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動物介在教育(Animal Assisted Education)の試み (3)

要旨:

「学校犬」として子どもたちに愛され、学校生活を送ってきたバディであったが、犬を学校に介在させるという取り組みは、すべての人からすんなりと受け入れられてスタートしたわけではなかった。広く理解を得るためにと、学院内の教職員向けの広報の機会を増やすことはもちろんのこと、各部署への理解を得るようコミュニケーションをとるように心掛け、また動物アレルギーへの対処も行った。毎日の学校生活の中で共に過ごすことで、子どもたちはバディをペットとしてではなく、自分たちの友だち、仲間として共感し、受け入れていったようだ。

バディと子どもたちの学校生活

動物観の壁

「学校犬」として子どもたちに愛され、学校生活を送ってきたバディであったが、犬を学校に介在させるという取り組みは、すべての人からすんなりと受け入れられてスタートしたわけではなかった。幼稚園から小学校、中学校、高等学校、短期大学と多くの学校がある、立教女学院で働く教職員の中には犬が嫌いという人もいた。また、プログラムの教育的効果に対して懐疑的であったり、最初から理解しようとしない人もいた。そういった人たちの心理の中には、「犬なんて本当に役に立つのか?」という疑問に加えて「犬畜生」という言葉があるように、犬への評価自体がことさら低く、犬は番犬として鎖につないで飼うもの。犬は、あっちこっちに糞尿をして歩き、飼い主は始末をせず困った存在。そんな意識が少なからずあったのだろう。幼いころに野良犬に追いかけられたり、噛まれたりした経験のある人もあったかもしれない。

かつては血統書付きの洋犬を飼うのは一部の裕福な家庭のステータスだったものだが、80年代後半から90年代以降の昨今のペットブームによって、ペットとしての犬の存在は大衆化されてきた。しかし、「犬との暮らし」「犬との関係」といった質的な動物理解という点では、ペット業界の商業主義に追いやられる状況で、広く浸透しているとは言えない。

「動物介在教育」という教育プログラムでは、日々の生活の中で子どもたちが犬を連れてキャンパスの中を散歩し、犬が所定のエリアで運動や排せつをする。所属部署が違い、日ごろから接点が少ない場合には、「犬なんて」という感覚を持っている教職員全員に理解をしてもらうのは至難の技であった。

広く理解を得るためにと、学院内の教職員向けの広報の機会を増やすことはもちろんのこと、各部署への理解を得るようコミュニケーションをとるように心掛けた。

また犬のトレーニングについても自己流で行うのではなく、専門家の協力を得ながら継続して行った。定期的にドッグトレーナーに来校してもらい、子どもたちへのハンドリング講習会を開いて、あえて取り組みの様子が他の教職員にも見えるように行うなど、少しずつ動物観の壁を乗り越えるよう努力を続けていった。

今では多くの教職員が活動を評価し、温かく見守ってくれるようになってきたが、犬の苦手な人もいるということをいつも忘れずに、排泄の処理や散歩中の事故などに気をつけるよう指導しながら活動しなければならない。

動物アレルギーについて

病院や福祉施設などでの「動物介在活動」(Animal Assisted Activity)や、学校での「動物介在教育」などを行おうとするとき、犬や猫といった身近な動物であっても、かならず問題となるのが動物に対するアレルギーの問題である。導入当初から、アレルギーに対してどのように対処するのか?ということが課題の一つだった。対策としては、抜け毛の少ない犬種を選ぶことや、各種のワクチン接種、口腔内のケアやシャンプーなどで清潔に保つようにするといった衛生管理に注意を払い、フードもなるべく添加物の少ない、自然食といわれるものを与えるように健康管理を行ってきた。

そういう日々の努力によって、アレルゲンとなり得るヨダレなどの唾液や皮膚からのフケを抑える努力が功を奏している。またシャンプーも週に1~2回、出勤前に私の自宅で行い、できるだけ清潔に保つようにしている。しかし、本来の犬や動物は臭いのするものなので、多少犬臭くなっていてもそれが犬の匂いであり、生きている「いのち」ということを子どもたちに感じてもらいたいという思いも少なからずあるのだが、犬の苦手な人やアレルギーのある児童への配慮を優先するようにしている。

私たちの子ども時代と比べて、最近の方が全般的にアレルギーや喘息、アトピー性皮膚炎などを抱えている子どもが多くなっているように思う。除菌や抗菌を謳った商品が世にあふれ、日本が清潔になりすぎているからではないか。どこもかしこも清潔になりすぎたせいで、子どもたちの体の免疫力が低下しているのではないだろうか。ナショナルジオグラフィックの記事の中に、アフリカのケニアの首都ナイロビでは富裕層の子どもたちの中に喘息やアレルギーの子どもが増えているという報告があり、マスク姿で自動車通学する子どもの姿が写真つきで紹介されていた。アレルギーとはまさに現代病といってもよいのかもしれない。

バディが学校にやってきた当初には保護者の中から、動物アレルギーに対する懸念の声もあった。しかし私は、子どもたちが犬に触れたいという気持ちをなんとか大切にしたいと考えていた。

乳幼児のころから動物と一緒に生活している子どもは喘息やアレルギーを発症する確率が低い傾向があるだろうという研究結果も出ている。乳幼児の頃からある程度の細菌に積極的に触れさせることで体の免疫機能が再構築され、鍛えられるということもいえるだろう。

子どもたちが自然に生活の中で動物に触れ合える教育を実現するためには、このように、大人がゆるやかにアレルギーの問題に対処していくことが大切なのではないだろうか。

考えてみてほしい、もしもあなたが花粉症だったとしたら、杉の花粉が舞っているからという理由で学校や仕事を休むだろうか?鼻水をたらしながら、涙目になりながらでも、マスクや目薬、飲み薬など、自分なりの対策を講じて暮らしていくだろう。公の場所に動物がいて、くしゃみや鼻水が多少出るからといって、動物を子どもたちの世界から締め出すのは、果たして正しい選択だといえるだろうか?子どもたちが動物に触れたいという気持ちを大切にしてあげたい。

「教室に犬がいる」ということ

学校に犬を介在させる取り組みは、「教室に犬がいる」という状況をなんとかして作り出すことでもあった。導入当初には、犬なんかが教室をうろうろしていたら、授業どころではないのではないか?吠えてうるさくして、子どもが集中できないだろう、犬に気を取られて集中力を低下させるに違いない。そういう見方が大半だったかもしれない。しかし、その心配は杞憂であった。

子どもたちは教室に犬がいること(毎時間やってくること)に対して驚くほどに順応しており、今ではバディが来ないことの方が不思議で違和感があるようだ。また、犬は嗅覚も優れているが、聴覚も優れており、教室が騒がしいとストレスになると説明を受けた子どもたちは、授業中に騒がしくなると自然と「騒ぐとバディがびっくりして、かわいそうだよ」と声を掛け合うようになった。

バディが子犬の頃、まだ拾い食いの恐れがあったり、じっとしていられなかったりするので教室の端に設置したペット用のサークルに入れて授業を行っていた。子どもたちはサークルを檻のように感じていたからなのか、「かわいそうだから自由にしてやって欲しい」と訴えてきたことがあった。教室には子どもたちの紙屑やゴミなどが落ちているのでフリーにはできないのだ。と答えると、次の時間には子どもたちがバディのためにと、休み時間に教室の掃除をして待っていてくれたことがあった。この出来事を機に授業中のペット用サークルをやめ、ドッグマットの上で過ごさせるように教えた。

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このように毎日の学校生活の中で共に過ごすことで、子どもたちはバディに対してペットとしてではなく、自分たちの友だち、仲間として共感し、受け入れていったようだ。


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1年生の入学当初、小さな子犬でさえ怖がっていたある児童が犬の絵を描いた。その絵は恐ろしさが十分に伝わってくるオオカミのような牙をもった灰色っぽい犬の絵だった。「どうしてこんな絵になるの?」と尋ねると、「犬に追いかけられて怖い目にあったことがあるから」ということだった。しかし、バディとのふれあいを少しずつ重ねた1年後の同時期に描いた犬の絵は見違えるほどやわらかい、色の使い方も含めてとても表情豊かな絵になっていた。他の子どもたちの絵もバディとのふれあいを始める以前の絵と1年後の絵とでは、その色の使い方や躍動感など、表現の豊かさに大きな違いがあった。


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児童の作文より

卒業、バディと過ごした学校

「あと何回、バディとお散歩できるかなぁ」そんな気持ちで楽しく過ごしたバディとの時間が終わってしまい、さびしい気持ちでいっぱいです。

バディは「大好きだよ、うれしいよ」といつもかわいいしっぽをふっていました。バディに会うとき「心がやすらぐ」ってこういうことだろうなぁと思いました。そして学校という場所でわたしたちと一緒に過ごすために、バディは本当によくがんばっていると思います。バディはたくさん努力し、わたしたちのために大きな働きをしてくれていることを、バディ・ウォーカーになってよく分かりました。おうちに帰ってからきっと思いっきり吉田先生にバディは甘えているんだろうなぁと思いました。

そんなバディにわたしは何度も元気をもらいました。泣きたくなったときも、バディの顔をみると、わたしも笑顔になることができました。今、バディに感謝の気持ちでいっぱいです。バディとお別れなんて思いたくありません。バディに会いたくなったら、遊びに行きます。バディ、ありがとう。
(6年生 O.I)

筆者プロフィール
吉田 太郎 (立教女学院小学校 宗教主任)

1973年京都に生まれる。同志社大学神学部卒業、同大学院歴史神学専攻修士課程修了。神戸国際大学付属高等学校宗教科講師を経て、99年より現在の立教女学院小学校に宗教主任として奉職。2003年よりエアデール・テリアのバディとともに新しい教育プログラム「動物介在教育(Animal Assisted Education)」を実践。
バディの学校生活の様子はブログで紹介
http://blog.livedoor.jp/schooldog/

著書
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子どもたちの仲間 学校犬バディ 動物介在教育の試み






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