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【サウジアラビアの子育て記】 第1回 ベールに包まれた国、サウジアラビアへの引っ越し

再び、辞令は突然に...

忘れたころに辞令はやってくる。ドバイ駐在生活(2013年~)が4年目になると、転勤サイクルの速いドバイ駐在員の中ではそろそろベテランの域になってきます。娘たちが通う日本人学校では古株に数えられ始め、夫にPTA会長の声がかかりそうだとおびえていたころ、2017年7月に再び転勤命令が出ました。今度の行き先はアラブ首長国連邦のお隣の国、サウジアラビアです。私たちにとっては4か国目の赴任国となります。(子どもたちの教育面から、その後は夫1人をサウジアラビアに残し、3人の子どもを連れて、私たちは日本に帰国しましたが、本連載では、このベールに包まれた国、サウジアラビアでの子育て生活をご紹介します。)

これまでの辞令を振り返ってみると、日本からカナダへの異動命令が出た時も、カナダからドバイへの転勤が決まった時も、どちらも頭をガンと殴られたような衝撃を受けるほどの驚きでした。会社からの事前の根回しなど全くなし、突然天から降ってきたような、藪から棒のサプライズ辞令でした。夫の社内アンテナに問題があるのでは、と疑ったものです。内示から引っ越しまで用意された時間が短かったため、私の仕事や子どもの習い事などあらゆる予定をキャンセルしての引っ越し、転勤先の事前リサーチなどする余裕もなく、引っ越し前後はとりあえず走りながら考えるというサバイバル生活でした。

でも今回は違います。ドバイで過ごした4年間、次にいつ、どこに転勤命令が出ても決して驚かないと心の準備をしていました。

夫の次の転勤先として私が勝手に予想して候補に挙げていたのが、①イラン、②インド、③サウジアラビア、可能性は低いので番外編としてカタール。政治的に不安定なイラン、治安などが気がかりなインド、イスラム教の戒律が厳格なサウジアラビア、『地球の歩き方』というガイドブックに「世界一つまらない国」と不名誉な紹介文を書かれたカタール。どの国であったとしても一見テンションが上がらず、ドバイからの転居先としてはなかなかタフな国ばかり。「住めば都」「郷に入っては郷に従え」をモットーとする私たちでも、一応心の準備が必要です。

特にサウジアラビアに関しては、ドバイと近いということもあり、サウジアラビアからの観光客を目にすることも多く、駐在員仲間などあちこちで都市伝説に近い噂話を耳にしていました。謎多きサウジアラビア情報に触れる度に、「もしサウジアラビアに転勤になったら...」とシミュレーションをし、ドバイの自由で優雅な生活を楽しみながら、頭の片隅では常に次の国を意識していました。なので、夫から「次の転勤先はサウジアラビア」と聞いた時、最初に思ったのは「来たか」。そして「まあ、なんとかなる」。子どもの学校の事など気になることは山積みですが、今回は4年間のドバイ生活の中での準備のおかげで落ち着いて辞令を受け入れることができました。

さて、みなさんは「サウジアラビア」と聞いてどのようなイメージをもつでしょうか。石油生産量世界一の国、でしょうか。私がサウジアラビアに行く前の印象は、「ベールに包まれた謎の国」。まずは簡単にサウジアラビアの概要をご紹介します。

王様の国「サウジアラビア」

サウジアラビアの正式名称は「サウジアラビア王国」(kingdom of Saudi Arabia)。国名からもわかるように、サウジアラビアは王様が統治する国で、「サウジ(Saudi)」とはこの国を統治する王族「サウド家」のファミリーネーム。つまり「サウジアラビア」とは「サウド家が支配するアラビアの王国」という意味なのです。

建国されたのは、1932年9月23日。初代国王のアブドゥルアジーズによって、現在の形に統一されました。アブドゥルアジーズ国王は子だくさんで、妻が41人、子どもは89人(諸説あり)いたとされ、その後もその子孫がどんどん増え続け、今では何千人ものロイヤルファミリーがいます。その王族間の権力闘争や放蕩生活は、度々日本のマスコミをにぎわせます。

