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【9月】老人ホームと保育園を一緒にすると -21世紀の在り方を考える-

小林 登 (CRN 所長、東京大学 名誉教授、国立小児病院 名誉院長)

2008年9月30日掲載

少子高齢化は、わが国で最も大きな社会問題であり、解決しなければならない国家的な課題でもある。老人ホーム設立は高齢化問題解決に必要な大きな柱であり、また保育園設立は、安心して子どもを産み育てられる社会を作り、少子化をストップさせる為に必須の子育て支援の大きな柱である事は明らかである。

 

今月初め、機会あって東京郊外にある老人ホームと保育園が一緒になっている施設を見学した。どんな人でもより良い人生を過ごせるようサポートするベネッセコーポレーションの関連会社のひとつ、高齢者介護などを専門とした株式会社ベネッセスタイルケアの施設である。新しい6階建ての施設には、二つの入口がある。保育園の入口から入ると、奥には広々とした保育施設があった。子ども達は気軽に庭に出られる様になっており、そこで遊ぶ姿も見られた。ガラス戸を一枚隔てて共同で使えるホールが広がり、その先に老人ホームの入口がある。2階から6階までが老人の居室で、介護の必要性に応じて分けられて生活している。

この施設では、午前と午後30分程の短時間であるが、生活する老人と幼児の交流の機会をつくっている。子ども達は、老人達の前で歌ったり踊ったりするのである。私達もその様子を見る事が出来たが、和やかで可愛らしさ、優しさ一杯という感じであった。

施設がオープンして間もなく、老人達に驚くような事が二つ起こったという。ひとつは、車椅子で生活していた女性が、子ども達と何回か会っているうちに歩き出したというのである。もうひとつは、どちらかというといつもきつい顔をした気難しい男性が、同じ様に子ども達と会っているうちに穏やかな顔になったというのである。子ども達とのふれ合いによる「優しさ」に代表される「感性の情報」で、老人の情動機能や運動機能が改善されたのであろう。

子ども達にとってはどうであろうか。特に顕著な変化は見られなかったようであるが、核家族の多い大都市の家庭の中では、自分のおじいちゃんやおばあちゃんと接する機会は少ない。従って、子ども達にとっても、ひいおじいさんやひいおばあさんに当たる施設の老人達とふれあう事で、その優しい眼差しを感じる事が出来たに違いない。1日の生活の中で老人達とのふれあいの在り方を工夫すれば、子ども達の心の発達に役に立つ事は間違いないであろう。子ども達の親御さんの反応も、老人達の家族の反応も良かったという。

勿論、老人ホームと保育園の統合施設はここだけではない。現在、わが国には百ヶ所以上あるそうである。10年程前に盛岡で開かれた日本保育園保健学会でも話題になっていた。しかし実際に見たのは初めてで、色々と考えさせられるものがあった。

まず、建物の設計には、子どもばかりでなく老人の事も考え、その交流にも配慮した新しいスタンスのバリアフリーのデザインが必要であると思われる。勿論、保育園にとってはチャイルドケアリング・デザインが重要であるが。また、運営の組織も、それなりに工夫すれば経営的なメリットがあろう。働く職員の心の健康を考えれば、実行はなかなか難しいと思われるが、保育園と老人ホームの間で適切に交替させれば労働意欲の向上にもつながるのではなかろうか。

こういった考え方は、少子高齢化だけに関係するのではなく、21世紀の大きなトレンドとして捉えるべき事と私は考えている。20世紀の要素還元論に支えられた科学・技術の進歩によって築かれた、少なくとも物質的には豊かな社会、成熟した社会に現れる諸問題の解決にとって、必要な考え方のひとつと思うのである。

21世紀の社会は共生・共創の時代、学問も要素還元論を取り込み乗り越えて統合・包括する時代と、もうだいぶ前から言われていた。特に人間に関係する学問では、専門分科の縦割よりも、関係する学問を横につないだ包括性・学際性・環学性が強調される時代なのである。その基盤には、情報に関係する学問と技術の進歩があると言える。

われわれの周囲では、JRと私鉄の相互乗り入れがそういった動きの代表と言える。昔ならば、国鉄が私鉄に乗り入れる事はなかった。現在はクライアントの利便性を尊重する事が自然に行われるようになり、その考えが出てきたのである。勿論、その基盤には工学的な技術の進歩がある。誰もがやっているように、カードを当てるだけで改札を通る事が出来るのである。

学問の代表としての医学に関係して、その教育の在り方をこの立場から考えてみよう。従来の医学教育では、解剖学、生理学、生化学、更には内科学、外科学、小児科学などと、それぞれの専門分野を中心に授業なり実習が行われていた。今では多くの大学で、例えば肝臓を中心にその解剖学、生理学、生化学などを教える。病気も肝疾患ならば内科、外科、更には小児科の立場から教えるという事が行われている。体を臓器、細胞、分子、そして遺伝子と細かく見るだけでは、病気は解決しない。痛み、苦しみ、悩む存在である人間にとっての、また社会文化の中で生きる人間にとっての疾患として捉え、教える必要があるのである。

この動きは、大学紛争後の1970年代初め、文部省(当時)の命で世界の医学教育を視察した時、既に欧米の有名な医科大学で始まっていた。昔ならばなかなか教科書が手に入らないという問題があったが、現在ではどんな本でも手軽に手に入り、図書館も整備されている。ある意味で、専門的な知識は本を読めばいい。本の情報を包括的・統合的にまとめ「生きた知識」にするのが、授業であり実習なのである。

子どもの問題についても、感染症のようなひとつの原因で起こる問題は少なくなり、色々な要因が複合して起こる心理・行動の問題が多くなっている。そういった問題の解決には、子どもをめぐる諸科学をつなぐ学際的・環学的な学問が必要なのである。それを筆者は「子ども学」"Child Science" と呼んで、その普及に努めているのである。

行政に関係しても、この考え方は特に重要であるように思う。われわれの最大関心事である子ども問題は、ひとつの省庁だけでは解決出来ない事は明らかである。文部科学省、厚生労働省などの中で、子どもに関係するセクションは統合すべきではなかろうか。北欧の国で見られる児童家庭省のような、子ども問題に特化した体制が必要なのである。イギリスや韓国でも最近、そのような方向になったという。

社会の制度なり施設なりを統合して機能を高めるとか、専門的な学問を包括・統合して新しい学問を体系づけるという考え方は、21世紀の思想の新しい流れによるものなのである。どんな問題であろうと、それに遭遇した時には、一度はその視点から考え解決を図るべきではなかろうか。

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