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【カナダBC州の子育てレポート】第35回 記録や軌跡が見えない学びの実践:カナダの例から考えること

要旨:

前回のレポートでは、日本とカナダBC州における教育の違いを教科書と受験という視点から、主に記録や軌跡が残らない教育の実践に焦点をあてて書きました。BC州のカリキュラムも、日本の学習指導要領も今後の教育の方向性に大きな違いはないのに、両国の実践が異なっているのではというのが筆者の意見でした。日本の教科書使用と受験制度がその方向性と対極に位置しているように見えることから、レポートを書いた後に拙文には日本の現行の教育批判のような響きがあったかもしれないと思いました。翻って、BC州は今後の教育の方向性に子どもたちをきちんと導いているのかと言われると、筆者には胸を張って「間違いなくそうです」とも言えない気がするのです。
算数の授業の様子

これまでに何度か娘は日本で体験入学をしたり、長期滞在中には1学期間、筆者の母校の小学校に在籍したことがあります。その様子を聞いたり、実際に算数の授業参観に行って感じたことがあります。たとえば日本の小学校の算数の授業では先生が教壇に立ち、板書をして、全員が同じ問題に取り組み、先生の板書を児童がノートに書き写していました。時々、教員が児童に問いかけると、解答の分かる児童が挙手をして答えます。その後、教科書の続きやワークブックなどで個人がそれぞれのペースで類似問題をノートに解いていました。児童は自分の机に座ったまま、1人で、机の上にノートを拡げ、ホリゾンタル・ラーニング*1を進めるのが一般的なようで、これは筆者が小学生だった頃と変わっていませんでした。各々が練習問題を解いている間に、教員は教室内を歩き回って児童の理解度を確認します。保護者はノートや教科書を家庭で開くことで、子どもが学んでいる内容が分かるとともに、もしも子どもの理解につまずきがあった場合には声をかけることができるかもしれません。児童本人も、周囲の大人も、学習の軌跡や記録があることで、振り返ることが可能です。教科書を使用しているため、今子どもがどのあたりの単元を学んでいるのか、保護者が確認することもできます。そして大人も子どもも単元終わりの確認テストなどで振り返りができます。基本的に基礎計算力(Math Fact)が重視されているのが分かります。練習問題の数や解いていくスピードもまた日本では試験や受験のときに重要です。

このような光景をBC州の小学校の授業ではあまり見たことがありません。第25回のレポートでは、BC州の算数の授業で行われるグループに分かれて行う、それぞれのレベルに見合った「問題の解き方(Problem Solving)」*2について少し書きました。似たような形式で算数や数学の授業で「思考するクラス(Thinking Classroom)」を構築し、バーティカル・ラーニング*1を行うことも第34回のレポートで少し触れました。いずれにせよ、1人ではなくグループで、互いにコミュニケーションをとりながら、算数や数学の問題を解決していくプロセスをホワイトボードなどに書くことで、視覚的に解決への思考の道のりが見えるようにしていきます。こうして、児童生徒が考えを出し合って壁にその思考が書き出されることから、教室全体が「考える空間」へと導かれるので「思考するクラス(Thinking Classroom)」と呼びます。教員はそれぞれのグループを覗いては、ヒントを与えたり、確認して回ります。問題を解いた後にギャラリー・ウォーク(Gallery Walk)*3のような形態をとれば、グループの参加者だけでなく、教室にいる児童全員が異なるグループの取り組みを目にすることもでき、フィードバックや振り返りが可能です。解決していく道筋を視覚化し、お互いの意見を言い合い、導き方の違いや同じ点に気づくことで、こちらは算数の感性(Math Sense)を養うことを目的としているのが分かります。もちろん基礎計算力を全く学ばないわけではないのですが、小学校では宿題、試験もほとんどなく、受験が存在しないことから、日本に比べると圧倒的に基礎を練習する時間が少ないです。

人に教えられるもの? 自ら学ぶもの?

