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【2月】「五感の学校」の実験授業を見学して-教育における「感性の情報」の意義を考える

小林 登 (CRN 所長、東京大学 名誉教授、国立小児病院 名誉院長)

2012年2月 6日掲載
先月の13日、福島県いわき市の赤井小学校で行われた、4年生100人の子ども達を対象とする「五感の学校」の実験授業を見学する機会を得た。いろいろ考えさせられることが多かったので、それを2月の所長メッセージとしてまとめることにした。

report_01_060_1.jpg「五感の学校」とは、プロダクト・デザイナーであり、デザイン・エンジニアでもある中川聰氏(トライポット・デザイン社CEO、東京大学工学部特任教授)が提唱する、子ども達の思考を広げ、創造性を伸ばすことを目的とする教育カリキュラムの授業である。

体育館に集まった子ども達に、映像を見せたり、音や音楽を聞かせたりして、子ども達が感じたものを、擬音語、擬声語、擬態語(オノマトペ)を含めて、言葉にしたり、絵や色で表現させたりするのである。行われた授業は、次の様に整理される。
  1. 「寒そうな女性」、「強い風で傘が飛ばされそうになる男性」、「窓から風が吹き込んで流れるカーテン」の写真を見せて、風の音を「ぶるぶる」、「ササーササー」、「ヒュー、ヒュー」というような擬音語で答えさせる。

  2. 童謡「あめふり」を聞かせて、歌詞の中にある「ピッチ、ピッチ」、「チャプ、チャップ」、「ラン、ラン、ラン」の擬音語、擬声語は、「どんな感じ?」かを答えさせる。

  3. 「高い所から池に飛び込む男性の写真」、「マツムシの写真」を見せて、頭に浮かぶ音を表現させる。すなわち擬音を答えさせる。
    東京からみれば、まだまだ自然の多いいわき市であるが、虫の写真を見てその鳴き声が出てこなかったのには驚いた。

  4. 生活の場でしばしば耳に入る音を聞かせて、擬音語と共に何の音かを当てさせる。「自転車の走る音」、「やかんの水の沸騰した音」、「自動車の急ブレーキの音」、「お皿を重ねる音」、「天ぷらを揚げる音」、「セロハンテープを切る音」、「箱のティシューを取り出す音」、「ペットボトルを潰す音」、「鉛筆削り器で鉛筆を削る音」を聞かせた。

  5. ト音記号を普通に上から下に、逆に下から上に書かせる。次に両手で同時に上から下に、逆に両手で同時に下から上に書かせる。両手でチョウチョウのかたちを描かせる、両手で別々の図形を描かせる(左は□、右は△)、左手と右手それぞれ赤黒の別の色で家の屋根とその下に分けて描かせる。

  6. report_01_060_3.jpg    report_01_060_0.jpg

  7. あらかじめカラーマップを渡し、音や音響を聞かせて、カラーマップのどの色かをマークさせる。

  8. 音や音楽を聞かせて、自由に絵を描かせる。

  9. report_01_060_6.jpg    report_01_060_7.jpg


  10. 輪状にまとめられている2m近くある軟らかい針金を渡し、まずそれをまっすぐ伸ばさせ、次に音楽を聞かせて、針金で自由にかたちを作らせる。

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始めは緊張していた子ども達も、30分足らずのうちに伸び伸びと中川氏の問いかけに答え、同じ机の子どもと語らいながら1時間半に及ぶ授業を楽しく終わらせた。中にはグループを離れて、音楽に乗って踊り出す子どもまで現われた。

report_01_060_10.jpgこの実験授業のそれぞれのカリキュラムについて、具体的にどうしてこのような授業法を考えたか、中川氏に細かく伺っていないので不明であるが、何か聴覚による「音声の情報」によって、教育にとって重要な知性・理性を高めようとしているのではないかと感じた。唯、5の「ト音記号を書く、図形を描く」のカリキュラムは全く別の意図を目ざしている様に思えた。また、震災などによるPTSDの子どもを見つけ、経過などを明らかにすることも考えているようであった。

情報をキーワードにして、個人的な考えであるが、学校教育を定義してみよう。子ども達の年齢に応じて、情報としての教えるべき知識を、教育の目的に合わせてデザインし、加工して(教材と教育の方法を工夫して)与え、子ども達の脳の新皮質(理性・知性に関係する)がもつ学ぶ、まねる、考える、覚えるなどの心のプログラムと、同様に生まれながらもっている心(嬉しい・悲しいなど情動をつかさどる大脳辺縁系部分)とさらに体(基本的な生命機能をつかさどる脳の最も内側の脳幹部分)のプログラムを働かせながら連携させ、社会人として行動できる様に高度な心のプログラムへと構成させることと定義出来よう。

