日本と中国の間で日中平和友好条約が結ばれて30周年になる。それを祝い、わが国の外務省と関係団体によって中国の青少年約300名を招く記念事業が、7月28日から8月6日の10日間にわたって行われた。この間、彼らはそれぞれ行政、医療、経済、大学などのグループに分かれ、関係機関を訪問すると共に、ホームステイまで行った。私も関係団体のメンバーとしてレセプションに招かれ、来日したばかりの青年達と話す事が出来た。
来日が初めてという外国人には、「日本の印象で最も強いものは」といつも尋ねる事にしている。来るまでに見聞きし想像していた日本と、実際に来て見た現実との違いを聞くのである。私も経験しているが、実際に異国に行ってみると全く違った印象をしばしば持つものである。今回来日した青年達の答えは、「想像していた以上に街がきれいだ」、「日本人は親切だ」というものが多かった。
来日した中国の若者達と話している時、今までの中国との交流を思い出し、私にとって中国とは何だろうかと考えた。私が初めて中国に行ったのもそれこそ30年近く前、条約が結ばれた直後だったと思う。日中のアレルギー学交流の目的で、上海・北京で現地の内科医、小児科医と小さな勉強会をもった。当時は上海も北京もそれ程都市化しておらず広々としていたが、ホテルのサービスが悪かった事、夜になると電燈が暗かった事など、その状況は今も思い出す。
それ以前に台湾や香港に行く機会があったので、中国文化との接触は勿論初めてではなかった。しかし、最初の中国訪問で最も強かった印象といえば、「中国は日本の文化の故郷だ」という事であった。もっとも、中国の歴史についての知識はさておき、漢字とか書道、東洋画・水墨画などに関心をもっていた事によるかもしれない。この思いは、爾来ゆうに20回を超す中国訪問の回を増す毎に強くなり、日中の交流は21世紀を見据えてもっと進めなければならないと、現在強く思っている。
小児科医、アレルギー学者として始まった中国交流の中で私の行った最大の仕事は、国際小児科学会会長任期中の1981年だったと思うが、北京の小児病院でささやかな小児科学シンポジウムを開催した事であった。中国小児科学会にぜひ国際小児科学会の仲間に入ってもらいたいという思いがあり、全て私の責任で国際小児科学会の役員を連れて開催したのである。中国小児科学会の入会は残念ながら成功しなかったが、道筋だけはつける事が出来たのは事実である。それは、あのニューヨークのテロ事件のあった2001年9月に、中国小児科学会が国際小児科学会の学術集会を北京で主催した事からも明らかである。
ちなみに、日本が国際小児科学会の学術集会を開いたのは、1965年、東京オリンピックの翌年であった。欧米各国小児科学会以外では、日本小児科学会が初めての主催であった。他にアジアでは、1982年にフィリピン小児科学会によっても開催されている。
最近の5年間こそ、小児科医というよりは子ども学者という立場で、未来の子ども達の為により広い考えで中国と交流しているが、それまでは小児科医としての交流が久しく、中国の小児科医の方々とは親しくさせて頂いた。特に、北京児童医院(子ども病院)の先生方との思い出は強い。
第1回目の訪中で北京に行った時に、初めて北京児童医院を訪問した。欧米の子ども病院を見てきた私にとっては、ソビエト政府の援助で設立されたと伺っていた事もあり、少々お粗末な印象は否めなかった。勿論、日本小児科学の晴れ舞台であった1965年の国際小児科学会の学術集会に間に合わせて設立された国立小児病院も、欧米の小児科医には見せられない程のものであった。その北京児童医院も、また国立小児病院の後継の国立成育医療センターも、現在は欧米に負けない程、立派な病院になっている。
当時の北京児童医院の院長は、諸福棠先生であった。諸先生は、1920~30年代にニューヨークのコロンビア大学で小児科学を勉強された小児科医である。その下には胡亜美先生がおられ、後にあとを継いで院長になられた。両先生とは、北京を訪問する度にお会いする機会があった。また、幸いな事に、両先生は1981年に徳島で開かれた日本小児科学会議の特別講演で来日され、東大小児科にもお招き出来た。その際の事は強く印象に残っている。箱根の富士屋ホテルでご帰国前の数日間休養された際、お別れの手紙を下さったのである。その中に、16世紀に日本の高僧策彦上人が友人の中国人学者全仲山先生に送った詩が英訳も付けて書かれていた。
莫道江南隔海東
相親千里亦同風
從今若許忘形友
語縱不通心可通
諸先生がこの詩を送って下さった心が、私にもだんだん理解出来る様になった。中国語を話せない私に対して、同じ文化を持っているのだから心は通じる、という事を教えようとなさったに違いない。そして日中の交流を進めなさい、と。諸先生の銅像は今、立派な北京児童医院の前に静かに立っている。