CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > 論文・レポート > 子ども未来紀行~学際的な研究・レポート・エッセイ~ > 動物介在教育(Animal Assisted Education)の試み (1)

このエントリーをはてなブックマークに追加

論文・レポート

Essay・Report

動物介在教育(Animal Assisted Education)の試み (1)

要旨:

日本国内で取り組みが始まったばかりの『動物介在教育(Animal Assisted Education)』という新しい教育プログラムの試みについて紹介していく。現代の教育課題の一つに、子どもたちにいかにして「いのち」の大切さを教えるか?ということが挙げられる。筆者は、動物介在教育により、犬と一緒に学校生活を過ごすことで一人でも多くの子どもが「いのち」の大切さを感じ、気づくことができるよう願っている。連載第1回では、学校犬導入の経緯から誕生までをつづっている。

犬がいる学校

report_02_88_1.jpg

犬の名前はバディ(Buddy)、メスのエアデール・テリア(2003.3.11生まれ)。彼女は私が勤務している東京都杉並区にある私立小学校、立教女学院小学校に毎日一緒に出勤している。学校では教員室の一角に犬専用の部屋、『バディ・ルーム』を持ち、毎日の授業にも同行している。休み時間にはキャンパス内を子どもたちと一緒に散歩し、学校行事にも参加する。学校犬として、また子どもたちの仲間として愛される存在となっている。

犬が学校にいるというと、「えっ!学校で犬を飼っているの?」「アニマル・セラピー犬なの?」「どうして学校に犬がいるの?」「どうしてエアデール・テリアなの?」そういった質問を受けることが多い。まだまだ日本国内では取り組みが始まったばかりの『動物介在教育(Animal Assisted Education)』という新しい教育プログラムの試みについて紹介していきたい。


「いのち」の大切さを教えるとは

現代の教育課題の一つに、子どもたちにいかにして「いのち」の大切さを教えるか?ということが挙げられる。学習指導要領などでも『生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する』ということが道徳教育の目標、内容として明記されている。私立小学校においても本校のようにキリスト教主義の学校では宗教教育の一環としていわゆる「こころ」の教育、情操教育を教育目標に掲げている。

私は聖書科(宗教科)の教師として、「いのち」や「こころ」というテーマを、日々の礼拝や聖書の授業を通して子どもたちに伝えているつもりでいた。しかし、ある出来事がきっかけで本当に教えることができていたのだろうか?と危機感をもった。ある日、小学2年生の子どもが二人、私のもとへコオロギの死骸を持ってやってきた。悲しそうな表情を浮かべながら「先生、コオロギが死んじゃったのでお葬式をしてください」という。私は小さな昆虫の死を悼む気持ちを大切にしたいと思い、中庭の木の下でコオロギの葬式を執り行い、子どもたちと一緒に墓をつくって祈りを捧げた。するとまた次の日、今度はバッタの死骸を持ってきてバッタの葬式をしたいという。そしてまた次の日には同じようにコオロギの死骸が持ち込まれた。何回か繰り返されるお葬式というセレモニーに参列し、ふと気がついた。いつの間にか死を悼む気持ちは薄れ、お葬式ごっこになっていると...。教室に置かれた虫かごには土も草もなく、ただむき出しの安っぽいプラスチックに小さな昆虫がカタカタと空しい音を立てている。壊れたおもちゃを取り替えるかのように動かなくなったら、また誰かが新しい昆虫をかごに入れる。小さな昆虫は、子どもたちに「いのち」の大切さを感じ取らせるにはあまりにもリアリティに欠ける存在だったのかもしれない。どうすれば「いのち」の大切さを子どもたちに伝えることができるだろうか?ヴァーチャルな世界に支配された世界だからこそ、携帯電話が当たり前のように身近にあり、テレビを手のひらで観ることのできる現代に生きる子どもたちだからこそ、生の感覚、生命のリアリティに触れることが必要なのではないだろうか。

