プールで目にした現実
8月6日(土)午前10時30分
「見て! 見て!」
覚えたばかりのバタ足泳ぎで、浮き輪のなかに入った娘が足をバタバタさせながら、私の方へ少しずつ近づいてきます。今日は朝から近所のプールへやってきて、娘に泳ぎの特訓です。とは言っても、気分屋の娘が鬼コーチ(ちなみに私のことです)の言うことをまともに聞いていたのは、最初の5分だけ。あとは、私がどれだけ声を張り上げようが、お構いなしに、好き勝手なことをして楽しんでいます。
そのため、いつの間にか、私はコーチから従者へと格下げされ、娘の指示に従って浮き輪を引っ張ったり、娘を背中に座らせて「亀さん泳ぎ」をさせられたりしています。この「亀さん泳ぎ」とは、娘を背中に座らせた状態で、私が水中のなかで平泳ぎをしながら、半ば潜水状態で前へ進んでいくことを意味します。背中のうえの娘は、「浦島太郎で~す。亀さん、竜宮城まで行ってくださ~い!」などと言いながら、不惑を目前に控えた父親の体に鞭打つのです・・・(まあ、楽しそうにしているので、親としてはそれで良いのですが)。
今年の猛暑をやり過ごすうえで、このようなプール遊びは親子共に欠かせません。同じような考えの家庭が多いとみえ、週末のプールは親子連れでいっぱいです。なかでも、多くのお父さんが娘や息子に泳ぎを教えている姿を目にして、世のなかのお父さん仲間たちも頑張っているなと、勝手に仲間意識を抱いたりしています。
そんな親子連れの姿をみていて気づいたのですが、娘と同世代の子どもたちのなかで、比較的スムーズに泳げている子どもたちに共通するのが、適切な大きさの浮き輪や浮き具(腕や腰に着けるタイプ)を使っていることです。就学前の子どもたちで、これらの道具の助けなしに泳げる子は、なかなかいません。そのため、ほとんどの子が何らかの浮き具を使用しているのですが、それらの浮き具が体にフィットしている子ほど、スムーズに泳げていることに気づいたのです。
翻って我が子に目を転じると、何とも体に不釣り合いな、大きな浮き輪のなかで、揺ら揺らしています。これは、ひとえに親の責任なのですが、浮き輪を買って欲しいと娘にせがまれたときに、できるだけ長持ちさせることを第一に、サイズの大きな浮き輪を選んだのです。当の本人にとっては、サイズのことなどどうでもよく、浮き輪に描いてあるイラスト(娘がハマっているアニメのキャラクター)にばかり注意が向いていました。
こうして親子の利害関心が一致したので、めでたく娘は浮き輪を手に入れました。しかし、実際にプールで使ってみると、お腹の周りにスペースがあり過ぎるため、体が安定しません。体を真っ直ぐにして、バタ足の練習をさせようとするのですが、水面の上下動にともなって体がもんどり打ってしまいます。ふと隣で泳いでいる子に目をやると、体にフィットした小振りの浮き輪を身につけた同い年ぐらいの女の子が、お父さんの手を借りながらもしっかりとバタ足を打って、前に進んでいます。こちらは、「あの子は、たぶんスイミング・スクールに通っているにちがいない」などと勝手な理由をつくって自分に言い聞かせつつも、明らかに浮き輪のサイズがそれぞれの子どもの泳ぎに影響を及ぼしている現実を受け入れざるを得ません・・・
長持ちさせたい親の都合
これは、浮き輪に限った話ではありません。4月の娘の誕生日に買ってあげた自転車も、少し奮発して買ったお出かけ用の洋服も、いまの娘にとっては大きめサイズのものばかりです。日々、成長していく娘の体を考えると、ちょっと値の張るものになると、やはり少しでも長く使わなければもったいないと考えてしまい、ついつい大きなサイズを選んでしまいます。
三輪車が小さくなったので次は自転車だねと、補助輪付きの自転車を買いに行ったときも、何とか娘の足が地面に届くといったサイズのものを選びました。そのため、実際にその後、路上で自転車を漕ぐようになると、娘は自転車の大きさを持て余してしまい、上手にスピードをコントロールすることにも四苦八苦で、「怖いよ~」と言いながら泣きべそをかいて乗っています。それなら自転車が嫌いになったかといえばそうでもなく、むしろ休みの日になると近所の図書館へ行くときなどには、必ず自転車で行きたがるのです。そんな様子をみていると、親としては 「そのうち慣れるでしょ」と思ってはいるのですが、ちょっと可哀想かもしれませんね・・・
遊び道具などを長持ちさせるということでは、私自身の幼いころを思い返すと、兄たちのお古をずいぶんと使っていました。とくに、わが家は男の子だけの4人兄弟(三男と四男(=実は私です)は一卵性双生児です)だったものですから、兄たち2人が使ったものをできるだけ最後の2人も使うようにということで、おもちゃや絵本などは多くが「お下がり」だった記憶があります。ただ、洋服だけは2人が同じデザインのものを着たがったために、必ずしもそうとばかりはいかなかったようです。
ちなみに、一番上の兄とは7歳違い、2番目の兄とは5歳違いなのですが、おそらく両親としては最後に娘が欲しかったところに、何と男の子が2人も同時に産まれて、かなり驚いたことと思います。しかし、最近、私の母と子育てについて話をしていたら、「4人の男の子を育てるのは大変だったけれども、あなたたち2人が生まれてくれて、男の子4人とそのお友達たちに囲まれて、私はとっても面白い人生を送ることができたわよ」と言ってくれました。
娘1人を相手に悪戦苦闘している身としては、男の子を4人育てるのはさぞかし大変だったろうと思うのですが、それと同時に、子どもたちのなかでも母親に迷惑をあまりかけてはいけないという意識が働いていたようにも思います。上の兄たちは、私たちのおしめを替えたりしてかなり母の手伝いをしたようですし、私たち双子も比較的おとなしく2人で遊んでいたように思います。
