犬がいることで高まったモチベーション
教室でのバディと子どもたち
バディは私の担当する聖書科の授業に毎時間参加している。授業の前には子どもたち一人一人のもとを周って、挨拶を交わす。それ以外の時間は教室の隅に置かれたドッグベットの上で子どもたちの様子を見守っている。見守っているといっても、何も特別なことをするわけではなく、ほとんど昼寝をしているようだ。
といっても、子どもたちはバディが教室に来ることが当たり前になっているので、何かの都合で連れていかなかったりするとたいへんがっかりした表情を見せる。授業中は大人しくしているので、いるのかいないのかわからないのだが、時おり大きなあくびをしたり、いびきをかいたりするバディの様子で和やかな雰囲気が広がることもしばしば起こる。
教室に犬がいるというのは、注意力が散漫になるというわけではなく、動物の持つぬくもりを間近に感じることで安心感やリラックス効果が得られ、かえって授業への集中力が高まるように感じている。
バディ・ウォーカーの活動
6年生の有志で結成するバディ・ウォーカーというグループが学校でのバディの世話を担当している。72名の6年生(1クラス36名の2クラス)の中から、毎年30数名の児童がグループの活動に参加している。参加資格は「責任をもって1年間、活動する」という点のみ。参加者は必ずプロのドッグトレーナーによる犬のしつけに関する講習会を数回受講し、リードの持ち方や指示の与え方といったことを学び、活動中の事故がないように練習をする。
バディの学校生活をサポートすることを目的とする彼女らの仕事内容は、バディが登校(出勤?)する時間に合わせてバディ・ルームの窓を開けて換気をおこない、給餌をする。使った犬用の食器などを洗い、室内の清掃を行う。休み時間には決められたトイレエリアで排泄をさせ、キャンパスの中を3~5名の児童で散歩に連れて歩く。その他には休日などを利用し、地域の老人福祉施設への訪問活動をすることもある。
福祉施設への訪問活動
バディ・ウォーカーの活動の中でも、特に教育的な効果が高い活動の一つが「犬と子どもの訪問活動」である。日本動物福祉協会(JAHA)などが長年行っているCAPP活動にヒントを得て、自分たちが日ごろ世話をしているバディを連れて施設に訪問し、お年寄りに犬とふれあってもらおうという企画としてスタートした。
福祉施設や病院、学校などでの活動では、打ち合わせの段階で先方がどういった活動を望んでいるのか?こちらがどういったことができるのか?ということを、コーディネート担当者がしっかりと把握しておく必要がある。なかなか犬を受け入れてくれる施設は少なく、せっかくオファーがあっても、こちらの教育的意図が伝わりにくいこともあった。
こうしていよいよ、2004年4月、老人福祉施設への最初の訪問活動が実現した。子どもたちは配膳の手伝いをさせてもらい、お年寄りと一緒にお話をしながら昼食をいただき、交流の機会をたくさん持つことができた。その間、バディはというとテーブルの下でただ寝そべっているだけだったが、子どもたちが初対面のお年寄りと会話の糸口をなかなか見つけられないときには、とても役立つ存在となった。「犬はお好きですか?」「お嬢さん、この犬はなんていう名前なの?」「バディっていいます」「この子は学校ではどうやって過しているの?」「休み時間には私たちがお散歩に行くんです」と自然と会話が弾み、犬がいることによって、お年寄りと子どもたちは世代のギャップを超えてコミュニケーションを豊かにすることができた。
昼食の後片付けが済むと、最後は子どもたちによるショータイム。自主的に出し物を練習し、企画を考えさせることで、普段の学校生活ではあまりみることのできない子どもたちの意外な一面を見ることができた。ピアノやバイオリンを習っている子どもは楽器の演奏を披露し、劇の好きな子は寸劇を披露する。マツケンサンバが流行った年には子どもたちが浴衣姿でサンバを踊るなど、趣向を凝らした出し物でお年寄りとの楽しい時間を過ごしていた。バディとのふれあいタイムも設定されていて、ボール遊びをしたり、小さなビスケットをあげてもらったりするなど、バディと子どもたちはそれぞれの得意分野を生かして活動を続けている。

バディの世話係を行ってきたバディ・ウォーカーの子どもたちは、自然とお年寄りともうまくコミュニケーションをとれているように感じた。動物と共感的に関わることは、他の人間とも同じように関わるためのよい準備となっているのかもしれない。
