政府による「こども・若者の性被害防止のための緊急対策パッケージ」の策定
こども・若者の性被害の防止を図る為に、政府ではこれまで、2022年5月20日に「犯罪対策閣僚会議」が「子供の性被害防止プラン2022」を決定し、2023年3月30日には「性犯罪・性暴力対策強化のための関係府省会議」が「性犯罪・性暴力対策の更なる強化の方針」を決定するなど、こどもの性被害防止の対策に取り組んできました。
とはいえ近年、弱い立場に置かれたこどもや若者が性犯罪・性暴力の被害に遭う事案は依然として後を絶たないでいるとともに、被害に遭ってもこどもにはそれを性被害であると認識できないことや、なかなか声をあげにくいことによって適切な支援に結びついていないなどの課題が指摘されています。例えば、文部科学省によると児童生徒らへの性犯罪・性暴力(わいせつ行為)などで2022年度に処分された公立学校教員は、前年度比3割増の119人だった*1ということです。こうした状況において、具体的な対策の強化は、すべてのこども・若者が安心して過ごすことができる「こどもまんなか社会」を実現する上で、喫緊の課題と言えます。
そうした状況下、2023年7月26日に「性犯罪・性暴力対策強化のための関係府省会議」と「こどもの性的搾取等に係る対策に関する関係府省連絡会議」の合同会議*2において、「こども・若者の性被害防止のための緊急対策パッケージ」*3が策定されました。
出典:こども家庭庁(https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/72e390fa-db00-44e9-af2e-084e71c76b93/fad16325/20231121_policies_child-safety_efforts_kinkyutaisaku_02.pdf)(参照 2024-07-22)
この緊急対策パッケージは、資料1のように、「1.加害を防止する強化策、2.相談・被害申告をしやすくする強化策、3.被害者支援の強化策」で構成される「3つの強化策の確実な実行」を掲げています。
「1.加害を防止する強化策」としては、
- 改正刑法等による厳正な対処、取締りの強化、
- 日本版DBSの導入に向けた検討の加速、
- 保育所等での虐待防止のための児童福祉法改正の検討、
- 児童・生徒等への教育啓発の充実、
「2.相談・被害申告をしやすくする強化策」としては、
- 相談窓口の周知広報の強化、
- SNS等による相談の推進、
- 子育て支援の場等を通じた保護者に対する啓発、
- 男性・男児のための性暴力被害者ホットラインの開設、
- 相談・被害申告への適切な対応のための体制整備
「3.被害者支援の強化策」としては、
- ワンストップ支援センター等の地域における支援体制の充実、
- 学校等における支援の充実、
- 医療的支援の充実、
- 法的支援の充実、
本稿で、特に紹介するのは「1.加害を防止する強化策」の(2)日本版DBSの導入に向けた検討の加速についてです。「日本版DBS」と表現されているのは、イギリスで実施されている「DBS(Disclosure and Barring Service):教育・保育施設等やこどもが活動する場等において働く際に性犯罪歴等についての証明を求める仕組み」を、日本でも実施するという趣旨からです。これは、性暴力の防止手段の一つとして、事業者に、特定の性犯罪の前科の有無を確認することを義務付け、違反した場合、公表などの対象にする仕組みを企図しているものです。
こども家庭庁では、本緊急パッケージの提案に基づき、「こども関連業務従事者の性犯罪歴等確認の仕組みに関する有識者会議(座長:内田貴早稲田大学特命教授・東京大学名誉教授・弁護士)」*4を設置して、12人の構成員とこども家庭庁成育局長はじめ幹部と9つの府省庁のオブザーバーの参加のもとで法案提出を目指して検討を進めてきました。
「学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律」の制定
「学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律」*5は、2024年5月23日に衆議院での全会一致で可決され、それに続いて6月19日参議院でも全会一致で可決されました。
この法律の趣旨は「こどもを対象にした性暴力が、生涯にわたって回復しがたい重大な影響を与えるとして、学校だけでなく民間の事業者を含め広く、教員や保育などの従事者による性暴力を防止することを義務づける」もので、概要は資料2の通りです。
出典:こども家庭庁(https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/71c2c6c6-efb3-452e-8d82-8273b281bac4/06cb8786/20240705_councils_kodomo_seisaku_kyougi_71c2c6c_15.pdf)(参照 2024-07-22)
その内容は以下のように要約されます。
- 本法律は、学校設置者等(学校、児童福祉施設等)及び民間教育保育等事業者(学習塾等を含む)について、その教員等及び教育保育等従事者による児童対象性暴力等の防止に努めるとともに、被害児童等を適切に保護する責務を有することを規定し、教員や保育などの従事者の犯罪事実確認の仕組みを規定するものです。
- 犯罪事実確認が義務となる施設は学校や認可保育所など、法律上、認可の対象となっている施設であり、児童養護施設や障害児の入所施設、児童発達支援施設なども義務とします。
- 義務となる施設以外については「認定制度」を設けて、研修や相談体制の整備など、一定の条件をクリアした場合は、前科の確認の対象とします。たとえば、放課後児童クラブ=いわゆる学童クラブや認可外の保育施設のほか、学習塾やスイミングスクール、ダンスなどの芸能を教えるスクールなど、民間事業者も一定の体制があれば対象となり、認定を受けた事業者は国が公表。派遣や委託、無償のボランティアなどであっても、子どもに接する業務の性質によって対象とします。
- 確認する性犯罪は、不同意わいせつなどの刑法犯だけでなく、痴漢や盗撮などの条例違反も含み、性犯罪歴の確認の対象となる期間は最長で20年(拘禁刑で実刑の場合は刑の執行終了から20年、執行猶予の場合は裁判の確定日から10年、罰金刑の場合は刑の執行終了から10年)とします。