とある学校で教員補助(Educational Assistant)として働く日本人移民の方が上記のような算数の授業中に支援に入り、「BC州の学校の授業は概念をもとにした内容の授業が多い気がする」と言いました。詳しく聞くと、そのような形式は「学ぶ側である児童生徒よりも、むしろ教える側である教員が説明することで満足してしまう授業であって、本当に生徒児童のためになっているのか?」という疑問の声が続きました。これまでにも何度か紹介しているように、BC州のカリキュラムでは概念をベースとしたコンピテンシー重視の学びへ移行しているために、教職課程でもこのような教え方が推奨されています。

ですが、上記のBC州の授業のような形態はとても時間がかかります。1回の算数や数学の授業では1つの問題しか解けずに終わることも、解けないままに終わることさえあります。教員である側の私でも、コラボレーションをすることは楽しく、コミュニケーションをとる難しさも感じることができ、プロセスが見えることで多様な解決策に大いに納得するのですが、なんだか「モヤモヤ」したままで学びに終止符が打たれ、次の授業では類似問題を解くような時間がないままに、次の単元へと進んでいっているような気がすることがあります。

時々、子どもがどのようなプロセスで問題を解いたかをホワイトボードなどに説明させながら書かせた動画が、アセスメントとして教員から保護者に送られてくることがあるのですが、たった1つの問題を解く姿の動画を見ただけでは、保護者としても評価もつけがたく、振り返りもしにくいです。ストーリー・ワークショップ(Story Workshop)*4と呼ばれるリテラシーの授業も似たような形態で、プロセスが重視され、可視化されますが、やはりとても時間がかかり、このモヤモヤした感覚は、国語(Literacy)の読解やライティングにも同様に言える気がします。

それはつまり、このようなプロセスで磨かれる学びの「感性」のようなものは、たった一度見た、感じた、理解しただけでは学びとして完成しないからなのではないでしょうか。むしろ何度も繰り返すことで養われるものであり、それ故、一度誰かに紹介されただけでは、なんとなく輪郭を捉える程度に終わってしまっているのではないか。そしてこれは算数や数学に限らず、国語(Literacy)もまた同じだと考えられないでしょうか。

以前にも第17回のレポートで参照したことのある栗田哲也氏は、「数学ではイメージする能力というのがとても重要」と言っていて*5、これが算数や数学の感性と似ていると筆者は考えています。このイメージする力は、自主練習なくして伸びることはなく、算数や数学の基礎計算力もまた自分で何度も練習することでイメージ能力や算数や数学そのものの感性が出来上がってくるのではないかと思います。それがどういうものなのかを目にする機会がある(BC州の算数や数学の感性を育てる授業のように)ことはよいのですが、一度やっただけですぐに分かるものではありません。栗田氏は何度も繰り返すことで書いて解くことからイメージで数学を解くようになると続けます。同様に、脇明子氏はリテラシー、主に読書について、「本を読むことで『書き言葉を使う能力』『想像力』『全体を見渡して論理的に考える力』が身につく」と言っています*6。こういった力も一度文章に目を通した、あるいはストーリーを自分で作った(たとえば先に紹介したストーリー・ワークショップ)だけで養えるものではありません。

それ故に、幼児のころからの本読みの重要性がうたわれていて、読み聞かせるのではなく、加藤英子氏が言うように対話式に本読みを進めることで、子どもの読む力、リテラシー(国語)感性のようなものが徐々に育っていくと考えられます*7。このようにリテラシーもまた、手取り足取り教わるというよりも、本読みをする中で思考、想像、分析などの道を理解したら、その先は子どもが自分自身で繰り返し読んだり書いていくことで鍛え上げていく力のような気がします。

筆者がBC州のカリキュラムに沿って授業を組み立てていく中で、また保護者としても腑に落ちず、行われている授業にモヤっとしたのはこの点だったのかと思い当たりました。

21世紀を生きていく子どもたちに必要な学びは、真の学び、深い学び、メタ認知能力、思考力、分析力、コミュニケーション、コラボレーションを培うための学びなどへと移行していると言われており、BC州カリキュラムの感性や概念を念頭に置いた授業というのはそれに見合っている気がします。そして、感性や概念をベースとすることで、学びの環境は多様性を見据えたインクルーシブな環境へと築きやすくもあり、個人のニーズに沿った学びにもしやすいとも言えます。

