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【12月】暴走するヒト、今われわれは何をすべきか

この11月3日「文化の日」の午後、金沢工業大学主催で、「未来身体」を考えるパネルディスカッション「ルネッサンス ジェネレーション '10」が、「ヒトはXXに還元できる、か」を本年度のテーマとして、草月ホールで開かれた。

この会は、下條信輔氏(カリフォルニア工科大学教授、心理学者)とタナカノリユキ氏(アートディレクター)が監修する会で、1997年から始まって毎年開催しており、今年で14回目になる。

当日は、下條氏とタナカ氏の「ミもフタもない人間」という対談をイントロとして、内田亮子氏(早稲田大学教授、生物人類学者)の「ヒト=暴走した動物」、國吉康夫氏(東京大学大学院教授、知能システム情報学者)の「ヒトの心は身体と環境から創発する」、そして内海健氏(東京藝術大学健康管理センター准教授、精神科医)の「ヒトの心は脳に還元できる、か」の三つの基本レクチャーに続いて、「無痛化する未来身体」というテーマで、下條氏とタナカ氏が、森岡正博氏(大阪府立大学教授、哲学者)をインタビューするビデオレクチャーが行われた。まとめとして、「人間の尊厳は崩壊する、か」というテーマで、全員参加の総合討論も行われた。いずれのレクチャーも聴き応えある興味深いもので、大変勉強になった。内田氏のレクチャーは、私にとって特に関心あるテーマだったので、それを中心に私の考えをまとめて、今月の所長メッセージにする。

そのタイトルは「ヒト=暴走した動物」であったが、私は「暴走するヒト」とした。内田氏は、人間という動物が現在当面する問題は人間の進化が暴走した結果によると考えたからと思う。私は、生物的存在と社会的存在の両面をもつわれわれは、暴走したのは身体内情報のキャリアである生物的存在としての人間だけでなく、身体外情報のキャリアである社会的存在としての人間自体も現在暴走しているとみるべきで、現在も暴走している点を強調したいと思った。身体内情報は遺伝子によって伝承されるが、身体外情報はミームによって伝承されると考えれば、現在ミームも暴走に関係していると考えられるのである。後者の方が、その速度も速く、程度も重いかもしれない。

「ミーム」"meme"とは、そもそもR.ドーキンスが言い出した概念で、体の外にある情報は、文化の発生に始まり、人から人へ、世代から世代へと伝えられて来たもので、「ミーム」は情報の単位のようなものと言えよう。その情報のふるまいは、まさに生き物と同じで、人間の脳にある模倣とか学習とかの心のプログラムによって、伝えられたり、変わったり、増えたりする。中山書店「ヒューマンサイエンス」(1)、1984、「人間とは何か、その科学的基盤を求めて」、P.100では「摸伝子」と呼んだが、現在は「摸倣子」、「意伝子」などとも呼ばれているようである。

  内田氏の使った「暴走」という言葉は、"run away"の訳である。とすれば「逃げる」「家出する」などの意になり、「暴走する」という言葉にはならない様な気がする。しかし、馬だと暴れて逃げる意味になるようであるが、進化の生物理論の中では "runaway process(ランナウェイ過程)"として使われ、それを「暴走」と訳しているのである。

ランナウェイ過程の代表として、配偶者選択の好みは、正のフィードバックで加速度的に強化され、必ずしも生存に有利でない形質までも進化することがあるというのである。鳥であれば、雄孔雀のあの大きな美しい尾翼を思い出せばよい。パートナーを選ぶには良いが、生存に特に有利とは思えないが。また、哺乳動物では、オオツノシカの大きな角などは、生物界にみられる正のランナウェイ過程の代表と言える。体の大きさ(肩高2m)に比べて、その異常に大きな角(巾2.5~4m)が進化したが、その大きさ故に生存に不利になり、約1万年前に絶滅してしまったというのである。

人間について考える時には、当然のことながら、生物的側面を考えるだけではすまされない。社会的側面も考えなければならず、特にその文化は身体外情報に位置づけられる。しかも、遺伝子の情報のように、それは文化の情報として世代から世代に縦に伝承するばかりでなく、人から人へと横にも、ミームを介して伝承され、その中で突然変異ばかりでなく、進化に順ずる現象もあり、さらにはランナウェイ過程も見られると言えるのである。特に、戦争に関係する現象などはその代表ではなかろうか。殺人能力の極めて強い武器を、先進国が必死になって開発している現状を見ればよくわかろう。

こういった最近問題になっている社会的ないろいろな現象は、社会的ランナウェイ過程として論じられているそうである。上述の戦争は勿論のこと、食糧技術の進歩によって、廉価な栄養食品が普及し、栄養状態が著しく良くなったことから、肥満・メタボリックシンドロームの増加や、女性の初潮年齢の若年化などがある。また、生活環境の改善による衛生状態が極めてよくなり、感染症治療も進歩し、日常生活があまりに清潔になりすぎて、アレルギーの子ども達が増加している現状なども、その代表と言える。

人類の進化は、1400万年前に始まったといわれるが、チンパンジーとの共通祖先から分かれた時点から考えても700万年はあるのである。しかも、200万年前には、不充分ながらも言葉をしゃべり始め、石器も使い、文化の中で生活し始めたと考えられる。そのそれぞれの時点での理性・知性の心のプログラムを駆使して、社会にある目の前の課題に対処し続けてきた結果、現在のわれわれの文化・文明がある。勿論それは、生物的進化による、現在の脳があり身体があるからなのである。

しかし、今の世界の現状をみると、考える心のプログラムを含めて、現在の問題を予測し解決する知性・理性の力をもっているにもかかわらず、地球規模から個人のレベルまで多様な解決出来ない問題が山積していることは、どなたも危惧されよう。特にその代表と言えるのは、現在でも地球上のどこかで起こっている戦争であろう。核兵器などが使われてしまえば、下手すると、われわれ人類はオオツノシカみたいに滅びでしまうかもしれない。一体どうしたら良いのだろうか。まず考えられることは、ランナウェイした人間の心をコントロールする力を、われわれが目の前の子ども達の心にもたせるように、育てなければならない事ではなかろうか。

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