生命のリアリティ...、子どもたちが成長していく学校という場ではどうだろうか?多くの学校では、小動物を飼育することで「いのち」について学びとれるようにと、教師たちは忙しい日常業務の中で奮闘していると聞く。しかし、一方では飼育動物を適切に飼育できない、あるいは効果的に活かせていない学校もまだまだたくさんあることも事実である。子どもにとって動物とはどういった存在なのか?学校の中に犬がいることで様々な出会いや出来事、気づきがあった。犬と一緒に学校生活を過ごすことで一人でも多くの子どもが「いのち」の大切さを感じ、気づくことができるよう願っている。


「学校に犬がいたらたのしいだろうなぁ」

犬を学校の教育現場に介在させるきっかけとなったのは、学校を休みがちになっていたある少女との出会いだった。彼女が学校を休みがちになって数ヶ月の間、ほとんど引きこもりのような状態となっていた。何度か電話やメールなどでのやりとりの末、私の飼っていた犬と彼女の家の犬を連れて、休日の公園で一緒にお散歩をしようということになった。散歩中も犬を介して徐々に会話も弾み、休みのたびに待ち合わせをし、犬の散歩を繰り返した。こうして外の世界とのつながりを取り戻し徐々にではあったが、学校へと戻ってくることができた。そんな彼女がつぶやいた一言が「学校に犬がいたらたのしいだろうなぁ」という言葉だった。

子どもたちは様々な悩みや葛藤、不安といったストレスを抱えながら日々成長していく。しかし、不登校になってしまう子どもにとっては、ともすれば学校という場所は、友達との人間関係や勉強、競争などで疲弊してしまう場所でもあるのだ。大好きな犬と一緒であれば心強いし安心できる。休んでいた学校にもう一度足を運ぶ勇気をくれる。犬が子どもたちの不安や緊張を和らげ、「たのしみ」や「やさしさ」を与えてくれる存在として学校にいてくれれば、きっと救われる子どもたちがたくさんいるだろう。そんな思いから「学校に犬を...」というアイディアが生まれた。


犬がいる学校って、きっと「たのしい」

この経験は私にとって、「犬は子どもにとって何か力のようなものを与えてくれる存在だ」ということを思い出させてくれた。子どもの頃、両親が共働きで忙しくしていたこともあり、私にとってヨークシャー・テリアの「ルー」はよき相談相手であり、友人でもあった。母親からはベッドに犬を入れてはいけないと言われていたが、寝るときはいつもベッドの足元には「ルー」が丸くなり湯たんぽ代わりになってくれていた。布団の中で犬特有のにおいに包まれているとなんだか安心できた。

大人になり、自分で犬を飼うようになってからも、私にとって犬は「あたたかい」特別の存在だった。世の中には犬が嫌いな人がいるなんてことに気がついたのは、実は結構最近のことだったりするから、普通の人とは感覚が少々違うのかもしれない。

小学校教師という仕事をするようになってからも私の犬好きは続き、子どもたちのノートをチェックするときのスタンプを全部犬のキャラクターで統一。今では、数十種類ある犬のスタンプを集めるのが子どもたちの楽しみの一つになっている。また、盲導犬や介助犬などの話を取り上げると、子どもたちは身を乗り出すように積極的に授業を受けてくれる。保健所で殺処分される犬の話では涙を流す子どもも少なくない。多くの子どもにとって犬という動物にはモチベーションとなる特別な「何か」があるのかもしれないと感じているのは私だけではないだろう。

学校は何をする場所か?勉強する、友だちをつくる、遊ぶ...、様々な経験を通して子どもたちを成長させる場所。そのすべてを満たすために必要なキーワードは「たのしい」ではないだろうか。子どもにとって学校とは、生活時間の大半を占める場所である。もしも子どもたちがそんな学校を味気ない空間だと感じているとしたら...、それはとても不幸なことだ。学校は「たのしい」場所でなければならない。教師はそのために最善を尽くす。「たのしい」からこそ子どもたちは自ら学び、知るという喜びを味わうことができるのだから。

