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【11月】瀬戸内海の島々で開かれた「瀬戸内国際シンポジウム2010」に参加して - 現在の豊かさを捉え直す

この7月19日より10月31日まで、瀬戸内海の直島(香川県)を中心にして、近くの島々を舞台に「瀬戸内国際芸術祭2010」が開かれ無事閉幕した。ベネッセコーポレーションの会長・福武總一郎氏が総合プロデューサーとなり、3年おきに開催する国際的な芸術祭を目指す事業であった。参加者は、当初目標とした30万人を超える92万以上となり、関係者一同にとって、この事業は大成功であったという。心からお祝いしたい。

国際芸術文化祭の中心である直島には、2つの美術館に飾られたモネの絵を含むヨーロッパ、アメリカの芸術作品ばかりでなく、美術館の外にある造形や「家プロジェクト」などもある。家プロジェクトとは、島々の過疎の町にある廃屋を、わが国だけでなく世界の芸術家たちによって現代アート化して、作品にしたものである。個人的には、直島に3、4回は行っているので、これらの作品のいくつかはすでに見ている。

しかし、今回の国際芸術祭では、直島の他にも豊島(てしま)、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島と、宇野・高松港周辺と島以外にまで拡がって、作品数は98に上るという。正に瀬戸内海の芸術祭になっている。この度行って見ると、瀬戸内海の島々の静かな過疎の町並や緑の林や森、そして緩やかな丘にならぶ、新しい芸術、現代アートの「すがた」や「かたち」は、私には時にはグロテスクとも感じられた。しかし、少なくとも人々の心を開き、作品の並んでいる場、そして空洞化した島の静けさにゆさぶりかけている何かを感じた。それは、私達の見慣れた日本画や洋画の力にはない、現代アートの力ではなかろうか。

この3ヶ月にわたる瀬戸内国際芸術祭の期間中に開催された「瀬戸内国際シンポジウム2010」は、「ほんとうの豊かさとは何だろう-21世紀文明の再定義」をメインテーマとして、8月6日から8日の3日間にわたって行われた。過疎の瀬戸内の島々の裏にあるものを探り、何か新しい動きをおこそうとする計画に思えた。

第1日の8月6日(金)は、直島のベネッセハウスのホールで、「私たちのほんとうの豊かさとは-瀬戸内海から世界へのメッセージ」をテーマにシンポジウムが開かれた。第2日の8月7日(土)は、4つの島でそれぞれ異なったテーマのセッションが行われた。

このうち直島セッションでは「地域の未来をアートが開く」、犬島セッションでは「里海から多島海へ」、豊島セッションでは「食と農」、小豆島セッションでは「ツーリズムの可能性」であった。

第3日の8日(日)はそれら2日間のまとめとして、高松市のかがわ国際会議場で午前は4つの分科会の報告、午後は総括シンポジウムが行われ閉幕した。

このシンポジウムに私は3日間出席したが、第2日は豊島のセッションを聞いた。この機会に、参加した三つのシンポジウムをまとめて、私の感じたことを、今月の所長メッセージにしたい。

直島で開かれた第1日目のシンポジウムでは、午前の基調講演を、ノーベル文学賞をとられたフランスの作家、J.M.G. ル・クレジオ氏が「今日の文化について」と題して行う予定であった。しかし、残念ながらお体ご不調のためおいでになれず、自宅で撮られたビデオによる発表であった。

午後は、「私たちの本当の豊かさとは?~ 瀬戸内海から世界へのメッセージ~」と題して、朝日新聞社の船橋洋一氏をモデレーターにして、米・プリンストン大学のH・ジェイムズ教授、米・イェール大学グローバリゼーション研究センター部長 ナヤン・チャンダ氏、NPO場の研究所所長(東京大学名誉教授)清水博氏、多摩美術大学 中沢新一教授によるシンポジウムが行われた。

