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【8月】夏休みには、子ども達を充分にあそばせよう

要旨:

子ども時代の夏休みの楽しい思い出を振り返りながら、「あそび」にとっては特に体を動かすことが重要であると述べている。また、子どもが喜びいっぱいに体を動かす「あそび」とは一体どんな役割を果たしているか、人間の脳の進化の観点からも触れている。お父さん・お母さんに「体を動かすあそびは、体ばかりでなく、知性や理性の発達にも、長い目で見れば意義があるのですよ」とメッセージを送っている。

今年は不順な天候で、梅雨明けも遅くなっているが、夏休みに入ると一段と夏の暑さも厳しくなった。テレビでは、水しぶきを浴びたりプールで泳いだりする、喜びいっぱいの子ども達の映像が流れている。

 

夏休みの子どもの「あそび」は、当然のことながら「水あそび」、「水泳」など、「水」に関係したものが多くなる。私自身も、小学校の夏休みというと「プール」と「水泳」がまず頭に浮かぶ。杉並の善福寺の近くに住んでいた小学生時代、学校にはプールがなかった。思い出すのは、東伏見にあった早稲田大学のプールである。結構な距離があったが、青空のもと、夏のギラギラした太陽の光の中を、汗をかきながら歩いて行ったものである。近くになると、子ども達の歓声が耳に入り、そびえ立つ飛び込み台が目に飛び込んできて、思わず受付に向けて走り出したことを思い出す。

「夏休み」は、堅苦しく言うと「夏期休業」、あるいは「夏期休暇」とも言うが、「厳しい夏の暑さのため、子ども達の学習効率と保健への配慮から、それぞれの地域の教育委員会が決める授業をしない期間」と定義されているそうである。それぞれの地域の教育委員会が決めるので、夏休みのあり方は地域によって異なるのである。

「教育委員会」そのものは、わが国がアメリカ軍を中心とするGHQによって占領統治されていた時代に出来たもので、それまでは無かった。終戦直後の1946年(昭和21年)、GHQが招いたアメリカ政府の第一次教育使節団の勧告によって、戦前の教育制度は大きく変わり、教育委員会も出来たのである。しかし、昭和の時代を生きた私自身の世代は、戦前でも小学校・中学校で夏休みをちゃんと取っている。したがって、明治政府が欧米の教育制度をモデルにして近代の学校教育制度を導入した時から、夏休みはあったに違いない。

しかし、よく調べてみると、1872年(明治5年)に近代学校教育制度を導入した時は、限られた階層の子どもしか学校教育は受けられず、夏休みも特に決められてはいなかったようである。全ての子ども達に学校教育を与えるべきということになり、1879年(明治12年)に教育令が発せられ、1881年(明治14年)の小学校教則綱領によって、日曜日、夏・冬休み、祝祭日を除く日は授業を行うと決まったという。どうやら、授業をしなくてもよい日として「夏休み」、「冬休み」が決まったのである。夏休みが正式に決まるまで、学校教育が始まってから10年近くかかったことになる。

学校に行っていた子ども達が夏休みに入り授業を受けなくなると、当然のことながら、家庭などでの「あそび」によって喜び、楽しみ、体を動かすことが、子どもの生活時間を大きく占めるようになる。もちろん、「あそび」に準ずるものとして、「スポーツ」とか「体育」というように、年齢に応じて色々な「かたち」で子ども達は体を動かしている。しかし、現在では、漫画を読んだり、テレビを見たり、指先だけでゲームをしたりして体を動かすことなく遊んでいる子ども達も増えてきている。私は、体を動かすこと自体が「あそび」にとっては特に重要と考えている。

さて、少々堅苦しい話になるが、子どもが喜びいっぱいに体を動かす「あそび」とは一体どんな役割を果たしているか、この機会に考えてみたい。まず、乳幼児のように学校教育に入る前では、「あそび」と「学び」は表裏の関係にあり、融合していることを、小児科医・保育士など乳幼児にふれる機会の多い職業の人は実感しているに違いない。しかし、学校教育が始まると、「あそび」と「学び」は厳然と区別される。体を動かす「あそび」のようなものでも、「体育」として「学び」のひとつに位置付けられてしまうのである。