至極あたりまえのことだが、「なんだか嫌だなぁ」と思いながら通う学校と、「たのしい」「嬉しい」と毎日思える学校とでは、子どもたちの学びに対する意欲は大きく変わってくるだろう。「算数や国語は苦手だけれど、学校に行くのは好き...」「友だちに会えるから...」「休み時間に遊べるから...」様々な理由の中に、「犬がいるから...、犬に会いたいから...」という「たのしみ」が加われば...、きっと、子どもたちにとって「学校はたのしい」と思えるに違いない。


新しい教育プログラムの導入

2001年にブラジルのリオデジャネイロで行われた「IAHAIO(人と動物の関係に関する国際組織)」の大会で、子どもたちの「こころ」の成長に動物がとてもよい役割を果たすということが報告され、『動物介在教育(Animal Assisted Education)』を実施するうえでのガイドラインが『リオ宣言』として発表された。教育現場に動物を介在させるために必要なこと、注意点などがまとめられていた。犬を学校に介在させるという取り組みは、学術的にも例が少なく、研究が始まったばかりの新しい取り組みになるだろうということがわかった。

子どものよりよい成長や発達、人間関係の構築といった分野によい効果が期待される動物介在教育というプログラム。専門家の助言や協力を得ながら慎重に進めた。前例のない取り組みだったので、導入にあたっては教員間でも不安の声があがった。犬の世話は誰が行うのか?噛みつき事故などの懸念、アレルギーに対してのケア、衛生面の問題など...。盲導犬や介助犬といった補助犬を社会が受け入れられるようになったように、学校でも医師や獣医師、ドッグトレーナーなどの協力を得ながら、しっかりと対策を講じることで、犬の受け入れが可能だということを示した。そして犬の選定と購入、飼育費用の負担や日常の世話などはすべて私が行うということで、なんとか実験的に犬を学校に導入することが認められたのだった。

こうして2003年より、エアデール・テリアのバディという大型の犬を用いた「動物介在教育」という新しい教育プログラムの取り組みが始まった。


学校犬の誕生

『動物介在教育』のための学校犬の選定と導入は、獣医師でもある兵庫県の繁殖家の協力により、旧東ドイツから輸入した血統で日本警察犬協会でも優秀な訓練成績を修めている親犬の子犬を得ることができた。

2003年3月11日、学校犬となる子犬が誕生した。小学校で子どもたちと共に生活をすることを第一の目的として、数頭の子犬の中から最も穏やかだろうと思われる個体を選んだ。その子犬には将来、子どもたちのよき「仲間」となってくれることを願って「Buddy」と名付けることにした。生後55日で東京へ迎え、比較的早い段階でワクチンプログラムと並行しながら学校の環境や子どもたちに馴染めるように様々な社会化トレーニングを行った。生後約70日から登校し、環境に慣れるまでの約2週間は限られた世話係の子どもたちとのみに接触を制限した。段階的に学校内外での行動範囲を広めていき、生後3ヶ月を過ぎる頃までには100人以上の人間から触れられ、肯定的に扱われるという経験をさせた結果、学校犬として選ばれたバディは、おっとりとしていて、ちょっと気の弱いところもあるが、子どもたちに対して優しく接することのできる犬に育ってくれた。

report_02_88_2.jpg
筆者プロフィール
吉田 太郎 (立教女学院小学校 宗教主任)

1973年京都に生まれる。同志社大学神学部卒業、同大学院歴史神学専攻修士課程修了。神戸国際大学付属高等学校宗教科講師を経て、99年より現在の立教女学院小学校に宗教主任として奉職。2003年よりエアデール・テリアのバディとともに新しい教育プログラム「動物介在教育(Animal Assisted Education)」を実践。
バディの学校生活の様子はブログで紹介
http://blog.livedoor.jp/schooldog/

著書
report_gakkokenbuddy.jpg
子どもたちの仲間 学校犬バディ 動物介在教育の試み






このエントリーをはてなブックマークに追加

TwitterFacebook

インクルーシブ教育

社会情動的スキル

遊び

メディア

発達障害とは?

論文・レポートカテゴリ

アジアこども学

研究活動

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP