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【5月】ドゥーラの事業化

「ドゥーラ」"Doula"という言葉は、CRNに関係されている方は、どなたもご存知のことと思います。 CRNでは、私もドゥーラについて何回か書きましたし、また助産師の岸 利江子さんによる「ドゥーラ研究室」というコーナーも、CRNの中では運営されているからです。

既にご存じの方には重なることになりますが、「ドゥーラ」とは、妊娠・出産・育児をサポートする、特にエモーショナル・サポートをする女性のことであり、ギリシャ語の呼び名なのです。そもそもは、故マーガレット・ミード女史(コロンビア大学教授・文化人類学者)のお弟子さんのダナ・ラファエル女史(医療人類学者)が、妊娠・出産・育児の医療人類学研究の結果、言い出された言葉なのです。いかなる文化でも、どんな時代でも、女性が妊娠・出産・育児をする際、すなわち生命のバトンタッチの時には、女性同士の心と心をつなぐ助け合いシステムがあり、そのカギをにぎる女性をギリシャではドゥーラと呼んできたのです。わが国では、その昔活躍していたお産婆さんのような女性が、その役を果していたのではないかと思います。われわれ人間は、医学・医療のない時代には、そういう人なしには生命のバトンタッチは無事にできなかったと言えると思うのです。

その昔の1960年代初めに留学していたロンドンの子ども病院の近くの医学書店で、1970年代後半のロンドン訪問の折に、ラファエル女史の一冊の本を求めました。その本によって「ドゥーラ」という言葉と共に、妊娠・出産・育児の時にはエモーショナル・サポートが重要である事を学びました。医師として、マタニティ・ブルーを含めて、妊婦さんや産婦さんに、精神的な問題が好発する ことは充分わかっていましたが、エモーショナル・サポートがどれだけ効果を上げるかについては、実感として私ももっていなかったのです。その本を読んで感銘をうけた私は、1977年末に「小児科診療」という医学雑誌に「ドゥーラ」を紹介する論文を書き、重ねて1981年には、「周産期医学」にも書きました。もう35年も前のことです。しかし、残念ながら、反応はほとんどみられなかったのです。それは、私にとっても不思議なことでもありました。

21世紀に入って初めて、上述の私の論文を読んだ助産師さん達何人かが、私に接触を始めてきました。そのひとりが岸さんで、アメリカで1990年代から始まっているドゥーラ運動を実際にみたり、それに参加して実践されてこられた助産師さんです。それがきっかけとなり、早速CRNのサイトに前述の「ドゥーラ研究室」コーナーを開き、ご執筆いただきました。

最近になって、東京のある開業助産師の方がドゥーラの事業化について相談にいらっしゃいました。その計画書をみて「産後ドゥーラ」という言葉を使っているのに驚きました。すなわち、妊娠・出産には直接関係しないドゥーラということになります。それでは、単なる育児支援ということになり、「ドゥーラ」という看板は使えないのではないかとさえ思いました。

しかし、その理由を聞くと、病院産科とか産院には、お産の現場に直接関係ない人が入り込むことに強い抵抗があるということでした。職業意識なのでしょう。私が論文を書いた頃、耳に入った反論は、単なるエモーショナル・サポートくらいでは、お産が軽くなったり、産婦や新生児の合併症までがなくなる筈がないと言う話でした。アメリカでは見事な研究があるのに、残念ながら日本では未だそのような研究を私は見ていません。私には、わが国の反対論の基盤は、医療費にもならないエモーショナル・サポートは、現場では認められないという点ではないかと思った程です。

しかし、岸さんの「ドゥーラ研究室」でも報告されているように、アメリカでもドゥーラは、産科医療に入りつつあります。中国の上海では、産婦さんが自分の好みに合った「ドゥーラ」と契約して産科に入院すると、スタンダードな産科医療の外に、契約したドゥーラの心温まるサポートを受け、お産を軽く楽しいものにしているそうです。決してマンパワーも充分でない、わが国の産科医療にも、早くドゥーラが入って、アメリカや中国のように楽しいお産ができる時代が早くくる事を祈りたいと思います。

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