第1日目の話を聞いて感じたことは、現在の豊かさは確かに物質的豊かさで、われわれは心の豊かさを失っていることだけは確実で、真の豊かさではないと言えると思った。だからこそ、何かをしなければならないと思うのである。クレジオ氏は基調講演で、子どもの時の自らの戦争体験の影響を受けながら文学作品をつくる中、平和革命による戦争なき社会のために、異文化共生の必要性を感じたという。20世紀以降、特に第二次世界大戦以降の人間は、環境とか、自然との望ましい関係を失ってしまったと言えるのかもしれない。そして、それに対する芸術への期待を述べられたのである。

午後のシンポジウムは、世界を巻き込む経済のグローバル化による政治や社会・文化の変容の問題を、理論経済学の立場からジェイムズ教授、文化史の立場からチャンダ氏、そして場の理論の立場から清水教授、そして中沢教授はモジュール・ケネーの理論を紹介して現在の問題点を論じた。

専門外の事が多く、理解することが困難であったが、チャンダ氏のマルコポーロから始まり、明治・大正の絹産業までの出来事と関係して、日本がグローバル化に巻き込まれ、そして戦争への道を進んだという話は興味深く勉強になった。

清水博教授は、「持つために在る」という考えが欧米中心の近代文明のドラマの法則であると述べ、われわれ東洋人の考えとは異質なものであり、これからは「在るために持つ」という文明観の転換を図らなければならないと訴えた。中沢新一教授は、内的自然と外的自然をつなぐ確実なシステムが欠如している現在の経済に必要なのは、18世紀フランスの経済学者ケネーの理論であるという。それをモデル化して、外的自然のエネルギーを人間労働によって「自然のおくりもの」として内的自然、人間生活に持ち込む経済の考えが必要であるとした。

私が参加した第2日目の豊島で開かれた分科会「食と農-地域の新しい豊かな生き方」では、京都大学大学院の植田和弘教授と女子栄養大学の武見ゆかり教授をコーディネーターにして開かれた。そして料理研究家の土井善晴氏、食環境ジャーナリストの金丸弘美氏、京都大学大学院教授の新山陽子氏、そしてイタリアから来られた国際スローフード基金ディレクターのピエロ・サルド氏によってパネルディスカッションが行われ、地元から10人程(女性9人、男性1人)が参加した。目的は、食こそ地域を豊かにするもので、21世紀の新たなる展開を背景として、瀬戸内海というローカルな立場が、グローバルな説得力をもつよう、世界に語りかけなければならないとした。御存知のように、豊島は産業廃棄物の捨て場になり、その問題解決に、今も島民は苦労しているのであった。そんな島民の願いも反映されていたのであろう。

参加者は、お昼に島の方々から土地の海と山の食材を利用したお料理を御馳走になった。大変おいしく頂いた。その上で、午後のシンポジウムでは、おいしい食事とは何か、地域産物を利用した町の食作り、次世代への食の責任とフードシステム、生物多様性を守るためにスローフードの果たす役割、そして地産地消と小規模農業の再生を目指している国際スローフード協会の運動などが、それぞれのスピーカーによって紹介され論じ合った。

第3日目の総括シンポジウムでは、分科会の報告、各セッションのスピーカーによって総括討議が行われ、文化ジャーナリストの永井多恵子氏(元NHK )と国際シンポジウムの実行委員長 樺山紘一氏(東京大学名誉教授)によりまとめられ、今後とも人間性に基づいた文明の再定義を求める必要があると述べた。

3日間にわたるシンポジウムに出席して第一に感じたことは、福武会長には、現代アートの愛好家というだけではなく、芸術の奥にある力で、文化・文明をより良いものにしようとする氏の哲学と実践があるということだ。芸術運動は、常に新しい「かたち」や「すがた」を求め、時には反体制的ともいえる動きさえある。今や芸術は、単に美だけでなく醜も取り込み、絵具だけでなく木もコンクリートも材料にし、美術館の中だけでなく外に拡がって来たのである。そして、われわれの目の前の瀬戸内では、過疎の町にまで拡がり、さらに廃屋さえも取り込んで、芸術は次々と新しい拡がりを見せ、人の心をゆさぶっているのである。そんな芸術の運動は、第一次世界大戦後のヨーロッパで始まったというが、それが福武会長のお力で瀬戸内の島々まで来たと言えよう。尚、産廃の島、豊島にも、10月16日に新しい美術館(豊島美術館)がオープンしたそうである。
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