砂漠とビーチ


サウジアラビアの国土面積は215万平方キロメートルに及び、アラビア半島の大部分を占めています。国土の北部と南部には大きな砂漠が広がっており、北には映画でも有名なアラビアのロレンスがアカバ攻略の際に歩いて渡ったというネフド砂漠i、南東にはアラビア半島の三分の一を占めるルブ・アル・ハリ砂漠、どちらも世界最大級の砂漠です。

砂漠のイメージが強いサウジアラビア、実は海岸線も長く、西は紅海、東はアラビア湾に面しており、2,500kmを超える海岸線を有していますii。私たちが住んでいた都市、ジッダ(Jeddah)はこの紅海沿いにあり、サウジアラビア滞在中、足しげく通った海です。「紅海」と言うと、海の水が赤いの?! と思うかもしれませんが、その逆で、水の透明度が高いことで有名で、200種類以上のサンゴ礁が広がります。年間降水量が極端に低い地域のため流入河川がなく、川の水で海が濁らないのです。お国柄、リゾート地としての開発は制限が多く入国も難しいため、ダイバーにとっては秘境の地、憧れのダイビングスポットです。

多くの国と国境を接しているのもサウジアラビアの特徴です。北はヨルダン、イラク、クウェート、東はカタール、バーレーン、アラブ首長国連邦、南はイエメン、オマーンと国境を接しています。サウジアラビアと島国のバーレーンとの国境には、橋がかけられていて、気軽に行き来できるようになっています。サウジアラビア東端の都市アルコバールに駐在している駐在員は、アルコールが飲みたくなったら車を飛ばしてバーレーンに渡り、厳しい制限を逃れてビールで一息つくことができるため、これは命の懸け橋だそうです。

ジッダの気候

サウジアラビアは香港と同緯度、モスクワと同経度の位置にあり、日本との時差は6時間。気候は高温乾燥砂漠性気候に属しますが、広大な国土のため地域差が大きいのが特徴です。紅海沿いに位置するジッダは1年を通して高温多湿。最高気温の年間平均は30℃を超え、夏場は最高気温が39℃を上回り、各月の最高湿度は91%まで昇りますiii。10月から2月は比較的涼しく過ごしやすい日が続きます。

NGだらけの引っ越し

サウジアラビアを理解する上で大切なのは、サウジアラビアはイスラム教の国の中でも特に戒律の厳しい国ということです。

国の法律は、シャリーヤivというイスラム法の厳格な解釈に基づいており、窃盗は手首切断、不倫は石打の刑。婚姻可能な年齢は定められておらず、たとえ10歳の女の子でも結婚は可能とする解釈もありますv。イスラム教で禁じられているアルコール、豚肉の持ち込み、製造、販売は一切禁止。消毒用のアルコールでさえ町では販売されていないという徹底ぶりです。イスラム教以外の宗教関連の書籍などもダメ。その厳しさはUAEの比ではありません。

ドバイからサウジアラビアへの引っ越しもNGだらけでした。私たちがドバイで買った大きなクリスマスツリーは、引っ越し荷物の中には入れることが出来ず、泣く泣くドバイのお友達に譲りました。娘たちの愛するお人形は偶像崇拝禁止のためNGと言われ、そして私の雑誌類、DVDなどもNGでした。雑誌といってもいかがわしいものではなく、一般的な女性向けのファッション誌。モデルが着ている半袖Tシャツやショートパンツの腕や足の露出がダメ、全てチェックされてマジックで黒く塗りつぶされる可能性あり。DVDはいかがわしい内容でないか1枚1枚検閲されて時間がかかるため、入れないほうが無難。

ドバイに4年暮らし、イスラム文化に多少免疫がある私たちにとっても困惑することばかり。ところが引っ越し荷物に入れられないと言われたバービー人形は、実際はジッダのショッピングモールでは普通に販売されていました。サウジアラビアに行く前は「偶像崇拝禁止の国だから、街での写真はNG、軍事施設が写ってしまうのもダメ。写真を撮るときは気を付けて!」と忠告を受けましたが、実際のところはモールで自撮りをしているサウジ人を頻繁に見かけました。正直、最後までなにがNGでなにがOKなのか理解できた自信がありませんでした。実は、今回の連載「サウジアラビア子育て記」のために、あまり良い写真が用意できていませんが、これには街で撮影するときに思い切って写真が撮れなかったという事情があります。

