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【インドの育児と教育レポート】 第7回 インドのヒンドゥー教のお祭り

長雨の続いたモンスーンシーズンが明けると、ムンバイの街は人々の笑顔と活気にあふれ、大雨や雷や水害のニュースから解放されます。雨あがりの澄み渡る空の美しさには目を見張るものがありますが、それがほんの数日経つとスモッグや土埃に覆われてしまいます。道路では、車のクラクションの音が、乾いた空気にのってあたりに響き渡り、バスやトラックの粉じんが舞い上がる渋滞の幹線道路では、マスクなしでは呼吸ができないほど一気に大気汚染が加速します。このような環境であっても、私たち日本人もインドの人々と同様に、この季節を心待ちにしています。

「稲妻とともにモンスーンが始まり、雷鳴とともにモンスーンが終わる」。そんなドラマチックな夏の再来は、色鮮やかで賑やかなインドのお祭りシーズンの幕開けでもあるからです。今回はそんなインドのお祭りと子どもたちについてレポートします。

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モンスーン明けの空 我が家の窓から
ハラハラ、ドキドキの人間ピラミッド~ダヒ・ハンディ

インドのヒンドゥー教の神様はとても多くて数えきれないと言われています。その中でもとても人気のある神様の一人「クリシュナ神」にまつわるお祭りがあります。クリシュナは、バンスリというフルートのような横笛をもっている神様です。みなさんもどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。

毎年、8月半ばにクリシュナの生誕を祝う「ジャンマシュタミ」というお祭りが行われます。お祭りで使われる「ダヒ・ハンディ(ヨーグルトの壺)」と呼ばれる壺の中には、クリシュナの大好物のヨーグルトが入っています。子ども時代からクリシュナはとても聡明であったため、母親が高い所に隠したバターやヨーグルトなどの乳製品の壺を探し当て、他の子どもたちに何段にも肩車をさせて、はしごのようにしてそれを駆け上り、乳製品を手に入れたという逸話がこのお祭りのもとになっています。

実際のお祭りでは、この逸話を模して、チーム対抗でどこのチームが一番に壺を割るのかを競います。壺を割ったチームには賞金が授与されます。壺は高いところでは約20メートルの高さまでクレーンによって吊り上げられます。近くのマンションやビルを利用して壺をロープで吊るところもあります。

まずは、ゲーム開始前にそれぞれのチームが「見せ」というパフォーマンスを行います。地域やチームの構成員によって違いがあるようですが、12名の土台を作る大柄な大人が円陣を組み、次のグループの10名がその肩の上に乗り、その後8名、4名、2名、1名と何層にも積み重ねてピラミッドを作っていきます。とても危険なお祭りで、途中で人間ピラミッドが崩れてしまうことも珍しくなく、真剣な表情でバランスをとりながら声を出しい息を揃えているのがわかります。頂上には体重の軽い幼児や小学生の子どもが乗ることが多く、ピラミッド登頂に成功すると、周囲に密集した人々の頭上を渡り歩きながら高座に設けられた観覧席に君臨しているお祭りの重鎮の富豪の前まで進み出て、挨拶をします。儀式の方法は、地域や設置される場所によって様々ですが、人間ピラミッドが無事に成功すると、沿道から大きな歓声と拍手が起こります。これらは大きな広場や道路を通行止めにして、市内のいたるところで行われています。壺が設置されるクレーンの高さも、地区によって異なりますが、あまりに高く設置されていて、なかなか壺に到達できない場合には、少しずつクレーンの高さを低くするなど、安全や交通規制の解除時刻などに配慮しています。

このお祭りには、地区ごとに子どもたちや若者を中心としたチームが揃い色のTシャツを着て参加します。それぞれのチームのリーダーが、役割や構成を考えて年下の子どもたちに指示をしたり、ライバルのチームの様子を偵察したりしながら、士気を高めるため、話し合います。この作戦会議は、いかに迅速に安全にピラミッドを完成させるか、また危機回避のための瞬時の判断ができるよう、とても重要な話し合いとなっているそうです。チームリーダーは名誉のある役であると同時に、地域の若者の命を預かる重責を負っています。子どもたちは、こうして代々受け継がれるお祭りの文化や風習を幼いころから学び、成人するころにはピラミッドの一番下で皆を支える役割を担えるようになっていくのだそうです。以前は男性だけが参加できるお祭りだったそうですが、ムンバイではこの2,3年で、女性のグループもわずかですが見られるようになりました。見ている私たちも手に汗を握るハラハラ、ドキドキのお祭りです。