- 具体的な性犯罪歴の確認手順は、事業者がこども家庭庁に申請し、その際に業務に就く予定の人が戸籍情報などの必要書類を提出するなど、本人も関わります。照会した結果、対象の性犯罪歴がなければ「犯罪事実確認書」をそのまま事業者に交付し、犯罪歴があった場合は、まず本人に事前に通知し、その内容に不服がある場合、2週間以内であればその内容について訂正を請求できるほか、結果を受けて本人が内定を辞退すれば、事業者には犯罪歴が通知されることなく申請が却下されることになります。
- 「学校設置者等が講ずべき措置」として、「教員等としてその業務を行わせる者について特定性犯罪前科の有無を確認」することに加えて、「教員等に研修を受講させること」「児童等との面談・児童等が相談を行いやすくするための措置」「これらを踏まえ、児童対象性暴力等が行われるおそれがある場合の防止措置(教育、保育等に従事させないこと等)」を実施し、「児童対象性暴力等の発生が疑われる場合の調査、被害児童等の保護・支援」をすることも規定しています。
つまり、この法律が施行されて日本版DBSの制度が稼働することになれば、性犯罪歴のある人が教育や保育など、こどもと関わる仕事に勤務しようとする場合、就職する前の段階で、雇用する側が義務として当該の人の犯罪歴を確認することになります。制度の施行によって性犯罪歴のある人の教育や保育等こどもと関わる仕事への志望が抑止されるとともに、仮に志望した場合は、性犯罪歴が確認された本人にまず自己の性犯罪歴に関する情報が知らされ、訂正の請求や就職の辞退を判断する機会が与えられることになります。結果を受けて本人が内定を辞退すれば、事業者には犯罪歴が通知されることなく、申請が却下されます。このようにして、性犯罪歴のある人の教育や保育に関わる就職が未然に防げることになるのです。
「学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律」の施行に向けて
全てのこどもたちが、どのような場にあっても、安全に安心して過ごすことができるために、特にこどもたちが長時間過ごす場である学校の設置者等、そして民間教育保育等事業者が、教員・保育士等が性暴力を犯すことがないようにする責務があることは言うまでもありません。また、確認が義務とされていない施設、とりわけこどもたちの放課後の居場所を提供している学童クラブや学習塾の場合に、こどもたちの安全確保を図っていることを明示するために「認定制度」を利用する事例があることが想定されます。その際には、「こどもまんなか」の視点から丁寧な手続きを行うと同時に、対象者の個人情報保護が厳密に確保されなければならないことにも留意が必要です。
この法律は2024年6月に、国会の衆議院・参議院の満場一致の可決で制定されましたが、審議の論点として、たとえば、この制度は憲法に定められている「職業選択の自由」を脅かすことになるのではないかという懸念がありました。けれども、こどもに対する性犯罪を防ぐために、国会の議員立法で制定され2023年4月1日に施行された「こども基本法」に定められている、こどもの基本的人権を保障する「こどもまんなか」の理念が最優先に尊重されたことが、国会での満場一致の可決に表れていると言えます。
さて、条文には「一部の規定を除き、公布の日から起算して二年六月を超えない範囲内において政令で定める日から施行すること」と規定されており、実際に施行されるのは約2年半後になります。
今後、国では法律に基づいた適切な手続きについて丁寧に準備を行い、自治体の取組みが円滑に進むようにガイドライン等を作成する予定とのことです。
教員や保育士をはじめとする人財の資質の向上と確保により、こどもたちの性被害を防止し、より適切で安全な環境を確保するためのこの新しい制度について、こども・若者当事者、教育やこども・子育て支援の関係者・関係団体の皆様には、正確な認識と理解、今後の実施に向けた過程に注目していただくことを期待したいと思います。
注記:
- *1. 令和4年度公立学校教職員の人事行政状況調査について:文部科学省 (mext.go.jp)
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/1411820_00007.htm - *2. 首相官邸「性犯罪・性暴力対策強化のための関係府省会議・こどもの性的搾取等に係る対策に関する関係府省連絡会議合同会議」
https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202404/25kodomo.html - *3. こども家庭庁「こども・若者の性被害防止のための緊急対策パッケージ」
https://www.cfa.go.jp/policies/child-safety/efforts/kinkyutaisaku/ - *4. こども家庭庁「こども関連業務従事者の性犯罪歴等確認の仕組みに関する有識者会議(座長:内田貴早稲田大学特命教授・東京大学名誉教授・弁護士)」
https://www.cfa.go.jp/councils/kodomokanren-jujisha/< - *5. こども家庭庁「学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律案」
https://www.cfa.go.jp/laws/houan/e81845c0
清原 慶子(きよはら・けいこ)
慶應義塾大学大学院修了後、東京工科大学メディア学部長等を経て、2003年4月~2019年4月まで東京都三鷹市長を務め、『自治基本条例』等を制定し、「コミュニティ・スクールを基盤とした小中一貫教育」「妊婦全員面接」「産後ケア」を創始するなど「民学産公官の協働のまちづくり」を推進。内閣府:「子ども子育て会議」・「少子化克服戦略会議」委員、厚生労働省:「社会保障審議会少子化対策特別部会」委員、全国市長会:「子ども子育て施策担当副会長」等を歴任。現在は杏林大学客員教授、こども家庭庁参与、総務省行政評価局アドバイザー・統計委員会委員、文部科学省中央教育審議会・いじめ防止対策協議会委員などを務め、「こどもまんなか」「住民本位」「国と自治体の連携」等による国及び自治体の行政の推進に向けて参画している。