死ぬまでに一度は訪れたい場所

サウジアラビアの人口は3,370万人vi。総人口の約30%が外国人です。外国人の比率はドバイと比べると少ないですが、サウジアラビアは世界中のイスラム教徒が目指す憧れの地です。

というのも、サウジアラビアにはイスラム教の二大聖地があるからです。 預言者ムハンマドの生誕の地であるマッカ(Makkah)とムハンマドの没した地であるマディーナ(Madina)。イスラム教徒にとって、死ぬまでに一度は訪れたい場所。マッカへの巡礼は、イスラム教の五行の一つviiでもあります。一生をかけてマッカへの巡礼費用をコツコツと貯めるのです。

今はコロナ禍で制限がありますが、通常であれば大巡礼(ハッジ)には毎年200万人を超える巡礼者が訪れます。私たちが住んでいたジッダはマッカ州にあり、聖地マッカへの巡礼者にとっては玄関口。街のあちこちで巡礼用の独特な布を身にまとった巡礼者をみかけます。

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ジッダ国際空港にて。マッカへの巡礼者たち。
男性はイフラームと呼ばれる縫い目のない一枚の布で体を覆わなければならない。

サウジアラビアが一番楽しかった

サウジラビアに転勤が決まったことをドバイのママ友に告げると、一様に同情のまなざしを向けられました。私と同様、出張に行った旦那さんや駐在員仲間からサウジアラビアのあれこれをみんな耳にしているのです。敬虔なイスラム教徒であるドバイ人にも「大変ね」と同情されたほどです。

ただ一人、異論を唱える人がいました。夫の会社の同僚の奥さまです。シンガポール→アメリカ→ドバイ→インド→サウジアラビア→インドと駐在員の家族として滞在経験がある彼女は、こう言い切りました。「私はいろんな国に住んだけれど、サウジアラビアが一番楽しかった」。

サウジアラビアに赴任する前は、心の底から彼女を疑った私でしたが、サウジ生活をすでに終えた今、振り返ってみて、私も同じように「サウジアラビアが一番楽しかった」と言い切ることができます。アルコールなし、豚肉なし、不自由だらけの制限の多い国で、どのように楽しく暮らすことができたか、今回の連載を通して皆さんにお伝えできればと思っています。

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JEDDAHサインの前で。我が家の3人の子どもたち。


  • i- トーマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)イギリスの考古学者、軍人。オスマン帝国からアラブ人を独立させるため支援した人物。名作映画「アラビアのロレンス」のモデルとなった。難攻不落と言われたトルコ軍が守るアカバ湾を背後から攻めるため、横断不可能と言われていたネフド砂漠を歩いて横断し、トルコ軍の背後をついて要塞アカバを攻略した。
  • ii- サウジアラビアの農林水産業概況 2020年度更新農林水産省
    https://www.maff.go.jp/j/kokusai/kokusei/kaigai_nogyo/attach/pdf/index-155.pdf
  • iii- 在ジッダ日本国総領事館HPより
    https://www.jeddah.ksa.emb-japan.go.jp/itpr_ja/jeddah_info.html
  • iv- シャリーヤとは、コーラン(イスラム教の経典)とハディース(預言者、ムハンマドの言行を書いた書物)を基にしたイスラム法のこと。
  • v- 「10歳の少女の結婚も法的に可能。サウジのイスラム教最高指導者」
    https://www.afpbb.com/articles/-/2558451?pid=3687212
  • vi- https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/saudi/data.html
  • vii- イスラム教徒の五行(5つのやるべきこと)は以下。 ①信仰告白「アッラーのほかに神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒なり」とアラビア語で唱える②礼拝 1日5回のお祈り③喜捨 義務的な施し④断食 ラマダン月の断食⑤巡礼(ハッジ)一生のうち一度は聖地マッカへ巡礼にいくべきもの
筆者プロフィール
森中 野枝

都立高校、大学などで中国語の非常勤講師を務めるかたわら、中国語教材の作成にかかわる。
学生時代中国・北京に2度留学したあと、夫の仕事の都合で2004-2008 北京に滞在。2011-2013カナダ・トロント滞在。2013-2017 アラブ首長国連邦ドバイ滞在。2017-2019 サウジアラビア滞在。現在は、子どもたちと日本に帰国、大学で中国語非常勤講師に復帰。
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