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【教育学者の父親子育て日記】 第24回 娘の幸せと父の幸せ

要旨:

毎日、元気に保育園へ通う娘の笑顔を目にする度に、安心感と嬉しさがこみ上げてきます。それと同時に、忙しさのなかで、ついつい娘に対してガミガミお小言ばかり言いがちな最近の自分を反省しています。そんな自分の態度を娘にもたしなめられたりしていますが、最近とくにお話好きになってきた娘は、思いもよらないセリフを言ったりします。そんなセリフのなかから、「幸せ」とは何かといったことを考えさせられる場面がありました。日常のささいなやりとりのなかから、「幸せ」な生き方とは何なのかという大きな問題へと思いを馳せてしまう父親ですが、実は本人の「夢」は娘の結婚式でスピーチするという、何ともささやかなものなのです。
娘の笑顔

3月28日(水)午前9時10分

「ワーイッ!!!!!」

例年になく長い冬がようやく終わりを告げようとしている春の朝。娘を預け、保育園の門を出て職場へ向かおうとしたとき、何気なく園庭を振り返ると、友達と一緒に運動靴に履き替えようとする娘の姿が目に留まり、ふと立ち止まった瞬間のことでした。満面の笑顔をたたえた娘が、保育園の園庭を走っていきます。その先には、輪になって体操をしている園児たちがいます。心から嬉しそうな顔をして、はしゃぎながら娘がその輪に入っていくのを、私は保育園の柵越しに眺めていました。心なしか、その景色がにじんで見えてきて、じんわりと目頭に熱いものを感じながら、笑顔いっぱいで友達と遊ぶ娘の姿をいつまでも眺めていたい気持ちでした。

昨年の夏から秋にかけて、当時通っていた認証保育園に娘がなかなか行きたがらず、毎朝のように涙を流していたことは、すでにこの日記で記した通りです(第21回「わが家の待機児童問題」)。その後、昨年の12月にようやくわが家の待機児童問題が解決し、現在の認可保育園に移ることができたことも、そのときにご報告しました。

新しい保育園では、同い年の子の数も多く、年上のお兄さん、お姉さんも大勢いる環境で、娘は着実に新しい生活に慣れてきました。ただ、朝、保育園で娘を預けて、私が立ち去ろうとすると、私の足にしがみついたりすることが、時折あります。当たり前のことですが気持ちには波がありますので、スムーズにみんなの中へ入っていけるときと、ちょっとためらってしまうときがあるようです。

また、先週は、かなり思いつめた顔で私の腕を抱え、なかなか自分の教室に入ろうとしませんでした。担任の先生と一緒に、「どうしたの?」と問いかけても、娘の答えは「・・・」(ただただ沈黙)です。それでも、何とか事情を聞きだすことができました。どうやら、4月から4歳児クラスに上がると5歳児クラスと一緒にお昼寝をするため、その練習として前日から上のクラスの子たちと一緒にお昼寝をしていたようなのですが、大きい子たちと一緒に寝るのが怖いということでした。なるほど、もっともな理由です。それを聞いた担任の先生が、「今日は先生が側にいてあげるから、大丈夫よ」と優しく声をかけてくださり、娘も少しホッとした様子で、何とか教室に入っていきました。

以前の登園拒否状態のように、涙を流しながら保育園に行きたがらないということはなくなりましたし、むしろ少々熱があっても「保育園に行きたい!」と言うぐらいですので、基本的には上手く適応してきたのだと思っています。しかし、ときどき娘がスムーズに友達の輪に入って行けない姿を目にすると、またそのうち「行きたくない」と言い出すのではないかと、内心、ドキドキしているのです。

そんなことを感じていたなかでの、今朝の出来事でした。あんなに嬉しそうな娘の顔を見たのは、もしかすると初めてと言って良いかもしれません。もちろん、どちらかというとお調子者の娘は、しばしば周りの人を笑わせますし、本人もケラケラとよく笑うので、娘の笑顔は日常的に目にしています。しかし、親や祖父母、周囲の大人たちにみせる笑顔とはまた違う、同年代の子どもたちと一緒に夢中になって遊ぶときにみせる満面の笑顔は、まさに娘の中から溢れ出てくるようでした。


娘の論理

普段、保育園では、こんな顔をして遊んでいるのだと思うと、安心感と嬉しさがこみ上げてきます。それと同時に、忙しさのなかで、ついつい娘に対してガミガミお小言ばかり言いがちな最近の自分を反省しました。とくに最近、娘の自立心が強くなってきて、親の言うことを聞かない場面が増えてきたため、どうしても私が娘を叱ることが多くなっていました。その度に、「パパは、怒りすぎ!」と娘に言われている有様です。

