幼稚園も保育施設も周囲になかった。妹や弟に対する子育てもほぼ同じようなものであったが、戦争中は、食料不足から始まって、疎開、そして転校と、子育てが大変な時代であった。私は戦争末期を海軍の学校で生活し、戦後、成人として生活し始めたが、そこで見た社会の子育ても、戦前と同じ「母親のするもの」であった。

戦後の荒廃から立ち直り、ある意味で朝鮮戦争の経済効果に助けられ、豊かになった1960年代までの高度経済成長期を終わる頃になって、子育ての在り方が変わり、「保育」が大きな問題になったのである。

それには、戦後のアメリカ占領軍の民主主義的な政策による社会の在り方の変化も関係しよう。特に、「男女平等」、「女性の社会参加」は、子育ての在り方に強く影響した。さらには、豊かな社会を維持するためにも女性の労働力が必要となり、保育施設の必要性が高まり、子育て問題に火がついたのである。その論議の中心は保育施設の量と質の問題であり、また「保育によって母親でない人に育てられても、子どもの心の発達に影響がないのか否か」が重要な問題であった。

1970年代に入っても、「男は仕事、女は家庭」という性別役割分担ばかりでなく、「子育ては母親でなければならない」という考え、更には、「母親以外の他人に育てられると子どもの心の発達に悪い」という「母子神話」は依然として強かった。私も、テレビなどで子育て番組に出演し、母親の重要性を強調したものである。

しかし同時に、コインロッカーに赤ちゃんを捨てる事件が続発し、小児医療の現場には「子ども虐待」、特に育児を放棄する「ネグレクト」の事例が現れ始め、現在まで増加の一途を辿っている。換言すれば、子どもを産んでも母親になれない女性、子育てが上手く出来ない女性が現れたのである。それにはもちろん、母親の子育てをサポートするシステムが十分でないことが関係しているのかもしれない。

爾来、「イシュー」としての「子育ての在り方」は現在まで続いている。しかも、豊かな社会の宿命として先進国共通の問題となっている。極言すれば、「母親が育てなくてもよいのか」という問題である。

保育施設で育てても、子どもの体の成長はまず問題ないだろうが、心の発達には何か問題が出るのではないか、と心配される方も多いであろう。よい子育ての在り方とはどういうものか考えるためにも、現在ではまず「保育施設を利用しても問題ない」ということを証明しなければならない。その方法の中で最もよいものは、「コホート調査」という疫学の手法であることは、医学関係者ならば誰でもよく知っている。「コホート」という言葉は、そもそも古代ローマの歩兵隊の1単位を指し、300人~600人の兵士の集団をいう。

保育施設での子育てによって、言語発達、認知発達、母子関係、自制心、素直さなどの心の発達に問題がないか、また問題行動を起こしたりしないか、さらには子ども達同士の関係に問題はないかなどを、適当なコホートを作り、ある期間追跡して、統計的な観察によって、母親によって家庭育児で育てられた子ども達と比較するこの方法が、問題解決へつながる一番の道であることは明らかである。

科学先進国のアメリカでは、1991年、国立衛生研究所のNICHD(国立小児保健・人間発達研究所)がこのコホート研究に手をつけた。出生直後の赤ちゃん1400人程の追跡研究を始めたのである。生後3年間、そして4年半と、そのデータを検討して発表している。日本には、これに対比出来る国を挙げての研究は残念ながら未だ無い。

生後3年間のデータについては、NICHDのこのプロジェクトで研究員として中心的な役割を果たしたSarah L. Friedman女史をお招きして、2000年7月に開かれたCRN国際シンポジウム2000「21世紀の子育てを考える」でご報告頂いたので、その資料を見て頂きたい。また、私もNICHDの報告書を翻訳し、コメントを加えて「小児科診療」誌 第63巻第7号に発表している。4年半のまとめについては、日本子ども学会(編)、菅原ますみ、松本聡子(翻訳)「保育の質と子どもの発達、アメリカ国立小児保健・人間発達研究所の長期追跡研究から」(赤ちゃんとママ社)をご覧になって頂きたい。

これらのNICHDによる保育に関するコホート研究の報告から、「保育によって子どもの心の発達が障害される」という積極的な科学的根拠はないと、私は理解した。もちろん、保育に関わる人や施設、さらには保育の仕方などの質と量は、十分考慮しなければならない。したがって、私の考える「よい子育て」とは、夫婦仲良く、わが子を可愛く思い、保育の利用についても大らかに捉え、自由にそれぞれのやり方で行えばよい、というものである。しかし、日米の文化の違いは大きいので、NICHDの行ったような研究がわが国にも必要であり、21世紀の在り方を確かなものにするためにも、是非行って頂きたいものである。

幸い、Sarah L. Friedman女史が再来日され、来たる第7回子ども学会議(日本子ども学会学術集会、2010年10月2日~3日開催、川越市民会館)でNICHDの研究成果を特別講演されるので、関心をお持ちの方は是非ご参加頂きたい。また、10月9日には、ベネッセ次世代育成研究所でも女史をお招きして公開シンポジウムを開催し、ひろく子育ての問題を考えることにしている。あわせてご参加頂ければ幸いである。

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