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最高潮に達したピラミッド 壺を手にする直前の緊張感
ガネーシャは海に沈む

10月初旬には、10日間かけて行われる「ガンパティ」と呼ばれる「ガネーシャ神」のお祭りがあります。ガネーシャは象の頭と人間の胴をもつ子どもの神様です。父は「シヴァ神」、母は「パールヴァティ神」で、ヒンドゥーの神様の中では、とても有名な一家です。インド人の子どもたちにも大人気の神様です。ガネーシャはテレビ番組でアニメ化され、幼児の読み聞かせの絵本(ヒンディー語・英語)にもよく登場しています。

大きなガネーシャの像は、製作所からトラックの荷台に乗せられて同乗した人々に支えられながら、各地域や村に運ばれてきます。人々は、毎日のようにお参りをして商売繁盛を祈願します。また、地元の富豪や有力者は、広いイベント会場に、ガネーシャ像を一族として個人的に設置し、地域の多くの来場者を受け入れます。10日目となる最終日の日没後には、ガネーシャ像は再び大きなトラックの荷台に乗せられ、鼓笛隊や家族の歌声に伴われて、ゆっくりゆっくりと海や湖へ向かいます。我が家はムンバイの北部に位置するポワイ湖の付近にあるため、海ではなく湖でガネーシャの浸水を拝むことができます。

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ガネーシャの台座を作る花屋の職人さん
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家の中に設けられたガネーシャの祭壇(友人宅)
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パステルカラーの花とクジャクの羽で飾られたガネーシャ(友人宅)

トラックからガネーシャを抱えて地面に置くと、人々は一族で「ガンパティバッパ」「モーリヤ」と歌を歌いながらその周りをぐるぐると歩いて回ります。赤ちゃんからお年寄りまで、親戚一同が集まって行われます。キャンドルや松明を灯したり、花びらをかけたり水をかけたりしながら、最後はボートに乗って祈りを捧げながらガネーシャ像を湖に沈めます。幼い子どもには、母親が付き添い手を引いて、「祈りなさい」と声をかけています。また、まだ歩くことができない赤ちゃんは、父親か祖父に抱きかかえられたまま全ての儀式に参加します。ガネーシャ像を海や湖や川に流すことによって、全ての障害や困難を「水に流す」という信仰だといわれています。

しかし、大量のガネーシャ像が海や湖に投入されることを初めて知った時に、まず私の頭をかすめたのは「ゴミ問題」でした。おそらく日本人だけでなく他の外国人観光客も皆同じことを思っているのではないかと思います。これだけ大量のガネーシャ像が次々と湖に消えていくということは、湖底はどうなっているのだろうかと不安がよぎりました。 伝統的なお祭りの神事行為に水を差すようなことを申してはいけないと思いつつ、親しいインド人に尋ねてみると、意外にも「安心して。ちゃんと対策はしてある」と答えが返ってきました。近年は、水に流すガネーシャ像の製作に使用する材料は、植物繊維や紙粘土や砂糖のような水に溶ける素材が推奨されているそうです。しかも入水するエリアの湖底にはネットが張りめぐらされており、祭事が終わるとそれらを引き上げてゴミとして処分することができるようになっているとのことでした。しかし、海に流す場合はそのような設置はしていないとのことなので、この時期のアラビア海にはこれらの残骸が無数に沈むことになります。

このような状況から、最近では小さなガネーシャ像ならば、各家庭でたらいに水を張って簡単に溶かしてしまうなど、環境への配慮をするような動きが広まっています。我が家の隣人もマンションのロビーにビニールプールを設置して、中に小さなガネーシャ像を入れ、その周りをぐるぐる回って歌をうたっていました。家長の依頼により、鼓笛隊の楽団がマンションに出張し、出前の楽奏を行っていました。その鼓笛隊は見たところ小学校高学年から中高生の男子4人組で構成されていました。こうした祭事が収入の源になっている貧困層の若者です。彼らは、幼いころから「太鼓をたたくと不幸が去り、幸せになれる」と教えられ、ひたすら太鼓を鳴らして苦しみから逃れようとしているのだと、同じマンションのインド人の友人が教えてくれました。華やかなお祭りの中にもインドの貧富の差や子ども労働者の実態や課題が垣間見えます。