たとえば、食事をしていると、娘が嫌いなものを残そうとするので、「残したらダメ!」と注意するのですが、それに対して、「怒られると、食べたくなくなるよ・・・」とぼやく娘です。そこで、「好き嫌いなく全部食べないと、大きくなれないよ」と話してきかせるのですが、このようなやりとりは多くのご家庭で日常的に交わされているのではないでしょうか。

ところで、先日のことです、いつも言われているお返しでしょうか。私が自分のお腹周りの脂肪を気にして、夕食を残そうとしたところ、「残さず食べないと、小さくなるよ!」と言われてしまいました。「残さず食べないと、大きくなれないよ」ではなく、「残さず食べないと、小さくなるよ」というセリフ。 確かに、それも論理的な考え方かもしれませんが、何とも答えようがなくなってしまいました。

こんな会話をはじめとして、最近、とみにお話し好きになってきた娘と話をしていると、「なるほど!」と思わされることの連続です。少々前のことになりますが、大学時代からの友人が結婚することになり、その披露宴に行くための準備をしていたときのことです。隣の部屋で、妻と娘が交わしている会話が聞こえてきました。

「パパ、お仕事に行くの?」
「今日は、お仕事じゃなくて、結婚式に行くのよ」
「パパ、結婚するの?」

思わず、ネクタイを締めていた手が止まってしまいました。そんな娘に対して、笑いながら妻が、"パパのお友達"が結婚するのだと説明をしたところ、

「サヤカは、〇〇くんと結婚する!」

と、大きな声で宣言していました。内心、ドラマなどでよく観るように、「パパと結婚する!」とでも言うのではないかと想像し、そのときは何と答えようかなとドキドキしながら身構えていたのですが、ガックリです・・・。

よくドラマなどで、「将来はパパと結婚するんだ!」と宣言する幼い女の子の姿が描かれたりしますが、私の娘はこれまでに一度もそんなことは言ってくれません。ときどき、「サヤカちゃんは将来誰と結婚するのかな?」といった質問があると、そのとき仲の良い男の子の名前を挙げるのが常です。内心、「パパだよ」と言うのかなと、ちょっとドキドキしたりして答えを待つのですが、そんなことはありません。その度ごとに、「健全な答えだ」と自分に言い聞かせ、「将来、素敵な人と一緒になれたら良いね」と娘の幸せを願う、父親なのです。早いうちから親離れをするのも悪くはありません。素敵な男の子と出会って、幸せになって欲しいものです。何と言っても、娘の幸せが父親にとっての幸せでもあります。


幸せに生きること

結婚といえば、実は娘が生まれたときに、将来、娘の結婚式で話すスピーチを考えたのです。それは、娘が生まれたとき(すなわち自分が初めて父親になったとき)に感じたことを、ぜひ伝えたいと思ったからです。月並みな言い方ですが、「娘に幸せになって欲しい」と心の底から願いました。この子が、辛いことや悲しいこと、苦しいことなどを経験することなく、思い切り幸せを感じながら、日々を生きていって欲しいと祈ったのです。

もちろん、豊かな人生を送るうえでは、辛いことや悲しいことから目を背けてばかりはいられません。ときには、真正面からそういった自らの思いを受け止めることも必要だと思います。ただ、もし自分が身代わりになることで、娘のそういった心や体の痛みが少しでも軽くなるのならば、自分自身はどれだけ傷ついても構わないと、痛切に感じたのです。こんな経験は、人生で初めてのことでした。

とくに、私は途上国の教育について研究をしているために、経済的に貧しい国や政治的に混乱した国で、多くの子どもたちが苦しんだり、傷ついたりしていることを、しばしば見聞きします。正直に告白すると、娘が生まれるまでは、そういった子どもたちのことを考えるときにどこか表面的な気持ちがあったことに、いまさらながら気づきました。

しかし、娘が生まれてからは、たった一人の子どもである娘のことを心の底から大切に思うと同時に、いま世界中で苦しんでいる子どもたちのすべてが、少しでも幸せになって欲しいと、これまでに感じたことがないほどの強さで願うようになりました。

私にできることは、本当に限られています。しかし、少しでも何かができるのならば、何としても力を尽くしたいと思います。途上国で一人でも多くの子どもが学校に通ったり、家族と一緒に暮らしたり、好きなことを思い切りできるような環境を整備するうえで、研究や実務を通して私にもできることがあるはずです。

