幼児期の重要性について
「三つ子の魂百まで」ということわざがあります。「三つ子」は、3歳のこどもを含む「幼児」を示す言葉であり、このことわざの意味は、一般的に、幼児期に現れた性質や好き嫌いなどの態度は、教育を受け経験を積んでも、変わらない傾向があることを示しています。この意味に近い記述は『源氏物語』にあるということですから、平安時代の昔から幼児期の育ちへの注目があったようです。こうした表現に出会うとき、人間はかなり昔から、3歳前後の幼児期の育ちがもたらす、将来を含めた人生への影響や意義を重視してきたことがわかります。
また、戦後の高度経済成長期を通じて、急速に核家族化が進む中で、主として母親が子育てに専念することを一般化する傾向が表れて、「母親は子育てに専念するもの」との社会的規範が多少なりとも強化され、過度に強調される中で、いわゆる『三歳児神話』*1と表現される考え方が言われるようになりました。これは、一般的にこどもは3歳までは家庭において主として母親に育てられないとこどものその後の成長に悪影響が及ぼされるという考え方です。これについては合理的な根拠が共有されないまま、特に働く母親のみならず、職業をもたずに子育てしている母親にもプレッシャーを与えてきたことは否めません。
脳科学、小児医学や発達心理学等の研究によって、乳幼児期という人生の初期段階は、自分以外の人間である他者に対する基本的信頼感を形成する大事な時期であり、この信頼感は、乳幼児期に母親だけなく、父親、きょうだいや他の家族・親族、それ以外の多様な存在によって形成されるものであることが少しずつ明らかにされてきています。女性の就業率が高まり、共働きが一般化する中、個人のライフステージにおける乳幼児期のこどもの育ちの意義を確認するとともに、母親のみが乳幼児期の養育役割に重責を担うというのではなく、広く社会に求められる取組みについて共有する必要があります。
本稿では、特に、乳幼児期のこどもの育ちについて考察します。
ライフステージ別の取組みを提案する『こども大綱』における「乳幼児期の課題」
2023年12月22日に閣議決定されたこども政策の指針である『こども大綱』*2では、「こどもまんなか社会」を実現するこども施策を進めるに当たっては、それぞれのライフステージに特有の課題があり、それらが、こどもや若者、子育て当事者にとって、どのような意味を持ち、どのような点に留意すべきかを踏まえる必要性を提起しています。
まずは、ライフステージ全体を通して対処すべき課題については「ライフステージに共通する課題」として下記の項目を列挙しています。
- こども・若者が権利の主体であることの社会全体での共有等
- 多様な遊びや体験、活躍できる機会づくり
- こどもや若者への切れ目のない保健・医療の提供
- こどもの貧困対策
- 障害児支援・医療的ケア児等への支援
- 児童虐待防止対策と社会的養護の推進及びヤングケアラーへの支援
- こども・若者の自殺対策、犯罪などからこども・若者を守る取組
その上で、ライフステージを、「こどもの誕生前から幼児期まで」「学童期・思春期」「青年期」の3つに分けて、それぞれの重要事項を示すとともに、「子育て当事者への支援に関する重要事項」を示しています。
2024年度は、『こども大綱』に基づく具体的な施策について、『こどもまんなか実行計画』が策定され、各種こども政策が実行されていくことになりますので、『こどもまんなか実行計画』については別の機会に紹介します。
こどもの誕生前から幼児期までのライフステージの重要課題
「こどもの誕生前から幼児期まで」のライフステージについて、『こども大綱』では、「こどもの将来にわたるウェルビーイングの基礎を培い、人生の確かなスタートを切るための最も重要な時期」と位置づけて、この時期の施策に関する重要課題を「妊娠前から妊娠期、出産、幼児期までの切れ目ない保健・医療の確保」と「こどもの誕生前から幼児期までのこどもの成長の保障と遊びの充実」の2つに分けて説明しています。
乳幼児は多くの時間を家庭や地域の中で過ごし、幼稚園・保育所・認定こども園への就園状況も異なるなど、それぞれの育ちの環境は多様です。そこで、「こどもまんなか」の視点に立つときには、こども1人ひとりの多様性を尊重しつつ、保護者・養育者の子育てを支える取組みはもちろんのこと、「こどもの育ちの質」にも注目する必要があります。
特に、乳児期においては、「しっかりとした愛着形成を基礎とした情緒の安定や他者への信頼感の醸成」が必要です。