その意味で、いまでも強烈な印象で憶えている出来事があります。あるとき母の友達がわが家へ遊びに来て、おもちゃが散らかっておらず、落書きなどもほとんどなく、家のなかが整然としていたことに感心して、「お宅は男の子たちばかりなのに、よくこんなにキレイに片付いているわね」と言うと、2人で静かに遊んでいた私と私の兄の方をチラッとみた母の、「そうなのよ、この子たち意気地なしだから、散らかすこともできないのよ!」というセリフを、いまでもハッキリと憶えています。もちろん、母としては冗談半分だったのですが、そのぐらい確かに私たちはおとなしい子どもだったように思います。(後に、初孫ができた母がデパートへ買い物に行った際に、長兄の息子である彼が「これを買ってくれなきゃ嫌だ!」と通路でひっくり返って駄々をこねた姿にびっくりして、「子どもって、こんなことをするんだ・・・」という感想をもらしたので、むしろこちらが驚いてしまったことがあります。4人も男の子を育てたのに、駄々をこねる子どもに直面した経験がほとんどなかったようなのです。)
子育てにかかる費用
話がずいぶんとズレてしまいましたが、子育てにおける節約のことに話を戻したいと思います。やはり子育てにはいろいろな出費がかさむため、ある程度節約できるところは節約したいのが、親の本音です。子どもを育てるにはどの位の費用がかかるのか、多くの親が関心をもっているテーマだと思います。
そういった関心を反映して、保護者が子どもの学校教育(授業料、給食費、修学旅行費用など)および学校外活動(塾やお稽古など)のためにどれだけの支出をしているのかを知るために、文部科学省は1994年から隔年で「子どもの学習費調査」を実施しています。最も新しいデータとして2008年の調査結果が公表されていますが、幼稚園(3歳)から高等学校第3学年までの15年間について、各学年の「学習費総額」を単純に合計すると、すべての教育段階で公立校に通った場合で約550万円、高校だけ私立の場合は約690万円、小学校だけ公立の場合は約1,010万円かかるそうです。これに加えて大学へ進学すれば、入学金や4年間の授業料等で、私立大学ですと500万円程度、国立大学でも250万円近くを負担しなければなりません。さらに、一人暮らしをする場合には、生活費の支援も必要になってくるでしょう。
これらの金額を高いとみるか、そうでもないとみるかは、それぞれの家庭の経済状況にもよるかと思いますが、決して小さな出費でないことは明らかだと思います。そのために、「子ども手当」や「高校無償化」といった子育て支援に関わる政策の行方について、多くの人が関心をもってみていることと思います。ただ、ひとつ言えることは、経済協力開発機構(OECD)に加盟している先進国の中で、日本は明らかに教育費における私費負担(とくに家計負担)がとても高いということです。よく知られたデータですが、日本の教育機関に対する公財政支出の対GDP比は3.3%(2007年)で、OECD加盟国のなかで最下位です。 (http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/09/__icsFiles/afieldfile/2010/09/07/1297267_01_1.pdf)
たとえば、「高校無償化」政策のことをバラまき政策だと批判する向きもありますが、先進国の中で高校が無償化されていないのは韓国、イタリア、ポルトガルと日本だけです(平成21年度文部科学白書を参照ください)。 そもそも、1966年の国連総会で採択され、1976年に発効した「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)」の第13条では、「種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること」と定められています。こうした国際的合意を背景として、教育を受ける権利を保障するために高校を無償化することは、世界的な潮流であると言えます。
日本はこの規約を1979年に批准していますが、第13条の一部については留保しています。その理由は、「我が国においては、義務教育終了後の後期中等教育及び高等教育に係る経費について、非進学者との負担の公平の見地から、当該教育を受ける学生等に対して適正な負担を求めるという方針をとっている」という政府の見解が長く固持されてきました。しかし、現在のように高等学校進学率(通信制課程も含む)が97%を超えている状況では、こうした説明も成り立たなくなっていると思います。そうしたなか、政権交代を経て、ようやく高校無償化が実現したわけですが、震災復興のための財源確保という観点から、この政策が継続されるのかどうかが現在危ぶまれています。
また、この国際人権A規約では、高等教育も無償化を目指すべきであると合意されているのですが、日本は私立大学の占める割合が高いこともあり、無償化とは程遠い状況にあります。先程のOECDのデータによれば、日本の高等教育機関への公財政支出の割合は32.5%(加盟国平均69.1%)という低さです。それ以外の「私費」は67.5%(加盟国平均30.9%)で、とりわけ家計負担の割合が51.1%と非常に高くなっています。
さまざまな面で経済的な負担を避けられない「子育て」ですが、何物にも代えがたい喜びがあるのもまた「子育て」です。4人兄弟の末っ子として育てられた私ですが、親になって初めてそれがどれだけの経済的な負担を伴うかに気づかされました。しかし、私の両親をみていると、子どもが多いことで感じる喜びによって、そういった面での苦労も帳消しになっていたようです。
とはいえ、ほとんどの家庭では無尽蔵にお金が出てくるわけではありませんから、やはり節約志向の子育てを考えることも大切です。図書館を利用したり、知り合いからの「お下がり」をいただいたり、さらには実家でみつけた古い絵本やおもちゃ(私が子どものころにすでに古かった・・・)を活用したりと、工夫の余地はたくさんあります。いろいろ考えてはみましたが、娘がサイズの大きな洋服や自転車から逃れることは、やはりできそうもありません。まあ、「大は小を兼ねる」ということで、娘には許してもらいたいと思います。