しかしながら、その実践は実は「なんとなく」で終わってしまってはいないかと懸念します。そして保護者もまた、子どもが学校で何をやっているのかよく分からないという感想をもってしまうのです。結局、基礎力は保護者と児童生徒自身に促す(といっても宿題や試験は圧倒的に少ない)ことで、むしろ学びが学習者任せになってしまっていると言えなくもありません。日本の場合もやはり学校で練習を繰り返したり基礎力を強化する中で、学習者が自分自身で真の学びに気づかなければならないという意味では、生徒児童任せになってしまっているのでしょうか。

両国ともに、これから目指している教育、子どもたちに伸ばしてもらいたい力は、結局「記録や軌跡が見えない力」であり、日本の教科書ベースの仕組みで、基礎力の記録として残るノートを開いたところで、振り返ってそれが明確に分かるものではないのです。同様にBC州のように、動画やバーティカル・ラーニングなどで視覚化された学びのプロセスの例を一つ見るだけでも分かりません。この点を理解し、どうにかして学びの内容を可視化し、学んだことを評価する手段が、教員にも保護者にも足りていないのかもしれないと感じます。そして、今の教育改革で育つ子どもたちが大人になって、その結果が明らかになるまでの長い間、このよく分からないモヤモヤ感がなくならない気がするのは筆者だけでしょうか。



  • *1 バーティカル・ラーニング(Vertical Learning)の反対として、机に座って学ぶ方法をホリゾンタル・ラーニング(Horizontal Learning)と呼ぶ。バーティカル・ラーニングは教室の壁を利用し、ホワイトボードなどを使用して、生徒児童がグループでコミュニケーションをとり、コラボレーションしながら、算数や数学の問題を解いていく学習方法。問題解決のプロセスが視覚化される。
  • *2 プロブレム・ソルビング(Problem Solving)またはプロブレム・ストリング(Problem String)。言葉で生徒児童の思考を視覚化し、ホワイトボードなど壁に張り出したバーティカルな表面に問題解決のプロセスを記す。算数の感性(Math Sense)を育む代表的な方法。バーティカル・ラーニングの一種であり、思考するクラス(Thinking Classroom)を作り出す。
  • *3 ギャラリー・ウォーク(Gallery Walk)と呼ばれるフォーマットは、ギャラリーにある展示物を見て回るような形式のこと。生徒児童がほかの生徒児童の作品や問題解決方法の展示(算数や数学またはそれ以外の教科でも)を、時間を5分などと決めて見て、フィードバックシートなどにコメントを記す振り返りの方法。
  • *4 ストーリー・ワークショップ(Story Workshop)では、例えばボタンやひも、フェルト生地、ペットボトルのふたや葉っぱなどルースパーツとよばれる小物素材を用いて子どもが自由に遊び、遊んだ内容から物語を組み立て、アウトプットとしてライティングやストーリー・テリングをさせる学びの方法。
  • *5 栗田哲也『数学に感動する頭をつくる』(2011)
  • *6 脇明子『読む力は生きる力』(2005)
  • *7 対話式読み聞かせ(Dialogic Read Aloud)はGrover J. Whitehurstが提唱した本読み。読み手が聞き手に本を読むプロセスに活発的に参加してもらうことで、読解を深めるとする。加藤英子は、日本の読み聞かせ形式では読み手が本の内容を読み、聞き手は終わるまで静かに聞いているだけの形態である点で、対話式本読みとの違いを比べている。

筆者プロフィール

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高井マクレーン若菜

群馬県出身。関西圏の大学で日本語および英語の非常勤講師を務める。スコットランド、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど様々な国で自転車ツーリングやハイキングなどアクティブな旅をしてきた。2012年、カナダ国ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市へ、その後、内陸オカナガン地方へと移住。カナダ翻訳通訳者協会公認翻訳者。ブリティッシュ・コロンビア州公立学校教諭。現在はオカナガン地方の学校で教えている。

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