女神ドゥルガーを祝う女子力高めのナブラートリー祭
 

ヒンドゥー教の女神の中でも最強といわれる「ドゥルガー神」は、10本の腕をもち、それぞれの手には異なる10種類の武器を持っています。お顔はとても美しく、慈愛に満ちていますが、実はライオンを従え、男性を踏みつけている強き勝利の女神なのです。この「ドゥルガー神」に歌や踊りを祈りとして捧げる、ナブラートリーというお祭りが開催されます。太陰暦によって祭の時期が決まるため、今年は9月29日から10月7日まででした。

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美しいドゥルガーの像

「ナブラートリー」のお祭りも「ガネーシャ神」と同様に、村や街のいろいろなところにドゥルガー像が設置され、多くの人々がお参りをした後には海や川や湖に流されます。9日間、たくさんの屋台や出店が軒を並べ、ステージが設営され、フォークダンスやインドの伝統的なダンスや歌などが披露されます。

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とても興味深いのは、このお祭りの間、女性の着る服の色がインド全体で統一されていることです。毎年発表される色カレンダーに基づき、日替わりで、赤や緑やピンクなどの衣装やドレスを身につけて、伝統的なインド音楽に合わせて踊りを踊ります。ミラーワークと呼ばれる、鏡が生地に縫い付けられているカラフルで華やかなスカートを着用し、身体をねじったり回ったりするたびに、裾のフレアーがふわりと広がり、とても美しく見えます。しかし、毎日衣装替えをするのも大変なので一つのスカートに何色も入ってデザインされているナブラートリー専用のドレスもあります。

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ナブラートリーカラーチャート

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ローカル市場にて 子ども用のナブラートリー・ドレス

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ステージでダンスを披露した子どもたちと筆者の通うダンス教室の先生

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私はこのお祭りが一年の中でも最も好きです。今年も近所の富豪の一族が開催するパーティーに参加させて頂きました。ここでは、招待状を持っている人と持っていない人とでは入場できるエリアが異なり、ロープでしっかりと区切られています。つまり、富裕層とローカルエリアの貧困層の人々とが区別されているのです。私たち日本人からしてみると残酷なようですが、これがインドの現実なのだと思い知らされます。私たちのような外国人はカースト制度とは無縁なため、このような場では富裕層のエリアに入場させてもらうことができますが、未だに根強い身分制度の名残を感じずにはいられません。富裕層のエリアでは男性も民族衣装を着て参加していますが、圧倒的に女性の人数が多く華やいでいます。一方、ローカルなエリアでは若い男性の参加者が多く、その日は多くの友人とともにお祭りに繰り出し、ダンスを踊ったり若い女の子との賑やかなおしゃべりの時間を過ごしたりするなど、交流の場となっています。

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招待客と一般客を区分する仕切りとガードマン

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地域の一般参加の住民が集う広場

地域の富豪の一族が主催するパーティーの他にも、マンションごとに開催されるダンディヤのパーティーがあります。いわゆる日本でいう町内会や自治会の中にある大きなマンションが輪番で毎年開催します。たまたま自分の住んでいるマンションで開催されるときには、ムンバイに駐在の日本人の子どもたちが気軽に参加したり、インド人の家庭から招待を受けて、踊りの輪に加わったりすることができます。日本人家庭の間でも、積極的にインドの文化を共有し日本の夏祭りの盆踊りと比較しながら、お祭りを楽しむ様子が広がりつつあります。日本人のみで集まって遊ぶのではなく、他国の駐在員の子どもやインド人の子どもたちとの関りが身近に増えてきているように感じます。 私たちにとって、ヒンドゥー教の祭りの醍醐味は、他宗教の外国人も受容し、一緒に楽しめるところにあります。特にムンバイは、インドのあらゆる地方から多くの出稼ぎ労働者が定住している商都であり、言語も宗教も数多くの種類が混在しています。私たちのような駐在の外国人も多く住む街です。とてもフレンドリーで熱意のあるインドの人々に誘われて、いつのまにか一緒に踊りの輪の中に引き込まれていくのです。