また、幼児期においては、家族以外の他者との関わりを経験する中で、基本的な生活力を獲得するとともに、他者との中で自ら状況を把握し行動を判断していく生きる力の獲得が求められます。こうした社会的経験を通じて、こどもが、それぞれの個性を発揮し、相互に認め合う存在となる経験を重ねることによって、「自己肯定感」「社会への帰属意識」や「他者への信頼や思いやり」を獲得して成長することが期待されます。
ここからは、「こどもの誕生前から幼児期まで」のライフステージにおける2つの重要課題のうちの「こどもの誕生前から幼児期までのこどもの成長の保障と遊びの充実」について焦点を当てたいと思います。
この時期のこどもの育ちを保障するためには、地域や家庭などの環境の相違にかかわらず、全てのこどもが、格差なく質の高い学びへ接続できるよう、学びの連続性を踏まえる必要があります。そこで、「幼保小の関係者の連携」により、こどもの発達にとって重要な遊びを通した質の高い幼児教育・保育を保障しながら、幼児教育・保育と小学校教育の円滑な接続の改善を図ることが有用です。特に、障害のあるこどもや医療的ケア児、外国籍のこどもをはじめ様々な文化を背景にもつこどもなど特別な配慮を必要とするこどもを含め、「多様性」を尊重した取組みが不可欠です。
そのためには、こどもの育ちに関わる保護者・養育者支援、保育士、保育教諭、幼稚園教諭等の人財、こどもの育ちに関する関係機関、地域を含めたこどもの育ちを支える人々をはじめとして社会の全ての人と共有することが望ましい理念や基本的な考え方が必要です。
『幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン』と『安心と挑戦の循環』
幼児期までのこどもの育ちに関して、社会全体が共通認識をもつことを目指して、2023年12月22日、『こども大綱』と同時に閣議決定されたのが『幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン』*3です。これは、こどもの心身の状況や、保護者・養育者の置かれた環境等に十分に配慮しつつ、こどもの誕生前から幼児期までを等しく、切れ目なく保障しようとするものです。
『幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン』は、『はじめの100か月の育ちビジョン』と呼ばれています。これは、本ビジョンを全ての人と共有するためのキーワードとして、母親の妊娠期から幼保小接続の重要な時期(いわゆる5歳児~小1)までが概ね94~106か月であることから、『はじめの100か月の育ちビジョン』と表記することでこの100か月間の重要性の共有を図ろうとしているものです。
出典:こども家庭庁(https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/6e941788-9609-4ba2-8242-42f004f9599e/bc281da5/20230928_policies_kodomo_sodachi_08.pdf)(参照 2024-05-20)
本ビジョンの目的は、『こども大綱』に明示されているこども政策の目的である「生涯にわたる身体的・精神的・社会的ウェルビーイングの向上」を踏まえて、「全てのこどもの誕生前から幼児期までの『はじめの100か月』から生涯にわたるウェルビーイングの向上」としています。
その目的を達成するために、『こども基本法』の理念にのっとり、「羅針盤としての5つのビジョン」を下記のように掲げています。
- こどもの権利と尊厳を守る⇒こども基本法にのっとり育ちの質を保障
- 「安心と挑戦の循環」を通してこどものウェルビーイングを高める⇒乳幼児の育ちには「アタッチメント(愛着)」の形成と豊かな「遊びと体験」が不可欠
- 「こどもの誕生前」から切れ目なく育ちを支える⇒育ちに必要な環境を切れ目なく構築し、次代を支える循環を創出
- 保護者・養育者のウェルビーイングと成長の支援・応援をする⇒こどもに最も近い存在をきめ細かに支援
- こどもの育ちを支える環境や社会の厚みを増す⇒社会の情勢変化を踏まえ、こどもの育ちを支える工夫が必要
この中で注目したいのが、乳幼児発達の特性も踏まえ、ウェルビーイング向上において特に重要な「アタッチメント(愛着)」と「遊びと体験」に着目し、『安心と挑戦の循環』という考え方を整理している点です。