ちなみに、「幸せ」とは、どのようなものなのでしょうか。たとえば2000年代前半のデータになりますが、筑波大学留学生センターが「自分の将来に大きな希望をもっている中学生」の割合に関して調査をしたことがあります(http://www.geocities.jp/takeponlabo/aikokusinnkyouiku.html)。その結果、調査対象者の中学生たちのうち、中国では91%、韓国でも46%の子が自分の将来に大きな希望をもっているのに対して、日本では29%に過ぎないことが示されています。

また、音楽番組などで有名なMTVネットワークスが、興味深い調査を行っています(http://www.mtvjapan.com/global/pdf/press_061120.pdf)。世界14ヶ国、計5,200 名の8歳から34歳の子ども・若者を対象に、「幸せ」についてのインタビュー調査を実施したところ、先進国では「物質的に豊かだが将来について悲観的である若者」が多い傾向にあり、途上国では「大きな難題に直面しているが楽観的で希望に満ちた若者」が多い傾向が明らかになったそうです。

また、この調査で独自に設定した「幸福度指数」を国際比較すると、1位はインド、2位がスウェーデン、3位はアメリカとなり、日本は10位であるとのことです。さらに、「今の状況は幸せですか?」という質問に対しては、8歳~15歳の13%、16歳~34歳の8%のみが「幸せである」と答えており、国際平均の43%と57%と比べて極端に低く、参加国中で最下位(14位)となっています。この割合は、13位のイギリスの21%と44%と比べても、非常に低くなっています。これらの結果は、これまで途上国の教育について主に研究してきた私にとって、これからは日本についてもっと目を向けていく必要があるのではないかと考えさせられました。

もちろん、ここで挙げた2つの調査結果のみから、日本の子どもや若者の多くが「幸福感」をもてずにいると断定することは早計に過ぎると思います。ただ、日本の若年層のなかに(そして大人たちも同様に)、現在が「幸せ」であるとは感じにくく、将来に対して「希望」を抱けないような気分が広く共有されていることは、否定できないでしょう。それは、長引く経済不況のせいかもしれませんし、国の方向性を指し示すことができずにいる政治の脆弱さや混乱によるものかもしれません。また、これらの調査の後に起こったことですが、昨年の東日本大震災や原発事故が、日本に生きる多くの人たちに大きな痛みを強いている状況のなか、どのように前向きに生きていくのかというのは、日本人全体にとっての重要な課題であると言えるでしょう。

しかし、悲観的になっているばかりでは、何も始まりません。まずは、娘と向き合うなかで、彼女が「幸せ」を感じ、将来に「希望」をもてるような生き方を支えていくために、自分ができることを考えていきたいと思います。そして、それが次に、一人でも多くの子どもや若者が充実感をもって生きることができるような社会の実現へと繋がっていくように、自分の研究や教育のあり方を考えていきたいと思っています。


ところで、日本の子どもや若者たちの幸せといった大きな話をした後で恐縮なのですが、私の思いは娘の結婚式のことへと戻っていきました。よくよく考えてみると、花嫁の父がスピーチをする機会は、通常の結婚式にはありません。たいてい、花婿の父が両家を代表して挨拶をするだけで、花嫁の父は(そしてそれぞれの母も)、何も言う機会がありません。そんなものだと言われるのかもしれませんが、日本の古い「家社会」の伝統を引きずっているようで、何だか理不尽に思えてなりません。 私の娘の結婚式では、でしゃばりだと娘に嫌がられようが、絶対に花嫁の父としてのスピーチをするのだと、また妻や花婿の母にも何か言ってもらおうと、勝手に心に決めています。自分たちが子育てのなかで経験した楽しさや苦労、そして、それらを通して感じた「幸せ」な思いを、参列者の方々にお伝えしたいのです。そんな気が早い父親の計画も知らずに、今日も娘は「○○くんと結婚する!」と無邪気に宣言しています。
筆者プロフィール
lab_06_27_1.jpg 北村 友人(上智大学総合人間科学部 准教授)

カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学大学院修了。博士(教育学)。 慶應義塾大学文学部教育学専攻卒業。 現在、上智大学総合人間科学部教育学科 准教授。
共編書に"The Political Economy of Educational Reforms and Capacity Development in Southeast Asia"(Springer、2009年)や『揺れる世界の学力マップ』(明石書店、2009年)等。
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