インドではパーティーのことを「ファンクション」と言い、ほとんどのファンクションは夜の8時ころから始まります。小さな子どもたちはすでに寝ている時間だと思っておりましたが、インド人の子どもたちの就寝時間は日ごろからとても遅く、保護者に連れられた乳幼児が夜の10時頃に外出している姿をよく見かけます。このお祭りにも多くの乳幼児が母親に抱っこされて参加していました。

会場は野外で夜といえども気温は28度を下回ることはなく、歩いているだけで汗ばむほどですが、幼児や小学生の低学年のこどもたちは興奮が抑えられないといった様子で、会場を走り回っています。踊りの形式は円舞で、決まっている踊りの型は特になく、生演奏の歌の曲調に合わせて、自由に踊ることができます。基本の動きの中心となる人物がいて、掛け声と眼で合図を送ってくれるので、そのタイミングをみながら、見よう見まねで踊ります。広い会場にはいくつもの円ができており、友だち同士や家族で踊るグループもあれば、その場に居合わせた人だけで踊る初対面のグループもあります。子どもから大人まで知らない者同士が一つの円を作って踊ったり、ペアで向き合い、手に持った二本のスティックをお互いに交差させて、コンコンとリズムに合わせて叩き合ったりするダンス(ダンディヤ)を楽しむことができます。華やかな衣装と伝統音楽の中で円舞する様子はインド映画そのものです。かつては女性の地位がそれほど高くないインド社会において、女性の美しさや力強さが表現されるお祭りが伝統的に継承されていることに驚きを覚えます。また、小さな子どもから大人までが楽しむことのできる地域社会の在り方は、私の子ども時代を思わせる懐かしいものとして映りました。

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スティックダンス:ダンディヤ
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筆者と娘 この日のドレスカラーは青
ムンバイ空港の到着ロビーでもダンス!

今回ご紹介した全てのお祭りの期間中は、公立の小中学校は休日になります。またインド人の多いインターナショナルスクールも4連休になるなど、お祭りに家族と参加できるよう年度の始めからカレンダーで休校が定められています。校内でもお祭りを再現したダンスパーティが開かれる学校もあります。

我が家は9日間のうちの3連休を利用して、インドの国内旅行に出かけました。帰着日のムンバイ空港では、休憩に入った空港職員の方々がロビーで大きな円を作って、ポップなボリウッド音楽に合わせてダンスを踊っているところに偶然、居合わせました。インド国内だけでなく、海外の航空会社のCAさんやパイロットの方々も業務の合間に制服で踊りの輪に加わり、観光客も一緒に踊っています。我が家の娘たちも参加すると、先に踊っていた人たちが笑顔でダンスをリードしてくれるなど、インド国民全体で、お祭りを楽しんでいるように見えました。インド国内の空港は写真のビデオや撮影が禁止されており、お見せできないのが残念ですが、直径50メートルにもなる大人数の円舞は圧巻でした。

大人が子どものお手本

インドの文化や宗教の祭事に触れてみると、いつでも大人たちが全力でそれぞれの行事に取り組んでおり、子どもたちは幼いころからそんな身近な大人たちを見て育っていることがわかります。インドにおける祭りとは、大人数で大騒ぎして楽しむことだけではなく、宗教行事としての重要な意義をもち、そこに祈りや儀式が伴うものであります。生まれた時からこのような環境で育つインドの子どもたちは、お祭りや行事の中の遊びを通して、自身の宗教観を確立していくことができるのだろうと思います。

私たち日本人はこのようなインドのお祭りを通して、宗教や文化の違いを肌で感じることができます。また、近所のインド人コミュニティに参加して、友好を深めたりお祭りの由来や作法などを学んだりすることができるのも貴重な体験です。

3月には春の訪れを祝って、人々がカラーパウダーを投げ合う無礼講のヒンドゥーのお祭り「ホーリー」があります。こちらのお祭りについては、改めてご紹介したいと思います。

筆者プロフィール
sumiko_fukamachi.jpg 深町 澄子 静岡大学大学院修士(音楽教育学)。お茶の水女子大学大学院博士課程(児童・保育学)にて発達支援及び読譜を中心とした音楽教育の研究中。
約30年間、子どものピアノ教育及び音楽教育に携わり、ダウン症、自閉症、発達障害の子どもたちの支援を行っている。2016年12月よりムンバイに移住。
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