「あそび」の教育学的意義を考えるようになったのは、フレーベル(1782-1852)以降の近代に入ってからであると言われている。彼は、「あそび」は子どもが自己の内面を自ら自由に表現したものであり、善なるもの全ての源泉である、と評価している。そして、「あそび」には、必ず喜びや笑顔が伴うことも重要である。

「あそび」を子ども学的に捉えるならば、生物的側面と社会的側面とをあわせて考えなければならない。生物的側面をみるならば、世界のどこの子どもの「あそび」をみても、共通のもの、普遍的なものがあり、社会的側面をみるならば、大人のいとなみに相通ずるものがある。換言すれば、個別文化に依存していると言える。わが国の子ども達もアフリカの子ども達も、追いかけっこをしたり、秘密の隠れ家をつくったりする。また、少年は大人のするハンティングや自動車の運転を真似したり、少女は小さな小屋を作ったりして家事を真似して遊んだりする。「あそび」は普遍的であり、文化依存的なものなのである。それは、子どもが育つにつれて、さらには文化の変貌と共に、変わることでも言える。前者は子どもの育つ姿を見れば明らかであり、後者の代表は上述のゲームなどである。

近代の教育制度によって、上述のように「学び」と「あそび」が対立するもののように区別されるようになってしまったが、「あそび」も「学び」も、ひとつの脳がつくりだす人間としてのいとなみである以上、深い関係にあることは明らかである。

前にも申し上げたが、人間の脳は、脊椎動物になって「魚」や「ワニ」の脳のような、生存のために必要な体の機能や生活の中の動きに関係する体のプログラム中心の「生存・運動脳」から進化が始まったと考えればよい。カンガルーの祖先のような原始的な哺乳動物に進化すると、生存競争を生き残るために、本能で体をつくり子孫を増やすばかりでなく、情動で仲間とグループを組み、そして戦いに勝つために、本能・情動の心のプログラムをもった旧い皮質(神経細胞の膜)が発達してきた。その結果、「生存・運動脳」の体のプログラムの働きを強化した「本能・情動脳」に進化したのである。更に、環境に適応し、同種ばかりでなく異種の動物との関係も考え、上手くよく生き残るために、知性・理性の心のプログラムをもった新しい皮質が発達し、馬や犬のような高等哺乳動物の「知性・理性脳」に進化したと言える。この「知性・理性脳」の最も進化したものがわれわれ人間の脳であり、科学・技術から芸術・宗教までの文化・文明を築く、知性・理性の心のプログラムをもつ脳に進化したのである。

脳進化を上述のように考えると、われわれのもつ多様な心のプログラムは、体のプログラムを上手くよく働かせるために進化したものであり、本能・情動の心のプログラムが進化しなければ、知性・理性の心のプログラムを進化させることは出来なかったとさえ言える。旧い皮質にある情動の心のプログラムの働きは、われわれが考える以上に重要なのである。

したがって、子ども達の脳の中でも心と体のプログラムはお互いに影響し合っており、体のプログラムを働かせれば、特殊な本能の心のプログラムは別として、情動のプログラムも、また知性・理性の心のプログラムもよく働くと思うのである。その実感は、東大医学部の学生を身近に見てきた20余年の経験からも言える。スポーツなりで体を積極的に動かしている学生の方が、そうでない学生より余裕をもった勉強の仕方をしているのである。平たく言えば、ガツガツ勉強しなくても、ついてこられる学生が多い。

そういう訳で、私はお父さん、お母さん方にこう申し上げたい。「夏休みには、子どもを充分にあそばせなさい」と。「体を動かすあそびは、体ばかりでなく、知性や理性の発達にも、長い目で見れば意義があるのですよ」と。

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