教育のためにデザインして加工する情報は、yes-noで判定され、熱力学的にエントロピーを下げる、即ち「あいまいさ」を低下させる「理性の情報」と、「嬉しい」、「悲しい」など人間の情動に関係する「感性の情報」とに分けて考えることができる。すなわち、新皮質の理性・知性に関係する心のプログラムを働かせる情報と、大脳辺縁系の情動など本能に関係する心のプログラムを働かせる情報とに分かれるのである。したがって、中川氏の「五感の学校」は、教育に於ける「感性の情報」の意義を考えるのに良い実験授業のように思えた。但し、5の左手、右手を使った授業は、「感性の情報」と関係なくはないが、脳の左右の問題ではないだろうか。別の機会に考えてみたいと思う。

脳は、それぞれの機能を担う心のプログラムを、それぞれの部分に局在させて、モジュール構造をとっていると言える。ここでいう心のプログラムとは知・情・意の精神・心理状態の全ての心をさす。眼、耳、鼻、皮膚などの感覚器から取り込まれた情報が、心のプログラムにスイッチを入れ、いろいろなものごとを感じさせると共に、心のプログラムで処理された情報が、体のプログラムと心のプログラムを共に働かせて、運動や行動をとらせているのである。「知」としては、人間的な「考える」、「覚える」、「正義感」、「責任感」というような精神的な心のプログラム、「情」としては、「うれしい」、「悲しい」、「怒る」というような情動の心のプログラム、「意」としては「したい」というような意欲、あるいは報酬系の心のプログラムということになる。

胎児・新生児の行動をみると、基本的な心のプログラムはもって生まれて来ているように見える。それは、進化の過程で獲得したもので、遺伝子で決まるものと言える。心臓を働かせ、手足を動かす体のプログラムばかりでなく、快・不快の心のプログラムももっており、快の状態では、胎児でもニンマリ微笑することは知られている。それが生まれて育つにつれて、知性・理性の心のプログラムと組み合わされて、母親のあやしに反応して笑い、小学生になれば漫画を見て笑い、高校生になれば落語を聞いて笑うようになる。すなわち笑いは発達するのである。

それは、胎児のもっている基本的な笑いのプログラムは、胎児が育つ中で知性のプログラムなどといろいろ組み合わされて複雑になり、大人のもっている様なプログラムに発達すると言えるのである。遺伝子によって直接作られた蛋白体などの産物は、それ自体機能をもっていないが、いくつかの産物が組み合わさって、ホルモンの様な機能をもった分子になる現象に対比できると思うのである。

report_01_060_11.jpg中川氏の実験授業は、子ども達に「オノマトペ」に関係する生活の中の音に関心をもたせ、それを絵や色で表現させる、針金で「かたち」にさせる、などのことをしている。それは、音という「感情の情報」を与えて、「理性の情報」と「感性の情報」で働く心を、プログラムを介して、体のプログラムも働かせて、絵画や色彩に表現させているとも言えよう。われわれの生活の場や教育の現場では、殆ど働かされることのない方法で、心のプログラムを働かせていることになる。

別の視点からみると、われわれの脳は、魚類・爬虫類の祖先がもっているような「生命・運動脳」の体のプログラムの働きを良くするために、大脳辺縁系中心の原始的な哺乳動物の祖先の脳のような「本能・情動脳」、そして新皮質中心の高等哺乳動物の祖先の脳のような「知性・理性脳」の順に、いろいろな心のプログラムをもった脳に進化してきた。この三つが融合してわれわれの脳になり、機能していると考えられる。

本能・情動の心のプログラムは、知性・理性の心のプログラムより前に進化したものと考えられ、心のプログラムの根源的なものであって、知性・理性の心のプログラムを越える働きをもっている可能性はあろう。したがって、本能・情動の心のプログラム、特に情動のそれを働かせることが、子ども達の知性・理性の心のプログラムをよりよくして、創造性を延ばすという可能性も否定できないであろう。子どもは褒められることによって、学習効果が上ることから見て明らかなように。

また、「オノマトペ」は乳幼児期によく発達すると考えられ、日本語には著しく多いと言われている。そのことも、わが国の教育にとって、「五感の学校」を意義あるものにするかもしれない。

さらに、この実験授業で子どもがとった行動や描いた絵画などをそれぞれ評価して、子ども達の学業成績や家庭環境などとの関係を明らかにすることによって、何か新しい教育法の開発のヒントも明らかにできるのではないかと思った。それは、子ども達の絵の中には地域や、家庭と関係するものも見られたからである。
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