課外活動や行事への参加
安心感やリラックス効果という意味では、学校以外の場所でも効果がみられた。夏に行われる軽井沢でのキャンプ(宿泊行事)で、東京と違う環境の中で当時4年生の児童がホームシックになってしまったことがあった。夜中に、運悪く軽い喘息の発作も伴い、涙が止まらなくなってしまったのだが、話をしていても治まらなかったので、試しにバディのところへ連れていき、おやつをあげたり、ボールで遊んだりして触れあわせた。犬が好きだったこともあったのだろう、遊んでいるうちに次第に喘息の発作も治まり、落ち着きを取り戻すことができた。彼女は3泊4日のキャンプ期間中、不安になるとバディの方へ視線を送り、ときには触れあいながらホームシックを乗り越えることができた。
またバディは学校行事や遠足などにもできるかぎり参加し、子どもたちの行動しよう、何かに挑戦しようという意欲を高める働きに貢献している。
学校犬バディを取り入れた「動物介在教育」では、犬が特別なイベントで学校へやってくるのではなく、いつもあたりまえの光景として子どもたちのそばにいる。学校の中を犬が歩いていることが不思議なことではなく自然なことだということが、このプログラムをより効果的な取り組みとする上で最も大切なことだろう。
様々なモチベーションとして
「今日、インターネットの学校のページをおかあさんといもうとと見ました。いもうとがバディにあいたいからです。バディのページを見ていたらわたしがせいしょの時間にかいた絵と作文がありました。ほんとうにびっくりしてしまいました。そのよる、おとうさんがそのページをわたしがねているあいだにプリントアウトしてくれました。そのかみを見ると、もっともっとじょうずに絵をかきたいなとおもいます。それに、バディがますますかわいくなってきます。こんどまた、バディやバディの赤ちゃんの絵をかいて、バディにあげたいと思います。(2年T.M)」
これは、2年生のある児童の日記である。授業の中で描いたバディのイラストをインターネットで紹介したのだが、自分の作品が取り上げられた驚きと喜び、バディに対する愛情を感じ取ることができる。バディにプレゼントするためにもっと絵が上手になりたい。という意欲が伝わってくる。何気ない日常の1ページであるが、バディの存在によって、子どもたちの学びたい、何かに挑戦したいという意欲が高められていることがわかる。
卒業文集より抜粋
「バディと出会って、最初はペットのように接してみたいと思っていました。それがだんだんきょうだいがいない私には、妹ができた気分にさせてくれました。それにバディは、とても聞きわけがいい犬なのできっとバディのような妹だったらやさしくしてあげたいと思ったし、そんな妹だったら何人でも欲しいと思いました。妹みたいにかわいいバディは指示は的確だし、とてもかしこく、私より頭がいいと思いました。ひょっとするとバディがお姉さんで私は妹かなと思いました。
バディは人気者です。私たちみんなを元気にしてくれます。時には私たちを励ましてくれるうれしい存在です。私はバディと出会って一緒にすごし、バディ・ウォーカーに参加してとても良い経験をしたと思います。妹みたいにかわいがる優しい気持ちを教えてもらいました。そして、一緒に暮らす仲間や家族だという気持ちにさせてもらい、大切に接することの大事さを教えてもらいました。バディが成長したように私も成長していきたいです。(6年N.M)」
動物介在教育が始まった2003年度に入学し、小学校生活の6年間をバディと一緒に過ごした6年生の卒業文集の一節である。ペットとしての犬の存在がいつの間にか、仲間、家族というように近く感じられるようになり、一緒に成長していこうという思いが綴られている。
動物介在教育がスタートしてから7年。その間、幸いなことに本校では、いわゆる「不登校」はない。子どもたちがこれだけ1頭の犬の存在に喜びや楽しみを見出し、同時に何かに挑戦しよう、というモチベーションを得ていることを鑑みると、この「不登校ゼロ」という結果は単なる偶然ではないといえるだろう。バディがいるから学校が楽しい。バディがいるから学校へ行こう。バディがいるからボランティア活動にも挑戦しよう。犬の存在は子どもたちにとって大きな力となっている。