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【10月】子どもはインフォメーション・シーカーとして生まれる―メディア・イシューを考える

子どもは、インフォメーション・シーカー(情報を求める存在/人間、"information seeker")として生まれる。生まれたばかりの赤ちゃんは、産声がおさまると、ゆっくりと周囲を見まわすなどの行動をとる。視力がまだ充分に発達していないにもかかわらず、何か光るものとか、目立つものを見ようとする。また、母親に抱っこされれば、母親の乳首を求めて、吸いつく。栄養として必要な母乳を求めているのである。全ての生まれたばかりの赤ちゃんがそうするとか、街でみる好奇心いっぱいの赤ちゃんのようにはっきりとそういう行動をとるとはいわないが、出産場面で生まれたばかりの赤ちゃんを注意深く観察すれば、多くの赤ちゃんに見られる行動である。

赤ちゃんは、決してたくましい存在ではないが、その心のプログラムで情報を求め、得た情報それぞれに対応して、いろいろな体のプログラムを働かせて、生きていくのに必要なものを取り込んでいる。すなわち、赤ちゃんは、生まれた瞬間から母乳などの栄養によって体を成長させ、お母さんとのやりとりやガラガラなどの玩具からの情報によって心を発達させているのである。

生まれたばかりの赤ちゃんの"周囲を見まわす"という行動は、視覚により情報を求めている姿であり、乳首を求めるという行動は、おそらくお母さんの体の匂いの中にある母乳の匂いの嗅覚情報が大きな役割を果している姿であろう。赤ちゃんは、お母さんの乳首をくわえると、母乳の味の情報で、吸啜の体のプログラムを使って、反射的に母乳を吸おうとするのである。情報を求める心と体のプログラムをもっていなければ、赤ちゃんは栄養をとり、体を成長させることができず、生きてはいけないし、お母さんの笑顔やあやしに反応して、心を育てていくこともできないことは明らかである。

子どもの体の成長に「栄養」が必要なように、心の発達には「情報」そのものが必要といえる。したがって、赤ちゃんは、情報を求める心のプログラムによって取り込んだ情報によって、生まれた瞬間から生まれた時にもっている心と体のプログラムを働かせながら、いろいろと組み合わせて、豊かな心のプログラムと複雑な運動や行動の体のプログラムを作り出しているといえる。

この基本的な心と体のプログラムは、遺伝子によって決まるものである。換言すれば、人類進化の過程の中で出来上がった脳の中にあるいろいろな神経細胞のネットワークを働かせるプログラムといえる。したがって、生まれながらにしてもっている心と体のプログラムは、直接的には父親と母親の遺伝子によって決まるもので、個人差があり、それを働かせて組み合わせた複雑なプログラムにも、当然個人差は出るのである。そう考えると、社会は、心と体の多様な組み合せをもつ、それぞれが異なった人で構成されているのである。それは、全ての生き物に共通の原則でもある。

生まれながらにしてもっている心と体のプログラムを働かせる情報の与え方は、他の動物にくらべて、人間は特殊である。しかも、それは育児・保育・教育の中で、いろいろなやり方で与えられているといえる。特に教育では、「情報を目的に合わせて加工して与えている」といっても良いと思う。

まず育児では、親が日常の生活の中で、子どもを世話することばかりでなく、絵本を読む、玩具で一緒に遊ぶ、更にはテレビを一緒に見るなどの、それぞれの特徴あるかたちで、体の成長と共に心の発達に必要な情報を与えているのである。

保育園では、専門家の保育士によって、乳幼児の子どもの生活の世話をしながら、遊戯や玩具で子どもたちを遊ばせて、子どもたちのもっている心と体のプログラムを働かせながら組み合わせ、複雑な運動や行動に必要な、更にはより良い(より大人の心に近い)複雑な心のプログラムを作り、子どもの体を成長させ、心を発達させているのである。幼稚園では、教育に重点がおかれてはいるが、大きくみれば保育園でしていることとほぼ同じであるといえる。むしろ、幼稚園と保育園は一元化すべきである。

また学校になると、教育の専門家である教師によって、小学校の子どもたちは、心ばかりでなく体の能力の発達、それに加えて、読み、書き、ソロバンの能力ふくめて発達を目ざすことになる。必要な情報は、絵本や玩具などを越えて、教科書やいろいろな教育機器を使って、教育効果を高めるよう加工して与えているといえよう。

重要なことは、情報科学の発展と科学・技術の進歩とがあいまって、最近は、コンピュータとかインターネットを利用したメディア技術が、育児を行なう家庭ばかりでなく、社会的な子どもの施設である保育園、幼稚園、そして学校にまで入って来たことであろう。しかも、ゲームに関しては、依存症という病気まで作り出してしまった。考えてみれば、食生活の中でみられるアルコール中毒のようなものといえる。

人類進化の過程で現われた情報に関わる科学・技術は、過去に現われたいずれの生活技術とも同じようにますます発展し、人類の進化に貢献することは間違いない。それによる悪しき面に対しても、科学・技術によって対応しなければならないし、またそれによって解決することができると思われる。

棒を使って地面に絵を描いていた遠い祖先の子どもたちが、やがて大人達により発明された紙や筆、そして墨や絵具を使って、われわれが見ているような絵を描くようになったように、現在の子どもたちは、iPadなどのメディア機器を作って描くようになった。絵の情報を具体化する方法が進歩したのである。勿論、それで全てよしとはいえないが。

それは、食生活と対比すれば、われわれの遠い祖先が自然に存在する植物や動物の素材を簡単に料理して、食事をとって生きていたものが、文化に合わせて日本料理を進化させ、それが最近になるとフランス料理・イタリア料理などの西洋料理がわれわれの食生活の中に入って来ているのと同じではなかろうか。当然のことながら個体発生的にみれば、栄養は赤ちゃんに与える母乳やミルクから始まって、幼児食、そして小学生や高校生になれば、大人と同じように多様な料理によってとっていることになる。

体の成長にとって良い栄養が必要であるのと同じように、心の発達にとっては、良い情報が必要なことは明らかである。したがって、メディア・イシューを考える時には、上述のように栄養と対比して考えるのが良いといえる。栄養についての科学・研究の歴史は長く知見が多いし、それを利用すればメディア・イシューを解決する道も開けよう。

今われわれがしなければならないのは、情報を加工するメディアの科学・技術を充分に理解し、育児・保育・教育の場における、教育的情報の加工の仕方や与え方を、"チャイルドケアリング・デザイン"することである。子どものことをよく考え気づかうのはもちろん、今や、子どもに優しい情報の加工の仕方、与え方を考えなければならない時代になったといえる。

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