すなわち、乳幼児期の安定した「アタッチメント(愛着)」は、こどもに自分自身や周囲の人、社会への安心感をもたらすものであり、その安心感の下で、こどもは「遊びと体験」等を通して外の世界への挑戦を重ね、世界を広げていくことができるのです。その過程を大人が見守りこどもの挑戦したい気持ちを受け止め、こどもが夢中になって遊ぶことを通して自己肯定感等が育まれていくことが重要であり、このような『安心と挑戦の循環』は、こどもの将来の自立に向けても重要な経験であるということです。
特に母親を孤立させない『幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン』の共有の意義
「三歳児神話」によって、かねては特に母親に向けられた乳幼児期の子育てに関する役割期待は、母親に少なからずプレッシャーを与えてきたことから、母親のみならず、社会の全ての人と『はじめの100か月の育ちビジョン』を共有する意義は大きいと考えます。
本ビジョンの基本的な視点は、「こどもの誕生前から幼児期までの育ち」に関する役割については、こども施策を主導する責務のある国や地方公共団体や保護者・養育者のみならず、こどもと直接関わる機会がない人も含めた全ての人がそれぞれの立場で担っており、多様なカタチでその当事者であると捉えることが必要ということです。
こどもと日常的に関わる機会がない人でも、間接的に「こどもの誕生前から幼児期までの育ち」の支え手として地域社会を構成しています。今を共に生き、次代をつくる存在であるこどもの生涯にわたるウェルビーイングの向上の実現は、社会全体の全ての人のウェルビーイング向上を持続的に実現するために不可欠な『未来への投資』と捉えることができます。加えて、幼児期までの「アタッチメント(愛着)」を土台に、「こどもの意見表明・社会参画の機会」を社会全体で保障することは、民主主義社会の発展にとっても重要と言えます。
「こどもの誕生前から幼児期までの育ち」は、大人がこどもを支えるという方向だけでなく、こども同士が育ち合い、支え合うことであり、そのことを通して、多世代が相互に自己実現できる過程と言えます。
人々が、こどもの誕生前や乳幼児の育ちに直接的・間接的に関わる経験をすることは、自分自身が、保護者を含む多くの人に支えられてきたことを再認識する機会ともなり、子育ての喜びや子育て当事者への共感を抱く機会ともなるのです。
保護者・養育者が子育ての責任を果たしていく中で、子育て支援施設を含む地域社会において、多くの人のこの時期の子育てに関する理解と、それに基づく支援と愛情の中で乳幼児を育むことは、孤立感の中で子育てするよりもこどもの健全な発達にとって望ましいと考えます。
改めて、身近な地域社会で、「はじめの100か月の育ちビジョン」の共有をしていきましょう。
注記:
- *1 榊原洋一「3歳児神話 その歴史的背景と脳科学的意味」『ベビーサイエンス』(2001)1: 60-65
https://www2.jsbs.gr.jp/LEARNED/SAKAKIBARA/index.html - *2 『こども大綱』
https://www.cfa.go.jp/policies/kodomo-taikou - *3 こども家庭庁『幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン (はじめの100か月の育ちビジョン)』
https://www.cfa.go.jp/policies/kodomo_sodachi/
清原 慶子(きよはら・けいこ)
慶應義塾大学大学院修了後、東京工科大学メディア学部長等を経て、2003年4月~2019年4月まで東京都三鷹市長を務め、『自治基本条例』等を制定し、「コミュニティ・スクールを基盤とした小中一貫教育」「妊婦全員面接」「産後ケア」を創始するなど「民学産公官の協働のまちづくり」を推進。内閣府:「子ども子育て会議」・「少子化克服戦略会議」委員、厚生労働省:「社会保障審議会少子化対策特別部会」委員、全国市長会:「子ども子育て施策担当副会長」等を歴任。現在は杏林大学客員教授、こども家庭庁参与、総務省行政評価局アドバイザー・統計委員会委員、文部科学省中央教育審議会・いじめ防止対策協議会委員などを務め、「こどもまんなか」「住民本位」「国と自治体の連携」等による国及び自治体の行政の推進に向けて参画している。